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姉と妹が国民的女優ですが、俺は機械をいじっていたい  作者: よんまるよん
第二部「世界が広がっている」

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SILENT AEGIS ──TechVision特殊部隊、東京作戦記録──番外「UNKNOWN ASSET」 ――謎の監視対象・柊遼――

 六月の、午後二時四十分。


 TechVision Security Division東京支局が、柊家三兄妹の監視を開始して三週間が経っていた。


 担当は専任の監視チームだ。ECHOとは別の人間たちで、TSDの中でも「ソフト部門」と呼ばれる。銃は携帯しない。カメラと通信機器を持ち、対象者の行動パターンを記録する。いわゆる人的情報収集——HUMINT《※1》の実働部隊だ。


 ※1【HUMINT(Human Intelligence)】人的情報収集。盗聴器や衛星ではなく、実際に人間が現地に出向いて収集する情報活動。監視、尾行、聴取などを含む。


 チームリーダーはたちばなけいいち、三十七歳。元公安調査庁。


 今日の日報を書きながら、橘は少し頭を抱えていた。


   


 三兄妹の監視は、想定よりずっと楽だった。


 柊凛ひいらぎりん。二十四歳。女優。

 行動パターンが明確だ。現場、事務所、自宅の三点の往復。移動は事務所の車。外出時は必ずマネージャーが同伴する。記録は取りやすい。


 柊華ひいらぎはな。二十歳。女優。

 姉とほぼ同じパターン。少し行動範囲が広く、友人との食事や買い物が週に数回ある。特段の問題はない。


 監視の理由は明快だ。国民的女優の二人がTechVisionの関係者となった以上、Ouroborosの標的になる可能性がある。それを事前に察知するための監視だ。


 問題は——三人目だった。


 柊遼ひいらぎりょう。二十二歳。


 橘はレポートの「職業」欄を見るたびに困惑する。


 「フリーランス・技術者(詳細不明)」


 三週間、監視して、それしか書けていない。


   


 橘は今日の監視記録を開いた。


 午前九時十二分——自宅マンションから外出。

 行き先:不明(近隣のコンビニ)。

 購入品:おにぎり二個、ソルティライチ、単三電池。

 帰宅:午前九時二十七分。


 午後〇時三十分——外出。

 行き先:近隣の電子部品販売店。

 購入品:コンデンサ、抵抗器、マイクロコントローラ(型番:STM32F446RE)《※2》。

 帰宅:午後一時五分。


 ※2【STM32F446RE】STマイクロエレクトロニクス社製の32ビットマイクロコントローラ。高速処理と低消費電力を両立した汎用ICで、ロボット制御からドローンの姿勢制御まで幅広く使われる。専門家が選ぶとすれば、高度な制御システム開発を行っていることを示唆する。


 午後二時十分——外出。

 同行者:女性一名(資料あり)。

 行き先:近隣の公園。

 滞在時間:約三十分。

 帰宅:午後二時五十分。


 橘はここで一旦ペンを止めた。


 「同行者」欄に書いた女性は、桜井詩織さくらいしおりという幼なじみだということは分かっている。問題はそこではない。


 問題は、部下から届いた一言だ。


「橘さん、監視対象と同行者がどちらが監視対象かわからなくなってきました」


 橘は頭を抱えた。


 桜井詩織は出版社に勤める普通の女性だ。問題はない。

 ただ——見た目の印象が逆転している。


 対象(柊遼):ぼーっとしている。歩いていても視線が定まっていない。時々立ち止まって宙を見ている。なんとなく幸せそうな顔をしている。完全に無害な人間に見える。


 同行者(桜井詩織):背筋が伸びている。周囲をよく見ている。目が澄んでいる。立ち居振る舞いが整っている。どう見ても、こちらが監視対象だ。


 なんとも落ち着かない監視だった。


   


 柊遼の謎は、一週間目から始まっていた。


 何をしているかわからない。


 部屋にずっといる。モニターの光がカーテンから漏れているので、パソコンを使っているのは分かる。何のプログラムを書いているのかは、外からは分からない。


 外出は週に四〜五回。行き先は電子部品の店か、コンビニか、近隣の公園か。

 誰かと会うときは、女性と歩いていることが多い。


 最初の週、部下の山田やまだが言った。


「橘さん、あの女性の方が要監視人物じゃないですか。柊遼、どう見てもただの人ですよ」


「監視対象はあくまで柊家三人だ」


「でも柊遼って、何かしてますか。ぼーっと歩いて、部品買って、帰るだけで」


「仕事をしているはずだ」


「何の仕事ですか」


「……フリーランスの技術者だ」


「何を作ってるんですか」


「……不明だ」


 沈黙があった。


「橘さん、本当に要監視人物ですか」


「上の指示だ。黙って監視しろ」


   


 二週目に、少しだけ謎が解けた。


 部下の田沼たぬまが、電子部品の購入リストを専門家に見せた。TSDの技術アドバイザー、元メーカーのエンジニアだ。


 返ってきた回答が、こうだった。


「これ、本格的な制御システムを作ってる人の買い物リストですね。マイクロコントローラの型番からすると、リアルタイム制御に使うやつです。あとこの通信モジュールの組み合わせ、遅延を極限まで削ろうとしてる人間が選ぶ部品ですよ。どんな物を作ってるんですか」


「わかりません」


「え、わからないんですか。これを個人で買ってる人、なかなかいませんよ」


 田沼は報告書にそれを書いた。

 橘は読んで、頭を抱えた。


 TechVisionが「個人的に重要な関係者」と位置づけるくらいだ、普通の人間ではないのだろう。でも——普通すぎる日常を送っている。


 謎だった。


   


 そして今日、事態が少し動いた。


 午後二時四十分。


 橘のイヤホンに、部下の山田から通信が入った。


「橘さん、柊遼が外出しました。今日は一人です」


「追え。距離を保って」


「了解」


 橘は手元のタブレットを見た。

 山田が取り付けた小型カメラの映像が流れている。


 柊遼は、いつものようにぼんやりとした顔で歩いていた。

 手ぶら。財布と鍵だけポケットに入れているらしい。


 五分後、山田から報告。


「橘さん、渋谷の交差点に向かっています」


「前に誰かいるか」


「……あ、なんか人が集まってます。若い人たちです。プラカードを持ってる人もいます」


 橘は少し身を乗り出した。


「何の集まりだ」


「見てみます……政治的な活動みたいです。若者グループ。「日本の未来を語る会」みたいな名前の看板があります」


   


 その「日本の未来を語る会」とやらは、つじ孝太郎こうたろうという二十五歳の青年が中心になった、政治を志す若者グループだった。


 今日はハンドマイクを持って、通行人に訴えていた。


「日本はもっと世界に向けて発信できるはずです。我々の技術、我々の文化、我々の可能性を、もっと積極的に世界にアピールすべきです」


 聴衆は十数名。関心を持って立ち止まる人もいれば、素通りする人もいる。


 そこに——二人の男が近づいてきた。


 橘は画面を見た。


 三十代と思しき男性二人。スーツを着ているが、明らかに雰囲気が違う。挑発的な歩き方だ。


「橘さん」山田の声。「あの二人、なんか感じが悪いです。絡みに来てる感じです」


「監視しろ。介入はするな」


「了解」


 男たちは辻のグループの前に立った。


 一人が口を開いた。


「日本が世界にアピール?笑わせるな」


 辻が顔を向けた。


「あ、えっと——」


「日本の技術は世界から遅れてる。科学も、産業も、もう終わりだ。世界に対抗できるものなんか何もないだろ。どうなんだ」


 もう一人が続けた。


「そうだ。防衛だって世界に劣ってるじゃないか。攻められたら侵略されるだけだろ。そんな国が世界に何をアピールするんだ。みっともない」


 辻たちは押され気味だった。

 メンバーが顔を見合わせている。


「それは……でも、日本には」


「何があるんだ。言ってみろ」


 辻が言葉に詰まった。


 そのとき——


 橘のタブレットに映っている映像の中で、一人の男が二人組に近づいた。


 柊遼だった。


 橘は思わず姿勢を正した。


「山田、何が起きている」


「柊遼が……近づいてます。あの口論に割って入ろうとしてるみたいです」


「介入するなよ」


「俺たちが、ですか」


「柊遼が、だ」


「……もう入ってます」


   


 橘は画面に集中した。


 山田が使っているのは指向性マイク《※3》だ。離れた場所からでも、狙った方向の音を収音できる。


 ※3【指向性マイク(Directional Microphone)】特定の方向からの音を選択的に収音するマイク。監視活動や報道取材に使われる。ガンマイクとも呼ばれ、数十メートル離れた場所からでも会話を拾える製品もある。


 音声が入ってきた。


 男の一人が、柊遼を見た。


「何だ、お前も文句があるのか」


 柊遼は特に表情を変えなかった。


「文句じゃないですけど、さっきの話、事実と違う部分が多いので」


「何が違う」


「日本の技術が世界から遅れてる、という部分です」


 男が鼻で笑った。


「遅れてないとでも言うのか。半導体はどうした。AIはどうだ。アメリカや中国に全部負けてるじゃないか」


 柊遼は少し考えてから口を開いた。


「半導体の設計技術と製造技術は別物です。製造の一部の工程で遅れてる部分はある。でも、半導体製造装置という分野では、日本企業のシェアは圧倒的です」


「そんな細かい話をしてどうする」


「細かくないです。半導体を作るための機械がないと、どの国も半導体を作れない。オランダのASMLと日本の東京エレクトロン、信越化学、JSRあたりがいなくなったら、世界の半導体産業は止まります。シリコンウェーハの世界シェアは日本が六割超えてます。フォトレジスト《※4》の上位は全部日本企業です」


 ※4【フォトレジスト(Photoresist)】半導体の回路パターンを基板に焼き付けるための感光性化学材料。EUV(極紫外線)フォトレジストでは、JSR、信越化学、東京応化工業などの日本企業が世界市場の大半を占める。次世代半導体の製造に不可欠な素材。


 男が少し黙った。


 もう一人が口を開いた。


「でも防衛は。攻められたら日本はひとたまりもないだろ。自衛隊なんか、本当に戦えるのか」


 柊遼は空を少し見た。


 橘は思った。また考えてる顔だ。


「防衛の話をするなら、まず潜水艦の話をした方がわかりやすいと思います」


「潜水艦?」


「海上自衛隊のたいげい型潜水艦《※5》は、通常動力型——つまり原子力を使わない潜水艦の中で、静粛性と探知能力が世界一と評価されています」


 ※5【たいげい型潜水艦】海上自衛隊の最新型ディーゼル電気推進潜水艦。GSユアサ製のリチウムイオン蓄電池を搭載し、通常動力型潜水艦として世界初の本格採用。充電速度が従来の鉛蓄電池の3倍以上で、潜航持続時間が大幅に延長された。


「静粛性って何が関係あるんだ」


「潜水艦は音を出したら見つかって終わりです。音を出さないで動き続けられるかどうかが全てです。たいげい型はリチウムイオン蓄電池を世界で初めて本格搭載した潜水艦で、従来の鉛蓄電池より充電速度が三倍以上速い。つまり浮上して音を出す時間が短くて済む。その間も光ファイバーを使った新型ソナーシステムで探知能力を高めています」


「ソナー?」


「水中で音を使って相手を探す装置です。たいげい型のソナーは艦首、艦側面、曳航型の三系統を統合処理するシステムを持っています。相手の潜水艦が出す音——スクリューの回転音から冷却水の流れる音まで——を拾って、AIが自動で解析して脅威判定をする。海上自衛隊のソナー技術はNECが九十年以上開発を続けていて、潜水艦の乗員の酸素ボンベの呼吸音まで識別できるレベルに達しています」


 男が少し黙った。


 柊遼は続けた。


「護衛艦の話をすると、もがみ型FFM《※6》というのがあります。フリゲートとしては世界最高水準のステルス設計で、複合通信空中線NORA-50——通称ユニコーン——という統合マストを搭載しています。従来はやぐら型に乱雑に並んでいた無数のアンテナやレーダーを全部一本のマストに統合した。これだけでも電磁波の放射特性が改善されてレーダー反射面積が下がる。オーストラリアが輸出の共同開発を決めたくらいです」


 ※6【もがみ型FFM(多機能フリゲート)】2022年に就役した海上自衛隊の最新型護衛艦。排水量約3,900トン。従来の護衛艦の半分程度の乗員で運用できる高度な自動化と、機雷戦・対潜戦・対水上戦・対空戦の全域に対応できる多機能性が特徴。


 辻のグループが、静かになっていた。

 聴衆も少し増えている。


 男が口を挟んだ。


「でも、結局アメリカのトマホークを買ってるじゃないか。国産でできないから外国から買うんだろ」


 柊遼は少し首を傾げた。


「トマホークは遠距離の反撃能力として整備中です。でも国産のスタンド・オフ《※7》ミサイルも並行して開発しています。12式地対艦誘導弾の能力向上型は射程1500キロで、2025年度に配備が始まっています。島嶼防衛用高速滑空弾は、音速の数倍で滑空して目標を狙う兵器で2026年度から配備予定です。極超音速誘導弾は2030年代の実用化を目指している。全部国産です」


 ※7【スタンド・オフ(Stand-off)攻撃能力】敵の防衛圏外の遠距離から攻撃できる能力。相手のミサイル射程の外から攻撃するため、自軍が危険に晒されにくい。「反撃能力」とも呼ばれる。


 男が言いよどんだ。


「……陸はどうだ。10式戦車《※8》なんか、本当に使えるのか」


 ※8【10式戦車】2010年に制式採用された陸上自衛隊の主力戦車。重量約44トンで、西側主要国の戦車(エイブラムス63トン、レオパルト2 62トン)より大幅に軽量。制御システムに独自の火力制御コンピュータを搭載し、動対動射撃——走りながら動く目標を撃つ——の命中率で世界トップクラスを誇る。


「10式戦車は、走りながら動く目標を撃つ、動対動射撃の命中率が世界トップクラスです。重量は44トンで、西側の主力戦車がだいたい60トン超えてくるのに対してずいぶん軽い。軽くても防護力が高いのは、複合装甲の素材と設計が違うからです。しかも日本の地形、特に北海道のような軟弱地盤や本州の橋梁を通れる重量に抑えてある。装備を使う地形を考えて最適化してある、ということです」


 男二人が顔を見合わせた。


 柊遼は特に熱が入っているわけでもなく、淡々と話し続けた。


「技術の話に戻ると——日本の素材技術は防衛の基盤になっています。炭素繊維はF-35の機体に使われていて、東レが世界シェアの約三割を握っています。特殊鋼は艦艇の装甲に使われていて、この分野も日本のメーカーが強い。光学系——レンズとか赤外線センサーとか——はキヤノンやソニーのイメージセンサーが世界中の軍事用ドローンや監視システムに入っています。表に出ないだけで、世界の防衛インフラの相当部分を日本の部品と素材が支えています」


 男の一人が、小さく言った。


「……知らなかった」


 柊遼は少し間を置いてから言った。


「知られてないことが多いんですよね、日本の技術って。地味な分野が多いので」


   


 橘は、気がつくと身を乗り出してタブレットを見ていた。


 隣の田沼が、静かに言った。


「橘さん、すごい話してますね」


「……ああ」


「専門家が聞いても整合性のある話ですよ。部品の話とか、シェアの数字とか」


「……そうだな」


 田沼がもう一言加えた。


「あの、橘さん」


「何だ」


「要監視人物って、こっちが監視されてる気分になりませんか」


「……黙って映像を撮れ」


   


 交差点では、男二人が完全に言葉を失っていた。


 辻孝太郎が、柊遼に近づいた。


「あの——ありがとうございました。よかったら、我々の活動に——」


「いえ、普通のことを言っただけなので」


 柊遼はそう言って、もう踵を返していた。


 辻が声をかけようとして、柊遼はもうぼんやりした顔で歩き出していた。


 男二人はしばらく立っていたが、やがて何も言わずに立ち去った。


 辻のグループが握手を求め合っていた。

 ハンドマイクを持った辻が、再び声を張り上げていた。


「今の話を聞いて、日本の可能性を改めて感じました。私たちはまだまだやれる——」


 聴衆が増えていた。


   


 橘は通信を入れた。


「山田、対象者の現在位置は」


「帰宅方向に向かっています。また近くのコンビニに入りました」


「何を買った」


「……肉まんとポカリスエットです」


 橘はタブレットを閉じた。


 田沼が言った。


「橘さん、今日の報告書の職業欄、何て書きますか」


 橘は少し考えた。


 三週間、「詳細不明」と書き続けてきた欄だ。


「……「フリーランス・技術者(詳細不明)」のままにしておけ」


「でも今日の話を聞く限り——」


「上に上げる話じゃない」


「そうですか」


 沈黙。


 田沼がポツリと言った。


「橘さん、俺、今日監視してて初めて、自分が守ってる国のことを誇りに思いました」


 橘は何も言わなかった。


 山田から報告が来た。


「橘さん、対象者帰宅しました。部屋のカーテンに光が漏れています。作業再開したと思われます」


「了解」


 橘は報告書の最後の欄——「総評」——を開いた。


 少し考えてから、書いた。


「対象者・柊遼について。行動範囲は狭く、対外的な脅威は認められない。監視の優先度は低い。ただし——」


 橘はペンを止めた。


 もう一行書いた。


「この人物は、日本には必要だ」


 送信した。


 夕方の光が、窓から差し込んでいた。



※本話は SILENT AEGIS ──TechVision特殊部隊、東京作戦記録──の番外編です。本編の時系列とは独立しています。

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