第15.5話「殉職予定の男」
都内某所、廃ビル。
夜。
雨。
赤色灯が遠くで回っている。
沢村恒一(48)は、
今日ここで死ぬ。
予定では。
役名は「武藤刑事」。
設定は、先輩刑事。
登場は、第一話のみ。
台本のページ数でいえば、八ページ。
放送時間でいえば、十二分。
それが、沢村恒一の全てだ。
今日この廃ビルで、胸に銃弾を受け、凛演じる新人刑事・氷室真帆の目の前で息絶える。
それによって、氷室真帆の物語が始まる。
沢村はベテランだ。
こういう役には慣れている。
一話限りの脇役。
死ぬことで主人公を動かす装置。
それが自分の仕事だと、もう二十年以上知っている。
だから、問題は台本ではない。
問題は——
「位置についてください」
ADの声に、沢村は廊下の端へ向かった。
そして、気づいた。
凛が、すでに立っていた。
柊凛。
国民的女優。
二十四歳。
その横顔が、薄暗い照明の中にある。
台本を最後にもう一度確かめるように、視線を落としている。
唇が、かすかに動いた。
台詞を声に出さずに確認しているのかもしれない。
(近い)
沢村の頭の中で、何かが鳴った。
(いや待て。これは仕事だ)
(俺は今日ここで死ぬんだ)
(格好よく)
「本番いきます!」
ADの声。
雨音を模したスプリンクラーが回る。
凛が拳銃を構える。
その目が——泣く直前の目だ。
演技だと分かっている。
だが、至近距離でその目に向き合うと、なぜか心拍が上がった。
「武藤刑事! 待ってください!」
「氷室、お前は下がれ!」
台本通りに叫ぶ。
屋上に向かって銃を構える。
そして——銃声。
パン。
本来なら、胸に命中。
よろけて倒れるだけでいい。
それだけでいい。
なのに沢村の体は、ほんのわずか、ひねっていた。
「うおっ!」
弾丸がかすれた演技をした。
肩をかする、という演技。
誰も頼んでいない演技。
「カット!!」
監督の声が飛んだ。
沢村が駆け寄ってきたスタッフ。
「沢村さん……避けました?」
「え?」
一瞬の間。
「……反射で」
嘘だ。
完全に意図的だった。
(うまく格好よく避けたのに)
内心だけが正直だ。
テイク2。
監督、穏やかに念を押す。
「沢村さん、今回はちゃんと撃たれてくださいね。台本通りに胸に命中で」
「はい。承知しました」
(よし。死ぬ。今度こそ死ぬ)
(でも、せっかくなら——)
再び銃声。
今度はちゃんと胸に命中した。
よろける。
ここで倒れればいい。
でも沢村は、倒れなかった。
ゆっくりと体を回転させ、凛の方へ向いた。
ライトを計算した。
顎の角度を計算した。
完璧なポジションで、低い声を出した。
「……氷室……」
台本にない台詞。
「……俺みたいになるな……」
アドリブ。
モニターの前で、スタッフが二人、顔を見合わせた。
「今の何?」
「台本にないですね……」
沢村は膝をつく。
でも、まだ倒れない。
凛の目を見ている。
(睫毛、長いな)
(今、涙たまった)
(ここで……死ぬのか、俺)
武藤刑事は、もうそこにいない。
完全に沢村だった。
「武藤刑事!」
凛が叫ぶ。
沢村は、顎のラインが綺麗に見える角度を最後に確認してから、倒れた。
スローモーション気味に。
スタッフの小声が聞こえた気がした。
「なんか……盛ってない?」
「盛ってる」
「カット!」
監督が近づいてくる。
表情は穏やかだが、目が笑っていない。
「沢村さん」
「はい」
「普通に死んでください」
「……普通、ですか?」
「はい。普通に」
沢村は真顔でうなずいた。
だが内心は嵐だった。
(普通って何だ)
(俺は今、全国放送で死ぬんだぞ)
(柊凛の目の前で)
(なんで普通に死ねるんだ)
テイク3。
スタジオが静まった。
沢村は、ただ立っていた。
余計なことを考えないようにした。
角度も、ライトも、顎のラインも、考えないようにした。
銃声が鳴った。
被弾した瞬間、視界に凛の目が入った。
本物の涙だ。
演技としての本物。
でも、本物だ。
(ああ——これはいい)
沢村は、その瞬間に分かった。
(これで、ちゃんと死ねる)
余計なアドリブはない。
余計な角度もない。
ただ、静かに、倒れた。
バタン。
無音。
凛の声が、震えながら届いた。
「武藤刑事……」
数秒。
監督の声が来る前に、スタジオが静かになった。
「……カット」
拍手。
「今のいい!」
「沢村さん最高!」
床に寝たまま、沢村は天井を見た。
(死ねた)
(ちゃんと、格好つけずに)
目を閉じた。
殉職、完了。
撮影後、控室。
沢村が着替えていると、助監督の田中が扉を開けた。
笑いをこらえているのが丸分かりの顔だった。
「三回死にましたね、今日」
「……難しいね。殉職って」
「なんで最初、避けたんですか」
沢村は少しだけ笑った。
「……目の前に柊凛がいるとさ」
「はい」
「つい、格好つけたくなるだろ」
田中が黙った。
しばらく沈黙があった。
「……正直すぎますよ、沢村さん」
「うん、俺もそう思う」
数日後。
次の場面の撮影で、沢村は回想シーンとして現場に呼ばれていた。
廊下で待っていると、凛が通りかかった。
「沢村さん」
「あ、はい」
「最初の二テイク、ちょっと盛りましたよね?」
沢村は、一瞬だけ目を逸らした。
「……役作りだよ」
「そうですか」
凛は少し間を置いた。
「でも最後のテイク、すごく良かったです」
沢村は、言葉を失った。
四十八歳。
バイプレイヤー歴二十三年。
殉職シーンなど何度もやった。
なのに、国民的女優にそう言われると——
「……ありがとう」
それだけ言うのが、精一杯だった。
放送後。
SNSが動いた。
「今日の武藤刑事かっこよかった」
「一話で死ぬのもったいない」
「沢村恒一、あんな渋かった?」
「武藤ロス」
「また出てきてくれ頼む」
予想外にバズった。
制作会議。
「沢村さん、回想で出します?」
「出しましょう」
「視聴率好調ですし」
「武藤ロスのコメント多いですよね」
「声でもいいかもしれません」
そして、翌月。
沢村は再び、このドラマの現場に来ていた。
今度は回想シーンで、画面の中に生きている。
本来なら、第一話限りだったのに。
廊下を歩いていると、音響スタッフの一人が声をかけてきた。
「沢村さん、また来てくれたんですね。視聴者の反応すごかったですよ」
「ありがとう。俺もびっくりした」
「何が良かったんですかね、最後のテイク」
沢村は少し考えた。
「……格好つけるのを、やめたからかな」
音響スタッフは、少し不思議そうな顔をした。
沢村は笑った。
うまく説明できる自信がなかった。
一話限りの殉職刑事。
それが、名前を覚えられる男になった。
三回死んで、ようやく一回、ちゃんと死ねた男の話。




