第26.9話「朝倉玲央、柊家に迷い込む」
黒瀬綺羅が柊家に来るとき、だいたい一人だった。
今日もそのつもりだった。
華とリビングで話していたら、スマホが鳴った。
画面には「朝倉」とある。
嫌な予感がした。
朝倉玲央。AURUMの最年少メンバーで、グループの中で一番テンションの読めない男だった。可愛い系の顔をしているが、考える前に動くタイプで、黒瀬がリーダーとして一番気を遣う相手でもある。悪気は一切ない。ただ行動が先行する。それだけで十分に厄介だった。
「……なんで玲央から」
「どうしたの」と華が覗き込む。
「玲央から電話よ。なんで今日に限って」
「朝倉くんが?」
通話に出た。
「リーダー、近くまで来ました」
テンションが先行した声だった。
「……来たって、どこに」
「えっと、住所はリーダーのスマホから見ました」
「なんで見た」
「リーダーが華さんとこ行くって聞いて、俺も行きたいなって。すみません、先に言えばよかったんですけど、もう着きそうで」
黒瀬は一秒、目を閉じた。
「どのくらい近い」
「えっと……マンションの名前が見えてます」
「動くな。今行く」
電話を切った。
黒瀬は華を見た。
「どうしましょ、これ」
「とりあえず探しに行こう」
二人でエレベーターに乗った。
エントランスを出て、左右を見た。
いなかった。
「右?」
「左じゃないですか」
二手に分かれて探した。三分後、合流した。どちらにもいなかった。
「迷子になったのかしら」
「連絡してみよう」
黒瀬がスマホを出したとき、先に着信が来た。
「リーダー、入れました」
「……どこに」
「お部屋です。遼さんっていう方が出てきて、華さんの知り合いだって言ったら通してもらいました」
沈黙。
「……玲央」
「なんですか」
「勝手に入るな」
「でも遼さんが、どうぞって」
黒瀬は華を見た。華は「まあ、遼だし」という顔をしていた。
二人は急いで戻った。
柊遼は、今日も部品と向き合っていた。
インターフォンが鳴ったのは、ちょうどコンデンサの配置を確認しているときだった。
出てみると、見知らぬ若い男が立っていた。
「あの、黒瀬と柊華さんの知り合いの朝倉玲央といいます。来るって伝わってなかったですよね。すみません、勝手に」
ぺこりと頭を下げた。
遼は三秒ほど考えた。
「まあ、入ってください」
「いいんですか」
「華の知り合いなら」
特に深い理由はなかった。華の知り合いで、礼儀正しく、悪い人間には見えない。それで十分だった。
朝倉玲央がリビングに入ってきた。
背が高い。整った顔。でも雰囲気が妙に素直で、芸能人っぽさが薄かった。
テーブルの上を見て、目が止まった。
「……これ、何してるんですか」
「基板の修理」
「修理」
「ハンダが劣化してたんで、打ち直してる」
「へえ」
朝倉は少し前のめりになって、テーブルを覗き込んだ。
「触っていいですか」
「ハンダごては熱いんで、これだけ」
遼がピンセットを渡した。
「これ、どう使うんですか」
「摘まむだけ。部品をここに置いてください」
朝倉が真剣な顔で部品を摘まんだ。
「こう?」
「もう少し水平に」
「こう?」
「いいです」
素直に言うことを聞く。覚えが早い。遼は特に意識せず、次の作業に移った。
しばらく経った。
朝倉はすっかり作業に馴染んでいた。部品を並べたり、ピンセットで小さな部品を摘まんだり、遼の手元を見て「こういう順番でやるんですね」と言ったりしていた。
「工作、好きなんですか」
遼が聞いた。作業中に話しかけることは少ないが、この相手はなぜか邪魔にならなかった。
「好きです。子供のころ、プラモとかよく作ってました。でもこれはレベルが違いますね」
「慣れれば普通です」
「普通って言いますけど、普通じゃないと思いますよ」
遼は答えなかった。
しばらくして、朝倉が小さなドライバーを手に取った。
細い。グリップが短い。
ちょっと持ってみようとしたとき、指の間でするりと滑った。
「あ」
落下する軌道に入った。
反射だった。
遼が手を伸ばした。同時に朝倉も手を伸ばした。二人の動きが重なって、遼の体が朝倉の胸元に当たった。
ドライバーは、かろうじて二人の手の間に収まった。
静止。
そのとき、玄関のドアが開いた。
「玲央、どこにいた」
華の声が先に入ってきた。
次に黒瀬が入ってきた。
見た。
リビングのテーブルの前で、遼と朝倉が密着したまま固まっていた。
二人の手が重なっていた。顔の距離が近かった。
黒瀬の中で、何かが起動した。
止まらなかった。
止めようとしたが、止まらなかった。
「きゃあああ」
声が出た。
完全に出た。
王子様の低音ではなかった。
リビングの全員が止まった。
遼が振り返った。無表情だった。
朝倉が振り返った。無表情だった。
華が黒瀬を見た。「やってしまった」という顔をした。
黒瀬は口を押さえた。
遅かった。
「……リーダー?」
朝倉が言った。静かな声だった。
「……なんでもない」
「今、きゃあって言いましたよね」
「言っていない」
「言いました」
「言っていない」
「言いました」
「言っていない!」
「俺、耳はいいんで」
朝倉は特に動揺した様子もなく、そう言った。
黒瀬は深呼吸した。
体勢を立て直そうとした。
王子様モードに戻ろうとした。
「……二人とも、何をして」
「ドライバー落としそうになったんで」
遼が遮った。
「取ろうとしただけ」
全員が遼を見た。
遼はピンセットを置きながら続けた。
「以上」
沈黙。
「……そうです」
朝倉がうなずいた。「俺が落としそうになって、遼さんが取ってくれて。ただそういう話で」
黒瀬は三秒、二人を交互に見た。
それから深く息を吐いた。
「……そう」
「そうです」
「……そう」
「リーダー、大丈夫ですか」
「大丈夫」
「顔色が悪いですけど」
「大丈夫」
「さっきから同じことしか言ってないですよね」
「大丈夫よ!!」
また出た。
遼が「うるさい」と言った。
「……ごめんなさい」
黒瀬が絞り出した。
華が小声で「綺羅ちゃん落ち着いて」と言った。
「落ち着いてる」
「落ち着いてない」
「落ち着いてるわよ!」
「うるさい」
遼がまた言った。
「ごめんなさい」
黒瀬と華が同時に言った。
朝倉は二人を交互に見てから、遼に言った。
「よくあるんですか、こういうの」
「まあ」
「……そうなんですね」
感心したような声だった。何に感心しているのかは分からなかった。
しばらく沈黙が続いた。
黒瀬はようやく体の力を抜いて、ソファに座った。
華がお茶を持ってきた。
「飲んで」
「……ありがとう」
お茶を一口飲んだ。
朝倉が黒瀬をじっと見ていた。
「なんですか」
「いえ」
「何か言いたそうですね」
「……リーダーって、外ではあんなにクールなのに」
「……それ以上言わなくていい」
「でも」
「言わなくていいの」
「俺、リーダーのそういうとこ知らなかったんで」
黒瀬は答えなかった。
朝倉は少し考えてから、続けた。
「なんか、いいですね。素が出てる感じで」
静止。
黒瀬が朝倉を見た。
非難でも揶揄でもなかった。ただ、そのまま言っていた。
朝倉は特に深い意味もなさそうに、またテーブルの部品に目を向けていた。
「遼さん、これって次どうするんですか」
「ハンダ付け」
「見ていいですか」
「どうぞ」
二人はまた作業に戻った。
黒瀬はソファの上で、しばらくその光景を見ていた。
遼がハンダごてを持つ。朝倉がそれを真剣な顔で見ている。
華が隣に座って、小声で言った。
「大丈夫そう?」
「……なんで玲央があんなに馴染んでるの」
「遼ってああいう人だから。好きなことに興味持ってくれる人には基本フラットで」
「そう」
「綺羅ちゃんも最初からああだったじゃん」
「……そうだったかしら」
「そうだったよ」
黒瀬はお茶をもう一口飲んだ。
テーブルの方を見た。
遼が何か説明している。朝倉が「へえ」と言いながら前のめりになっている。
黒瀬の中で、何かがまた動きかけた。
「綺羅ちゃん」
華が言った。
「考察しないで」
「してない」
「顔がしてる」
「してないわよ!!」
「うるさい」
遼が振り返った。
黒瀬と華が同時に「ごめんなさい」と言った。
朝倉が小声で「俺、ここ好きかも」と言った。
遼は「そうか」と答えて、またハンダごてに向き直った。
(了)




