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姉と妹が国民的女優ですが、俺は機械をいじっていたい  作者: よんまるよん
第一部「機械をいじっていたい、それだけなのに」

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第14話「新ドラマ」

 火曜日の朝。

 柊家のリビングに、テレビの音が流れていた。

 ワイドショーのコーナーが始まっている。

 華がソファに転がりながら、お茶を飲んでいた。

 遼はキッチンでトーストを食べている。

 凛は今日、朝から事務所に呼ばれているらしく、もう出かけていた。

「ねえ遼、聞いた?」

「何を」

「お姉ちゃん、今日事務所で大事な話があるって」

「そうか」

「なんかドラマの話らしいんだけど」

「へえ」

 遼はトーストに齧りつく。

 興味がないわけではない。

 ただ、今考えることでもないと思っている。

「気にならないの?」

「凛が話したければ帰ってから話すだろ」

「……まあそうだけど」

 華は少し不満そうな顔をした。

 でも、それ以上は言わなかった。

 遼のこういうところは、もう慣れている。


 午前十一時。

 都内、大手芸能プロダクションの会議室。

 凛は、マネージャーとともにテーブルについていた。

 向かいには、プロデューサーと局のディレクターが二人。

 凛は背筋を伸ばしたまま、静かに話を聞いた。

「柊さん、単刀直入に言います」

 プロデューサーが口を開いた。

「来春スタートのゴールデン帯ドラマ、主演をお願いしたい」

 凛は表情を変えなかった。

 内心では、少し止まったが。

「ゴールデン、ですか」

「はい。月曜夜九時枠です」

 月九。

 テレビドラマの中で、最も視聴率が動く枠のひとつ。

「テーマは何でしょうか」

「刑事もの、です。凛さんに刑事を演じてもらいたい」

「刑事……」

「ええ。今まで凛さんのイメージは清楚系でまとまっていましたが、今回あえて正反対のキャラクターを。泥臭くて、不器用で、でも信念だけは曲げない女刑事」

 凛は少し考えた。

「私で、いいんですか」

「凛さんだから、お願いしたいんです」

 プロデューサーが真っすぐ言った。

「安定感と、その中にある伸び代。両方が見える俳優は、今の業界では少ない」

 凛は静かに頷いた。

「……前向きに、検討させてください」

「ありがとうございます。詳しい資料はこちらに」

 封筒が渡された。

 凛はそれを受け取った。

 手が、少し震えていた。

 気づかれないように、膝の上に置いた。


 午後一時。

 事務所の前でマネージャーと話していた凛のスマホが鳴った。

 マスコミからだ。

 もう、情報が出回っている。

「柊さん、少しよろしいですか」

 記者が近づいてきた。

 数人いる。

 凛はマネージャーを見た。

 マネージャーが小さく頷く。

 凛は立ち止まり、記者たちに向き合った。

「本日、月九ドラマの主演のお話をいただきました。まだ詳細は決まっておりませんが、前向きに検討しております」

「どんな役柄ですか?」

「女刑事です」

「今までのイメージと違いますね」

「そうですね。だからこそ、挑戦してみたいと思っています」

「成功する自信は?」

 凛は少し間を置いた。

 正直に言うなら、まだない。

 刑事役は初めてだ。

 どんな役でも七十点は出せる自信はある。

 でも、それでいいのか、という問いも、今の自分にはある。

「……精いっぱい、やります」

 凛はそれだけ言った。

 記者が続ける。

「ご家族の支えはありますか?」

 凛は少し止まった。

 家族。

 頭の中に、ふと顔が浮かんだ。

 凛でも、華でもなく。

 コーヒーを飲みながら卒論を書いている、あの顔が。

「……はい。家族には、いつも支えてもらっています」

 凛は笑顔で答えた。

 記者が満足そうにメモを取った。


 同じ頃、都内のホテル。

 ロバートはスイートルームのデスクで、ノートパソコンを開いていた。

 画面には、森から送られてきた短いメッセージ。

 Hiiragi has expressed willingness to meet directly.

 He's finalizing his thesis first. Will confirm schedule after submission.

 Estimated: within the week.

(柊は直接面談の意向を示しました。

 まず卒論を仕上げたいとのこと。提出後にスケジュールを確定します。

 目安:今週中)

 ロバートは、そのメッセージをゆっくりと読んだ。

「...Finally, a step forward.」(……ついに、一歩前進だ)

 ロバートは静かに呟いた。

 柊遼。

 論文を読んだ時から追っていた。

 現場での修復の話を聞いた時、確信した。

 何度か会おうとして、何度かすれ違った。

 それがようやく、動き始めた。

 ロバートは椅子の背にもたれた。

 天井を見た。

 嬉しい。

 率直に言って、嬉しかった。

 この感情は、ビジネスとはまた別のものだ。

 本当に凄い人間に出会う時の、あの高揚感。

 久しぶりに感じる。

 ロバートはしばらく天井を見つめたあと、立ち上がった。

 スーツを脱いで、ジーンズとパーカーに着替えた。

 キャップをかぶった。

 スマホで地図を開いた。

 今日は、まだ外に出ていない。

 午後の時間が空いている。

 どこへ行こうか。

 秋葉原はもう何度も行った。

 渋谷も行った。

 ロバートはスマホで検索した。

「Ueno... Ameyoko...」(上野……アメ横……)

 マンガで読んだことがある。

 下町の市場。

 庶民の食べ物と飲み物。

 雑多で、うるさくて、日本のリアルな顔がある、と。

「Let's go.」(行こう)

 ロバートはホテルを出た。


 上野駅を出たロバートは、少し立ち止まった。

 アメ横の入口。

 人がごった返している。

 食べ物の匂い、呼び込みの声、乾物と揚げ物が混ざった独特の空気。

「Wow...」

 ロバートは目を丸くした。

 秋葉原とも渋谷とも違う。

 もっと、ざらっとしている。

 もっと、生きている感じがする。

 ロバートはゆっくりと歩き始めた。

 乾物屋、果物屋、洋服屋、スナック菓子の山。

 呼び込みのおじさんが、ロバートに気づいて英語で声をかけてきた。

「Hey! Cheap! Good price!」

「Ah, thank you...」(あ、ありがとう……)

 ロバートは愛想よく返しながら、先に進んだ。

 タコスみたいな形の揚げ物が目に入った。

 匂いがいい。

「What is this?」(これは何ですか?)

 屋台のおばさんに聞いた。

「コロッケ! おいしいよ!」

 ロバートは英語が通じていないことを察した。

 でも、「おいしい」は分かった。

  ロバートは日本語は話せないまでも、アニメのおかげでヒアリングは幾分かはできる。

「One please.」(一つください)

「はいよ! 百円!」

 ロバートはコロッケを受け取った。

 一口食べた。

「...Oh.」

 熱い。

 そして、うまい。

 じゃがいもの素朴な甘さ。

 衣のざくざく感。

 ロバートはしばらくその場で食べ続けた。

 百円で、こんなに美味しいものが食べられるのか。

 世界の不思議を感じながら、先へ進んだ。


 しばらく歩いていると、横道に立ち飲み屋が見えた。

 雑多な造りの、古い店だ。

 看板に「生ビール 四百円」と書いてある。

 カウンターに、作業着姿のおじさんや、スーツのサラリーマンが並んでいる。

 昼間から、みんな楽しそうに飲んでいる。

 ロバートは足を止めた。

「...Is this a standing bar?」(……立ち飲み屋か?)

 マンガで見たことがある。

 日本の庶民文化の象徴のひとつ。

 ロバートは入ることにした。


 カウンターの端に立った。

 店主のおじさんが顔を上げた。

「いらっしゃい。何にする?」

「Um... beer, please.」(えっと……ビールをください)

「生でいいか?」

「Yes, please.」(はい、お願いします)

 店主はジョッキを傾けて、ビールを注いだ。

 なみなみと泡が立っている。

「四百円ね」

 ロバートは小銭を出した。

 ジョッキを受け取った。

 冷たい。

 一口飲んだ。

「...Perfect.」(……完璧だ)

 ロバートは思わず呟いた。

 喉に染みる。

 シリコンバレーのバーで飲む洒落たクラフトビールとは、全然違う。

 もっとシンプルで、もっと正直な味だ。


「お兄さん、外国の人?」

 隣のおじさんが話しかけてきた。

 作業着姿で、日焼けした顔。

 人懐っこそうな目をしている。

「Yes. From America.」(はい。アメリカから来ました)

「アメリカ! へえ! 日本語は?」

「A little.」(少しだけ)

「そっか! まあ飲め飲め!」

 おじさんがジョッキを上げた。

 ロバートもジョッキを上げた。

「Cheers!」(乾杯!)

「かんぱーい!」

 二人のジョッキがぶつかった。

 おじさんは満足そうに笑った。

「アメリカから何しに来たんだ? 観光か?」

「Work. And... a little sightseeing.」(仕事です。あと少し観光も)

「仕事か。何の仕事?」

「Technology.」(技術です)

「テクノロジー? なんかよく分からんけど、難しそうだな!」

 おじさんは豪快に笑った。

 ロバートも笑った。

「ところで兄さん、ハムカツ食べたか?」

「Hamukatsu?」(ハムカツ?)

「そこの! ハムカツ! うまいぞ!」

 おじさんが指差した先に、揚げたてのハムカツが並んでいた。

「How much?」(いくらですか?)

「ハムカツ一枚百五十円ね」

 店主が答えた。

「Then one, please.」(では一枚ください)


 ハムカツが来た。

 衣が黄金色に揚がっている。

 ソースがかかっている。

 ロバートは一口食べた。

「...」

 ロバートは少し止まった。

 ハム、という食材は知っている。

 でも、これはもう、ハムではなかった。

 衣とソースと油が混ざって、何か別の食べ物になっている。

「どうだ! うまいか!」

 おじさんが身振りを交えながら聞いた。

 幾分ヒアリングができるロバートには伝わっている。おじさんの自慢の逸品のようだ。

「...Incredible.」(……信じられない)

「だろ! うまいだろ! ビールに合うだろ!」

 おじさんがまたジョッキを上げた。

「Cheers again!」(また乾杯!)

「かんぱーい!」


 しばらくすると、反対側にいた別のおじさんも会話に加わってきた。

 こちらはスーツ姿で、ネクタイを緩めている。

「アメリカから来たって? どこ?」

「California. Silicon Valley.」(カリフォルニア。シリコンバレーです)

「シリコンバレー! あのIT企業がたくさんあるとこか!」

「Yes, that's right.」(はい、そうです)

「すごいな! 偉い人なんじゃないのか!」

「Well... a little.」(まあ……少し)

 ロバートは曖昧に笑った。

「少しって何だよ! 謙虚だな!」

 スーツのおじさんが笑いながら、自分のジョッキを上げた。

「かんぱい!」

「Cheers!」

 また乾杯した。

 作業着のおじさんも便乗した。

「かんぱーい!」

「Cheers!」

 三人のジョッキがぶつかった。

 ロバートは笑った。

 本当に笑った。

 シリコンバレーの会議室でも、高級レストランでも、こんな笑い方はしない。

 肩の力が完全に抜けていた。


 二杯目のビールを飲みながら、ロバートはハムカツをもう一枚頼んだ。

 カウンターに肘をついて、ぼんやりと外を見た。

 アメ横の人の流れ。

 雑多で、騒がしくて、でも妙に心地よい。

 ロバートは柊遼のことを考えた。

 あの青年は、今ごろ卒論に向き合っているのだろう。

 論文を見る限り、非常に論理的で、かつ直感的な人間だ。

 現場での問題解決を見る限り、無駄がなく、速い。

 そして、オファーに飛びつかず、まず話を聞きたいと言った。

「What are you thinking about?」

 誰かに聞かれた気がして、ロバートは顔を上げた。

 誰も何も言っていない。

 作業着のおじさんはコロッケを食べているし、スーツのおじさんは店主と話している。

 ロバートは小さく笑った。

 独り言が出そうになっていた。

「...I'm just waiting.」(……ただ、待っているだけだ)

 ロバートは小さく呟いた。

 ビールを一口飲む。

 急かすことはしない。

 卒論が終わったら、連絡が来る。

 それまでは、こうして東京を楽しんでいればいい。


 作業着のおじさんが帰り際、ロバートの肩を叩いた。

「お兄さん、日本楽しんでけよ!」

「Thank you. I will.」(ありがとう。そうします)

「また来い! かんぱい!」

「Cheers!」

 もう片手にジョッキはなかったが、二人は同時に右手を上げた。

 おじさんは豪快に笑いながら、アメ横の雑踏に消えていった。

 ロバートはその背中を見送った。

 そして、ビールを飲み干した。

「...Good day.」(……いい日だ)

 ロバートは静かに思った。


 夜、ホテルに戻ったロバートは、ベッドに横になった。

 今日買ったものは何もない。

 秋葉原でも渋谷でもない。

 ただ、上野でビールを飲んだだけだ。

 コロッケとハムカツを食べただけだ。

 名前も知らないおじさんたちと、理由もなく乾杯しただけだ。

 でも、今日は妙に満足していた。

 ロバートはスマホを手に取った。

 森へのメッセージを書いた。

「連絡を待つ。急かすな」

 送信した。

 それから、目を閉じた。

 柊遼との面談。

 いつになるかは、まだ分からない。

 でも、動き始めた。

 条件の話はしない。

 会社の話も、最初からはしない。

 まず、聞こうと思っていた。

 あなたは何がしたいのか、と。

 もし答えが「機械をいじっていたい」なら——

 それが全ての出発点になる。

 ロバートはゆっくりと眠りについた。

 東京の夜が、静かに更けていく。


 同じ頃、柊家のリビング。

 夜の九時。

 凛が帰宅した。

「ただいま」

「おかえり、お姉ちゃん! ニュース見たよ!」

 華がソファから飛び起きた。

「月九じゃん! すごいじゃん!」

「まだ正式発表じゃないよ」

「でも本当なんでしょ?」

「……まあ」

 凛は苦笑しながらコートを脱いだ。

 遼はキッチンでカップラーメンを食べていた。

「遼、聞いた?」

 凛が声をかけた。

「見てない」

「ニュースくらい見てよ!」

「見る習慣がない」

 凛は少し脱力した。

「月九のドラマ、主演することになった。たぶん」

「そうか」

「刑事役」

「へえ」

「意外じゃない?」

「なんで?」

「今まで清楚な役ばっかりだったから」

 遼は少し考えた。

「凛が刑事の役か」

「うん」

「……まあ、できるんじゃないか」

 凛は少し止まった。

「それだけ?」

「それだけって?」

「すごいとか、おめでとうとか」

「おめでとう」

「今更!」

 華が笑った。

「遼らしいね」

「そうか?」

 遼はカップラーメンを啜った。

 凛はため息をついた。

 でも、口元が緩んでいた。

「遼、見てた?」

 凛は聞いてみた。

 囲み取材のこと。

「見てない」

「だよね」

 凛は少し笑った。

 取材の時、記者に「家族の支えは?」と聞かれて、なぜか遼の顔が浮かんだ。

 凛は自分でも不思議だった。

 派手な活躍があるわけでも、励ましてくれるわけでもない。

 ただ、「まあ、できるんじゃないか」と言うだけだ。

 でも、それが——

 なんだか、一番しっくりくる。

「ごはん残ってる?」

「鍋に」

「ありがとう」

 凛は台所へ向かった。

 華がついてくる。

「お姉ちゃん、刑事役楽しみ! ガラッと変わるじゃん!」

「そうだよね。怖くもあるけど」

「絶対できるよ! お姉ちゃんならさ!」

「……ありがとう」

 凛は静かに答えた。

 それから、遼を振り返った。

 カップラーメンを食べながら、スマホで何かを読んでいる。

 技術系のニュースか、論文か。

 相変わらずだ。

 でも、今日は少しだけ、その横顔が頼もしく見えた。


 その夜、遼の部屋。

 遼はデスクに向かっていた。

 卒論の最終確認、最後の一項目。

 参考文献のフォーマットを整えている。

 地味な作業だが、これが終われば提出できる。

 凛が月九の主演をするらしい。

 すごいことなんだろうと思う。

 芸能界のことはよく分からないが、月九というのは特別な枠だと、何かで読んだことがある気がした。

 凛が刑事役、か。

 遼は少し考えた。

 まあ、凛なら何かやりきるだろう。

 そういう人間だ。

 遼はパソコンに向き直った。

 参考文献の整理を再開する。

 提出まで、あと二日。

 まずはこっちを片付けよう。

 それから先のことは、その後で考えれば十分だ。

 遼は画面に集中した。

 静かな夜が続く。

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やべえロバートさんが好きすぎる
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