第17.5話「同じ柊」
工学部の廊下。
昼休み。
石田は田野にスマホの画面を見せた。
「なあ、これ見ろ」
「なに」
「柊凛、トレンド一位」
田野は画面を覗く。
「あ、ほんとだ。また何かあったの?」
「新ドラマの主演発表。月九」
「月九!? すごいな」
「だろ」
石田はスマホをポケットに戻した。
「ところでさ」
「うん」
「柊って名字、珍しくない?」
「言われてみれば」
「うちのゼミにもいるじゃん」
「遼か」
「そう」
田野は一秒考えて、
「まあでも、どこにでもいるか」
「だよな」
「うん」
それで終わった。
そこへ遼が廊下を歩いてきた。
無地のパーカー、ジーンズ、片手に基板。
「あ、柊」
「ん」
「卒論の修正、終わった?」
「さっき終わった」
「はや。ちょっと見せてほしいとこあるんだけど」
「後でいい?」
「助かる」
遼はそのまま通り過ぎていく。
石田と田野は特に何も言わなかった。
昼休みが終わり、ゼミの時間。
石田はぼんやりしながら、スマホで柊凛のニュースを読んでいた。
ふと、気になる。
柊凛の公式プロフィール。
本名:柊凛。
出身:東京都。
兄弟:弟、妹あり。
「……」
石田はゆっくり顔を上げた。
斜め前の席で、遼が基板を眺めながらゼミの説明を右から左に流していた。
石田は田野の脇腹をつつく。
「な、ちょっと」
「なに」
石田はスマホを見せる。
田野が目を細めた。
「……兄弟、弟と妹」
「うん」
「……」
田野はゆっくり遼を見た。
遼は基板を持ったまま、微動だにしていない。
田野は石田を見た。
「……まさかな」
「まさかだよな」
「ないよな」
「ないよな」
二人は頷き合った。
でも、気になった。
ゼミが終わり、研究室。
石田は遼の机に近づいた。
「なあ、柊」
「なに」
「姉妹っている?」
遼は基板から目を離さずに答える。
「いる」
「何してる人?」
「女優」
石田の心臓が跳ねた。
「……二人とも?」
「そう」
「……名前、聞いていい?」
遼はようやく基板から顔を上げる。
石田を三秒くらい眺める。
「柊凛と柊華」
石田は椅子からガタッと転げ落ちそうになった。
田野が研究室の入口から顔を出す。
「どうした!」
「田野」石田の声が裏返った。「柊遼の姉妹、誰か知ってるか」
「知らない」
「柊凛と柊華」
田野も固まる。
「……は?」
「だから」
「え?」
「だから俺の姉と妹の話だろ?」遼が繰り返した。「二回目だよ」
研究室に沈黙が落ちた。
遼は基板に視線を戻した。
「他に何か?」
石田は深呼吸した。
落ち着け、と自分に言い聞かせた。
今まさに、国民的女優の実弟が目の前にいる。
これは絶対に聞くべきだと思った。
「あのさ、柊。凛さんって、現場ではどんな感じなの?」
「知らない」
「え、聞いたりしない?」
「しない」
「なんで」
「興味ないから」
石田は一瞬止まる。
気を取り直した。
「じゃあ、ドラマは見てる?」
「見てない」
「全部?」
「全部」
「一本も?」
「一本も」
「……今度の月九は?」
「見ないと思う」
「姉が主演なのに?」
「だから?」
石田は田野に顎で促す。
田野が引き継いだ。
「じゃあ、凛さんって普段どんな話するの?」
「しない」
「え、会話しないの?」
「必要なときだけ」
「必要なときって?」
遼は少し考える。
「……思い出せない」
「思い出せないくらい少ないってこと!?」
「そんなに話すことがない」
「何か共通の話題とかないの?」
「ない」
「ほんとに?」
「ほんとに」
田野は別の角度から攻めた。
「じゃあ、凛さんって女優としてどう思う?」
「どうとも思わない」
「すごいとか思わない?」
「まあ頑張ってるんじゃないか」
「それだけ?」
「それだけ」
「……華さんは?」
「同じ」
「全部同じなの?」
「だいたい」
石田が再び引き継いだ。
「あのさ、柊。ファンの人に何か伝えたいこととかない?」
遼は顔を上げた。
「なんで俺が」
「弟じゃないですか」
「だから?」
「……いや、だから、こう……」
「用があるなら本人に言えばいい」
「本人には会えないから……」
「そうか」
遼は基板に戻った。
石田はめげない。
「じゃあさ、凛さんってオフの日何してるの?」
「知らない」
「家にいるときは?」
「知らない」
「え、同居してるんじゃないの?」
「してる」
「なのに知らないの?」
「部屋が違うから」
「でも顔くらい合わせるでしょ」
「合わせる」
「そのとき何してるか分からないの?」
「分からない」
「なんで」
「見てないから」
石田は天井を仰いだ。
田野が次の手を打った。
「じゃあ、撮影で疲れて帰ってきたりしない?」
「するんじゃないか」
「そういうとき声かけたりしないの?」
「しない」
「なんで」
「向こうも声かけてこないから」
「お互い放置なの?」
「放置というか……」
遼は少し考えた。
「普通だろ」
石田と田野はため息をつく。
石田が最後の手を打った。
「凛さんって、意外な一面とかある?」
遼は少し考えた。
石田は身を乗り出した。
田野も身を乗り出した。
「……普通の人だよ」
二人はずり落ちた。
「普通って」
「普通だろ」
「何か一個くらい……」
「普通だよ」
「華さんは?」
「普通」
「二人とも普通!?」
「家では普通だろ」
田野が絞り出した。
「じゃあ、柊家で一番すごいのって誰だと思う?」
遼は即答。
「さあ」
「さあ!?」
「考えたことない」
「自分は?」
「普通だろ」
「凛さんは?」
「知らない」
「華さんは?」
「知らない」
「全員知らないの!?」
「興味ないから」
石田は静かに机に突っ伏した。
田野がぽつりと言った。
「……情報量、本当にゼロだな」
「そうか」
遼は基板に戻った。
「まあ、普通だから」
「……もういいです」
「そうか」
遼はハンダごてを手に取った。
研究室に、ハンダごての熱が静かに広がった。
二人はしばらく放心していた。
夕方。
研究室を出た石田と田野は、廊下を歩きながら話した。
「……何も分からなかったな」
「うん」
「裏話、一個もなかった」
「『普通』と『知らない』と『興味ない』しか分からなかった」
「『普通』って何回聞いたんだろ」
「数えてない」
「俺も」
二人はしばらく黙って歩いた。
「……なあ」
「なに」
「昼休み、俺たち『まあどこにでもいるか』で終わらせたよな」
「終わらせたな」
「……プロフィール見なかったら一生気づかなかったな」
「一生気づかなかったな」
「……なんで気づかなかったんだろ」
田野は少し考える。
「……だって、想像できないだろ」
「それはそう」
「世界が違いすぎる」
「それはそう」
「遼が月九の主演女優の弟とか」
「想像できない」
「うん」
石田が呟いた。
「……あいつ、今頃また研究室で基板に向かってるんだろうな」
「姉が月九でトレンド一位なのに」
「うん」
「……同じ柊なのにな」
「うん」
二人はまた黙った。
「なあ、田野」
「なに」
「遼にとって、姉妹が国民的女優ってことは」
「うん」
「本当に、何でもないんだろうな」
田野は少し考えた。
「……みたいだな」
「なんで?」
「さあ」
田野はため息をついた。
「でも、まあ」
「まあ?」
「あいつだから、じゃないか」
「……それで全部説明できるの怖いな」
「できちゃうんだよな」
二人はため息をついた。
そして、また普通に歩き出した。




