「柊家、満員につき」Part 1 三人だけの午後
福永颯からLINEが来たのは、木曜の夜の十一時だった。
「遼ちゃん久しぶり〜! 来週土曜、家行っていい? 酒持ってく」
遼はスマホを一秒見て、返した。
「いいけど」
「やった! 壮介も来たがってたから一緒に行くわ!」
「いいけど」
「凛ちゃんと華ちゃんもいる?」
「土曜は二人とも撮影らしい。夕方には帰ると思うけど」
「じゃあ最初は三人か!! それはそれでいいじゃん!! 来週ね!!!」
感嘆符が三個ある。遼はスマホを置いて、作業に戻った。
土曜日の午後一時。
インターフォンが鳴った。
リビングで基板を広げていた遼がリモコンでドアを開ける。しばらくして玄関が開く音。
「遼ちゃ〜〜〜ん!!!!」
玄関が爆発した。
ブラウンに染めた髪をきれいにセットして、明らかにトレンドを追い切った格好をした男が立っている。片手に緑色のボトル。黒いラベル。背が高く、顔立ちが整っている。笑顔がやたらと人懐っこい。どこをどう見てもチャラい。実はこう見えて東大理Ⅲである。
「久しぶり」
「久しぶりじゃないよ!! めちゃくちゃ久しぶりだよ!! あ、これドンペリ。せっかくだから持ってきた!!」
遼がボトルを受け取って、ラベルを一秒見る。
「ドンペリ」
「そう!! 久しぶりだから!!」
「三ヶ月くらいか」
「三ヶ月でも久しぶりでしょ!! てかドンペリにそこはツッコまないの!!」
「うまいと聞いたことがある」
「それだけ!!」
颯が靴を脱ぎながらリビングを覗く。
「壮介まだ来てないの?」
「来ていない」
「遅い!! LINEしてみよ!!」
颯がスマホを取り出してLINEを送った。三秒で返信が来た。
「なんて言ってる」と遼。
「『今エレベーター前』って」
「早い」
「遅いって送ったのに早かった!!」
上野壮介は、玄関を入るなり部屋を見渡した。
颯とは対照的に、地味な服装。眼鏡をかけていて、声が低く落ち着いている。感情の起伏が表に出ない。話し始めるまでが遅いが、話し始めると精度が高い。ラジオ業界では「投稿の神」と呼ばれているが、見た目からはまず分からない。早稲田政経には普通に見える。
視線が素早い。間取りと人数を一秒で把握する。
「どうも。お邪魔します」
手提げ袋を遼に渡す。
「これ、持ってきた」
「何が入ってる」
「ナッツとチーズ系と、チョコレート。あと小さいやつが何種類か」
「凛と華の分も入ってるか」
「入ってる。夕方帰ってくると聞いたので」
颯が「俺の好きそうなやつは?」と聞く。壮介が「お前は何でも食うから必要ない」と返す。颯が「それはそうだけど!!」と言う。
「変わってないな二人とも」と遼。
「遼ちゃんに言われたくない!!」と颯。
「そうか?」
「そうだよ!!」
三人でリビングに座った。
床にあぐらをかく颯、背筋を伸ばして座る壮介、テーブルの端で基板を再開しようとしている遼。
「遼ちゃん作業するの?!」と颯。
「始めたとこなので」
「来客中でしょ!!」
「来客と作業は別だ」
「別じゃないよ!!」
壮介が「颯、遼に言っても無駄だ」と言う。颯が「でも!!」と言う。壮介が「中学から変わっていない」と言う。颯が「変わってほしかった!!」と言う。
遼はピンセットを持ったまま「ビールでも飲むか」と言った。
「飲む!!!」
「飲みます」
冷蔵庫から缶ビールが三本出てきた。ドンペリは「冷やした方がうまい」と壮介が言って冷蔵庫に入れた。颯が「それは正しい!!」と言った。遼が「そうか」と言った。
ビールを開けて、しばらくした頃。
颯が急に静かになった。
壮介が気づいて「どうした」と言う。
颯がスマホを見ながら「ちょっと待って」と言う。
「何を見てる」と遼。
「犬の動画……」
「犬の動画」
「保護犬が里親に引き取られる瞬間の……」
颯の目が赤くなっていく。
「なんで今それを見てるんだ」と壮介。
「流れてきたんだよ!! でも、これは……これは泣いていい案件だよ……!!」
「泣いていい案件という判断が早い」
「いや、見てよこれ!! この犬!! この顔!!!」
スマホを二人に向ける。画面の中の犬は、確かにいい顔をしている。
「……かわいいとは思う」と遼。
「でしょ!! だから泣いていい!!」
「かわいいから泣くという論理が分からない」
「分からなくていい!! 感じろ!!」
颯が目をぬぐいながらビールを飲む。壮介が「お前、本当に変わってないな」と言う。颯が「泣くのは変わらないよ!! 俺の特技だから!!」と言う。
「特技という認識だったのか」と遼。
「特技だよ!! 感動できるって才能じゃん!!」
「そうか」
「そうだよ!! 遼ちゃんも泣いたことあるでしょ!!」
「あまりない」
「なんで!!」
「泣く前に原因を考えてしまう」
颯が少し止まった。
「……それは、損してると思う」
「そうか?」
「そうだよ。感動って考えてたら消えるじゃん」
遼はピンセットを置いて、少し考えた。
「……消えるかもしれないな」
「でしょ!!」
「ただ、考える前に消えるのも困る」
「何が困るの」
「原因が分からないと対処できない」
颯がまた目を拭いた。涙なのか笑いなのか、もう分からない。
「遼ちゃんって、昔からそうだったよね」
「そうか?」
「小学校のとき、俺が転んで泣いてたら、遼ちゃんが『どこで転んだか確認した方がいい、また転ぶから』って言ってきた」
「合理的だろ」
「慰めてほしかった!!!」
壮介が「俺もそれ覚えてる」と言う。颯が「でしょ!!」と言う。遼が「慰めと原因究明は同時にできる」と言う。颯が「どっちかにしてほしかった!!」と言う。
ビールが一本空いた頃。
壮介がナッツをつまみながら言った。
「遼、今フリーランスだろ」
「そう」
「困ってないか」
「困っていない」
「そうか」
颯が「壮介、それ聞いてどうするの」と言う。
「確認しただけだ」
「何社かオファーが来てるって、業界で漏れてくる話があって」
颯が遼を見る。
「え、マジで?」
「……壮介、どこで聞いた」
「ラジオ経由のコネクションで入ってくることがある。詳しくは言えないが」
遼が少し止まった。それ以上は聞かなかった。
颯が「すごいじゃん遼ちゃん……!!」と言う。
「普通だろ」
「普通じゃないよ!!」
「颯にはそう見えるかもしれないけど」
「見えるよ!! てかなんで自分がすごいって思わないの!!」
「すごいかどうかの基準が分からない」
「俺が言ったらすごいんだよ!!」
「颯の基準は犬の動画で泣くやつなので信頼性が低い」
「それは関係ない!!!」
壮介が「颯、声がデカい」と言う。颯が「防音って言ってたから!!」と言う。遼が「それは隣への漏れの話で、室内がうるさくなっていいわけではない」と言う。颯が「ごめん!!」と言う。
三人が少し静かになった。
東京の昼の光がリビングに入ってくる。遼が基板に戻る。颯がスマホで別の動画を探す。壮介がナッツをもう一粒つまむ。
「なんか」と颯が言う。
「何だ」
「こういう時間、久しぶりだな〜と思って」
「そうだな」と壮介。
「遼ちゃんちでこうやってぼーっとするの、中学ぶりじゃん」
「そうか」と遼。
「そうかって!! もうちょっとあるでしょ!!」
「……まあ、悪くない」
颯がにっこりした。
「それ、遼ちゃんにしてはめちゃくちゃ言ってるよ」
「そうか?」
「そうだよ。壮介、今の聞いた?」
「聞いた」と壮介。「記録した」
「記録するな」と遼。
「ラジオのコーナーに使えるかもしれない」
「使うな」
「使わないが、記録はする」
「どういう区別だ」
「記録は俺のためで、使用はリスナーのため。今は俺のために記録した」
「理屈めんどくさっ!! 壮介ってほんと変わってないよね」
「変わる必要がなかった」
「遼ちゃんと同じこと言った!!」
「そうか」と壮介。
「二人とも変わってないんだよ!!」
遼はピンセットを動かしながら「颯も変わっていない」と言った。
「俺は変わったよ!!」
「どこが」
「……チャラくなった」
「中学からチャラかっただろ」
「もっとチャラくなった!!」
「成長の方向がそれか」
「そうだよ!!」
壮介が「颯、それは成長とは言わない」と言う。颯が「成長だよ!! チャラさを磨いてきたんだよ!!」と言う。遼が「磨く、か」と言う。颯が「そう!!」と言う。遼が「……まあ、颯らしいな」と言う。
颯が少し止まった。
「今、遼ちゃんが『颯らしい』って言った」
「言った」
「普通に言った」
「普通に言った」
「壮介!! 聞いた!!?」
「聞いた」
「記録した?!」
「した」
「よかった!! 遼ちゃんが俺らしいって言うの初めてじゃない?!」
「……そうかもしれない」と遼。
「そうかもしれない!!!」
颯の目がまた少し光る。
「なんで泣きそうになってるんだ」と壮介。
「嬉しいから!!」
「犬の動画より感動してる」
「してる!! 遼ちゃんに颯らしいって言われた方が嬉しいよ!!!」
颯の缶ビールはすでに三本目に入っていた。土曜の昼から完全に出来上がっている。
「颯、飲みすぎじゃないか」と遼。
「飲みすぎてない!! これが俺の適量!!」
「昼の一時から始めて、今三時だ」
「二時間で適量に達しただけ!!」
「早くないか」
「早くない!! 俺はこういう人間だから!!」
壮介が「だから泣きやすくなってるんだろ」と言う。颯が「関係ない!! 素面でも泣く!!」と言う。壮介が「それは知ってる」と言う。
遼は基板のネジを一本締めた。
颯はもう笑いながら泣いていて、壮介は静かに缶ビールを飲んでいて、リビングに午後の光が伸びている。
まあ、悪くない。
そう思った。




