SILENT AEGIS ──TechVision特殊部隊、東京作戦記録── 第八話「INTERCEPT」
六月。
午前八時二十二分。
港区、TGSアドバイザリー九階。
情報セルの部屋。
河野誠は、モニターの前に座っている。
コーヒーメーカーは今日も使っていない。制酸剤が引き出しの中にある。昨夜は三錠飲んだ。珍しく多かった。
画面には通信解析システムのダッシュボードが出ている。
フラグが七本。昨夜から今朝にかけて積み上がったものだ。
七本のうち、四本はOuroborosの通常のコードトーク——何かを動かす前の、静かな準備の会話。残り三本は、まだ分類が終わっていない。
夏目澪が、隣のデスクでキーボードを叩いている。
今朝は六時から来ている。河野より二時間早い。
「夏目さん」
「はい」
「三本のうち、一番新しいやつ。送信時刻は何時ですか」
「午前七時五十一分です」
「基地局は」
「昨夜と同じ。港区、渋谷寄り」
河野は少し止まった。
「岸谷ですか」
「ほぼ確実だと思います。パターンが一致しています」
河野は画面を見た。
岸谷冬馬。元公安。
今朝、動いた。
話を少し整理する。
岸谷が使う通信端末は、業者用のガラケーだ。
契約名義は架空。SIMはプリペイド。電話番号は定期的に変わる。
追うのは難しい——通常の手段では。
サラが半月かけて追っていたのは、端末そのものではなく、「癖」だ。
岸谷は毎朝、特定の時間帯に、特定の基地局に接続する。
場所は一定ではないが、渋谷から港区にかけてのエリアに収まっている。
接続時間は短い。数分で切れる。その後は別の端末に切り替わる。
端末は変わっても、行動パターンは変わらない。
人間の習慣は、機材より根深い。
サラはそのパターンを手がかりに、岸谷の「今日の動き」を読んでいた。
そして今朝、パターンが崩れた。
接続時間が通常の倍以上。
送信量が多い。
何かを大量に送っている。
サラからの報告は、朝の八時ちょうどに来た。
簡潔だった。
「岸谷、今朝動いています。通常より長い接続。送信量が多い。内容は暗号化されていますが——今日、何かが動くと思います」
河野はその報告を受けて、制酸剤を一錠飲んだ。
「河野さん」
夏目の声。
「何ですか」
「岸谷の端末、今切れました」
「切れた」
「はい。接続が終了しました。九分間でした」
「九分」
河野は椅子を引いた。
九分間。
岸谷が通常接続する時間は三分以内。
今朝は三倍の時間をかけて、何かを送った。
内容は読めない。暗号化されている。
だが——
「内容の推測はできますか」
「ファイルサイズから見て、テキストだけじゃないと思います。画像か、音声か、あるいは両方が含まれている可能性があります」
「警護シフトの情報とか」
「そういった情報は、PDFや画像ファイルで送ることが多い。可能性はあります」
河野は少し考えた。
警護シフト。
凛の移動ルート。
今日の夕方、凛が撮影現場から帰宅する時間。
それが、Ouroborosに流れた。
「夏目さん、サラさんに連絡を入れてください。『岸谷が動いた。今日の可能性がある』と」
「もう送りました」
河野は夏目を見た。
夏目は画面を見たまま言った。
「河野さんが言う前に判断しました。問題ありましたか」
「……ないです。ありがとう」
「いえ」
夏目はキーボードに戻った。
河野は立ち上がって、窓の前に歩いた。
外は晴れている。
六月にしては乾いた朝。
今日が、その日だ。
午前九時十四分。
サラからの報告。
「INTEL《※1》、倉庫の動きを確認。車両一台、午前九時から搬入作業。人員の出入りが増えています。今日中に動く可能性、高」
※1【INTEL】Intelligence(情報)の略。無線や通信における情報部門の呼称。
河野はヴィクターに転送した。
ヴィクターからの返信は十秒で来た。
「確認。ECHO全員を今日の午後二時に集合させます。鮎川さんには先行して現地に入るよう伝えます」
河野は返信した。
「了解しました。こちらは監視を継続します。動きがあれば即時報告します」
「頼みます」
短いやり取り。
それで十分だった。
午前十一時四十分。
また動きがあった。
「河野さん。三光モータースの回線、久しぶりに通信が出ています」
三光モータース。笠置の関連法人が使っている回線。最初に「柊」という平文が出た、あの回線だ。
「何が来た」
「今解析中です。コードトークのパターンです。ただ——」
夏目が少し止まった。
「今回は短い。非常に短い。五秒以内で終わっています」
「何を意味する」
「確認信号《※2》だと思います」
※2【確認信号(Confirmation Signal)】作戦実行前に、各部隊間で現在の状況と準備完了を確認し合う短い通信。内容は最小限に抑えられ、「準備完了」「異常なし」を示す短いコードだけのことが多い。
「準備完了の合図か」
「それ以外に考えにくい」
河野は椅子を引いて、デスクに戻った。
制酸剤を取り出した。
少し考えてから、飲むのをやめた。
今は頭を鮮明にしておきたい。
「夏目さん。今から夕方まで、全部の通信を三分以内に報告してください。何があっても」
「はい」
「俺も離れません。昼食は後にします」
「私もそうします」
二人は画面に向き直った。
正午を過ぎた。
倉庫の周辺に大きな動きはない。
岸谷の端末は、その後接続していない。
三光モータースの回線も、確認信号の後は静かだ。
静かすぎる。
河野はそれが気になっていた。
作戦前の静けさは、二種類ある。
一つは、まだ動いていない静けさ。
もう一つは、動く直前の静けさ。
どちらかは、見た目でわからない。
ただ、体の感覚が言っている。
今日だ。
午後一時。
サラから短い報告。
「車両一台、倉庫から出ました。トランスポーターではない。別の車両。乗員二名確認。方向は渋谷方面」
河野はすぐにヴィクターに転送した。
ヴィクターからの返信。
「把握。GPSで追います。サラさん、引き続き倉庫の監視を」
河野はサラへのメッセージを送った。
「ヴィクターより。引き続き倉庫の監視を継続してください」
「了解」
午後二時二十分。
夏目が少し声を上げた。
「河野さん」
「何ですか」
「岸谷の端末、また接続しました」
「どこから」
「今朝と同じ基地局。港区」
「接続時間は」
「今も続いています」
河野は立ち上がった。
「送信量は」
「増えています。今朝より多い」
「……どんなデータを送っていると思いますか」
夏目が少し間を置いた。
「今日の夕方の——何かだと思います」
河野は頷いた。
夕方。
凛の移動時間は、午後五時から六時の間。
今、午後二時半。
あと二時間半。
河野はヴィクターに電話をかけた。
コール一回で出た。
「河野さん」
「ヴィクター。岸谷がまた動いています。今朝より多い送信量です。今日の夕方の情報を流しているとみられます」
「わかりました」
「今日の夕方五時前後、対象者の移動があります。今から——」
「知っています。ECHO全員、今から現地に向かいます。鮎川さんはすでに屋上にいます」
「了解しました。こちらは監視を継続します。何か変化があれば——」
「即時連絡をお願いします」
「わかりました」
電話が切れた。
河野はデスクに戻った。
「河野さん」
夏目の声。
「岸谷の端末、接続が切れました。今度は六分間でした」
「六分」
「はい。今朝より短い。送りたいものを送り終えた、ということだと思います」
河野は画面を見た。
これだけのデータが揃っていた。
岸谷が二度、通常より長い接続。
三光モータースから確認信号。
倉庫から車両が一台出た。
全部が、今日の夕方に向けて収束している。
午後三時ちょうど。
サラから報告。
「倉庫、動きが出ています。内部から人員が出てきています。車両に乗り込む動きがあります」
河野はすぐにヴィクターに転送した。
この一報を境に、情報セルの空気が変わった。
夏目の指の動きが、少し速くなった。
河野は椅子から立ち上がって、立ったまま画面を見ることにした。
座っていられないわけではない。
ただ、立っている方が、今は気持ちが合っていた。
窓の外に東京の昼が広がっている。
あの街のどこかで、今、何かが動き始めている。
柊凛は今日も撮影現場にいる。何も知らないまま、夕方に移動する。
柊華も、どこかで仕事をしている。
二人は知らない。
知らないまま、今日が終わる——そうなることを、河野は信じる以外にない。
「河野さん」
夏目の声。
「ヴィクターから確認の連絡が来ました。全員、位置についたそうです」
「わかりました」
河野は画面を見た。
あとは待つだけだ。
情報セルにできることは、もうほとんどない。
監視を続けて、変化があれば報告する。
それが、河野の仕事。
やつら動いた——その言葉を、ヴィクターに伝えた。
ヴィクターは「わかった」と言った。
あとは向こうの仕事。
河野は窓の外を見た。
東京の午後三時。
空は青く、雲が少ない。
あと二時間。
次回、第九話「FOUR SECONDS」――制圧、始まる。




