SILENT AEGIS ──TechVision特殊部隊、東京作戦記録──第六話「MAPPING THE KILL HOUSE」
六月。
午前十時二十二分。
足立区の、古い工業地帯。
白のハイエースが、倉庫から三本西の路地に停まっていた。
サイドに「蒼誠テクニカル」のロゴが入っている。架空の会社だ。電話番号も書いてあるが、繋がらない。
エリック・ソウザが運転席から外を見た。
作業着姿だった。濃紺のつなぎ。胸ポケットに「蒼誠テクニカル」の刺繍。ヘルメットが後部座席に置いてある。
どこにでもいる設備工事の作業員に見える。185センチの体格が少し目立つが、それは仕方がない。
「マルクス、時間は」
「十時二十二分」
マルクス・ヴォルフが助手席から答えた。
同じく作業着。こちらは「電力サービス」のロゴが入ったジャケット。ヘルメットをすでに被っている。
「歩哨《※1》の交代が十時だったから、今が最も動きが落ち着いてる時間帯だ」
※1【歩哨】見張り番のこと。一定の持ち場を守り、不審者の侵入や異常を監視する役割。軍や犯罪組織では交代制で配置される。
「確認した」
エリックはダッシュボードのタブレットを見た。
サラが引き継いだドローン映像のリアルタイムフィードだ。倉庫の上空、高度九十メートルから俯瞰した映像が流れている。
シャッターは閉まっている。側面のドアの前に、一人が立っている。歩哨だ。タバコを吸っている。
「一名、側面ドア前。タバコ中」
「見える」
マルクスが双眼鏡を下ろした。
路地の角から倉庫の側面が見える位置に停めてある。直線距離で約二百メートル。
「腰に膨らみがある。ホルスター《※2》だと思う」
※2【ホルスター】拳銃を携帯するための保持具。腰ベルトに装着するタイプが最も一般的。服の上から見ると腰回りに独特の膨らみが出る。
「グロックか」
「サイズから見てそう思う。ただ確認はできない」
「了解」
エリックはタブレットを閉じた。
深呼吸を一回した。
「行く」
「了解」
二人は車を降りた。
工業地帯の朝は独特の空気がある。
機械油の匂い。排気ガスの残り。どこかで溶接の音がしている。
作業員が歩いていても、誰も気に留めない。
エリックは工具袋を持ち、マルクスはクリップボードを持った。
二人は別々の方向から倉庫に近づく。
エリックは倉庫の北側、近隣の配電盤を確認する電気工事業者として。
マルクスは倉庫の南側、下水道の点検業者として。
役割を分けることで、自然に建物の四方を確認できる。
これをカバー・ストーリー《※3》という。
※3【カバー・ストーリー(Cover Story)】偵察や潜入の際に使う偽の身分・目的。自然に見える理由を作ることで、疑われずに対象に近づける。特殊部隊や諜報員が現地偵察で使う基本技術。
エリックは倉庫の北側に回った。
近隣の配電盤——本物だ——の前でしゃがんで、工具を広げた。
実際に何かをいじっているふりをしながら、目は倉庫の外壁を測っている。
外壁の素材。
ALC板《※4》だ。軽量気泡コンクリートのパネルで、倉庫や工場によく使われる。見た目はコンクリートに近いが、実際には軽い。強度も高くない。
※4【ALC板(Autoclaved Lightweight aerated Concrete)】軽量気泡コンクリートパネル。工場・倉庫の外壁材として多用される。通常のコンクリートより軽く、断熱性はあるが衝撃には弱い。ブリーチング時の破片・跳弾リスクを考慮する必要がある。
壁の厚さを推定する。
パネルの規格は百ミリが標準だ。内側に断熱材が入っているとすれば、実質的な壁厚は百五十ミリ前後。
この壁に、ブリーチング《※5》をかけるとどうなるか。
※5【ブリーチング(Breaching)】ドアや壁などの障害物を強制的に突破する技術。爆発物、油圧工具、ショットガンなど複数の手段がある。特殊部隊の突入作戦における基本技術のひとつ。
C2爆薬《※6》を使えば確実に抜けるが、ALC板は破砕すると大きな破片が飛ぶ。屋内の人間——味方も含めて——に当たるリスクがある。
フラッシュバン《※7》も同様だ。壁が薄いと跳弾《※8》が起きる。
※6【C2爆薬】軍用塑性爆薬。粘土状で成形しやすく、起爆には電気式雷管が必要。ドアの蝶番や錠前を精密に破壊するのに使われる。適切に使えば破片と爆風の範囲を制御できる。
※7【フラッシュバン(閃光手榴弾)】爆発と同時に強烈な閃光と轟音を発生させ、敵を一時的に無力化する。殺傷力はないが、密閉空間・薄壁環境では跳弾のリスクがある。
※8【跳弾】弾丸や爆発の衝撃が壁や床に当たって跳ね返る現象。密閉空間での戦闘では、自分が撃った弾が自分に当たる危険がある。
エリックは頭の中で計算した。
側面ドアからの突入を優先する。
正面シャッターは音が大きすぎる。電動式で、開放に数秒かかる。その間に内部に警戒が走る。
二階の非常口は、上から施錠されている可能性が高い。確認してから判断する。
工具袋の中のノートに、数字を書き込んだ。
壁厚推定:150mm。ブリーチング推奨:側面ドア。C2使用量:最小限。
南側に回ったマルクスは、下水道の点検口の前でクリップボードを開いていた。
そこから倉庫の側面ドアが、斜め前方に見える。
距離、約四十メートル。
歩哨が一人、ドアの前にいた。
タバコを吸い終えて、今度は壁にもたれている。
マルクスは視線を動かさずに観察した。
立ち方。
左足に重心がある。右腰に膨らみ。利き手は右。
腕を組んでいる——警戒心は低い。朝の番で眠いのかもしれない。
目の動き。
路地の方向を定期的に確認している。ただしパターンが一定だ。右を見て、左を見て、正面に戻る。これを約三十秒で繰り返している。
マルクスは時計を見た。
三十秒、計測した。
やはり、三十秒だった。
規則的すぎる。
訓練された見張りは、あえてパターンを崩す。不規則な間隔で動くことで、タイミングを読まれにくくする。
この歩哨は、それをやっていない。
傭兵崩れか、あるいは実戦経験の少ない人間だ。
マルクスはそう判断した。
クリップボードのメモ欄に書いた。
「歩哨×1。南側ドア前。交代サイクル不明。警戒レベル:低。利き手:右」
十一時ちょうど。
二人はハイエースに戻った。
マルクスが先に乗り込んで、エリックを待った。
エリックは三分後に来た。工具袋を後部座席に置いて、水を一口飲んだ。
「どうだった」
「壁は薄い。ALC板で百五十ミリ前後。フラッシュバンは使えない。跳弾が出る」
「同意」
「側面ドアからのブリーチングが最善。C2を使うか油圧か——今のところ油圧の方が安全かもしれない」
「音は?」
「外部への漏れは小さい。内部への警告は数秒遅らせられる」
「四秒、維持できるか」
「できる。問題は——」
エリックが少し間を置いた。
「後ろの壁だ。内側の壁にコンクリートが入ってる。二重構造になってる可能性がある。フラッシュバンを投入した場合の跳弾リスクが高い」
マルクスが頷いた。
「スタングレネード《※10》にした方がいい」
※10【スタングレネード(Stun Grenade)】フラッシュバンとも呼ばれる閃光手榴弾の一種。フラッシュバンより破壊力が低く、密閉空間でも跳弾リスクが抑えられるタイプがある。突入前に投入し、敵の視覚・聴覚・平衡感覚を一時的に奪う。
「ドアを開けてからガスを先行させる」
「そう。スタングレネードをホールドして、ガス先行後に投入。それからチームが入る」
エリックが少し止まった。
「……それ、俺が言おうとしてた」
「知ってる」
マルクスはクリップボードを膝に置いた。
エリックは天井を見た。
少し笑ってから、話を続けた。
「歩哨は」
「南側ドア前に一名。警戒レベルは低い。三十秒のパターンで動いてる。訓練されていない」
「クルスのチームにしては緩いな」
「精鋭は内部に温存してるんだろう。外の見張りは使い捨ての人間で十分だと考えてる」
「なるほど」
エリックはタブレットを開いた。
サラのドローン映像。倉庫の上空から見た俯瞰図。
「北側の廃ビル、鮎川のポジションとして使えるか確認した」
「高さは」
「六階建て、屋上まで約二十一メートル。倉庫の正面シャッターまでの直線距離は約二百八十メートル。.308《※13》で問題ない距離だ」
※13【.308(ドットサンマルハチ)】正式名称は.308 Winchester、軍用規格ではNATO 7.62×51mm弾。狙撃ライフルに広く使われる標準的な狙撃弾。有効射程は狙撃手の技量にもよるが、800〜1,000メートル程度。二百八十メートルはこの弾薬にとって近距離に相当し、高い命中精度が期待できる。鮎川が使用するAI AXMCの標準仕様弾でもある。
「屋上へのアクセスは」
「外付けの非常階段がある。鍵は——」
エリックが少し止まった。
「確認が必要だ。今日の段階では鍵がかかっていない可能性が高い。ただし確証はない」
「鮎川に現地確認させるか」
「夜間に一人で入れる。問題ない」
マルクスが頷いた。
「倉庫の照明は」
「夜間の外部照明が二か所。北側と南側に各一灯。ただし北側の照明は球切れしてた。死角になる」
「北側から接近できる」
「チームの進入ルートとして使える。車両の阻止はマルクスが担当するとして——」
「正面の路地を塞ぐ。ハイエースを横付けすれば、倉庫前の車両は出られない」
「退避ルートを二本塞げれば、彼らは詰む」
二人はしばらく、タブレットの俯瞰図を見た。
建物の形。路地の位置。近隣の建物との距離。
全部が頭に入っていく。
繰り返し見ることで、現場を歩いていなくても体が地形を覚える。
これを、マッピング《※11》という。
※11【マッピング(Mapping)】突入作戦における事前の地形把握。建物の構造、出入り口の位置、内部の推定レイアウト、外部の死角——これらを精密に記録し、チーム全員が共有する。「キル・ハウス・マッピング」は特殊部隊の基礎訓練のひとつ。
「3Dマッピングを作る」
エリックが言った。
「サラのドローン映像と、建築確認申請書《※12》を重ね合わせる。内部のレイアウトを推定して、チーム全員に共有する」
※12【建築確認申請書】建物を建築する際に行政に提出する書類。建物の構造、用途、内部のレイアウトなどが記載されている。公開文書として閲覧できる場合があり、OSINTの重要な情報源になる。
「いつできる」
「今夜中に初版を出す。明日の朝、ヴィクターに共有する」
「わかった」
マルクスはクリップボードを後部座席に置いた。
窓の外。
工業地帯の昼前。空が白く霞んでいる。
「エリック」
「何だ」
「内部に何人いると思う」
エリックは少し考えた。
「今朝サラが赤外線で五名以上を確認してる。実行部隊が八名だとすれば、今は全員が内部にいる可能性がある。あるいは一部が外に出てるか」
「総数は」
「三十一名が出入りしてた。全員が戦闘要員じゃないとは思うが——」
「何人が武装してると思う」
エリックはタブレットのドローン映像を見た。
倉庫の外に今は歩哨が一名いる。内部に最低五名。
「実行部隊の八名は確実に武装してる。後方の支援要員にも一部は持たせてるはずだ。推定で十名から十二名が戦闘可能な状態だと思う」
「俺たちって六人だよな」
「ああ」
エリックは窓の外を見た。
「でも奇襲だ。奇襲は数の差を覆す。彼らが準備できていない状態で、こちらが完全に準備できた状態で入る。それが全てだ」
マルクスは頷いた。
「そうだな」
二人の間に、少し間があった。
「チョコレートはあるか」
マルクスが言った。
「……また食べるのか」
「作業の後は血糖値が下がる。医学的に必要だ」
「ジュリアみたいなことを言う」
「ジュリアは正しい」
エリックはグローブボックスを開けた。
板チョコが一枚入っていた。
「サラから預かってきたやつだ」
「なぜサラの分が俺たちの車に」
「ジュリアが入れておいたんだと思う」
マルクスはチョコレートを受け取って、半分に割った。
半分をエリックに渡した。
「ありがとう」
「どういたしまして」
二人はチョコレートを食べた。
窓の外で、工業地帯の昼が続いている。
午後一時。
ハイエースは動かなかった。
昼食も車内でとった。コンビニのおにぎりだ。マルクスは三個食べた。エリックは二個と、サンドイッチを一つ。
食べながら、二人は倉庫を観察し続けた。
午後一時十五分、シャッターが開いた。
車両が一台出てきた。白のトランスポーター——サラがトラッカーを仕込んだ車だ。
エリックがスマートフォンでトラッカーのアプリを開いた。
「動いた」
「どこへ」
「まだわからない。追跡開始する」
トランスポーターは工業地帯を北に向かった。
アプリ上の点が動いている。
「環七に入った。北方向」
「買い出しか、人員の移動か」
「しばらく見る」
二人は画面を見ながら待った。
トランスポーターは二十分後、足立区内のホームセンターの駐車場で止まった。
「ホームセンター」
「資材の購入かもしれない」
「拉致に使う道具か」
「可能性がある」
エリックはサラにメッセージを送った。
「トランスポーター、足立のホームセンターに入りました。購入品の確認、可能ですか」
すぐに返信が来た。
「近くに防犯カメラがあります。確認します」
五分後、サラから映像が送られてきた。
ホームセンター内の防犯カメラ映像。
東南アジア系の男性二名が、カートに商品を積んでいる。
ロープ。
結束バンド。
防音材のような素材。
目隠しに使えそうなサイズの布。
エリックは映像を見た。
マルクスも見た。
「拉致の準備だ」
マルクスが静かに言った。
「実行日が近い」
「明日か、あるいは今日中かもしれない」
エリックはヴィクターに電話をかけた。
「ヴィクター、確認してほしいことがあります」
「何ですか」
「Ouroborosの車両が拉致用の資材を購入しています。実行が早まる可能性があります」
電話の向こうで、少しの間があった。
「わかりました。河野さんに通信監視を強化するよう伝えます。鮎川さんを今夜、狙撃陣地に入れます」
「了解です」
「エリック」
「はい」
「3Dマッピングの完成を急いでください。明日の朝ではなく、今夜中に全員に共有します」
「了解しました。今夜中に出します」
電話が切れた。
エリックはマルクスを見た。
「急ごう」
「ああ」
ハイエースのエンジンがかかった。
午後四時。
TGSアドバイザリー四階。
エリックはラップトップに向かっていた。
3Dマッピングのソフトウェアを使って、倉庫の内部構造を再現している。
ベースはサラのドローン映像。そこに建築確認申請書から読み取った内部のレイアウトを重ねる。
壁の位置、柱の間隔、出入り口の数と位置。
全部を組み合わせると、倉庫の中がおおよそ見えてくる。
一階は広い吹き抜け空間だ。資材の保管に使われていたはずの区画を、間仕切りで分けている可能性がある。
二階は事務所スペースがあったはずだが、今は何に使っているか。クルスが二階から逃走を試みると想定するなら、二階に逃げ道を準備している可能性がある。
エリックは図面に赤いマーカーで印をつけた。
突入チームの進入ルート。遮蔽を使える柱の位置。敵が立てこもりやすいコーナー。
マルクスが隣に来た。
「見ていいか」
「どうぞ」
マルクスが図面を見た。
しばらく無言で見てから、一点を指した。
「ここ、柱が二本ある。突入直後、この柱の陰に人間が入れる」
「死角になる」
「スタングレネードを投入する前に、この位置への制圧が必要だ」
エリックは図面に印を追加した。
「ブリーチング後の動線を変える。最初の一人がこの柱の制圧に入る」
「誰が入る」
「俺が入る」
「了解。二番手は俺が行く」
エリックとマルクスは、動線を一つずつ確認した。
どの順番で、誰がどこを制圧するか。
動きに穴がないか。
誰かが孤立しないか。
これを、ルーム・クリアリング《※13》という。
※13【ルーム・クリアリング(Room Clearing)】屋内の各部屋や区画を順番に制圧していく戦術。特殊部隊の基本技術のひとつ。誰がどの順番でどこを制圧するかを事前に決めておくことで、チームの動きの重複と死角を防ぐ。
「二階へのアクセスは」
「内部に階段があるはずだ。図面では北東の角。ただし現地確認はできていない」
「鮎川に二階の外部を抑えてもらう」
「クルスが二階から逃げようとしたとき、外に出るには非常口を使うしかない。そこを鮎川が見てる」
「完璧じゃないが、機能する」
エリックは図面を保存した。
外が暗くなり始めていた。
「マルクス、夕食は何にする」
「カレーがいい」
「コンビニにカレーはあったか」
「レトルトならある」
「それでいいか」
「ああ。でも米は炊く」
「炊飯器はあるか」
「給湯室にある」
エリックは少し考えた。
「……誰が持ち込んだんだ」
「ジュリアだ。以前から」
「ジュリアは食への準備が完璧だな」
「戦場の衛生兵は食事の重要性を理解してる」
エリックは頷いた。
「カレーにしよう」
夜、TGSアドバイザリー四階。
チーム全員が揃っていた。
エリックが3Dマッピングの図面をモニターに映した。
倉庫の内部構造。進入ルート。制圧の動線。鮎川の狙撃ポジション。
「現時点での計画です。変更が出る可能性があります」
六人が画面を見た。
ヴィクターが言った。
「実行は明後日以降を想定していましたが、今日の資材購入を見ると、明日の可能性があります。全員、いつでも動ける準備をしておいてください」
「装備の確認は済んでいます」とジュリアが言った。「医療キットも問題ありません」
「鮎川さん」
「はい」
「今夜、廃ビルの屋上に入れますか」
「入れます」
「確認だけです。長居しないでください」
「わかりました」
鮎川は立ち上がった。
装備を確認して、無言で部屋を出た。
サラが言った。
「通信監視を強化します。深夜も続けます」
「無理しないでください」
「大丈夫です。チョコレートがあります」
エリックがマルクスを見た。
マルクスは何も言わなかった。
ヴィクターが全員を見た。
「明日の朝、六時に集合します。その時点での情報で計画を最終確定します。今夜は休んでください」
全員が頷いた。
「以上です」
会議が終わった。
エリックは図面を閉じながら、マルクスに言った。
「カレー、うまかったな」
「ああ」
「米は大事だな」
「ジュリアが正しい」
窓の外に東京の夜が広がっている。
どこかで、柊凛と柊華が眠ろうとしている。
何も知らないまま。
次回、第七話「THE NIGHT BEFORE」――鮎川翔、夜を待つ。




