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姉と妹が国民的女優ですが、俺は機械をいじっていたい  作者: よんまるよん
第二部「世界が広がっている」

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第27.5話「遼さんのこと」

 春日(かすが)芽衣(めい)は、緊張を悟られないのが得意だ。


 舞台出身の女優として六年。舞台俳優のキャリアで最初に身につくのは台詞でも動線でもなく、「緊張を内側に閉じ込めて外に出さない技術」だと芽衣は思っている。


 だから今日も、外から見れば落ち着いている。


 内側は全然落ち着いていない。


   


 映画『春を告げる鐘』の撮影現場に、芽衣がゲスト出演するのは今日が初めてだ。


 役は「病院の看護師」。出番は少ない。でも、(りん)と同じ現場に立てる。それが嬉しくて、今日は朝から少し早く家を出た。


 凛とは一年以上の付き合いだ。最初はドラマの共演で、最初はライバルで、でも「凛には凛のやり方がある、私には私のがある」と気づいてから、自然に友人になった。凛の「家では普通」な部分を知ったのは半年前くらいで、あの人がプリンのことで弟と本気で口論するという事実は、芽衣の中の凛への好感度を謎の方向で三段階上げた。


 「弟さん」の話は、ちょくちょく聞いていた。


 機械が好きな人。大学で工学をやっている人。「普通だろ」と言いながら普通じゃないことをやり続ける人。凛がたまにため息をつきながら話す、変な弟。


 実物には会ったことがない。


 今日、たまたま現場に来るらしい——と、昨日のLINEで凛から聞いた。


 「(はな)に頼まれてデータ復旧の確認か何かをするって。差し入れも持ってくるって言ってたから、プリン食べられるかも」


 「プリン食べられるかも」で締めるのが凛らしかった。


   


 撮影は午前中から始まった。


 芽衣の出番は午後。それまでは控室で待機か、現場を端から見学するかだ。


 現場を見学する方を選んだ。


 スタジオに入ると、華が撮影中だった。(あおい)茉莉(まり)が病室で話す場面らしい。芽衣は遠目で見ていた。


 華の演技は、すごい。


 正直に言えば、初めて現場で見たとき少し怖かった。「葵がそこにいる」感覚があった。芽衣も舞台では似たようなことをやるが、種類が違う。舞台は体全体で空気を作るのに対して、華の演技はもっと細かい——目の動き、呼吸の間隔、指の置き方、全部が葵になっている。


 茉莉役の奈々(なな)もすごい。二十年かけて染みついたものが、さらっと出てくる。


 芽衣はしばらく見ていて、「これが映画の現場か」と思った。


   


 午前の撮影が終わって、昼の休憩に入った頃。


 スタジオの入口の方で、少し動きがあった。


 見ると、華が誰かに駆け寄っている。


 「遼、来てくれたんだ! プリンは?」


 「袋の中」


 「見せて! 何個?」


 「六個」


 「少ない!!」


 「何人いると思ってる」


 「もっと買ってきてよ、やっぱり」


 「言ってなかっただろ」


 このやり取りを、芽衣は少し離れたところで聞いていた。


 (あれが、弟さん)


 男性。背丈は高い方。服装は地味——と言うより、服装に特別な意識がない感じ。コンビニの袋を片手に持って、もう一方の手にはトートバッグ。華の「もっと買ってきてよ」に対して顔の表情がほぼ変わらない。


 (凛が言ってた通りの人だ)


 芽衣はそのまま見ていた。


   


 撮影再開まであと三十分、というタイミングで、それは起きた。


 照明機器の一つが、突然誤作動した。


 「ちょっと待って、モニターが変な色に——」とスタッフの声。


 機材担当が集まって確認作業に入ったが、原因がすぐ分からない。撮影再開の時刻が近づく。スタッフ数人が機器の周りで顔を見合わせている。


 篠原(しのはら)監督が「少し待てますか」とキャストに声をかけた。


 そのとき。


 「ちょっといいですか」


 声がした。


 低い声。特別大きいわけでも小さいわけでもない。でも、場の空気の隙間にすっと入ってくる声の出し方。


 スタッフが振り返ると、コンビニの袋を下ろした男が立っていた。


 「触ってもいいですか」


 スタッフが「え、でも——」と言いかけた。


 「多分、接続の問題だと思うので。五分あれば」


 スタッフがチーフに目を向けた。チーフが「……どうぞ」と言った。


   


 芽衣はそれを、少し離れた場所から見ていた。


 男は機器に向かって、膝をついた。ケーブルを確認する。何かを外して、また接続する。工具は使っていない。手だけでやっている。


 三分くらいだったと思う。


 「これで大丈夫だと思います」


 電源が入った。モニターの色が戻った。


 スタッフ数人から「おお」という声が上がった。チーフが「ありがとうございます!」と頭を下げた。


 男は「普通にやっただけなので」と言って、立ち上がった。


 スタッフが「いや、普通じゃないですよ」と笑った。


 「そうですか」と男が言った。


 本当に分からなそうな顔で言った。


 (……あの人、何も言わなかった)


 芽衣は気づいた。


 すごいことをやった、という顔をしていない。謙遜でもない。本当に「普通にやった」と思っている。


 (すごいのに、何も)


   


 撮影が再開して、芽衣の出番も終わって、現場が少し落ち着いた頃。


 凛が「芽衣ちゃん、差し入れどうぞ」とプリンを一個持ってきた。


「ありがとうございます」


「遼が持ってきてくれたやつ」


「さっきの……あの方ですよね」


「そう。変な弟ね」


「照明、直してましたよね」


「え、そうなの」凛が少し目を細めた。「見てたの」


「たまたま近くにいて」


「あいつ、そういうのをたまにやる。気づいたら直してる」


「普通に直してた感じで」


「そう。普通に直してから「じゃあ帰りますね」って言う」


「もう帰るんですか」


「差し入れ渡したら仕事終わりだから、って。プログラムの続きがあるって」


 芽衣はプリンを持ったまま、少し考えた。


「……凛さん、弟さんって、ああいう方なんですか」


「ああいう方、っていうのは」


「なんか、あんまり言わないっていうか……」


「言わないね」凛が普通に言った。「でも見てる。ちゃんと見てる。言わないだけで」


 その言い方が、少し沁みた。


 言わないだけで、ちゃんと見てる。


「普通です、って言ったんですよ」と芽衣が言った。「スタッフさんに「普通じゃないですよ」って言われたのに、「そうですか」って」


「そうそう、あいつそういうとこあるんだよ」


 凛が笑った。


 芽衣もつられて笑った。


 笑いながら、頭の片隅に残るものがあった。


   


 帰り道。


 電車のドアに背中をもたせかけて、芽衣は今日のことを繰り返した。


 膝をついて機器を確認する後ろ姿。「ちょっといいですか」の声の出し方。「普通にやっただけ」という、嘘をついている感じが全くない断言の仕方。


 (なんで何も言わないんだろう)


 すごいのに。スタッフが直せなかったのに。さらっとやって、さらっと帰ろうとした。


 名前を聞かなかった。


 「遼くん」と華が呼んでいたから「遼」という名前は分かる。でも苗字は聞いていない。まあ、(ひいらぎ)だ。凛の弟なんだから。


 「遼さん」でいい。


 (また撮影現場に来るのかな)


 そう思った瞬間、自分で少し驚いた。


 来るかどうか、どうして気になるんだろう。


 (いや、単純に不思議な人だったから。そういうことだ)


 そういうことだ。


   


 翌日。


 凛と昼食を食べながら、芽衣は頭の中でずっと考えていた。


 聞こうか、聞かないか。


 何を聞くのかと言えば、「また現場に来ますか」。


 何のためにと言えば、別に理由はない。ただなんとなく気になる。


 気になるのは、すごい人だったから。そういうことだ。人が何かに一生懸命なのを見ると心拍数が上がるという自覚が芽衣にはある。昨日のあれはそれだ。たぶん。


 「どうした、考え込んで」


 凛が言った。


「いや、なんでもないです」


「顔が考え込んでる顔になってる」


「なってないですよ」


「なってる。演技が上手い人でも自分の顔は制御できないからね」


「凛さん、それ言うたびに怖いんですが」


「褒め言葉だよ」


 芽衣はパスタを一口食べた。


 聞くか、聞かないか。


 聞いてどうするんだという話だが。


「……凛さんの弟さん、また現場に差し入れ来たりしますか」


 口から出てしまった。


 凛がフォークを止めた。


 芽衣はあわてて続けた。


「いや、プリンが美味しかったので、また食べられたらいいな、と思っただけで」


「プリンが美味しかった」


「はい」


「プリンが理由で」


「そうです」


 凛が芽衣をじっと見た。二秒くらい。


「……なんで?」


「だから、プリンが——」


「弟のこと」


 芽衣の心臓が一瞬ぐっと動いた。


「……凛の弟さんが、また来るかなって、思っただけで」


「そうか」凛が普通の顔で言った。「まあ、華が頼めば来ると思うけど。差し入れ係みたいになってるから」


「そうなんですね」


「なんで?」


「えっ」


「なんで気になるの、遼のこと」


 芽衣は三秒考えた。


「照明、直してたのが格好良かったなと思って」


「格好良かった」


「はい」


「遼が?」


「遼さんが」


 凛が少し目を細めた。何かを考えている顔だ。


「……芽衣ちゃん」


「はい」


「遼、誰にでもああいう感じだよ」


「分かってます」


「特別扱いもしないし、感情も顔に出さないし」


「分かってます」


「で、格好いいと思った」


「はい」


 凛がパスタを一口食べた。何も言わない。


 芽衣も食べた。何も言わなかった。


 沈黙が三十秒くらい続いた。


「……なんでもないです」と芽衣が言った。


「うん」と凛が言った。


 それで終わった。


 それで終わった、はずなのだが。


   


 食後、コーヒーが来た頃。


 凛が「そういえば」と言った。


「遼、TechVisionっていう会社に入りそうでね。フリーランスで仕事しながら、今プログラム作ってて。完成したら入社するって感じで」


「プログラムを作りながら就活してるんですか」


「就活というか……企業に「完成したら入ります」って条件出して、向こうが「Deal」って言った感じ」


「……それって普通はしないやつでは」


「普通はしないよ。でも遼だから通った」


 芽衣はコーヒーカップを持ちながら考えた。


「就職先がもう決まってるんですね」


「まあ、そういうこと。でも本人は「別に普通の話」って言ってる」


「普通じゃないですよね」


「そうなんだよ」


 凛が少し笑った。


「あいつが「普通」って言う時の「普通」は、全然普通じゃない。二十年以上一緒にいて、今でもまだ全部は分かってない」


「二十年以上」


「一緒に住んでてね」


 芽衣はコーヒーを一口飲んだ。


 (一緒に住んでても一年かかるのか)


 そこで気づいた。


 凛の弟だ。


 凛の、弟だ。


 何かが、ひやっとした。


 「また現場に来ますか」なんて聞いた。何を考えているんだろう。凛の弟に、凛と話しながら「また来ますか」と聞いた。


 (バレてないよね)


 凛の顔を見た。


 凛は何でもない顔でコーヒーを飲んでいる。


 (バレてないはず)


 「プリンが美味しかったから」という言い訳は完璧だった。完璧なはずだった。


 ……いや、完璧じゃなかったかもしれない。


   


 帰り際、エレベーターの前で凛が言った。


「また現場来るといいよ、芽衣ちゃん。篠原監督、気に入ったって言ってたし」


「ありがとうございます。私も楽しかったです」


「遼が来るかどうかは、分からないけど」


 凛が普通に言った。


 芽衣の心臓がまた動いた。


「……そういうこと言いましたっけ」


「格好いいって言ってたじゃない」


「あれは照明を直してたのが、その……技術的な意味で」


「技術的な意味で格好いい」


「そうです」


「そう」


 エレベーターが来た。凛が乗る。


「じゃあね、芽衣ちゃん」


「……はい。お疲れ様でした」


 ドアが閉まった。


 芽衣は廊下に一人残った。


 (……分かったかな)


 分かったかもしれない。分からなかったかもしれない。凛は読めない人間だ。あの人は計算型の演技をするくらいには、人の感情を設計図として読む。


 (読まれてたら終わりだ)


 でも何が「終わり」なのかは、自分でもよく分からない。


 ただ、凛の弟で。


 凛の、弟で。


 凛の弟という事実が、何かを途中で止める。動けない感じ。


 「また来てもいいですか、撮影現場に」と遼に言えたらよかった。でも言えなかった。代わりに凛に「また来ますか」と聞いた。


 どこを向いているんだろう、と自分でも思う。


   


 夜、部屋に帰って、ベッドに倒れ込んだ。


 天井を見た。


 (……名前も聞けなかった)


 正確には聞けた。「遼さん」。でもそれは華が呼んでいたから分かっただけで、自分から確認はしなかった。


 自分で話した言葉は、ゼロだ。


 一言も、直接、話していない。


 すごいのに、何も言わなかった人に対して、自分も何も言えなかった。


 なんか釣り合ってる気がしてきた。


 (釣り合ってる場合じゃない)


 芽衣はごろりと横向きになった。


 スマートフォンを手に取って、凛のトーク画面を開いた。


 最後のメッセージは「また現場来るといいよ」という今日のやり取りで止まっている。


 何か送ろうか。


 「今日はありがとうございました」なら普通だ。


 「弟さん、また差し入れに来ますか」は二回目だ。


 「遼さんって……普段からあんな感じですか」は直球すぎる。


 芽衣はスマートフォンをベッドに置いた。


 何も送らない。


 それが正解だ。


   


 三日後。


 凛からLINEが来た。


 「また現場入れそう? 篠原監督が追加シーンお願いしたいって」


 芽衣は三秒で「行きます」と返信した。


 ……三秒は早すぎた気がした。


 でも既読がついてしまったので、もうどうしようもない。


「やった! 遼も来るかも。また差し入れ係やらせようと思って」


 凛から返ってきた。


 芽衣はしばらくその文字を見た。


 「来るかも」。


 (来るかも、か)


 来るかもしれないし、来ないかもしれない。来たとしても自分は役があるから現場に集中しないといけない。来たとしても話しかける理由がない。来たとしても凛がいる。


 あらゆる意味で、どうしようもない。


 でも、スマートフォンをしまいながら、少しだけ気持ちが軽くなっていた。


 (なんで軽くなってるんだろ)


 自問したが、答えは分かっている。


 分かっているが、今日のところは答え合わせをしないことにした。


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