第16話「卒論」
金曜日の午前。
大学、工学部の会議室。
卒論発表会が行われていた。
今年度の卒業予定者が順番に、自分の研究を発表していく。
教授陣が五人、前列に座っている。
田中教授、材料工学の山本教授、電気工学の佐藤教授、機械工学の鈴木教授、情報工学の伊藤教授。
それぞれの分野のベテランたちだ。
遼の発表は、午後二時の枠だった。
午後一時五十分。
遼は廊下で待っていた。
スライド資料はUSBメモリに入っている。
発表時間は十五分。
質疑応答が十分。
遼は何度かリハーサルをしていた。
特に緊張はしていない。
淡々と話せばいい。
それだけだ。
「次、柊くんだね」
田中教授が声をかけてきた。
「はい」
「準備はいいか?」
「大丈夫です」
「じゃあ、頼むぞ」
田中教授は少し笑った。
何か言いたげな顔だったが、何も言わなかった。
午後二時。
遼は会議室の前に立った。
プロジェクターにスライドを映す。
タイトルが表示された。
「自律制御ドローンの障害物回避アルゴリズム最適化に関する研究」
柊 遼。
教授陣が資料を開く。
遼は深呼吸をして、話し始めた。
「本研究では、自律制御ドローンが複雑な環境下で障害物を回避する際の、リアルタイム演算の最適化を目指しました」
スライドが切り替わる。
遼は淡々と説明を続けた。
研究背景。
先行研究の課題。
提案手法。
実験結果。
考察。
一つ一つ、丁寧に、でも無駄なく。
教授陣は黙って聞いていた。
時々、メモを取る。
時々、顔を上げて遼を見る。
五分が過ぎた。
十分が過ぎた。
遼は実験結果のグラフを示した。
「従来手法と比較して、演算速度が平均四十二パーセント向上し、回避成功率は九十八パーセントに達しました」
教授陣の空気が、少し変わった。
山本教授が前のめりになった。
佐藤教授が眉を上げた。
遼は気づかず、続けた。
「また、エッジケースでの安定性も確認できました。詳細は付録に記載しています」
そして、最後のスライド。
「以上です。ご清聴ありがとうございました」
遼は頭を下げた。
しばらく、沈黙があった。
それから、佐藤教授が口を開いた。
「柊くん、一つ聞いていいか」
「はい」
「このアルゴリズム、独自開発か?」
「はい。既存のフレームワークは参考にしましたが、コア部分は全て自分で設計しました」
「……そうか」
佐藤教授は資料を見た。
それから、隣の鈴木教授を見た。
鈴木教授も、少し驚いた顔をしていた。
「柊くん」
今度は伊藤教授が聞いた。
「この演算最適化の手法、どこで学んだ?」
「独学です」
「独学……」
「論文をいくつか読んで、試行錯誤しました」
伊藤教授は少し黙った。
それから、田中教授を見た。
田中教授は、小さく頷いた。
「柊くん、実験環境について聞きたい」
山本教授が質問した。
「はい」
「このドローン、自分で組んだのか?」
「はい。市販のパーツを使いましたが、制御系は全て自作です」
「……なるほど」
山本教授はメモを取った。
質疑応答が続いた。
十分が、あっという間に過ぎた。
「では、以上で柊くんの発表を終わります」
田中教授が締めた。
「お疲れ様でした」
「ありがとうございました」
遼は頭を下げて、会議室を出た。
遼が出て行った後、会議室に残った教授陣は顔を見合わせた。
「……田中先生」
佐藤教授が口を開いた。
「あれ、本当に学部生の卒論ですか?」
「そうだ」
「修士論文でも通用するレベルですよ」
「分かってる」
田中教授は静かに答えた。
「いや、修士どころか……」
伊藤教授が資料をめくった。
「この最適化手法、企業の研究所でやってるレベルだ」
「そうだな」
「田中先生、これ学会に出すべきでは?」
山本教授が言った。
「もう推薦してる」
「本人は?」
「断られた」
「……なんで?」
「恥ずかしいから、だそうだ」
教授陣は、しばらく黙った。
それから、鈴木教授が笑った。
「変わった学生だな」
「そうだ。変わってる」
田中教授も笑った。
「でも、間違いなく天才だ」
その頃、廊下。
遼は自動販売機でコーヒーを買っていた。
缶コーヒー、百二十円。
いつものやつ。
発表は終わった。
まあまあ、うまくいったと思う。
質問にも答えられた。
これで卒業は確定だろう。
遼はコーヒーを飲みながら、窓の外を見た。
大学の中庭。
桜の木が、まだ葉をつけていない。
春はもうすぐだ。
遼はコーヒーを飲み干した。
缶をゴミ箱に捨てて、研究室に戻った。
夕方、田中教授の研究室。
遼が呼ばれた。
「柊くん、座って」
「はい」
「今日の発表、よくできてた」
「ありがとうございます」
「で、やっぱり学会には出さないのか?」
「……恥ずかしいので」
「恥ずかしいって……」
田中教授は少し呆れた顔をした。
「他の教授陣も絶賛してたぞ」
「そうですか」
「そうだよ。佐藤先生なんて、企業レベルだって言ってた」
「……普通だと思うんですが」
「普通じゃない」
田中教授はきっぱり言った。
「柊くん、君はもう少し自分を評価した方がいい」
「……はい」
遼は曖昧に答えた。
田中教授はため息をついた。
「まあいい。で、TechVisionの件だが」
「はい」
「面談の日程、決まった」
「いつですか?」
「来週月曜、午後二時」
遼は少し考えた。
「分かりました」
「緊張するか?」
「……少しだけ」
「そうか」
田中教授は少し笑った。
「正直に話せばいい。君は、それで十分だ」
「はい」
同じ頃、都内のホテル。
ロバートはスイートルームのソファに座っていた。
スマホを見る。
森からのメッセージ。
Meeting scheduled: Monday, 2PM, university meeting room.
Hiiragi confirmed.
(面談設定完了:月曜、午後二時、大学の会議室。
柊、確認済み)
ロバートは、そのメッセージを何度も読んだ。
月曜日。
あと三日。
ロバートは立ち上がった。
窓の外を見た。
東京の夕暮れ。
街が、オレンジ色に染まっている。
「I can't just wait here.」(ここでただ待ってはいられない)
ロバートは呟いた。
じっとしていられなかった。
何かしたい。
東京を、もっと見たい。
ロバートはスマホで検索した。
浅草。
花やしき。
「An amusement park...」(遊園地か……)
日本最古の遊園地だという。
レトロで、小さくて、でも味がある。
ロバートは決めた。
行こう。
一人で行くのもいいが——
ロバートは部下二人にメッセージを送った。
Want to visit Hanayashiki tomorrow? Old amusement park in Asakusa.
Just for fun.
(明日、花やしき行かないか?浅草の古い遊園地だ。
ただの遊びだが)
数分後、返信が来た。
Sure! Sounds interesting.
(いいですね!面白そうです)
I'm in.
(参加します)
ロバートは笑った。
明日は、休日だ。
翌朝、土曜日。
浅草、花やしき。
ロバートと部下二人が、入口に立っていた。
部下の一人、ケビンは三十代前半のエンジニア。
もう一人、エミリーは二十代後半のプロジェクトマネージャー。
三人とも私服で、完全にオフモードだ。
「This place is... retro.」(ここは……レトロだな)
ケビンが入口を見上げた。
「It's from 1853. Oldest amusement park in Japan.」(1853年創業。日本最古の遊園地だ)
ロバートが説明した。
「That's older than Disneyland!」(ディズニーランドより古い!)
エミリーが驚いた。
「Let's go.」(行こう)
三人は入園した。
園内は、独特の雰囲気があった。
アトラクションが程よく並んでいる。
ジェットコースター、メリーゴーランド、お化け屋敷。
どれも、古い。
でも、それがいい。
「Robert, look at that roller coaster!」(ロバート、あのジェットコースター見て!)
エミリーが指差した。
古い木造のジェットコースター。
ビルの間を縫うように走っている。
「That looks... unsafe.」(あれは……危なそうだ)
ケビンが少し引いた。
「It's probably fine. Let's ride it.」(たぶん大丈夫だろ。乗ろう)
ロバートが笑った。
十分後。
三人はジェットコースターに乗っていた。
安全バーを下ろす。
スタッフが確認する。
そして——
発車。
ゆっくりと上がっていく。
頂上に着いた。
浅草の街が見える。
そして——
「AHHHHH!」
三人の悲鳴が響いた。
ジェットコースターが、急降下した。
ビルの間を縫う。
カーブを曲がる。
速度は速くない。
でも、怖い。
古さが、怖い。
きしむ音が、怖い。
「THIS IS INSANE!」(これヤバい!)
ケビンが叫んだ。
「I LOVE IT!」(最高だ!)
ロバートが叫んだ。
エミリーは目を閉じていた。
降りた後、三人は少し震えていた。
「...That was terrifying.」(……怖かった)
ケビンが言った。
「But fun.」(でも楽しかった)
エミリーが笑った。
「Again?」(もう一回?)
ロバートが聞いた。
「NO.」(勘弁して)
二人が同時に言った。
ロバートは笑った。
次に、三人はお化け屋敷に入った。
入口に、古いお化けの絵が描いてある。
「This looks... classic.」(これは……クラシックだな)
ケビンが言った。
「That's the charm.」(それが魅力だろ)
ロバートが言った。
三人は中に入った。
暗い。
音楽が流れている。
不気味な音楽。
そして——
「GYAAAA!」
突然、お化けが飛び出してきた。
「WOAH!」
ケビンが飛び上がった。
エミリーが笑った。
「You scared?」(怖いの?)
「No! Just... surprised.」(違う!ただ……驚いただけだ)
さらに奥へ進む。
また、お化けが飛び出す。
今度はエミリーが悲鳴を上げた。
ロバートは笑っていた。
このレトロさが、逆に楽しい。
最後に、大きなお化けが天井から降りてきた。
三人は同時に悲鳴を上げた。
外に出た後、三人は笑っていた。
「That was ridiculous.」(バカバカしかった)
エミリーが言った。
「But I enjoyed it.」(でも楽しかった)
ケビンが言った。
「Me too.」(俺もだ)
ロバートが言った。
三人は園内を歩き続けた。
射的をした。
ロバートは三発中二発当てた。
景品に、小さなキーホルダーをもらった。
綿あめを買った。
ピンク色の、ふわふわのやつ。
ロバートは一口食べた。
「...Sweet.」(……甘い)
「Of course it's sweet, it's cotton candy.」(当たり前だろ、綿あめだぞ)
ケビンが笑った。
昼過ぎ、三人はベンチに座っていた。
疲れた。
でも、満足していた。
「Robert, why did you want to come here?」(ロバート、なんでここに来たかったんですか?)
エミリーが聞いた。
ロバートは少し考えた。
「I couldn't just sit in the hotel.」(ホテルでじっとしてられなかった)
「Because of the meeting on Monday?」(月曜の面談のせいで?)
「Yeah.」(ああ)
ロバートは笑った。
「I'm... looking forward to it. Too much, maybe.」(楽しみにしてるんだ。たぶん、楽しみすぎて)
「Hiiragi must be something special.」(柊はよっぽど特別なんですね)
「He is.」(そうだ)
ロバートは空を見た。
青い空。
雲が流れている。
「He doesn't care about money or fame. He just wants to work on what he loves.」(彼は金も名声も気にしない。ただ、好きなことをやりたいだけだ)
「That's rare.」(珍しいですね)
「Very.」(とても)
ロバートは立ち上がった。
「Let's take one more look before we go.」(帰る前に、もう一度見ておこう)
「Good idea.」(いいですね)
三人は園内の高台から、浅草の街を眺めた。
スカイツリーが見える。
浅草寺の屋根が見える。
東京の景色が、広がっている。
「Beautiful.」(美しい)
エミリーが呟いた。
「Yeah.」(ああ)
ロバートも同じことを思った。
ロバートは街を見渡した。
どこかに、柊遼がいる。
この街のどこかで、機械をいじっているのだろう。
月曜日。
ついに会える。
ロバートは、その時を心から楽しみにしていた。
その夜、柊家のリビング。
三人が夕食を食べていた。
「遼、昨日の発表どうだった?」
凛が聞いた。
「普通」
「普通って……」
華が笑った。
「遼、絶対すごかったでしょ」
「普通だって」
「ほんとに?」
「ああ」
遼は淡々と答える。
凛と華は顔を見合わせた。
「で、企業の面談は?」
「月曜」
「緊張してる?」
「少し」
「珍しいね、遼が緊張するなんて」
華が笑った。
「……まあ、初めてだからな」
「どんな人が来るの?」
「CTO。ロバート・チェンって人」
「へえ」
凛は少し考えた。
「どんな話するの?」
「分からない」
「準備しなくていいの?」
「特に」
遼はご飯を食べ続けた。
凛と華は、少し心配そうな顔をした。
でも、何も言わなかった。
遼のペースを、乱したくなかった。
その夜、遼の部屋。
遼はベッドに横になっていた。
天井を見ている。
月曜日。
ロバート・チェンと話す。
何を話すんだろう。
何を聞かれるんだろう。
遼は少し考えた。
でも、答えは決まっている。
正直に話せばいい。
機械をいじっていたい。
それだけだ。
それを聞いて、向こうがどう判断するかは——
向こうが決めることだ。
遼は目を閉じた。
月曜日まで、あと二日。




