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姉と妹が国民的女優ですが、俺は機械をいじっていたい  作者: よんまるよん
第一部「機械をいじっていたい、それだけなのに」

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第11話「好きだと気づく日」

 水曜日の午後。

 大学近くのカフェは、昼時の賑わいがようやく落ち着いていた。

 桜井詩織はアイスコーヒーを前に、文学部の課題レポートをノートに書き込んでいた。

 読書サークルの発表がある。

 テーマは「近代文学における孤独の描写」だ。

 ペンを走らせながら、詩織はぼんやりと考えていた。

 孤独か。

 なんとなく、ある顔が浮かんだ。

 遼の横顔。

 いつも静かで、一人で機械と向き合っていて。

「……違うか」

 詩織は小さく首を振った。

 遼は孤独じゃない。

 ただ、機械といるのが好きなだけだ。

 本人はきっと、それで満足している。


「詩織ちゃん?」

 声がした。

 顔を上げると、入口のドアのそばに立っている女性がいた。

 柊凛。

 黒髪ロング、清楚な顔立ち。

 サングラスをかけて、シンプルなコートを羽織っている。

 いつもと同じように上品な、でも今日は少し疲れた顔をしていた。

「凛ちゃん!」

「奇遇だね。一人?」

「うん、課題やってた」

「隣いい?」

「もちろん」

 凛は向かいの席に座り、ブラックコーヒーを注文した。

 詩織はノートを閉じた。

 こんな機会はそうそうない。

 遼の姉と、二人でゆっくり話せる機会は。

「撮影の帰り?」

「そう。近くでロケがあってね。事務所まで戻るのが面倒で」

「お疲れ様です」

「ありがとう」

 凛はコーヒーを一口飲んで、少し肩の力を抜いた。

 カフェの中では、誰も凛に気づいていない。

 いつもこうだ、と詩織は思った。

 凛はさりげなく自分を消してしまう。


「遼、元気?」

 しばらくして、凛が聞いた。

「うん。卒論が大詰めみたいで、実験室にこもってることが多いけど」

「相変わらずだね」

 凛は苦笑した。

「先週、あの子に少し驚いたよ」

「どうして?」

「企業の人から、また連絡が来たんだって」

 詩織の手が止まった。

「企業?」

「うん。正式なオファーみたいで……教授から話が来たって。でも遼、断ったらしい」

「……またですか」

「また、って。詩織ちゃん、前にも知ってたの?」

「ちょっと聞いてたから」

 詩織は答えをごまかした。

 実際は、ずっと気になっていた。

 スカウトの話も、論文の話も、教授が驚いていた話も。

 遼はそういうことを、ほとんど話してくれない。

 幼なじみの自分にも。

「あの子って、本当に欲がないよね」

 凛は少し呆れたように言った。

「うん……」

「破格の条件だったって聞いた。普通、飛びつくのに」

「遼は機械が好きなだけで、お金も名声も興味ないから」

「詩織ちゃんは、よく分かってるんだね」

 凛は少し笑った。

「小学校から一緒だから」

「でも……最近、遼のこと改めて考えるんだよね」

 凛はコーヒーカップを両手で包む。

「音響の件も、データ復旧の件も……私たちが気づいてなかっただけで、すごい人なのかもって」

「……そうですね」

 詩織は静かに答えた。

 そうですね、じゃなくて。

 ずっと知ってたよ、と言いたかった。


 二人でしばらく他愛のない話をした。

 凛のドラマの話、華の映画の話。

 詩織も大学の話、読書サークルの話。

 会話は弾んだ。

 凛は家を出ると、どこか別の人間になる。

 礼儀正しく、落ち着いていて、相手の話をちゃんと聞いてくれる。

 でもたまに、素の顔がのぞく。

「遼、最近ちゃんとご飯食べてる?」

「食べてると思うけど……確認はしてないな」

「あの子、部品代のために食費削ったりするから」

「……え、今でも?」

「しそうじゃない?」

「しそう……」

 詩織は苦笑した。

「次に大学で会ったら確認してみます」

「よろしく。私も言うけど、詩織ちゃんが言う方が効く気がするんだよね」

「そうでしょうか」

「そうだよ。遼、詩織ちゃんの話はちゃんと聞くから」

 詩織は、少し胸が温かくなった。

 でも、すぐに落ち着かない気持ちが混じった。

 私の話を聞く、か。

 それって、ただの幼なじみとして、だよね。


 夕方、凛が店を出た。

「またね。遼のこと、よろしく」

「はい。凛ちゃんも撮影頑張ってください」

「ありがとう」

 凛はサングラスをかけ直して、雑踏に消えていった。

 詩織は一人になった。

 アイスコーヒーは、もう半分以上溶けていた。

 ノートを開く気になれない。

 ペンを持っても、文字が出てこない。

 頭の中にあるのは、凛の言葉だ。

「遼って、本当にすごい人なんだね」

 改めて、そう思った。

 企業が本気でオファーしてくる人。

 専門家が解決できないことをさらりとやってしまう人。

 教授が「天才だが変わり者」と言う人。

 それが、小学校からずっと隣にいた遼だ。

 いつも「普通だろ」って言って、全然気にしない。

 褒められても、「そうか」って一言で終わる。

 そういう人と、ずっと一緒にいた。


 詩織はカップを両手で持ち、窓の外を見た。

 夕暮れの街。

 大学生たちが歩いている。

 誰かと笑いながら歩いている人たちを見て、詩織は少し考えた。

 遼と歩くと、こんな顔しているんだろうか。

 自分は。

「……ああ」

 詩織は小さく息をついた。

 分かってた。

 とっくに分かってた。

 でも、なんとなく、確かめたくなかった。

 私は遼が好きだ。

 ずっと前から。

 中学の頃から、ずっと。

 ただ、それを「好き」という言葉に変えるのが怖かっただけだ。

 だって、遼は気づかない。

 何を言っても「そうか」で終わる。

 告白しても、たぶん、しばらくは意味が分からないと思う。

 それが分かっているから、言えなかった。


 詩織はスマホを取り出した。

 LINEのトーク画面を開く。

 遼との会話。

 最後のメッセージは昨日の昼。

「課題終わったか」

「終わったよ。遼は?」

「まだ」

「がんばれ」

「ああ」

 それで終わっている。

 詩織はメッセージを打ち始めた。

「今日、凛ちゃんに会ったよ。遼のこと、すごく信頼してた」

 打った。

 消した。

 また打った。

「企業のオファー、また断ったんだって? 遼らしい」

 打った。

 消した。

 また打った。

「……遼が好き」

 打った。

 長い間、画面を見つめた。

 親指が、送信ボタンの上で止まっている。

 送れない。

 当たり前だ。

 詩織はため息をついて、全部消した。

 そして、スマホをバッグにしまった。


 その夜、詩織の部屋。

 勉強机の前に座っている。

 レポートは全然進んでいない。

「孤独の描写、か」

 詩織は呟いた。

 片思いって、孤独に近いかもしれない。

 隣にいるのに、気持ちだけひとり離れていく感じ。

 好きだ、って分かったからって、何かが変わるわけじゃない。

 遼は明日も「普通だろ」って言うし、私は「もう、しょうがないな」ってツッコむ。

 それの何が変わるんだろう。

 でも。

 詩織はスマホをもう一度手に取った。

 LINEを開く。

 今度は、打ち込む前に少し迷った。

 それから、打った。

「最近ご飯ちゃんと食べてる?」

 送信。

 しばらくして、既読がついた。

「食ってる」

「本当に?」

「本当に」

「ちゃんと三食?」

「だいたい」

「だいたいって何!」

「うるさい」

 詩織は苦笑した。

 いつも通りだ。

 何も変わらない。

 でも、なんだか少し、ほっとした。


 遼との会話が途切れた後、詩織はスマホを伏せた。

 天井を見上げる。

 好きだ、って分かっても、何も変わらない。

 ちゃんと、分かってる。

 遼はたぶん、気づいてない。

 私のことを、ずっと「幼なじみ」として見てる。

 それでいい、と思う日もある。

 でも今日みたいに、なんだか落ち着かない日もある。

 凛ちゃんが「すごい人」って言った顔を思い出す。

 遼はきっと、もっと遠くに行く。

 企業のオファーを何度断っても、いつかは行く気がする。

 世界が遼を黙って見てるとは思えない。

 だから、早く気づいてほしい。

 私のことを。

 詩織は、もう一度スマホを見た。

 会話は「ああ」で終わっていた。

「……ばか」

 小さく呟いて、詩織はスマホを閉じた。

 レポートに向かう。

「近代文学における孤独の描写」

 ペンを走らせながら、詩織は思った。

 今夜、この課題がちょっとだけ分かる気がする。


 同じ頃、遼の部屋。

 遼は卒論の最終確認をしていた。

 スマホに目をやる。

 詩織から来たメッセージ。

「ちゃんと三食?」

 遼は少し首を傾げた。

 なんか今日、詩織、変だった気がする。

 いつもより、少し間が多かった。

 何かあったんだろうか。

 まあ、いいか。

 明日会ったら聞いてみよう。

 遼は再びパソコンに向かった。

 卒論の画面が光っている。

 スマホの画面は、暗くなっていた。


 その頃、遼の教授・田中の研究室。

 夜遅い時間。

 田中教授は一通のメールを読んでいた。

 TechVision Systemsからの正式な問い合わせ。

 差出人はロバート・チェンCTO。

Subject: Regarding Ryo Hiiragi

(件名:柊遼氏について)


Professor Tanaka,

(田中教授、)


We are very interested in Mr. Hiiragi's research.

(私どもは柊氏の研究に強い関心を持っております。)

We would like to arrange a formal meeting at your earliest convenience.

(ご都合のよい早い時期に、正式な面談の場を設けたく存じます。)


We believe this is an opportunity he should not miss.

(これは彼が逃してはならない機会だと確信しております。)


Robert Chen, CTO

TechVision Systems

 田中教授は眼鏡を外し、目頭を押さえた。

「……柊くん」

 小さく呟く。

 CTOが直接動いている。

 これはもう、インターンや推薦状の話ではない。

 本気だ。

 世界が、本気で柊遼を求めている。

 田中教授はメールに返信した。

 そして、立ち上がり、窓の外を見た。

 夜の大学。

 どこかの実験室に、まだ電気がついている。

「……明日、話し合いだな」

 田中教授は静かに呟いた。

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