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姉と妹が国民的女優ですが、俺は機械をいじっていたい  作者: よんまるよん
第二部「世界が広がっている」

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土曜の夜の番外編「砂かぶりの午後、二枡分」(後編)

 翌朝、柊家のダイニングで。


 凛がスマートフォンを持ったまま、黙って朝食を食べていた。


 遼が味噌汁を飲みながら「どうかしたか」と聞いた。


「SNSで少し話題になってる」


「何が」


「昨日の相撲」


「相撲が話題に?」


「私たちが話題に。あと、デイビッドさんも」


 遼がご飯を一口食べた。


「なんで」


「テレビに映ってたらしい」


「そうか」


「『TechVisionのCEOが柊姉妹と観戦』って」


「そうか」


「……それだけ? 反応」


「他に何か言うことありますか」


 凛がスマートフォンを置いた。


「ないけど」


 華が寝ぼけ眼で降りてきた。パジャマのまま、片方の眉毛だけ上がっている。


「おはよ……あ、なんか昨日の相撲、ネットで話題になってる」


「知ってる」


「お姉ちゃんのファンの人たちが、『あの外国人は誰だ』って言ってる」


「知ってる」


「デイビッドさんだって気づいた人もいる」


「知ってる」


「TechVisionが柊家のバックについてるんじゃないかって」


「知ってる」


「……全部知ってるんだ」


「さっきから見てた」


 遼は黙々と食べていた。


「遼は」と凛が言った。


「うん」


「関係ないと思ってる?」


「俺が出てたわけじゃないし」


「出てないけど、隣の升席にいた」


「映ってないなら関係ないと思いますが」


 凛が「そういう問題じゃなくて」と言いかけて、止めた。遼に言っても分からないのではなく、遼には本当に「映っていない自分には関係ない」が成立するのだということが、長年の付き合いで分かっている。


 華がトーストをくわえながら言った。


「でも、ワイドショーで取り上げられるかもね、これ」


「そうかもしれない」


「柊凛とTechVision、みたいな感じで」


「そうかもしれない」


「どうする?」


「事務所と話す」


「うん」


 遼が食べ終わって、椅子を引いた。


「昨日、楽しかったか?」


 凛と華が同時に遼を見た。


「うん」と華が言った。「すごく楽しかった」


 凛は少し間を置いてから、


「楽しかった」


「そうか」と遼が言った。「なら、あとは事務所が考えてくれる話だと思うが」


 それだけ言って、自分の部屋に戻っていった。


 凛が凛で、スマートフォンをテーブルの上に置いた。


「……そうだな」


 華がトーストを嚙んだ。


「遼って、たまにそういうこと言うよね」


「そういうこと」


「要するに、いいことの話は自分でしないで、面倒なことは人に任せろ、みたいな」


「そう言い方をしたことはない」


「でもそういう意味だよね」


「……まあ」


 凛もトーストを一口食べた。


「昨日は楽しかった」


「うん」


「デイビッドさん、いい人だった」


「うん」


「相撲、思ったより面白かった」


「うん!」


 華が元気よく言った。


「また行きたい」


「どこに」


「国技館」


「……考える」


「お姉ちゃんが行くなら、今度はもう少し目立たない席の方がいいかも」


「そうだね」


「でも升席、楽しかった」


「そうだね」


 二人でしばらく朝食を食べた。スマートフォンは伏せたままにした。


   


 同じ朝、詩織のアパートで。


 詩織は出勤前に、スマートフォンを確認していた。


 SNSのタイムラインを流す。昨日の相撲観戦の話がいくつか流れてきた。「柊姉妹が国技館に」という記事と、「TechVision関係者か」という憶測。


 詩織はそれをスクロールして、閉じた。


 次に、アリアからメッセージが来ていた。


 "Shiori, yesterday was fun. I learned about the sumo association tour."

 (詩織、昨日楽しかった。相撲協会見学の話を教えてもらって良かった)


 日本語が入り混じった英語だった。詩織は少し考えてから返信した。


 「私もです。内掛けは負けました」


 すぐに返信が来た。


 "It was close. Next time I'll defer to you on technique, and you defer to me on current tournament trends."

 (惜しかった。次は技術は詩織に任せる。今場所の流れは私が教える)


 詩織は「次」という言葉を見た。


 次、という前提で書いてある。


 少し間を置いてから、返信した。


 「わかりました。では今場所の後半、教えてください」


 アリアからのスタンプが一つ来た。力士が四股を踏んでいるスタンプだった。どこで入手したのかは分からなかった。


 詩織は支度を続けた。


 バッグに文庫本を入れて、それから昨日持っていった相撲の研究書も入れた。先生に返すものだ。先生は今日、会社に原稿を届けに来る。その時に返す。


 玄関の鏡で確認をして、出た。


 窓の外、遠くに柊家のマンションが見える。遼の部屋のカーテンは閉まっていた。


 詩織は少しだけ見てから、歩き始めた。


   


 昼、出版社の編集部。


 担当の先生——三橋達雄、六十一歳、文芸作家、新作テーマが相撲——が原稿を届けに来た。


「昨日はどうだった」


「とても良かったです」と詩織が答えた。


「山城山、見事だったろう」


「はい。立ち合いの話をお聞きしていたので、よく分かりました」


「それで、一緒に行った人たちは?」


 詩織は少し考えた。


「……友人と、知人の方々です」


「相撲は楽しめてたか」


「はい。かなり」


「詩織ちゃんが解説したのか」


「……少し」


 三橋先生が「そうか」と言って嬉しそうにした。


「相撲を人に説明できるくらいになったなら、俺の取材に付き合わせた甲斐があった」


「ありがとうございます。でも、一緒に行った方でアメリカから来た女性がいて、その方も相撲が詳しくて、少し勝負になりました」


「アメリカ人で相撲が詳しい?」


「決まり手を全部言えるそうです」


 三橋先生が「おお」と言った。


「それは本物だ。小手投げと内掛けの区別がつくか?」


「つくそうです。実際に取組で議論になりました」


「どっちが勝った」


「……その取組は、小手投げでした。私が切り返しだと言い張ったので、私が負けました」


 三橋先生が笑った。


「そういう相手を大事にしなさい。相撲の話が通じる人間というのは、なかなかいないから」


 詩織は「はい」と答えた。


 研究書を返した。三橋先生は「新しい章を書いた。読んでくれるか」と言って原稿を渡した。詩織は受け取った。


 仕事が始まった。


   


 そのまた翌週。


 ワイドショーが取り上げた。


 「国民的女優・柊姉妹、米IT大手TechVisionのCEOと観戦。スポンサー契約か」


 タイトルだけ見ると大きく聞こえたが、内容はほぼ「分からない」で構成されていた。「関係者によると親しい知人との観戦であるとのこと」「事務所はコメントを控えている」「詳細は不明」。


 コメンテーターが「最近のIT企業のエンタメ進出は目立つから、あり得るんじゃないですか」と言って、別のコメンテーターが「でもまあ、プライベートの観戦かもしれないし」と言って、MCが「続報を待ちたいと思います」と締めた。


 五分で終わった。


 凛は楽屋でそのニュースを見て、マネージャーに「とりあえず静観でいいですか」と確認した。マネージャーが「はい、事務所もそのつもりです」と答えた。


 華は現場で共演者に「昨日のワイドショー見たよ」と言われて「ほんとに友達のお父さんで、ただの観戦でした」と答えた。共演者が「でもCEOでしょ」と言った。「はい」と答えたら「……そういう友達いるんだ」と言われた。「そういう友達がいます」と答えた。


 遼はワイドショーを見ていなかった。


 その代わり、アリアからメッセージが来た。


 "Ryo, sorry about the news. My dad says it's fine, don't worry."

 (遼、ニュースのこと、ごめん。パパは大丈夫って言ってる、心配しないで)


 遼は返信した。


 "I wasn't worried."

 (心配してないです)


 "Really?"

 (本当に?)


 "Really."

 (本当に)


 「……相撲、楽しかった?」とアリアが続けた。日本語で。


 遼は少し考えた。


 "It was interesting."

 (面白かったです)


 "Interesting or fun?"

 (面白かった、と楽しかった、どっち?)


 "Both."

 (両方)


 しばらく間があって、アリアから返信が来た。


 "Good. Let's go again sometime."

 (よかった。また行こう、いつか)


 遼はスマートフォンを置いて、作業に戻った。


 プログラムの残りのコードが画面に表示されている。今日中に一つ片付けたいところがある。


 ただ、どこかで一度、「また行こう」という言葉が残っていた。


 また行く、という前提だった。


 別に悪くなかった。


   


 同じ夜、詩織は三橋先生の新しい原稿を読んでいた。


 部屋の窓から、柊家のマンションが見える。


 原稿は相撲の話だった。現役の力士を追ったドキュメンタリー風の章で、取材ノートの内容が丁寧に肉付けされていた。詩織は読みながら、昨日の升席を思い出した。


 アリアが「右足を見て」と言ったこと。


 取組が終わるたびに、二人で決まり手を確認し合ったこと。


 ロバートがいつの間にか前に乗り出していたこと。


 遼が、特に何も言わず、全部静かに見ていたこと。


 遼が相撲を「面白かった」と思ったかどうか、詩織には分からなかった。聞きそびれた。


 アリアには聞いたんだろうか、と一瞬思ったが、それ以上は考えなかった。


 原稿を読み続けた。


 赤ペンで、一か所だけ直しを入れた。


「寄り切りの瞬間、力士の顔には何も表れない——」という一文に、「表れない、のではなく、表れる余裕がない、の方が正確かもしれません」と書いた。


 三橋先生なら、分かってくれると思った。


 窓の外、遼の部屋の灯りは、まだついていた。


   


 同じ夜、ホテルの上階。


 デイビッド・マクナマラは窓の外を見ていた。東京の夜景が、静かに広がっている。


 スマートフォンを持って、少し考えてから、ロバートに電話をかけた。


 "Robert."


 "Yes."


 "The Hiiragi family."

 (柊家のことだ)


 ロバートが少し間を置いた。


 "What about them."

 (どういうことですか)


 "I want them close to TechVision. Not just Ryo. All of them."

 (遼だけじゃない。全員だ。TechVisionの近くに置きたい)


 "……All of them, meaning——"

 (全員というのは——)


 "You know what I mean."

 (分かるだろう)


 また間があった。ロバートが慎重に言葉を選んでいる気配があった。


 "David. That's a significant——"

 (デイビッド。それはかなり——)


 "I know. That's why I'm telling you now."

 (分かってる。だから今言ってる)


 デイビッドは窓の外を向いたまま続けた。


 "The older sister has presence. The younger one has something that can't be taught. And Ryo——"

 (姉には存在感がある。妹には教えて身につくものじゃないものがある。そして遼は——)


 短い間。


 "Ryo is Ryo."

 (遼は遼だ)


 ロバートが何かを言いかけて、止めた。


 "Start thinking about it. No rush."

 (考え始めておいてくれ。急がなくていい)


 "……Understood."

 (……分かりました)


 電話が切れた。


   


 しばらくして、デイビッドはもう一本電話をかけた。


 今度はロバートではなく、本社の法務部長だった。時差の計算は一瞬でできる。向こうはまだ業務時間内だ。


 "It's David."


 "Sir. What can I do for you?"


 "I need you to set something up. Background monitoring. The Hiiragi family in Japan——three siblings. Two are in the public eye. One is not. I want a quiet watch on anyone who might cause them trouble. Press, industry, personal."

 (柊家の三人だ。二人は表舞台にいる。一人はそうじゃない。彼らに迷惑をかけそうな人間を静かに監視しておいてほしい。メディア、業界、個人、全部)


 "……The scope of 'trouble' being——"

 (「迷惑」の範囲は——)


 "Use your judgment. But if someone crosses a line——"

 (判断はお前に任せる。ただ、一線を越えた人間がいたら——)


 デイビッドは少し間を置いた。


 "Bury them."

 (社会的に潰せ)


 沈黙が一秒あった。


 "Understood, sir."


 "Quietly. I don't want the family to know."

 (静かにやれ。本人たちには知らせるな)


 "Of course."


 電話が切れた。


 デイビッドはスマートフォンをテーブルに置いた。


 今日、国技館で起きたことを、順番に思い返した。


 凛が土俵を見る目。華が笑った瞬間。遼が何も言わずに全部見ていたこと。アリアが升席で前に乗り出していたこと。


 そして、場内の空気が変わるたびに、八人がそれぞれの仕方で反応していたこと。


 家族というものは、こういう形をしているのかもしれない、とデイビッドは思った。


 妻が生きていたら、一緒に来たかった。


 その考えは、すぐに手放した。


 窓の外の東京は、まだ明るかった。

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