番外編「お化け屋敷、終わります。」 後編
事務所に怒られた。
具体的には、マネージャーの田村さんに「柊さん、ちょっといいですか」と言われて会議室に通されて、向かいに座った田村さんがテーブルの上に腕を組んで、しばらく無言だった。
田村さんは基本的に怒る人じゃない。どちらかというと「やれやれ」タイプで、華が多少変なことをしても「まあ柊さんだから」という顔で受け流してくれることが多い。その田村さんが無言で腕を組んでいるのは、わりと珍しい。
「お化け屋敷の件なんですが」
「はい」
「スタッフさんから連絡来ました」
「はい」
「失神八名、失禁二名、泣いて動けなくなった方五名、体調不良十二名」
「はい」
「柊さん、はいじゃなくて」
「……すみません」
田村さんがため息をついた。長いため息だった。
「映像は確認しました」
「あ、見たんですね」
「見ました」
田村さんがまた少し無言になった。
「どうでしたか」
「怖かったです」
「……ありがとうございます」
「褒めてないです」
そうか、と思った。
「公開は難しいです、あれは」
「スタッフさんにも言われました」
「うん。失禁まで映ってたら笑えないし、そもそも一般の方が特定される可能性もあるし。企画の趣旨がどっきりだったとしても、あそこまでいくと笑えないどっきりになってます」
「笑えないどっきり」
「そうです」
華はそれをしばらく反芻した。「笑えないどっきり」という言葉の重さが、少し遅れて乗っかってきた。
「お蔵入りで処理します。スタッフさんへのお詫びと、一般の参加者さんへの対応は事務所でやります」
「すみません」
「柊さんはしばらく自分のチャンネルで大人しくしててください」
「はい」
「お化け屋敷関連の仕事も、しばらくお断りします」
「はい」
「あと」
「はい」
「次に何かやる前に、一回相談してください」
「はい」
田村さんがもう一度ため息をついた。今度は短かった。
「……映像、本当に怖かったです。なんであんなことできるんですか」
「お化けだと思ったので」
「お化けだと思ったら本当にお化けになれるんですか」
「なれます」
田村さんがなんか言いたそうな顔をして、でも何も言わずに「分かりました、以上です」と言った。
会議室を出た。
廊下でひなからLINEが来ていた。
「どうだった?」
「怒られた」
「そっか」
「お蔵入り確定だって」
「まあそうだよね」
「でも田村さんに映像怖かったって言われた」
「まあ、そこだけは」
ひなのLINEは短くて、でも的確だった。
その話はそれで終わりのはずだったんだけど、一週間後くらいに続きが起きた。
きっかけは、華のチャンネルのコメント欄だった。
前の動画に、こういうコメントが来ていた。
「先週あのお化け屋敷行ったんですが、なんか途中で本当にやばいやつがいたんですよ。スタッフじゃないっぽくて、でも衣装もなくて、ただ立ってるだけなのに全員固まって。連れが失神して大変でした。でも顔がなんか見たことある感じで、柊華に似てました。まさかとは思いますが」
そのコメントに返信が七十件ついていた。
「それ絶対そうじゃん」「本人でしょ」「映像ないんですか」「ロケしてたって聞いた」「失禁した人のグループにいたって聞きました(身バレ防止のため詳細は省きます)」
華はそのコメント欄を読みながら「あ、バレてる」と思った。
田村さんに転送したら「見てます」と返ってきた。
「どうしますか」
「どうもしません。反応したら火がつくので、しばらく放置します」
「分かりました」
「柊さん、コメントに返信しないでください」
「はい」
「絶対にしないでください」
「はい」
田村さんがなんで念押しするんだろうと思ったけど、まあそういうことをやりかねないと思われてるんだろうなというのは分かった。
実際、返信したいという気持ちが少しあった。「そうです」って一言だけ書いたら面白いだろうなと思った。
しなかったけど。
ひなとは次の週にまたご飯を食べた。
ファミレスで、特に何の目的もなく、ランチをふたりで食べた。
「コメント欄、見た?」とひなが言った。
「見た」
「バレてるじゃん」
「バレてる」
「田村さんは?」
「放置でいいって」
「まあそうだよね」
ひながドリンクバーのコーヒーを飲みながら、なんとなく遠い目をした。
「あの日の映像、私には見せてもらえるの?」
「どうする、見る?」
「……見たいような見たくないような」
「見る?」
「うーん」
しばらく考えてから、ひなが「見せて」と言った。
華はスマホを出して、スタッフに送ってもらっていた未公開の映像ファイルを開いた。ひなに渡した。
ひなが見始めた。
最初の一分くらいは黙って見ていた。
途中で「……うわ」と小声で言った。
もう少し見て、また「……うわ」と言った。
最後まで見て、スマホを返してきた。
「どうだった」
「公開できないのは分かった」
「だよね」
「なんか……華って普段すっごい普通じゃん」
「普通だよ」
「なんでこれができるの」
「お化けだと思ったから」
「それ事務所でも言ったの?」
「言った」
「田村さんなんて言ってた」
「なんか言いたそうな顔してた」
ひなが「……」という顔をした。
ひながコーヒーをもう一口飲んだ。
「才能ってこわいね」
褒め言葉なのかどうなのか分からない言い方だった。
「怖いかな」
「だって見てる側が体調悪くなるもん。お化け屋敷の中でお化けになれる人間って、普通いないよ」
「でも私は別に普通にやっただけで」
「その『普通にやった』がやばいんだよ」
それはそうかもしれなかった。
華は自分でもよく分からない。あの瞬間、「お化け」というものを考えたら、自然とそうなった。難しいことをした感覚がない。ただそこにいた、という感じだった。
「次の企画、何するの?」とひなが聞いた。
「まだ決まってない。しばらく大人しくしててって言われた」
「正解だと思う」
「でも何かやりたいんだよね」
「どんな方向で?」
「なんか楽しいやつ」
「お化け屋敷はだめ」
「分かってる」
「本当に分かってる?」
「分かってる」
ひなが少し考えてから「料理動画とかは?」と言った。
「作れない」
「食べるだけのやつ」
「あ、それならできる」
「でしょ。普通に美味しいもの食べる動画とかさ、怖くないし」
「怖くないね」
「誰も倒れないし」
「倒れないね」
「失禁もしないし」
「しないね」
そういう動画がいいかもしれない、と思った。
ファミレスを出て、ふたりで駅のほうに歩いた。
途中でひなが「そういえば」と言い出した。
「何?」
「あの日、私が最初に華に会った時のやつ、さ」
「うん」
「あれ、私、最初本当に人間だと思わなかったんだけど」
「知ってる」
「で、『華? そこまで本気じゃなくてもいいんだよ』って言ったじゃん」
「言ったっけ」
「言った。そしたら華が『なに? よんだ?』って言って」
「言ったっけ」
「言った! あの言い方! あれ、絶対わざとだよね」
「……どうかな」
「どうかなって何、やったんでしょ」
華は少し笑った。
「まあ、せっかくだから」
「せっかく!?」
「雰囲気あったから」
「雰囲気で!? そのあと腰抜かしたんだよ私! 本物のお化けだと思って!」
「ひなちゃんが反応よすぎるから」
「私のせい!?」
ひなが叫んだ。夕方の駅前で、わりと大きい声だった。周りを歩いていた人が何人かこちらを見た。
「声大きい」
「大きくもなる! あの時本当にしばらく立てなかったんだからね!?」
「ごめんって」
「謝り方が軽い! 何回言えばわかるの!」
でもひなはちゃんと笑っていた。怒りながら笑っていた。
「次は本当に普通の企画にしてよ」
「うん」
「食べるだけの動画でいいよ」
「そうする」
「誰も倒れない動画」
「誰も倒れないようにする」
そこまで言って、ひなが少し間を置いてから「でも」と言った。
「でも?」
「……あの映像、怖かったけど、なんかすごかったよ。本当に」
「そう?」
「うん。華ってやっぱり変な人だなって思った。いい意味で」
「いい意味でね」
「いい意味で」
それがひななりの褒め言葉なんだろうと思った。
駅の改札のところで別れた。ひなが「またご飯行こうね」と言って、改札に入っていった。
華は少しそこに立ってから、反対側の出口に向かった。
スマホに田村さんからLINEが来ていた。
「コメント欄、少し落ち着いてきました。引き続き放置でいきます」
「分かりました」
「次の動画の企画、考えておいてください。できれば普通のやつで」
「食べ物系はどうですか」
「最高です」
田村さんの返信が早かった。よほど食べ物系がよかったらしい。
「誰かと一緒に行きます」
「ひなさんとかどうですか」
「聞いてみます」
「よろしくお願いします。今度は二人とも笑顔で終われる動画にしてください」
「はい」
「あと公開前に一度見せてください」
「はい」
「本当にお願いします」
田村さんが珍しく三連続でLINEしてきた。よほど今回のことが印象に残っているんだろう。
華は「次は大丈夫です」と送った。
田村さんからは「信じてます」と返ってきた。
ちなみにその一週間後、ひなとふたりで有名な焼肉屋に行った動画を撮った。
特に何も起きなかった。ふたりで肉を焼いて食べて、デザートのアイスを食べて、最後にひなが「お腹いっぱい」と言って終わった。
コメント欄には「平和すぎて逆に不安」「ひなさん最後まで笑顔で終わった」「こういうのでいい」「お化け屋敷の噂からの落差がすごい」というコメントがたくさんついた。
再生数はお化け屋敷の噂が出回ったせいか、いつもより多かった。
田村さんから「よかったです」と一言LINEが来た。
一言だけだった。
お化け屋敷の映像は、今も事務所のサーバーのどこかに保存されていると思う。公開される予定は、今のところない。
でも華は時々あの日のことを思い出す。
暗い第三エリアに立って、目を閉じて、切り替えた瞬間のことを。
あれはなんだったんだろう、とは特に思わない。ただそうなった。それ以上でも以下でもない。
強いて言うなら、お化けというものが、思ったより自分の中にすんなり入ってきた、ということが少し面白かった。
人間をやっていると、ときどきそういうことがある。
思ったより近くにいる、何か。
まあ、だからといって何ということもないんだけど。
そういう話でした。




