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姉と妹が国民的女優ですが、俺は機械をいじっていたい  作者: よんまるよん
第二部「世界が広がっている」

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番外編「ポチニャン、サイバーさんに特攻します!!」後編

 遼が次に向かったのは、一本裏の路地にある店だった。


 外から見ると何の店か分からない。ドアに「電子部品」と書いたシールが貼ってあるだけだ。


「ここ、入れますか?」とポチ子が聞いた。


「入れます。狭いですけど」


 中に入った。


 狭かった。


 ポチ子、ニャン子、遼の三人が入ったら残りのスペースがほとんどなかった。棚が通路の両側に迫っている。頭上にも棚がある。床にも箱が積んである。


「すごい」とニャン子が言った。「迷路みたいです」


「意外と整理されていますよ」と遼が言った。


「どこに何があるか分かるんですか?」


「大体は」


「全部ですか?」


「ここの品揃えは大体把握してます」


「全部ですか!!」とポチ子が聞いた。


「店の全部というより、自分が使う部品がどこにあるかという意味で」


「何種類くらい把握してるんですか!!」


 遼は少し考えた。


「あんまり数えたことないですが、よく使うもので……三百種類くらいは?」


「三百種類!!!!」


「多いですか」


「多いです!! 私、回路部品で言えるの二十種類くらいで限界です!!」


「いや、遼さんの三百分の一以下じゃないですか!!」


「分野が違うので比べても意味ないですよ」


「分野が違っても!! 三百は多いです!! アキバ全体だと何種類くらいあるんですか」


「数えようがないですけど」と遼が言った。「数十万は下らないと思います。数百万かもしれない」


「数百万!!」


「コンデンサだけでも、容量が違えば別物、耐圧が違えば別物、素材が違えば別物、サイズが違えば別物。同じ百マイクロファラッドって書いてあっても、アルミ電解とタンタルと積層セラミックじゃ特性が全然違う。同じ名前がついてても、中身は全部違うんですよ」


 遼は棚を眺めながら言った。特に力が入っているわけではない。当たり前のことを言っている声だった。


「だから三百種類っていうのは、その数百万の中から自分が使うものだけ絞った数で、多いとか少ないとかいう話じゃないんですよ」


「……必要なものが三百ある人生!!」


「必要なものが何種類あるかは、作りたいものによりますから」


 遼は聞いているのかいないのか、棚を眺めながら歩いていた。引き出しを一つ開ける。中身を確認する。閉める。また開ける。


 その動作を見ながら、ニャン子が小声でポチ子に言った。


「あの、ポチ子」


「なに」


「買い物してる人って、たまにすごくかっこよく見えない?」


「……スーパーとかでも?」


「スーパーとかではなったことないけど、今はなってる」


「なんで今は」


「なんでかな……」ニャン子は少し考えた。「迷わないからだと思う。何を取るか全部決まってる感じ」


「目的地が明確な人間はかっこよく見えるってこと?」


「そういうことかな〜」


 遼が振り返った。


「あの、話しかけていいですよ」


「あ、すみません」とポチ子が言った。「小声で話してました」


「何の話ですか」


「遼さんがかっこいいって話です!!」


「……なんで急に」


「ニャン子がずっとかっこいいって言ってるんです!!」


 遼はニャン子を見た。


 ニャン子はマスクをしたまま、視線を逸らした。


「かっこいいですか、俺が」


「……はい」


「どこが」


「迷わないところが」


「迷わない?」


「さっき引き出しを開けて、見て、閉めて、次に行きましたよね。どこに何があるか全部知ってるから迷わない感じがして」


「そうですね、だいたい把握してるので」


「それが……かっこいいです」


 遼は少しの間、ニャン子を見た。


「ありがとうございます」


「どういたしまして」


「でも、これは特別なことじゃないですよ。何度も来てれば覚えますから」


「何度も来てる、がすごいんですよ!!」とポチ子が横から入った。「普通の人は電子部品屋に何度も来ないんですよ!!」


「そうなんですか」


「そうなんです!! 来るものがあるから来るし、来るものが好きだから覚えるし、覚えてるから迷わない。この三段構えが全員できるわけじゃないんです!!」


 遼はポチ子を見た。


「そういう整理の仕方、面白いですね」


「ありがとうございます!! 理工系のくせに文章の整理だけは得意なんです!!」


「両方できるのは強いですよ」


「お世辞でも嬉しいです!!」


「お世辞じゃないです」


 遼は引き出しから小さな部品を一つ取り出した。透明の小袋に入っている。ラベルを確認する。


「これです。これが欲しかった」


「それは何ですか?」とポチ子が聞いた。


「抵抗器です。金属皮膜抵抗、百オーム、一パーセント精度」


「一パーセント精度というのは?」


「表示されてる抵抗値から一パーセント以内の誤差に収まってるってことです。キャリブレーション用の回路には精度が必要なので」


「一パーセントって厳しいんですか?」


「五パーセントのものより高いですね。民生品だと五パーセントで十分なことが多いんですが、今回は基準値を取るための回路なので、基準値自体が正確じゃないと意味がない」


「……なるほど!! 基準を作るための基準が必要ってことですね!!」


「そうです」


「それは確かに精度が大事だ!!」


「分かりますか」


「分かります!! 測定器を校正するための校正器みたいな!!」


「そうそう、その感覚です」


「トレーサビリティの話ですよね!! 基準を遡れるようにする!!」


 遼の顔が、また少し変わった。


 ポチ子はスマートフォンを向けながら、内心でガッツポーズをした。


 伊勢谷が言ってた通りだ。機械の話になると目が変わる。


「トレーサビリティという概念を知ってるんですか」


「理工学部で計測工学を取ったので!! メッシュ解析は落としましたが!!」


「またメッシュ解析が出てきた」


「トラウマなんです!!」


 遼はわずかに笑った。


 口元が少し動いた。ポチ子には見えた。


「メッシュ解析、そんなに難しかったですか」


「難しかったです!! ループが三つ以上になった瞬間に頭が沸騰しました!!」


「慣れると整理できるんですけどね」


「慣れる前に単位が終わりました!!」


「そういうものですか」


「そういうものです!! 遼さんはメッシュ解析で詰まったことないですか」


「最初の一回くらいはあったと思いますが」


「一回でクリアしたんですか!!」


「……たぶん」


「天才!!」


「そうでもないです」


「自覚なし!!」


 ニャン子が棚の前に立っていた。部品の箱を見ていた。


「あの」


「はい」と遼が答えた。


「この引き出しに入ってるの、全部違うものなんですか」


「全部違いますよ」


「どのくらい違うんですか」


「……たとえばこの引き出しと隣の引き出し、ラベルを見ると型番が一文字だけ違うんですが、それで耐圧が倍違います」


「倍!?」


「はい。三百ボルトのやつと六百ボルトのやつ」


「それって大事なことですか」


「大事です。間違えると回路が壊れます」


「こわい」


「使う場所によって選ぶ必要があります」


「遼さんは間違えないんですか」


「あまり間違えないですね」


「なんで」


「ラベルを見るからです」


「……普通のことを言いましたね」


「普通のことですよ」


「でも普通のことをちゃんとやるのが難しいって先生が言ってました」


 遼が少し止まった。


「それは合ってると思います」


「でしょ」とニャン子が言った。「えらいです、遼さん」


「ラベルを読んでるだけで」


「ラベルをちゃんと読めるって、えらいです」


 遼は特に答えなかった。でも口元がまた少し動いた。


   


 店を出た。


 路地を歩きながら、遼が足を止めた。


「あっちの店も寄りますか」と言った。


「行きます!!」とポチ子が言った。


「フラックスが欲しくて」


「フラックス!! 半田付け用の助剤ですね!!」


「そうです。酸化膜を取り除くやつ」


「いつ使うんですか?」とニャン子が聞いた。


「部品を基板にくっつけるとき」と遼が答えた。


「くっつける?」


「電気が流れるようにするために、半田というもので部品を基板に接続するんですが、そのときに金属の表面が酸化してると半田が乗りにくい。フラックスを使うと酸化膜を取り除けてきれいに付きます」


「きれいに付いた方がいいんですか」


「付きが悪いと接触不良になって、電気がちゃんと流れなくなります」


「こわい」


「こわいですね」


「ちゃんと付けないといけない」


「そうです」


「遼さんは上手に付けられるんですか」


「まあ、そこそこ」


「どのくらいそこそこですか」


「……0.5ミリピッチくらいなら」


「ゼロ点五ミリ!!」とポチ子が叫んだ。「細かい!! それって普通のペンより細いですよ!!」


「細かい方ですね」


「細かい方どころか!! 業務レベルじゃないですか!!」


「普通のはんだ付けですよ」


「普通じゃないです!!」


「またそれを言う」と遼が言った。若干うんざりしているように聞こえる声だった。しかしそれが嫌そうではなく、呆れているような、諦めているような、どちらかというと慣れた声だった。


「普通って言いたくなるの、分かりますか?」とポチ子が聞いた。


「え?」


「遼さんって普通って言いますよね。技術のことで何か聞くと大体普通って言う」


「普通だと思うので」


「なんで普通だと思うんですか」


「できるので」


「できることが普通と同じじゃないですよ!!」


「……そうですか」


「そうです!! 私だって電気情報工学科卒業してますけど、0.5ミリピッチのはんだ付けは無理です!! できないことは普通じゃない!!」


「できない理由があるんじゃないですか」


「練習してないからです!!」


「練習すればできるんじゃないですか」


「練習すればもしかしたらできるかもしれないですけど!! 今できないことは普通じゃないでしょう!!」


「……どのくらいの人がやろうとすれば、普通と呼べるんですか」


「半数以上?」


「半田付けをやろうとする人の半数以上が0.5ミリピッチを扱えるかというと、そうでもないと思いますよ」


「じゃあ普通じゃないってことじゃないですか!!」


「でも慣れればできますよ」


「慣れればって!! 慣れる前の段階の話をしてるんです!!」


 遼が少し考えた。


「……なんで俺が普通と言いたいのか、自分でも分からなくなってきました」


「それでいいです!!」とポチ子が言った。「普通じゃないって認めてください!!」


「……そうかもしれないです」


「そうなんです!!」


「でも普通の感覚があるんですよね」


「遼さんの普通の感覚が、世間とズレてるんです!!」


「そうなんですか」


「そうなんです!!」


 ニャン子が後ろから静かに言った。


「……ズレてていいと思います」


 遼とポチ子が同時に振り返った。


「なんで?」とポチ子が聞いた。


「ズレてるから、他の人が気づかないことに気づけるんじゃないかなって」


 しばらく沈黙。


「……深いですね」と遼が言った。


「そうですかね〜」


「ニャン子さん、そういうこと思うんですね」


「たまに出ます。自分でも驚きます」


「面白いですね」


「ありがとうございます」


「俺のズレが役に立ってるかは分からないですけど」


「役に立ってると思います」


「根拠は?」


「さっき、三百種類の部品を把握してるって言いましたよね」


「はい」


「それって他の人には難しいことなんですよね、ポチ子が言ってた通り」


「まあ、そうみたいですね」


「じゃあ遼さんにしかできないことがある。それが役に立ってると思います」


 遼は少し考えてから、「そうかもしれないです」と言った。


「でしょ」


「……でも普通だとは思ってます」


「だから、その普通が、ズレてていいんです」


 遼がニャン子をもう一度見た。


「……ありがとうございます」


 今度は本当に少し声が変わった。


 ポチ子はスマートフォンを向けたまま、何も言わなかった。


   


 フラックスを買った。


 ついでに遼が「これも欲しかった」と言ってピンセットを一本買った。「先端が薄くなってる方が細かい作業向きで」と言った。ポチ子が「細かい作業ってどのくらいですか」と聞いたら「チップ部品を1005サイズで扱うときに」と言った。ポチ子が「1005ってどのくらいですか」と聞いたら遼が「一ミリ掛ける〇・五ミリです」と答えた。ポチ子が「それって肉眼で見えますか」と聞いたら遼が「ぎりぎり見えます」と言った。ポチ子が「私のメッシュ解析の単位が可哀想に思えてきました」と言ったらニャン子が「どういうことですか」と聞いた。ポチ子は説明できなかった。


   


 路地の端にあるベンチに三人が座った。


 遼が「疲れましたか」と聞いたので、ポチ子は「大丈夫です」と言い、ニャン子は「少し」と言った。


「部品街、長かったですよね」と遼が言った。


「長かったです」とニャン子が言った。「でも楽しかったです」


「部品屋が楽しかったですか」


「はい」


「何が楽しかったですか」


 ニャン子は少し考えた。


「遼さんがいたからじゃないですかね〜」


 遼が「俺が?」と言った。


「遼さんが楽しそうだったので」


「俺、楽しそうでしたか」


「見てれば分かります」


「そうですか」


「そうです」


 ニャン子が少し首を傾けた。


「遼さんって、毎週来てるんですか、アキバ」


「月に何回かは来ます」


「一人でですか」


「大体は一人です」


「今日みたいに、部品を買って、また見て、また買って、って感じですか」


「まあそうですね」


「一人で来て、一人で選んで、一人で帰るんですね」


「そうですね」


 遼が少し間を置いてから、「変ですか?」と聞いた。


「変じゃないです」とニャン子が答えた。「一人が好きな人って、いますよね」


「好きというより、特に誰かと来る理由がないので」


「一緒に来たい人がいたら、連れてきますか」


 遼が少し考えた。


「……来たい人がいれば、別にいいですよ」


「連れてってほしい人がいたら?」


「まあ、いいですけど」


「どんな人がいいですか」


「え?」


「一緒に来たい人、どんな人がいいですか」


 遼はしばらく黙った。


「……うるさくない人」


「うるさくない?」


「部品を選ぶのに時間がかかるので、急かされたり話しかけられすぎると困ります」


「じゃあ今日は困りましたか」


「……多少は」


「ごめんなさい」とニャン子が言った。


「いや、ポチ子さんの方が聞いてたので」


「聞いてましたね私!!」とポチ子が言った。「聞きすぎましたか!!」


「企画なので仕方ないですが、でも面白かったですよ。取材って初めてだったので」


「初めてですか!!」


「はい。でもポチ子さんが専門の話を分かってくれたので、普通に話せました」


「ありがとうございます!! それが今日一番嬉しい言葉です!!」


「そうですか」


「そうです!! 私の理工系の経歴、たまにこういうときに役に立ちます!! メッシュ解析の単位を落としたこと以外は!!」


「もうメッシュ解析はいいんじゃないですか」


「忘れられないんです!!」


 ニャン子がポチ子を見た。


「ポチ子、メッシュ解析ってそんなにトラウマなんですね」


「トラウマです!!」


「私は豆電球が嬉しかった話しかないので」


「それはそれでいいと思います!!」


「遼さんもそう言ってましたね」


「俺もそう思います」と遼が言った。「豆電球が嬉しかったのは本物ですよ」


「本物ですか」


「最初の一回は、誰でも嬉しいと思います。電気が流れて光る。それはシンプルですが、たぶん本質に近いです」


「本質?」


「電気の。電気って、使えるんですよ。流せるし、貯められるし、変換できる。その最初の一個が豆電球なんだと思います」


「……難しいですね〜」


「それは俺の説明が下手なんだと思います」


「遼さんの説明、下手じゃないです。私の頭が追いつかないだけです」


「追いつかなくていいと思いますよ」


「いいんですか」


「電気のこと全部分かる必要ないじゃないですか。豆電球が光って嬉しかった、それで十分です」


 ニャン子は少し黙った。


「……遼さんって、やさしいですね」


「そうでもないですよ」


「やさしいです」


「別に」


「別にっていう言い方、やさしい人がよく使いますよね」


 遼が「そうですか」と言った。


 ポチ子はスマートフォンをゆっくりとニャン子から遼へ、遼からニャン子へと動かした。


 二人はベンチで並んでいた。夜の路地。電子部品屋の看板の明かり。


 絵になっていた。


 ポチ子はスマートフォンをそっと下げた。


 素材として使えるかどうかより先に、なんとなく映したくないと思った。


   


 帰り際、遼がベンチから立ち上がった。


「今日はありがとうございました」


「こちらこそです!!」とポチ子が言った。「すごく面白い取材になりました!!」


「良かったです」


「遼さん、最後に一つだけ聞いていいですか」


「どうぞ」


「アキバで一番好きな場所ってどこですか」


 遼が少し考えた。


「……どこかと聞かれると難しいですが、強いて言えば、さっき行った抵抗器の引き出しのとこ、あの棚の前が落ち着きます」


「落ち着く?」


「なんかあの棚の前に立つと、整理される感じがして。何を作るかが明確になる感じ」


「設計図が頭の中で動き始める感じですか」


「そういうことかもしれないです」


「かっこいい!!」


「そうかな」


「そうです!! じゃあ今日一番印象に残ったことは何ですか」


 遼はポチ子を見て、ニャン子を見た。


「豆電球の話です」


「え、ニャン子の?」


「豆電球が光ったとき嬉しかったって、シンプルで良かったです。自分が最初にモーターを回したときのことを思い出しました」


「遼さん、今日初めてニャン子のこと話しましたよ!!」


「……そうでしたか」


「さっきまで全部機械の話でしたよ!!」


「豆電球も機械の話ですが」


「ニャン子の話ですよ!!」


 遼は少し困った顔をした。


「……そうですね」


「いや!! いいことですよ!!」ポチ子が言った。「遼さんにとって豆電球とモーターが繋がった。それ、ニャン子のおかげじゃないですか!!」


「おかげというか」


「おかげです!!」


 ニャン子が静かに言った。


「……嬉しいです」


 遼が「そうですか」と言った。


「そうです」


「それは良かったです」


 遼が頭を下げた。


「では」


「また来てください秋葉原!!」


「……いつも来てますが」


「あ!! そうでした!! むしろ私たちが来てないんでした!!」


「そうですね」


「そのときまた会えたら!!」


「会えたらまあ、コンデンサの話でも」


「します!!」


「ニャン子さんも、もし来たら」


「来ます」とニャン子が言った。


「部品屋の前で立ってれば会えるかもしれないです」


「待ってていいですか」


「待ってても俺が来る保証はないですけど、来たら声かけます」


「来たら来るんですね」


「来たら来ます」


「……分かりました」


 ニャン子がぺこりと頭を下げた。


 遼がまた頭を下げた。


 それからまっすぐ歩いて行った。路地の奥、電子部品の看板の下を通り、曲がって、消えた。


   


 ポチ子はスマートフォンをしまった。


 ニャン子がまだ遼が消えた方を見ていた。


「……ニャン子」


「なに」


「好きになったよね?」


 ニャン子は少しの間、路地を見ていた。


「……なったかもしれない」


「なったよ?」


「でも、どうすればいいか分からない」


「まあ、それはおいおい考えよう」


「ポチ子はどう思う、遼さんのこと」


「面白い人だと思います!!」


「恋愛的には」


「私は遼さんの妹の友達の立場で来たので!! 違う角度から見てます!!」


「そうだね」


「でもニャン子が好きになる気持ちは分かります!!」


「なんで分かるの」


「機械の話以外でも、ちゃんと聞いてくれたから」


「うん」


「豆電球の話、ちゃんと受け取ってくれたよね」


「受け取ってくれた」


「それだと思う。自分の話を真剣に聞いてくれる人って、少ないじゃない」


 ニャン子は少し考えてから、頷いた。


「……うん」


「じゃあいこうか」


「行こう」


 二人は中央通りの方向に歩き始めた。


 電子部品屋の看板が、路地を照らしていた。


 ポチ子がスマートフォンを取り出して、北川プロデューサーに送った。


「素材取れました。面白いやつ」


 すぐに返信が来た。


「ギャル魂!!」


「ギャル魂!!」


 ポチ子は「ギャル魂」と小声で言ってから、スマートフォンをしまった。


   


 同じころ、遼は自転車で帰り道を走っていた。


 カゴに部品が入っている。抵抗器。フラックス。ピンセット。あと、フラックスを買った店でついでに目についたケミカルコンデンサを六個。


 走りながら、頭の中で回路の続きを考えた。


 キャリブレーション用の治具。センサーを十二個並べる。基準値を取る。精度を担保する。


 設計は大体できている。あとは部品を揃えて、実際に組む。


 信号待ちで止まった。


 ふと、ニャン子の顔が浮かんだ。


 豆電球が光ったとき、嬉しかったと言っていた。


 シンプルだった。


 遼は最初にモーターを回したときのことを思い出した。コイルに電流を流して、磁界が生まれて、シャフトが回った。ぐるっと回った。それを見て、何か分かった気がした感覚。


 あの感覚を、「嬉しかった」と言うんだろうか。


 言うかもしれない。


 信号が青になった。


 遼は自転車をこぎ始めた。


 部品の重みがカゴの中にある。


 帰ったら作業ができる。


 そのことが、今日もまた、普通に嬉しかった。


 ただ、少し疲れた。


 今日は人と話しすぎた。普段の三倍くらい喋った気がする。悪くはなかったが、静かにコンデンサと向き合う時間が恋しかった。



 翌日。


 PC坊主の喫茶店。


 遼がコーヒーを飲んでいた。


「昨日、妙な取材に引っかかって」


「ほお」とPC坊主が言った。


「YouTubeの企画らしくて、秋葉原を案内してほしいって」


「断れなかったか」


「断れなかったです」


「そらそうや」


「妹の知り合いらしくて」


「なおさらや」


 PC坊主がコーヒーを一杯、自分で注いだ。


「楽しかったか」


 遼が少し考えた。


「……まあ、専門の話ができたので、普通に」


「そうか」


「技術の話を真剣に聞いてくれる人って、少ないので」


「おらんやろ、普通は」とPC坊主が言った。「そっちの子、理系か」


「らしいです」


「どおりで」


 コーヒーを飲んだ。


 遼もコーヒーを飲んだ。


 しばらく二人とも何も言わなかった。


「また来るかもしれないです、あの人たち」と遼が言った。


「来たらコーヒーくらい飲ましてやり」


「ここに案内するんですか」


「連れてきたくなったら連れてき」


「別に連れてきたくはないですが」


「そうか」


「でも、まあ……嫌でもないです」


 PC坊主は何も言わなかった。


 口元が少し動いたが、遼の方を向いていなかったので、気づかなかった。

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