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姉と妹が国民的女優ですが、俺は機械をいじっていたい  作者: よんまるよん
柊遼と桜井詩織

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柊遼 Episode 10「また連絡する、と言った」

 卒業式は面倒だと思っていた。

 スーツを着なければならない。凛が「サイズ大丈夫?」と聞いてきた。「たぶん」と言ったら「たぶんじゃなくて試着して」と言われた。試着した。問題なかった。

 式典の朝、電車の中で田中教授からメッセージが来た。「TechVisionのデイビッド・マクナマラが来月来日する。君に会いたいと言っている」。既読にして、スマホをポケットに入れた。今日は式典だ。それだけ考えればいい。

 会場に入ると、人が多かった。それぞれの家族が座っている。知らない顔が並んでいる。遼は自分の席を見つけて座った。(りん)(はな)は家族席のどこかにいるはずだ。探さなかった。式が始まれば分かる。

 文学部の列を、なんとなく見た。

 詩織(しおり)がいた。

 目が合った。詩織が小さく手を振る。遼も振り返した。

 それだけだ。でも、なんとなく「あ、いる」と思った。この感覚には覚えがある。大学の四年間、キャンパスで詩織を見かけるたびに来た感覚だ。部品箱の中で必要な部品を見つけた時の「あ、あった」に似た、少し落ち着く感じ。

 スーツを着て長い式典に出席しているのに、詩織を見た瞬間「いつも通りだな」と思えた。

 なぜそう思えるのか、よく分からない。


 式が終わって、凛と華を待っていた。中庭に出ると、三月の空気が冷たかった。桜が咲き始めている。

 詩織が来た。自然に並んだ。十六年間、何度も並んで歩いた。その延長線上に今日がある。

 「遼、おめでとう」「詩織も」。二人で少し笑った。いつも通りの感じで笑えた。

 「これから家族と写真?」と詩織が聞く。「うん。詩織は?」「私も。友達と撮る」「そっか」。

 「また連絡する」と遼は言った。詩織が「うん」と言った。別れた。

 中庭を歩きながら、「また連絡する」という自分の言葉が頭に残った。

 「また」——当たり前に使った言葉だ。次も連絡する、という意味の当たり前の言葉。でも言いながら「次も連絡したい」という気持ちが確かにあった。「また」は義務で言ったのではなく、事実として言った。

 事実として、「また連絡したい」と思っていた。

 その事実に、遼は少しだけ止まった。

 止まったところへ、凛と華が来た。凛が「遼、どこ行ってたの」と言う。「詩織と話してた」「え、詩織ちゃんいたの?呼べばよかったのに」「写真撮るって言ってた」「そっか」。華が「詩織ちゃんに会いたかった」と言う。「また連絡する」と遼は言った。


 写真を撮った後、LINEが来た。詩織から。

 「みんなでどこかで撮ろうか」

 遼は「うん」と返した。

 返してから、「みんなで」という言葉を少し考えた。みんな——凛と華と詩織と自分。いつもの感じだ。詩織がそこに入っているのは当然で、当然のように「うん」と返した。

 でも「うん」と返しながら、「詩織からLINEが来た」という事実が少しだけうれしかった。

 うれしい——という感覚に気づいたとき、遼は少し止まった。

 「うれしかった」のか。

 詩織からのLINEが。

 なぜ。

 分からなかった。分からなかったので、凛と華の話に戻った。でも「うれしかった」という感覚は、しばらく残る。


 数日後、カフェで詩織と向かい合って座った。

 大学近くのいつものカフェだ。遼はコーヒーを頼んで、詩織はカフェラテを頼んだ。大学に入ってからずっとそうだ。何十回かになる。

 TechVisionの話をした。CEOのデイビッド・マクナマラが来月来日するという話だ。詩織が「それって、すごいことじゃない?」と言う。「まあ」と遼は答えた。

 「……遼、本当はどうしたいの?」

 「どうって?」

 「その会社に入りたいの?それとも、他のことがしたいの?」

 遼は少し考えた。「本当はどうしたいのか」——そういう聞き方をされたのが、初めてだった気がする。「どうするの?」でも「どうなるの?」でもなく、「本当はどうしたいの?」。

 「……分からない」

 「分からない?」

 「技術の話をしたい。それはある。でも向こうに行くかどうかは、プログラムが終わってから考える」

 詩織が少し黙った。窓の外を見ている。それから遼の方に向き直った。

 「遼」

 「何」

 「私、どうなっても応援するよ」

 真っすぐ言った。真っすぐこちらを見ていた。

 「遼がどこに行っても、何を選んでも。私は、応援する」

 遼は少し止まった。

 詩織の目が、まっすぐこちらを向いている。逸らさない目だった。その目に、一瞬だけ目を合わせた。

 「……ありがとう」

 言えたのは、それだけだった。

 言いながら、「ありがとう」だけでいいのかな、と少し思った。でも他に言葉が出てこない。出ないまま、コーヒーを飲んだ。詩織が「うん」と言って笑った。

 その笑い方を、遼はしばらく見ていた。見ていたことに気づかない。


 カフェを出た。詩織と少しの間、同じ方向を歩いた。

 「TechVisionの件、どうするか決まったら教えて」と詩織が言う。「うん」と遼は答えた。「田中先生には相談した?」「してる」「そっか」。詩織の声が、いつもより少し低い気がした。気のせいかもしれない。気のせいでも気のせいでなくても、確かめる方法がない。

 別れ道で詩織と別れる。詩織が先に角を曲がる。遼は少しその方向を見る。見てから、自分の方向に歩き出した。


 帰り道、一人で歩いた。

 「本当はどうしたいの?」という問いが、まだ頭の中にある。

 技術の話をしたい。それは本当だ。でも「向こうに行くこと」を、遼は一度も「したい」と思ったことがない。「選択肢としてある」というだけで、「したい」ことではない。

 では何が「したい」ことか。

 プログラムを完成させたい。それはある。

 他に、何か「したい」ことがあるか。

 考えながら歩いた。三月の夜の空気が冷たい。

 「また連絡する」と詩織に言った。その「また」は事実として言った。「また連絡したい」と思っていた。

 詩織からLINEが来た時、うれしかった。

 カフェで「どうなっても応援する」と言われた時、「ありがとう」しか出なかった。

 それらが一本の線でつながる気がする。でもどんな線なのかが分からない。

 分からないまま歩いていたら、マンションに着いた。

 エントランスで少し止まった。なぜ止まったのか分からない。入ればいいだけだ。でも少しだけ、夜の空気の中に立ったままでいた。詩織のアパートがある方角は分かっている。大学からの帰り道に何度か通った道だ。今頃部屋に帰っているだろう。コートを脱いで、本棚の前に座っているかもしれない。

 なぜ詩織の部屋を想像しているのか、分からなかった。でも想像していた。


 部屋に入って、プログラムの作業を続けた。

 でも今夜の作業ははかどらない。珍しかった。集中できない夜はほぼなかった。作業を始めれば手が動く。手が動けば他のことが消える。それが遼の夜だった。今夜はそれが来ない。

 「ありがとう」しか言えなかった。

 詩織の目が、まっすぐこちらを向いていた。逸らさない目だった。あの目に何があったのか、遼には分からなかった。でも「ありがとう」だけで返してしまったことが、どこか引っかかる。引っかかりの正体も分からない。

 「どうなっても応援する」と言われた。遼がどこに行っても、何を選んでも、と詩織は言った。遼がどこに行っても。

 その言葉を反芻した。「どこに行っても」——つまり、遼が遠くに行くことを詩織は想定している。想定した上で、「応援する」と言った。真っすぐに言った。

 それなのに、なぜ胸の中に何かが引っかかるのか。応援してもらえた。それは嬉しいはずだ。嬉しかった。嬉しかったのに、何かが引っかかっている。その二つが同時にある。なぜ同時にあるのかが、分からなかった。

 深夜になって、少し休憩した。スマホを見た。詩織とのやり取りが最後に残っている。「うん」という自分の返信。その前の「みんなでどこかで撮ろうか」という詩織のメッセージ。

 遼は少しその画面を見た。

 「また連絡する」

 今日、そう言った。詩織も「うん」と言った。

 遼の「また」は当然のつもりで言った。詩織の「うん」も当然のように返ってきた。でも、この「また」が、今夜ずっと頭にある。

 「また」——次も、という意味だ。次も連絡したい、次も会いたい、次も話したい、という意味だ。

 次も——詩織に。

 遼は少し止まった。長く止まった。

 机の上の部品箱を見た。どんな問題でも、「直せるかな」から始まる。それが自分だ。「なぜ好きなのか」を聞かれたあの夕暮れに、「壊れても、直せるから」と答えた。詩織が聞いてくれたから、初めて言葉にできた答えだ。

 あの夕暮れから、詩織は「遼」と呼んでいる。いつの間にかそうなっていた。気にしていなかった。でも今夜初めて、「遼」と呼ばれることを遼はずっと自然に受け取ってきたのだと気づいた。それ以外の呼ばれ方を、もう想像できなかった。

 「また連絡する」

 この「また」には名前がある気がした。

 その名前が何かは——まだ分からない。

 分からないまま、スマホを置いてプログラムの画面を開いた。でも今夜の作業は、結局はかどらなかった。


 遼はしばらく窓の外を見た。

 あの方角に詩織のアパートがある。棟は分かる。どの窓かは分からない。

 それでも、なんとなく窓の外を見る。

 見てから、「なんで見てるんだろ」と思った。

 答えは出なかった。

 ただ、見ていた。

 見ながら、出来事を頭の中でたどった。目が合って、手を振った。「また連絡する」と言った。「うん」という返信が来た。カフェで向かい合って、「本当はどうしたいの」と聞かれた。「応援する」と言われた。「ありがとう」しか言えなかった。

 どれも、詩織のことだ。

 頭に残っているものが、全部詩織のことだ。

 そのことに気づく。気づいてから、少し長く止まった。

 なぜ全部詩織のことなのか。なぜ集中できないのか。なぜ窓の外を見ているのか。

 答えは出ない。でも、何かが動いている感じだけはある。動いているのに、名前がつかない。つかないまま、夜が明けていく。

 「また」——その言葉が、夜明けまで遼の中に残っていた。

 夜が明けて、空が少し白くなる。遼は窓から離れて、机の前に座った。プログラムの画面を開く。コードが並んでいる。今夜は進まなかった。でも明日がある。明日、また続ける。

 「また」。

 この「また」も、詩織に言った「また」も、同じ言葉だ。次もある、という意味の言葉だ。次も詩織に連絡する。次も話す。次も会う。それが当たり前のこととして、遼の中にある。

 当たり前のこととして——でも初めて、その「当たり前」が、当たり前ではないかもしれないと思った。誰に対してもこう思うわけではない。「また連絡したい」と思う相手が、誰でもいいわけではない。

 詩織だから、思う。

 その事実に、遼は少しだけ止まった。止まって、何も考えないようにした。考えると、もう眠れない気がした。

 プログラムの画面を閉じた。電気を消した。布団に入った。

 目を閉じた。「また」という言葉が、瞼の裏にある。詩織の「うん」という返信が、スマホの画面の中にある。詩織の目が、まっすぐこちらを向いていた夜だ。

 眠れるかどうか分からない。でも、嫌な気持ちではない。


<柊遼と桜井詩織 編><完>

ここまで読んでくれて、ありがとうございます。


物語はいよいよ次の章へ進みます。第二部では、柊家の三兄妹がそれぞれの「外の世界」と向き合っていきます。姉妹の仕事、弟の進路、そして少しずつ動き始める人間関係。にぎやかで、ときどき静かな、あの家族の続きです。


更新ペースについてお伝えしておくと、第二部の本編は一日一話のペースで投稿していく予定です。(あくまで予定ですが......)

それとは別に、不定期で「柊家の夜明け前」という番外編も挟んでいきます。凛・遼・華が生まれる前——父と母がまだ若くて、何も決まっていなかった頃の話です。さらに、凛と華それぞれの視点から描くクロスオーバー的な物語も、不定期でお届けする予定にしています。


本編の合間に、少し違う角度から柊家を見てもらえたら嬉しいです。

引き続き、よろしくお願いします。

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