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姉と妹が国民的女優ですが、俺は機械をいじっていたい  作者: よんまるよん
第一部「機械をいじっていたい、それだけなのに」

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第20話「そして、これから」第一部完

【卒業式】

 三月下旬。

 卒業式。

 大学の講堂には、卒業生とその家族が集まっていた。

 全学部合同の式典だ。

 遼(りょう)は、工学部の列に座っていた。

 少し離れた文学部の列を見ると——

 詩織(しおり)がいた。

 詩織《しおり》も、遼《りょう》に気づいて小さく手を振った。

 遼《りょう》も手を振り返した。


 式が終わった後、講堂の外。

 遼《りょう》は中庭に向かった。

 詩織《しおり》も同じ方向に歩いていた。

「遼《りょう》、おめでとう」

「詩織《しおり》も」

 二人は笑った。

「これから家族と写真?」

「うん。詩織《しおり》は?」

「私も。友達と撮る」

「そっか」

「また連絡する」

「うん」


 中庭。

 凛(りん)と華(はな)が待っていた。

 遼《りょう》が近づくと——

 周りの学生たちが、ざわついた。

「あれ、柊(ひいらぎ)凛《りん》だ!」

「柊《ひいらぎ》華《はな》もいる!」

 凛《りん》と華《はな》は慣れた様子で笑顔を向けた。

 数分後、人だかりが落ち着いた。

 三人は、少し人気のない場所に移動した。

「遼《りょう》、卒業おめでとう」

 凛《りん》が改めて言った。

「ありがとう」

「遼《りょう》、これからどうするの?」

 華《はな》が聞いた。

「……まだ完全には決めてない」

「就職は?」

「しない。とりあえずは」

「え!?」

 華《はな》が驚いた。

「プログラム書いて稼ぐ。歩合報酬の仕事」

 凛《りん》が少し驚いた。

「それ、フリーランスってこと?」

「まあ、そんな感じ」

「大丈夫なの?」

「多分」

 遼《りょう》は曖昧に答えた。

 凛《りん》と華《はな》は顔を見合わせた。

「まあ、遼《りょう》だしね」

「そうだね」

 二人は笑った。


 同じ頃。

 詩織《しおり》は、友人たちと写真を撮っていた。

「詩織《しおり》、就職先決まったんだっけ?」

「うん。出版社」

「すごい!」

「中堅だけど、文芸に強いところ」

 詩織《しおり》は笑った。

 しばらくすると友人たちは家族と写真を撮り始めた。

 詩織《しおり》の両親は理由があって来られなかった。

 詩織《しおり》はスマホを取り出す。

 遼《りょう》にLINE。

「みんなでどこかで撮ろうか」

「うん」

 遼《りょう》らしい短い返事だった。


【数日後】

 都内、芸能プロダクションの会議室。

 凛《りん》は、マネージャーとともにテーブルについていた。

 向かいには、プロデューサーが二人。

「柊《ひいらぎ》さん、本日はお忙しいところありがとうございます」

「いえ、こちらこそ」

 凛《りん》は静かに答えた。

 プロデューサーの一人が、書類を開いた。

「実は、柊《ひいらぎ》さんに新しいオファーがあります」

「オファー?」

「はい。映画です」

 凛《りん》は少し驚いた。

「詳しく聞かせていただけますか」

「もちろんです」

 プロデューサーが説明を始めた。

 大手映画会社の新作「春を告げる鐘」。

 予算規模も大きい。

 そして——

 主演は、華《はな》。

 凛《りん》は、三浦(みうら)柚(ゆず)という役だという。

「……華《はな》と?」

「はい。共演です」

「三浦《みうら》柚《ゆず》——26歳。主人公の幼馴染・朔(さく)のお姉さん役です」

 凛《りん》は、資料を見た。

 感情を表に出せない大人。

 弟を見守る姉。

 凛《りん》は、その設定を読んで——

 少し、興味を持った。

「……面白そうですね」

「柊《ひいらぎ》さんの演技スタイルに、とても合っていると思います」

 プロデューサーが言った。

 凛《りん》は、少し考えた。

 華《はな》と共演。

 それは——

 嬉しいことだ。

 でも、同時に。

 少し、複雑な気持ちもあった。

 華《はな》の隣に立った時、自分は霞まないだろうか。

 凛《りん》は、そんなことを考えた。

 それから——

 頭を振った。

 何を考えているんだろう。

 これは、一つの役だ。

 三浦《みうら》柚《ゆず》という役を、ちゃんと演じる。

 それが、凛《りん》の仕事だ。

「お受けします」

 凛《りん》は、はっきりと言った。

「本当ですか!ありがとうございます」

 プロデューサーが嬉しそうに言った。

 凛《りん》は付け加えた。

「ただ、私からは華《はな》には話しません。これからもあくまで一人の女優『柊《ひいらぎ》華《はな》』として対応します」

「……分かりました」

 プロデューサーは、凛《りん》の覚悟を感じ取った。


【その翌日】

 都内、大手映画制作会社の会議室。

 華《はな》は、マネージャーとともにテーブルについていた。

 向かいには、プロデューサーと監督。

「柊《ひいらぎ》華《はな》さん。撮影準備、順調に進んでいます」

 プロデューサーが言った。

「ありがとうございます」

 華《はな》は少し緊張していた。

 主演映画「春を告げる鐘」。

 撮影開始は、来月。

「実は、本日お伝えしたいことがあります」

 監督の篠原拓海が口を開いた。

 三十代半ば、穏やかな表情の男性。

「三浦《みうら》朔《さく》のお姉さん役、三浦《みうら》柚《ゆず》ですが——」

 華《はな》は、少し身を乗り出した。

 柚《ゆず》役は、まだキャスティングが決まっていなかった。

「柊《ひいらぎ》凛《りん》さんに、お願いすることになりました」

 華《はな》は、一瞬、息を止めた。

「……お姉ちゃん?」

「はい。凛《りん》さんのマネージャーから、正式に承諾の連絡がありました」

 篠原が微笑んだ。

「華《はな》さんと凛《りん》さん、姉妹での共演です」

 華《はな》は、少し驚いた。

 それから——

 嬉しさがこみ上げてきた。

「本当ですか!?」

「はい」

「やった……!」

 華《はな》は、思わず声を上げた。

 それから、慌てて口を押さえる。

 プロデューサーが笑った。

「華《はな》さん、素直でいいですね」

「す、すみません……」

「いえいえ。姉妹共演、楽しみにしています」


【数日後:顔合わせ】

 都内、大手映画制作会社。

 顔合わせの日。

 会議室には、主要キャストとスタッフが集まっていた。

 華《はな》と凛《りん》は、隣り合って座っている。

「それでは、顔合わせを始めます」

 プロデューサーが立ち上がった。

「まず、監督の篠原拓海(しのはらたくみ)さんからご挨拶を」

 篠原が立ち上がった。

「皆さん、本日はありがとうございます。この映画『春を告げる鐘』は、始まりと別れの物語です。皆さんと一緒に、いい作品を作りたいと思っています」

 全員が拍手した。

「それでは、キャストの皆さん、順番に自己紹介をお願いします」

 まず、華《はな》が立ち上がった。

「主演の、柊《ひいらぎ》華《はな》です。日向葵役を演じます。精一杯頑張りますので、よろしくお願いします」

 深く頭を下げる。

 拍手。

 次に一人の女性が立ち上がった。

 二十歳。華《はな》と同い年。

「桐島茉莉(きりしままり)役の、宮本(みやもと)奈々(なな)です」

 華《はな》は知っていた。

 子役出身の実力派女優。

 キャリアは、華《はな》よりずっと長い。

 でも、嫌味がまったくない。

「華《はな》さんと一緒に、いい作品にしたいです。よろしくお願いします」

 奈々(なな)は、華《はな》に向かって微笑んだ。

 次に、一人の男性が立ち上がった。

 二十一歳。

「三浦《みうら》朔《さく》役の、水城《みずき》蒼真《そうま》です。皆さんと一緒に、頑張ります。よろしくお願いします」

 深く頭を下げる。

 そして——

 凛《りん》が立ち上がった。

「三浦《みうら》柚《ゆず》役の、柊《ひいらぎ》凛《りん》です。朔《さく》の姉として、作品に貢献できるよう努めます。よろしくお願いします」

 凛《りん》が頭を下げると——

 奈々(なな)が、小さく呟いた。

「凛《りん》ちゃん……」

 華《はな》は、その声に気づいた。


 顔合わせ後、休憩時間。

 華《はな》は、奈々(なな)に声をかけた。

「あの、宮本《みやもと》さん」

「奈々(なな)でいいよ。同い年だし」

 奈々(なな)は笑った。

「奈々(なな)さんは、お姉ちゃん……凛《りん》と、知り合いなんですか?」

「うん。何回か現場一緒だったことがある」

 奈々(なな)は、凛《りん》の方を見た。

 凛《りん》は、別のスタッフと話している。

「凛《りん》ちゃん、技術がすごいんだよね。計算で感情を作ってるのに、計算に見えない」

 奈々(なな)は、華《はな》を見た。

「華《はな》ちゃんとは、また違うタイプだよね」

 華《はな》は、少し複雑な顔をした。

 姉と比較される。

 それは、慣れている。

 でも——

 やっぱり、少し複雑だ。

 奈々(なな)は、その顔を見て言った。

「でも、華《はな》ちゃんは華《はな》ちゃんだよ。誰とも違う。華《はな》ちゃんだけの演技がある」

 奈々(なな)は笑った。

「それが、一番強いから」

 華《はな》は、少し救われた気がした。

「……ありがとうございます」

「うん。これから、よろしくね」


 別の一角。

 蒼真《そうま》は、一人で台本を読んでいた。

 初めての大きな映画。

 しかも、柊《ひいらぎ》華《はな》との共演。

 緊張している。

 その時——

 奈々(なな)が、隣に座った。

「蒼真《そうま》くん、緊張してる?」

「あ……はい」

 蒼真《そうま》は正直に答えた。

「初めての大作映画なので」

「大丈夫。篠原監督、優しいから」

 奈々(なな)は笑った。

「それに、華《はな》ちゃんもいい子だよ」

「……はい」

 蒼真《そうま》は、少し顔が赤くなった。

 奈々(なな)は、それを見逃さなかった。

 でも、何も言わなかった。

 ただ、小さく笑った。


 顔合わせが終わった後。

 華《はな》と凛《りん》は、一緒に事務所の車に乗った。

 二人とも、少し疲れている。

「お姉ちゃん、奈々(なな)さんと知り合いなんだね」

 華《はな》が言った。

「うん。何回か現場が一緒だった」

「すごい人だよね」

「そうだね」

 凛《りん》は窓の外を見た。

「でも、嫌味がない。あれが、奈々(なな)さんの強みだと思う」

 華《はな》は、少し考えた。

「お姉ちゃんと一緒の現場、楽しみ」

「……うん」

 凛《りん》は、小さく笑った。

「私も」


 夜、柊《ひいらぎ》家のリビング。

 三人が夕食を食べていた。

「今日の顔合わせ、どうだった?」

 遼《りょう》が珍しく聞いた。

「緊張したけど、みんないい人だった」

 華《はな》が答えた。

「奈々(なな)さんも、蒼真《そうま》さんも」

「そっか」

 遼《りょう》は黙々とご飯を食べ続ける。

 凛《りん》が言った。

「篠原監督も優しかった」

「よかったな」

「うん」

 華《はな》は嬉しそうだった。

「撮影、楽しみだね」

 凛《りん》も頷いた。

 三人の、穏やかな夜。


 アメリカ、カリフォルニア州。

 TechVision Systems本社。

 最上階の会議室。

 ロバート・チェンは、窓の外を見ていた。

 シリコンバレーの景色。

「Robert.」

 背後から声がかけられた。

 ロバートは振り返った。

 デイビッド・マクナマラ。

 TechVision SystemsのCEO。

 六十代前半。白髪交じりの短髪。鋭い目つき。

「David.」

 ロバートは頷いた。

「How's the Japan situation?」(日本の件はどうなっている?)

「Still pending. He hasn't made a decision yet.」(まだ保留中です。彼はまだ決断していません)

「It's been weeks.」(もう数週間経っている)

「I know.」(分かっています)

 ロバートは少し考えた。

「But I think he's worth waiting for.」(でも、彼は待つ価値があります)

「You've said that before.」(以前もそう言ったな)

「Because it's true.」(本当のことですから)

 デイビッドは腕を組んだ。

「I want to meet him.」(私が会いたい)

 ロバートは少し驚いた。

「You... personally?」(あなた自身が?)

「Yes. If he's that special, I want to see for myself.」(ああ。それほど特別なら、自分の目で見たい)

「……」

「Arrange a trip to Japan. Next month.」(来月、日本行きを手配しろ)

 ロバートは少し考えた。

 それから、頷いた。

「Understood. I'll contact him.」(分かりました。彼に連絡します)


 夜、遼《りょう》の部屋。

 遼《りょう》はデスクに向かっていた。

 パソコンの画面には、通信対戦ロボットのプログラムが表示されている。

 順調に進んでいる。

 あと二ヶ月もあれば、プロトタイプが完成するだろう。

 その時、パソコンにメール通知が来た。

 差出人:Robert Chen。

 遼《りょう》はメールを開いた。

Ryo,


I have important news.


Our CEO, David McNamara, wants to meet you personally.

He's planning to visit Japan next month.


Would you be available for a meeting?


This is a rare opportunity. David rarely meets candidates in person.


Please let me know your availability.


Robert

 遼《りょう》は、画面を見つめた。

 CEO。

 デイビッド・マクナマラ。

 会社のトップが、直接来る。

 遼《りょう》は、少し考えた。

 それから、返信を書き始めた。

Mr. Chen,


Thank you for the message.


I'd like to meet the CEO.

Please let me know the details.


Ryo Hiiragi

(チェンさん

メッセージありがとうございます。

CEOに会いたいです。

詳細を教えてください。

柊《ひいらぎ》遼《りょう》)

 送信。

 遼《りょう》は画面を閉じた。

 それから、また通信対戦ロボットのプログラムに戻った。


 土曜日の午後。

 大学近くのカフェ。

 詩織《しおり》と遼《りょう》が、向かい合って座っていた。

「遼《りょう》、TechVisionの件、どうするの?」

 詩織《しおり》が聞いた。

「……CEOと会うことになった」

「え!CEO?」

「うん。来月、日本に来るって」

 詩織《しおり》は少し驚いた。

「それって、すごいことじゃない?」

「まあ」

 遼《りょう》は曖昧に答えた。

 詩織《しおり》は、少し間を置いた。

「……遼《りょう》、本当はどうしたいの?」

「どうって?」

「その会社に入りたいの?それとも、他のことがしたいの?」

 遼《りょう》は少し考えた。

「……分からない」

「分からない?」

「うん」

 遼《りょう》は窓の外を見た。

「俺、機械をいじってるのが好きなんだ」

「……うん」

「でも、それを仕事にするかどうかは、別の話だと思う」

 詩織《しおり》は、その言葉を黙って聞いた。

「会社に入ったら、自由にできなくなる」

「……」

「でも、会社に入らないと、できないこともある」

 遼《りょう》は少し困った顔をした。

「だから、分からない」

 詩織《しおり》は、遼《りょう》の顔を見た。

 遼《りょう》は——

 初めて、迷っている。

 詩織《しおり》は、それが少し嬉しかった。

 遼《りょう》が、ちゃんと考えている。

 逃げていない。

「遼《りょう》」

「何」

「私、どうなっても応援するよ」

 遼《りょう》が顔を上げた。

「遼《りょう》がどこに行っても、何を選んでも」

 詩織《しおり》は真っすぐ遼《りょう》を見た。

「私は、応援する」

 遼《りょう》は少し止まった。

 それから、小さく言った。

「……ありがとう」

「うん」

 詩織《しおり》は笑った。


 ヨーロッパ、イタリア・ミラノ。

 高級ホテルのスイートルーム。

 柊《ひいらぎ》由紀《ゆき》は、窓の外を見ていた。

 夜のミラノ。

 美しい街並み。

 由紀《ゆき》は、スマホを手に取った。

 日本の時間を確認する。

 朝の六時。

 もう少ししたら、凛《りん》が起きる頃だ。

 由紀《ゆき》は、LINEを開いた。

 凛《りん》とのトーク画面。

 最後のメッセージは、三日前。

「忙しい?」

「ちょっと。ドラマの打ち合わせが多くて」

「そっか。無理しないでね」

「大丈夫。ママも」

 由紀《ゆき》は、それを見た。

 凛《りん》は、いつも「大丈夫」と言う。

 華《はな》も、「頑張ってる」と言う。

 遼《りょう》は、何も言わない。

 由紀《ゆき》は、それを知っている。

 子供たちは、もう大人だ。

 自分たちで、生きている。

 由紀《ゆき》は、それが嬉しい。

 でも——

 少し、寂しい。

 由紀《ゆき》はスマホを置いた。

 それから、ベッドに横になった。

 来月、一時帰国する予定だ。

 久しぶりに、子供たちに会える。

 由紀《ゆき》は、それを楽しみにしていた。


 東南アジア、シンガポール。

 高層ビルのオフィス。

 柊《ひいらぎ》海斗《かいと》は、会議室で資料を見ていた。

 インフラ制御システムの設計図。

 複雑な回路。

 海斗《かいと》は、それを淡々とチェックしている。

「Mr. Hiiragi, this design is brilliant.」(ヒイラギさん、この設計は素晴らしい)

 クライアントが言った。

「Thank you.」(ありがとうございます)

 海斗《かいと》は静かに答えた。

「You'll stay for the implementation phase, right?」(実装段階も残っていただけますよね?)

「Yes. Until it's complete.」(はい。完成するまで)

 海斗《かいと》は資料を閉じた。

 会議が終わった後、海斗《かいと》は一人オフィスに残った。

 窓の外を見た。

 シンガポールの夜景。

 海斗《かいと》は、スマホを取り出した。

 由紀《ゆき》からメッセージが来ていた。

「来月、一時帰国するね」

「分かった」

 海斗《かいと》は短く返信した。

 それから、子供たちのことを考えた。

 凛《りん》は、ドラマの主演が決まったらしい。

 華《はな》は、映画の主演が決まったらしい。

 遼《りょう》は——

 何をしているのか、よく分からない。

 でも、大丈夫だろう。

 あの子は、自分で考える。

 海斗《かいと》は、そう思っていた。

 海斗《かいと》は、スマホを置いた。

 それから、また資料に向かった。

 仕事が、まだ残っている。


 月曜日。

 柊《ひいらぎ》家のリビング。

 朝食の時間。

 三人が食卓についていた。

「そういえば」

 凛《りん》が言った。

「来月、ママが帰ってくるって」

「本当!?」

 華《はな》が嬉しそうに言った。

「久しぶりだね」

「うん。半年ぶりくらいかな」

「パパは?」

「分からない。たぶん、来ないと思う」

 遼《りょう》は黙ってトーストを食べている。

「遼《りょう》、ママ帰ってくるの嬉しい?」

 華《はな》が聞いた。

「まあ」

「まあって何!」

 華《はな》が笑った。

 凛《りん》も笑った。

「遼《りょう》、素直じゃないよね」

「別に」

 三人は、笑いながら朝食を続けた。

 穏やかな朝。

 いつも通りの日常。

 でも——

 それぞれの未来が、少しずつ動き始めていた。


 その日の午後。

 遼《りょう》は大学の図書館にいた。

 いつもの席で、技術書を読んでいる。

 その時、スマホが鳴った。

 メールの通知。

 ロバートから。

 遼《りょう》はメールを開いた。

Ryo,


Great news! CEO McNamara will arrive in Japan on April 15th.

The meeting is scheduled for April 16th, 2PM, at our Tokyo office.


I'll send you the address and details separately.


This is it, Ryo. This is your chance.


Don't overthink it. Just be yourself.


Robert

(遼《りょう》

朗報だ!CEOマクナマラは4月15日に日本に到着します。

面談は4月16日午後2時、我々の東京オフィスで予定されています。

住所と詳細は別途送ります。

これだ、遼《りょう》。これが君のチャンスだ。

考えすぎるな。ありのままでいい。

ロバート)

 遼《りょう》は、画面を見つめる。

 4月16日。

 あと三週間。

 遼《りょう》は、メールを閉じた。

 それから、また技術書を読み始めた。

 でも——

 文字が、頭に入ってこない。

 遼《りょう》は、本を閉じた。

 窓の外を見た。

 春の空。

 桜が散り始めている。

 新しい季節が、始まっている。

 自分の未来も——

 動き始めている。

 遼《りょう》は、それを感じていた。


 深夜。

 柊《ひいらぎ》家は静かだった。

 凛《りん》も、華《はな》も、遼《りょう》も、それぞれの部屋で眠っている。

 リビングには、誰もいない。

 月明かりが、窓から差し込んでいる。

 テーブルの上に、一枚の写真が置いてあった。

 家族写真。

 五人で写っている。

 父、母、凛《りん》、遼《りょう》、華《はな》。

 何年も前の写真だ。

 今は、五人揃うことは少ない。

 でも——

 家族は、ここにある。

 離れていても。

 それぞれの道を歩いていても。

 家族は、繋がっている。

 柊《ひいらぎ》家は——

 壊れていない。

 少し変わっているだけ。

 そして、それぞれが。

 新しい季節を、迎えようとしていた。


 翌朝。

 遼《りょう》は早起きした。

 リビングに降りると、誰もいなかった。

 遼《りょう》はコーヒーを淹れる。

 窓の外を見た。

 春の朝。

 空が、青い。

 遼《りょう》は、コーヒーを飲みながら考えた。

 CEOと会う。

 その時、何を話すのか。

 何を聞かれるのか。

 まだ、分からない。

 でも——

 ちゃんと向き合う。

 逃げない。

 遼《りょう》は、そう決めていた。

 遼《りょう》はコーヒーを飲み干した。

 それから、自分の部屋に戻った。

 新しい一日が、始まる。

 新しい未来が、待っている。

 遼《りょう》は——

 その未来に、歩き出そうとしていた。


(第一部 完)


 次回、第二部へ続く。

 そして、その前に——

「田中のおばちゃん」

 凛《りん》・高校一年生(15歳)

 遼《りょう》・中学二年生(13歳)

 華《はな》・小学五年生(11歳)

 母・由紀《ゆき》は海外へ。

 父・海斗《かいと》ももとより海外。

 三人だけの、柊《ひいらぎ》家。

 隣の惣菜屋「たなか」のおばちゃん、田中幸江。

 声がでかくて、笑い声もでかくて、でも目が優しい。

 華《はな》が学校で転んだ日。

 凛《りん》が熱を出した日。

 遼《りょう》が冷蔵庫を直した日。

 年越しそばを一緒に食べた夜。

「来年もよろしく」

 凛《りん》が頭を下げたとき、幸江は笑った。

「水くせえ」

 柊《ひいらぎ》家が、壊れずに済んだのは——

 この人がいたからかもしれない。


次回:「田中のおばちゃん」

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