第10.5話 柊家アーカイブ01「壊していいぞ」
柊遼が小学校二年生の秋。
玄関に段ボールが届いた。
差出人の欄に、父の名前があった。
母の由紀は段ボールを受け取りながら、ため息を一つついた。
「また海外から……」
宛名は「柊遼へ」とあった。
遼はその段ボールの前に、しばらくしゃがんで眺めていた。
「なに入ってると思う?」
隣で凛が聞いた。十歳の凛は、腕を組んでいた。
「わかんない」
「開けていいの?」
遼は裏面を見た。
英語で何か書いてあった。遼には読めなかった。でも一つだけ分かる単語があった。
「"OPEN"って書いてる」
「じゃあ開けていいんじゃない」
遼は段ボールのテープを丁寧に剥がした。
中に入っていたのは、緩衝材にくるまれた基板と、小さなモーターと、ネジが数十本入った小袋と、それからよく分からない部品が四つ五つ。
あとは薄い紙が一枚。
母の由紀が紙を手に取った。英語だった。少し読んで、静かな顔をした。
「……お父さんから」
「なんて書いてあるの?」
凛が聞いた。
「"届けたかったやつを見つけた。遼にやる"」
「それだけ?」
「それだけ」
由紀はため息をついた。が、それほど驚いた様子ではなかった。
遼は基板を手に取っていた。
緑色の平べったいそれは、細い線がいくつも走っていて、小さな黒い四角や銀色の点が無数についていた。
遼はそれをじっと見た。
「……何これ」
「知らない」
凛が即答した。
「お父さんが知ってるんじゃない?」
「お父さん、今どこにいるの?」
「タイだって」
「タイってどこ」
「遠い外国」
遼はまた基板を見た。
線の走り方が、なんとなく綺麗だと思った。
なぜかは分からなかった。ただ、見ていると飽きなかった。
夜、母が夕食を作っている間に、遼は自分の部屋でその基板を分解しようとした。
工具は父の古い道具箱から借りた。
普段は触らせてもらえなかったが、その日は母が台所で忙しかったので、こっそり持ってきた。
小さなドライバーを基板の端に当てて、ゆっくり押してみた。
何も起きなかった。
次に、ペンチで端の部品を掴んで引っ張ってみた。
ぷちっと音がして、黒い四角が取れた。
遼はそれを手のひらに乗せた。
もっと取れるかもしれない。
もっと引っ張ったら、今度は別の部品が外れた。はんだがくっついていた銀色のものが剥がれて、基板に傷ができた。
壊れた。
遼はそれを分かっていた。もとには戻らない。でも止まれなかった。
一時間後。
基板は原形をとどめていなかった。
部品が床に散らばっていた。
凛が部屋をのぞいて、固まった。
「……遼、それ」
「壊れた」
「どうするの」
「わかんない」
凛が青い顔で言った。
「お父さんが送ってきたやつでしょ。怒られるよ」
「……そうかも」
「絶対そうだよ」
遼は散らばった部品を集め始めた。
元に戻そうとしたが、どこから来たものか分からなくなっていた。
翌朝、母が部屋を見た。
由紀は少し目を細めた。
「遼、分解したの」
「うん」
「なんで」
「中がどうなってるか知りたかった」
由紀はしばらく黙っていた。
怒るかもしれないと思った。でも由紀は、ため息一つついて言った。
「そう」
それだけだった。
その日の夜、父からメールが来た。
由紀が遼に見せた。
英語だったが、由紀が訳してくれた。
「"基板、開けてみたか? 壊していいぞ。中を知りたければ、壊すのが一番早い"」
遼は、その一文を何度も読んだ。
壊していいぞ。
怒られなかった。
怒られないどころか、最初からそのつもりで送ってきたらしかった。
「お父さんって変だね」
凛が言った。
「変だね」
遼も言った。でも、どこか嬉しかった。
壊してもいい。
その言葉が、不思議と体の中に残った。
壊さないと分からないことがある。
壊すことを怖がる必要はない。
それが正しいかどうかは、まだ遼には分からなかった。
ただ。
また次の部品が届いたら、また分解しようと思った。
そして実際に、翌月もタイから段ボールが届いた。
今度はモーターが二つと、小さなプロペラと、電池ボックスだった。
紙には一言。
「"今度は動かせるか試してみろ"」
遼は台所の椅子を持ってきて、部屋の真ん中に置いて、そこに座った。
部品を並べた。
どう繋げるか考えた。
考えた。
ずっと考えた。
凛が「ご飯だよ」と呼びに来ても、「あとで」と言った。
華がまだ六歳で、「りょーちゃんなにしてるの?」と入ってきて邪魔をした。
それでも手が止まらなかった。
深夜、プロペラが回った。
音もなく、静かに、ゆっくりと。
遼はそれを見て、しばらく動かなかった。
自分が作ったものが、動いた。
電池の電気が、線を通って、モーターに届いて、羽が回った。
それだけのことだった。
でもその夜、遼は初めて、何かをずっと続けたいと思った。
それから十四年が経った。
柊遼は今日も、部屋で基板を眺めている。
机の上に並んだ部品は、あの頃より遥かに精密になった。
でも手の動き方は、あの秋と同じだった。
壊して、考えて、動かす。
それだけのことを、ずっとやってきた。
それだけのことが、今も楽しかった。




