間幕「遼と田中教授の雑談⑤:電撃」
※この話を読まなくても本編は成立します。かといって読まないでくださいと言っているわけでもありません。
※電気工学と生物学の話が含まれますが、あくまで個人の見解です。専門家の方はそっ閉じをお願いします。
十月の午前。
田中教授の研究室に、また一枚のメモがあった。
遼が実験室に向かう途中、廊下で声をかけられた。
「柊くん、少しいいか」
「はい」
「また公開授業の質問が来てな」
田中教授はメモを差し出した。
遼は受け取った。
走り書きで、二行。
「この前の公開授業で人間が一日に必要なエネルギーは約2000キロカロリーと聞きました。10まんボルトで攻撃する黄色のかわいい電気モンスターは何キロカロリーを消費しますか。あとボルトだけじゃなくてアンペアも関係するって本当ですか。そのエネルギーはどこから来るんですか。」
遼は少し止まった。
もう一度、読んだ。
「……教授」
「うん」
「黄色いかわいい電気モンスター、と書いてあります」
「そうだ」
「著作権の問題で名前が出せないやつですよね」
「そうだ」
「……なぜ教授がこの質問を」
「小学生からだ」
「そうですか」
遼は少し考えた。
「……小学生が著作権まで気を使いますかね」
「さあ」
「親かおじいさんが書いたんじゃないですか」
「さあ」
田中教授は答えなかった。
遼はメモをもう一度見た。
三つの質問が含まれていた。
キロカロリー換算。
アンペアの話。
エネルギーの摂取方法。
順番に答えられる。
「……教授室、借りていいですか」
「どうぞ」
椅子に座って、遼はしばらく黙っていた。
田中教授はコーヒーを二つ用意して、一つを遼の前に置いた。
受け取ったが、飲まない。
「まず一つ目。キロカロリーの換算から始めます」
遼はノートを取り出した。
「電気エネルギーの単位はジュールです。1キロカロリーは約4184ジュールです」
「うん」
「10万ボルトの電撃を計算するには、ボルトだけでは足りない。電力はボルトとアンペアの掛け算です。P=VIという式です」
「うん」
「ただ、10万ボルトという設定だけで電流値が不明なので、仮定を置く必要があります。雷との比較で考えると、雷は平均で約3億ボルト、電流は約3万アンペアです」
「桁が違うな」
「桁が全然違います。10万ボルトは雷の3000分の1以下の電圧です。電流をどう設定するかで答えが変わりますが、あの黄色いモンスターの体重が約6キログラムという設定から逆算してみます」
「体重から逆算するのか」
「体のサイズからエネルギー代謝を推定できます。体重6キログラムの動物の基礎代謝は、一日約300キロカロリー程度です。ネコ科の動物に近いスケールです」
「うん」
「ただ、あの技は一発の攻撃です。瞬間的なエネルギー放出なので、基礎代謝とは別に考える必要がある」
遼は計算を続けた。
「電気ウナギを参考にします。電気ウナギは最大で約860ボルト、1アンペア程度の電撃を出せます。電力にすると860ワット。持続時間は約2ミリ秒です」
「うん」
「エネルギーに換算すると、860ワット×0.002秒=約1.7ジュール。キロカロリーに換算すると、約0.0004キロカロリーです」
「……ほぼゼロだな」
「電気ウナギ一発の消費カロリーは、ほぼゼロです。ただし、あの黄色いモンスターは10万ボルトという設定なので、電気ウナギの約116倍の電圧です」
「桁が上がるな」
「電圧だけで比べると、エネルギーは電圧の二乗に比例するので、電気ウナギの約1万3000倍のエネルギーになる計算です」
「……一発でどれくらいになる」
「電流の仮定によりますが、電気ウナギと同じ1アンペアで放出した場合、10万ボルト×1アンペア×0.002秒=200ジュール。キロカロリーに換算すると約0.048キロカロリーです」
「おにぎり一口分の、さらに何分の一か」
「光合成の回より少ないですね」
田中教授は少し笑った。
「二つ目の質問に移ります」
遼は続けた。
「ボルトとアンペアの話です。人体への影響という意味では、アンペアの方がはるかに重要です」
「なぜだ」
「ボルトは電圧、つまり押し出す力です。アンペアは電流、つまり実際に流れる量です。人体に流れる電流が神経や筋肉に影響を与えます」
「うん」
「人体への影響を整理すると、1ミリアンペアで皮膚に感覚がある。10ミリアンペアで筋肉が収縮して動けなくなる。100ミリアンペアで心室細動が起きて死亡する可能性がある。1アンペアを超えると心臓が停止します」
「……電流の方が怖いな」
「高圧送電線は数万ボルトですが、人体への危険度はアンペアで決まります。静電気は数千ボルトになることがありますが、電流がほぼゼロなので感じるだけで死にません」
「なるほど」
「つまり、10万ボルトでも電流が小さければ、痛いけど死なない。逆に100ボルトでも電流が大きければ、死ぬ可能性がある」
「それを小学生に言うと」
「……電気は強さだけじゃなくて、量も大事です。強くても量が少なければ静電気と同じ。量が多いと体の中に流れ込んで、心臓が止まります」
「なるほど」
「あの黄色いモンスターの技が人間に当たっても即死しない描写が多いのは、電圧は高いが電流が小さいという設定と解釈できます」
「……そういう解釈になるのか」
「工学的に整合性を取るなら、そうなります」
田中教授は少し間を置いた。
「実際は作品の世界観の問題だろう」
「そうだと思います」
「なのに整合性を取ろうとするのか」
「取れるなら取った方がいいので」
田中教授はコーヒーを一口飲んだ。
「三つ目。エネルギーの摂取方法だ」
「はい。これが一番面白いところです」
遼は少し前のめりになった。
珍しい。
「あの黄色いモンスターはケチャップが好物という設定があります」
「うん」
「トマトケチャップ100グラムのカロリーは約100キロカロリーです。糖質が多く、即効性のあるエネルギー源として理にかなっています」
「なるほど」
「電気を瞬発的に放出する器官には、素早くエネルギーを補給できる食品が向いています。脂質より糖質の方が変換が速い。ケチャップの好物という設定は、エネルギー補給の観点から見ると合理的です」
「……偶然かもしれないぞ」
「偶然かもしれないです。でも、工学的に見ると理由がつきます」
遼は続けた。
「電気エネルギーに変換する効率を生体の筋肉と同じ約25パーセントと仮定すると、ケチャップ100グラムから取り出せる電気エネルギーは約25キロカロリー。ジュール換算で約104600ジュールです」
「うん」
「先ほどの計算で一発200ジュールとすると、ケチャップ100グラムで約523発撃てる計算になります」
「……結構撃てるな」
「好物を少し食べるだけでそれだけ撃てるなら、食事量としては現実的な範囲です」
田中教授は頷いた。
「ただし」
遼は続けた。
「電気を体内で作るには、絶縁の問題が発生します」
「どういうことだ」
「100キロボルト級の電圧を体内で作ると、普通の生物なら自分が感電します。内臓が焼ける。電気器官が発電するより先に、自分が死ぬ」
田中教授は少し眉を上げた。
「どうやって防いでいるんだ」
「完全絶縁組織が必要です。発電細胞と他の組織を完全に絶縁する構造、高電圧を安全に運ぶ導電路、そして発電細胞そのもの。この三つが成立しないと、発電と同時に自爆します」
「……自爆」
「電気ウナギも同じ問題を抱えていますが、10万ボルトは電気ウナギの100倍以上の電圧です。体内の絶縁構造は、電気ウナギとは比較にならないほど精密でないといけない」
「頬の赤い部分が電気器官というわけではないのか」
「頬は電極です。放電口として機能している可能性があります。でも」
遼は少し止まった。
「頬はただの出口です。本当に恐ろしいのは体の中。頬より、皮膚の下にある構造の方がはるかに複雑です」
田中教授はしばらく黙った。
「……それで終わりか」
「もう一つあります」
遼はノートに図を描いた。
「電気は必ず回路を作ります。出口と入口の2点がないと流れない。頬から放電するなら、もう一つの電極が必要です」
「うん」
「それがどこにあるか、という話です」
「どこだ」
「尻尾です」
田中教授は少し止まった。
「尻尾か」
「あの尻尾の形を見ると、細くて長くて、先が広い。電気工学的に見ると、放電アンテナの形です。実際の高電圧装置でも、尖った電極と広い端子がよく使われます」
「うん」
「もし頬が放電電極なら、電流の経路はこうなります。体内の発電器官から、頬を通って対象に放電する。電流は地面を経由して、尻尾に戻る。尻尾が接地電極、グラウンドです」
「……回路の戻り側か」
「高電圧機器では、接地側が一番危険です。電流が集中する。アークが飛ぶ。発熱する。工学的に正確に作るなら、頬より尻尾の方が過酷な環境に置かれています」
田中教授はゆっくりと椅子の背にもたれた。
「つまり、一番やばいのは尻尾か」
「体内絶縁構造と尻尾の接地電極、この二つが成立して初めて10万ボルトが安全に機能します。頬は、その結果が出てくる場所に過ぎない」
しばらく沈黙が続いた。
窓から十月の光が差し込んでいる。
「それを小学生に言うと」
遼は一度コーヒーを飲んだ。
少し考えて、言葉を選んだ。
「……あの電撃で一番すごいのは頬じゃないです。体の中が発電所になっていて、尻尾が電気の帰り道になっている。外から見えないところに、本当に大事な仕組みが全部あります」
田中教授は少し間を置いた。
「最後の一文は」
「……また思ったより出てきました」
「いい意味でか」
「……たぶん」
田中教授は頷いた。
「それでいい」
遼は立ち上がった。
「あの、一つ聞いていいですか」
「何だ」
「今回も、最初から答えを知っていたんじゃないですか」
田中教授は答えなかった。
ただ、コーヒーを飲んだ。
冷めたコーヒーを、静かに。
「……失礼します」
ドアが閉まった。
田中教授は窓の外を見た。
十月の空。
少し高くなった青が、静かに広がっていた。
なるほどと頷く。
そこまで答えは用意していなかった。
それに——尻尾という発想は、なかった。
田中教授はコーヒーを飲んだ。
少し考えた。
あの学生は、架空の生き物の体内構造まで工学的に考える。
本当に、何を考えているのか分からない。
「……ぴかぁ」
小さく、呟いた。
誰にも聞こえない声で。
この話に登場する計算は、実際の数値に基づいています。電気ウナギのスペック、人体への電流の影響、キロカロリーとジュールの換算は実測値および医学的データに基づいています。
「黄色いかわいい電気モンスター」の名前は著作権の都合上出せませんでした。ご了承ください。なんのことか分からなかった方は、お子さんかお孫さんに聞いてみてください。
ケチャップが好物という設定が、エネルギー補給の観点から工学的に合理的であることは、完全に偶然だと思います。たぶん。
体内絶縁構造、接地電極としての尻尾、および頬が単なる放電口に過ぎないという考察は、完全に作者の個人的見解です。同じようなことを何度も言いますが、それだけ自信がないということです。
もし当該キャラクターの権利関係者の方がこれをお読みになっていましたら、見なかったことにしていただけますと幸いです。この通りです。本当にこの通りです。




