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姉と妹が国民的女優ですが、俺は機械をいじっていたい  作者: よんまるよん
第二部「世界が広がっている」

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SILENT AEGIS ──TechVision特殊部隊、東京作戦記録──第一話「SIGNAL IN THE NOISE」

 いつも読んでくださりありがとうございます。


 今回は本編とは毛色のまったく違う番外編をお届けします。


 TechVisionと柊家の関係が世間に知られるようになったことで、その関係を利用しようとする裏の組織が動き出します。柊家を人質にTechVisionから金銭を引き出す——そういう計画です。


 ただし、これは柊凛や柊華の話ではありません。彼女たちはこの物語の最初から最後まで、何も知りません。


 描くのは、彼女たちの知らないところで動いた人間たちの話です。銃があります。作戦があります。夜があります。愛情の話ではありますが、恋愛の話ではありません。


 軍事・諜報系の専門用語が出てきますが、その都度注釈を入れますので、馴染みのない方も読み進めていただけると思います。


 深夜帯の配信となります。本編とは完全に独立した内容ですので、読まれなくても本筋には一切影響ありません。お時間のある方に、夜更かしのお供として。


 六月。

 午後十一時四分。


 みなとの、どこにでもある雑居ビルの九階。


 エントランスのロゴは「TSKコンサルティング」。

 書体は地味で、フォントサイズも小さく、わざと目立たないように設計されている。受付はない。案内板もない。来客を想定していない造りだ。廊下の突き当たり、南向きの部屋だけに、かすかな気配があった。

 二人分。


 室内は暗い。

 正確には、モニターの光だけがある。

 デスクを挟んで向かい合う六面の液晶——縦に三段重ねで配置されたその群れが、淡く青白い光を部屋に放っている。天井の蛍光灯は消えている。点けると外から光が漏れる。だからずっと、二人ともモニターの明かりだけの中で仕事をする。


 一人は立っていた。


 まこと、三十九歳。

 シャツはもともとクリームホワイトだったはずだが、洗いすぎて色の判断がつかない。くたびれた生地が、蛍光灯の代わりに画面の光を吸っている。袖をひじのあたりまでまくりあげ、両腕を胸の前で組んで、ただ画面を見ている。

 体格は普通だ。線が細いと言えば細い。だが立ち姿に、訓練の名残がある——背筋がぶれない、という種類の。揺れない人間の立ち方だ。長く座っていても、長く立っていても、重心の位置が変わらない。

 コーヒーメーカーは部屋の隅に置いてある。ロバータのやつで、ロバートが「仕事場にはこれがいい」と持ち込んだものだ。河野のカップは一度も使われていない。胃が悪い。珈琲どころか緑茶でも荒れる。出張のたびに制酸剤を六錠飲む。それが習慣になって久しい。


 もう一人は座っていた。


 なつみお、二十七歳。

 黒縁のメガネ。ショートカット。指が長く、キーボードを叩く音が少ない——必要なキーしか押さないからだ。動作に無駄がない。ウィンドウの切り替え、スクロール、検索の入力、どれも最短ルートで動く。見ていると、指がコードを書いているのか思考をトレースしているのか、区別がつかなくなる。

 耳には小型のヘッドセット。片耳だけつけて、もう片耳はフリーにしている。通信音声を聞きながら、室内の音も拾う。どちらも取りこぼさないための、仕事を始めた最初の日から続けている習慣だ。


 二人の間に、会話はなかった。

 時刻だけが変わり続けた。


   


 十一時十七分。


「河野さん」


 夏目が言った。

 振り向かずに言った。視線はモニターから一ミリも外れていない。


「これ」


 指一本で画面の一点を示す。


 河野が夏目の背後に回り、同じ画面を覗いた。


 フラグが立っていた。

 通信解析システムが自動検知した異常パターン——暗号化された通信データの束の中に、統計的な「ノイズ《※1》の乱れ」が出ている。本来ならランダムに分布するはずのノイズが、一定の間隔で山を作っていた。自然発生ではない。何かが混ざっている。


 ※1【ノイズ】通信データにおける「雑音」のこと。本来ランダムであるべきノイズに周期的なパターンが検出された場合、人工的な情報の埋め込み——いわゆるステガノグラフィ技術の使用が疑われる。


「どこの回線」


荒川あらかわ区の中古車販売業者です。法人名は三光さんこうモータース。登記は三年前。資本金三百万、代表者は田所たどころという人間ですが——」


「実態は」


笠置かさぎ文雄ふみお名義の関連法人を一階層挟んでいます。先月、岸谷きしやが使った回線と同じキャリア。通信パターンも類似しています」


 河野が組んでいた腕を静かに解いた。


 画面の数字を追う。


 この仕事を四年続けてきた。前職のGSOC《※2》では八年。合計十二年、通信の海を泳いできた人間の目に、画面の数字は違って見える。データではなく、意図として読める。誰かが何かを隠そうとしている——その気配が、論理より先に身体に来る。首の後ろ、頸椎の少し上あたりに、微かな緊張が走る感覚。


 ※2【GSOC(内閣情報集約センター)】内閣官房直轄の情報集約機関。Cabinet Intelligence and Research Officeの略称も用いられる。警察・防衛・外務など複数の情報機関から情報を集め、官邸に集約・報告する役割を担う。河野はここで八年間、通信解析と情報評価を担当した。


 いま、その感覚が来ていた。


「コードトーク《※3》の可能性は」


「高いと思います」


 夏目がファイルを開いた。

 過去三ヶ月分の通信ログ。同じ送信元と受信先の組み合わせを時系列で抽出した一覧表が、縦に長く伸びている。


「取引の話をしている体裁なんですけど、頻度がおかしい。中古車屋の業者間連絡にしては回数が多すぎる。しかも送信が夜の十時以降に集中しています。日中はほぼゼロ」


「内容は読めるか」


「暗号化されているので直接は読めません。でも——」


 夏目が別のウィンドウに切り替えた。


「解析ツールに三日分かけたら、一箇所だけ平文《※4》が混じっていました。ここです」


 ※3【コードトーク】表向きは無害な会話や業務連絡に見せかけながら、特定の語句に別の意味を持たせて情報を伝達する技術。単語の置き換え、文脈の操作、送信間隔のパターン化など、手法は多岐にわたる。


 ※4【平文ひらぶん】暗号化されていない、そのままの状態で読めるテキスト。暗号化通信に平文が混入するのは、送信側の操作ミス、あるいは時間的な焦りの証拠となる。


 画面の、一点。


 河野はその箇所を読んだ。


 ——柊。


 漢字二文字が、前後の暗号化された文字列の中に、裸で浮いていた。

 文脈は読めない。何の前に来て、何の後に続くのか。前後の文字列は暗号化されたままで、意味をなさない記号の羅列だ。

 だが固有名詞として、それは確かにそこにあった。


 河野は十秒、動かなかった。


 動かないまま、画面を見ていた。

 「柊」という文字が何を示すか——可能性は複数ある。苗字としては珍しい部類だ。偶然の一致を完全に排除できるほど、今夜集まった情報が揃っているわけでもない。

 だが。


 河野は画面から目を離して夏目を見た。


「スクショは撮ったか」


「撮りました。タイムスタンプ《※5》ごと、ローカルとクラウドに二重バックアップ済みです」


 ※5【タイムスタンプ】データの作成・更新時刻を記録した付加情報。証拠として使用する際、改ざんされていないことの検証に用いる。


「前後の暗号化部分、解読の見込みは」


「今夜中は難しいです。鍵の特定に時間がかかります。ただ通信パターンから推測すると——固有名詞の前後に、動詞に相当するコードが来ています。行動を指示している可能性が高い」


「何の行動か」


「……まだわかりません」


 夏目の声が、ほんの少し低くなった。

 わからない、ということへの、静かな緊張。


「送信先の端末は」


「本人確認不要のデータ専用プリペイドSIMです。コンビニで現金購入できるタイプで、電話番号の名義追跡はできません。通話はLINEを経由しているとみられます。基地局の接続記録から都内であることは確認していますが、それ以上の絞り込みにはもう少し時間が必要です」


 沈黙。


 モニターが六面、変わらず光り続けている。


 河野は自分の席に戻り、引き出しを開けた。

 制酸剤。一錠取り出して、水なしで飲んだ。

 口の中に粉っぽい苦みが広がった。


「夏目さん」


「はい」


「今日の前後六時間分、もう一回かけ直してほしい。フラグが立った通信と、送受信のペアが重なるやつを全部拾って。時系列で並べてくれ」


「わかりました」


 夏目の指が動き始めた。


 河野は椅子を引かずに、立ったまま自分の画面を見た。

 別のウィンドウを開く。Ouroborosの監視ファイル。三年かけて積み上げた記録だ。笠置文雄かさぎふみお——不動産業の皮を被った、元暴力団幹部。法人を幾層にも重ねて、金と情報の流れを見えなくする。直接手を汚さない。必要なものは全て、他人の手を通して動かす。業界では老狐と呼ばれている。


 その笠置の回線が、「柊」という名前を通信に流した。


 河野は立ち上がって、窓の近くまで歩いた。


 九階の高さ。

 港区の夜景。

 東京の光が遠くまで、途切れることなく続いている。どの窓にも明かりがあり、明かりの数だけ誰かの生活がある。


 柊。


 その姓を持つ人間が、TechVisionのCEOにとって個人的に重要な意味を持っていることは、河野も空気として知っていた。言葉で説明された記憶はない。だが四年この仕事をしていれば、説明なしに分かることがある。デイビッド・マクナマラという男が何かに珍しく個人的な感情を動かすとき、必ずそこに柊という名前が絡む——そういうことだ。


 その柊が、Ouroborosウロボロスの通信に出た。


 確認してから動くか。動きながら確認するか。


 GSOC時代、河野は「確認を優先した」ことがある。

 あの夜も似たような状況だった。情報が曖昧で、確証がなく、上への報告に「時期尚早」という言葉が返ってきた。河野は従った。プロセスを踏んだ。確認は完璧だった。

 結果として民間人が二人、巻き込まれた。

 どちらも軽傷で済んだが、それは運だった。河野の判断の正しさではなかった。

 それ以来、河野の中の優先順位が変わった。「確認の完了」より「初動の速さ」を前に置くようになった。動きながら確認する。判断を後退させない。


 窓の外を見たまま、スマートフォンを取り出した。

 連絡先を開く。「VR」——二文字だけ登録してある。名前も、肩書きも、なし。


 発信。


 コール一回。


「河野さん」


 低い声だった。英語訛りの日本語。抑揚が少なく、夜の電話向きの声をしている。


「ヴィクター。起きていましたか」


「起きています。何ですか」


「柊という名前が、Ouroborosウロボロス《※6》の通信に出ました。平文で。コードトークのパターンと混在しています」


 ※6【Ouroborosウロボロス】己の尾を口に咥えた蛇を象徴する古代のシンボルで、循環・再生・終わりなき連鎖を意味する。TechVision情報部が、監視対象の犯罪ネットワーク「漆黒連合」に付けた内部コード名。組織の構成員と資金が、表向きの合法企業を経由して循環しており、外部からの識別が困難なことに由来する。


 電話の向こうで、一秒の沈黙があった。


「確証は」


「状況証拠の段階です。ただ——コードトークのパターンが、岸谷きしやと連絡を取った回線と一致しています。夏目さんの判断では可能性は高い」


「夏目さん自身の言葉で言うと」


「高いと言っています」


「わかりました」


 また少し間があった。

 向こうで何かを置く音がした。本の音だ、と河野は思った。ヴィクターは夜に本を読む。どんな本かは知らない。一度だけ「何を読んでいるんですか」と聞いたら「今は植物の本です」と返ってきた。それ以上は聞かなかった。


「河野さん、いつ動けますか」


「こちらはいつでも。ただ確認の精度をもう少し上げたい。今夜中には固めます」


「ECHOは朝五時に集合をかけます。それまでに出せるものを出してください。サラも呼びます」


「わかりました」


「河野さん」


「はい」


「いい仕事です」


 電話が切れた。


 河野はスマートフォンをポケットに戻した。

 窓の外の景色は変わっていない。


 いい仕事、と言われることに慣れていない。

 GSOCでは評価が上に行くだけだった。情報は吸い上げられ、何が起きても起きなくても、下には何も返ってこなかった。正しい判断をしたかどうか、現場の人間は永遠に知ることができなかった。

 ここに来てから、少し違う。

 ヴィクターは短い言葉だが必ず返す。慣れないまま受け取る方法を、四年かけてまだ練習している。


   


「河野さん」


 夏目の声。


「出ました。前後六時間分。重なっている通信が十四件。うち三件、内容が行動計画の体裁です」


「具体的に」


「車両の移動、人員の確認、日程の調整——この三つのコードワードが繰り返し出ています。中古車業者の業務連絡に、なぜ深夜にこれが十四件も必要なのか」


 河野が夏目の隣に立って、画面を見下ろした。


 並んだ通信ログの断片。

 数字と記号の列が、時系列で積み上がっている。

 このひとつひとつの通信の背後に、誰かの意思がある。動こうとしている意思が。


「人員の確認、というコードは何名分ですか」


 夏目がスクロールして、別のウィンドウを開いた。


「……八です。繰り返し出てくる数字が八」


 八名。


 河野は少し考えた。

 拉致ならば過剰な数ではない。対象が複数ならむしろ標準的だ。周囲の制圧、車両の確保、逃走経路の確保——役割を割り振れば、八は最小限に近い。


「明日から動いていいですか」


 夏目が顔を上げた。


「……本当に動くんですか」


「動きます」


 夏目はしばらく黙っていた。

 黙ってから、「わかりました」と言った。

 短く、真っ直ぐな返事だった。


 指が動き始めた。その音だけが、部屋に続いた。


   


 夜が深くなった。


 十二時を回った頃、夏目が「少しいいですか」と言った。


「どうぞ」


「関係ない話です」


「どうぞ」


「柊っていう名前——」


 少し止まった。


「どういう人なんだろう、って。その、守ろうとするくらいの相手っていうのが」


 河野は少し考えた。


「知らなくていいです」


「はい」


「知らない方がいいこともある。今夜の段階では特に」


「わかっています」


 夏目は画面に戻った。


 河野は窓の外をもう一度見た。


 東京の夜は明るすぎる。星が見えない街だ。でも光だけはある。どの窓にも明かりがあり、明かりの裏に誰かの日常がある。

 守るべき日常がある。その場所を知らない人間が、知らないままそれを守るために夜通し働く。

 この仕事には、そういう構造がある。河野はそれを正しいとも間違いとも思わない。ただ自分はその構造の中にいる。


 夜は、まだ続く。


   


 午前一時三十二分。


 夏目がまとめたファイルが完成した。

 通信ログの解析結果、コードトーク判定の根拠、平文「柊」の出現箇所と前後の統計的文脈推定、送受信の回線情報、端末の位置情報の概要——すべて込みで三十七ページ。


 河野が通読した。

 二十分かけた。細かい数字の一つひとつを確認した。反論できる箇所がないか探した。

 なかった。


 ヴィクターに送信した。


 完了の通知が出た瞬間、夏目が「お疲れ様でした」と言った。

 河野は「お疲れ様でした」と返した。


 部屋の静けさが、少し違う種類に変わった。

 何かが動き出した夜の後の、次の展開を待つ静けさ。


「夏目さん」


「はい」


「もう一つだけ」


「何ですか」


岸谷きしや冬馬とうまの端末が、今日の夜から今にかけてどこにいたか。基地局の接続記録を引いてほしい」


 夏目の指が動いた。

 少し待った。


「……港区です。渋谷寄りの基地局」


 河野は何も言わなかった。


 岸谷冬馬。三十八歳。元公安警察の刑事。現在はOuroborosの情報ブローカーとして、警察の内部情報を外に売っている男だ。捜査の動向、要人警護のシフト、盗聴の有無——欲しい情報に値段をつけて、買い手を選ばず売る。倫理への抵抗がすり切れるまで十年かかったと、河野は推測している。じわじわと、少しずつ。人間の腐敗はたいていそういう速さで進む。


 港区。ここから一・五キロ。


「偶然かもしれない」と河野は言った。

「偶然かもしれません」と夏目が返した。


「記録しておいてください」


「しました」


 夏目がファイルを保存した。


 河野は席を立った。コートを取って羽織った。


「先に上がります。朝五時にはここに戻ります」


「わかりました」


「少し寝てください」


「……はい、そうします」


 素直な返事だった。

 河野が部屋を出て、ドアを閉める直前——背後でキーボードの音が再開した。

 振り返らなかった。


   


 エレベーターを降りて、ビルの外に出た。


 六月の夜気が、肌に纏わりついた。

 湿った空気。雨上がりの匂いがまだ残っている。アスファルトから熱が抜けきっておらず、夜なのにじんわりと生ぬるい。遠くで車の音がする。タクシーが一台、信号を待っている。


 ふと、頭の中に今夜の「柊」という文字が浮かんだ。

 漢字二文字。

 Ouroborosの通信の中で、暗号化された文字列に囲まれて、裸で浮いていた。


 その文字の持ち主が今夜どこにいるか、河野は知らない。

 自宅の部屋か。仕事の現場か。あるいは誰かと話しているか。

 少なくとも——今夜起きていることを、知らない。


 知らないまま朝を迎えるだろう。


 河野は歩き始めた。

 コートの襟を立てながら。


 明日の朝五時まで、三時間二十八分。


 眠れるかどうかはわからない。

 眠れなくても、横にはなる。

 それがこの仕事を長く続けるための、最低限の自分との約束だった。

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