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足して割ったらちょうどいい

「はぁ……」


 遥は悩んでいた。

 アルバイトを封じられた夏休み、遥の予定は補習と追試と父の遺作をこじ開けることだけ。変な予定が入ってはいるものの、去年と同じように夏休みは過ぎ去っていくだろう。そう思っていた、のに。


「大学、っつったってなあ……」


 教師から押し付けられた大学のパンフレットを抱えて、遥はもう一度深い深いため息をついた。

 遥は高校を出たら就職するつもりだった。ゆえに、勉強を疎かにしてきたという経緯がある。今までそれは母を含む誰にも明かしたことがなかったのだが、補習を受けている時につい言ってしまったのだ。就職するつもりだから勉強はあまり必要がない、と。

 遥は忘れていた。自分の通うここはいわゆる自称進学校。生徒個人がどうこうより、進学率を気にする高校なのだ。

 これなら中学の頃に多少勉強を頑張って少し遠くの商業高校に進学していればよかったかもしれない。しかし、後悔先に立たずである。夏休み中に一個だけオープンキャンパスに行ってこい、なんて面倒を増やされた遥は、とぼとぼと重たい足取りで校門に向かった。

 大体、この国の大学信仰はなんなのだ。生涯年収が、とか、学歴が、とか、ごちゃごちゃ言って俺から金を毟り取りたいだけじゃないのか。世界を呪いながら歩いていると。


「あ、遥! こっちこっち」


 茹だるような暑い夕方、高校の校門の前。そこに不釣り合いなほど涼しげな様子の灯里が、遥に向かって手を振った。


「なっ……なんでここにいんだよ!」

「この日は補習とかなんとか、こないだ言ってただろ。近く通ったから家まで送ってやろうと」


 後ろには車種こそわからないが一目で高級車と分かる黒塗りの車が停まっていて、周囲を歩く他の生徒が物珍しげに遥と灯里をみている。遥は膨らんだ自意識を振り払う様に灯里に駆け寄ると、今度は灯里が物珍しそうに遥を覗き込み、抱えたものを指差した。


「ん? 何持ってんのそれ」

「……あんたに関係ない」

「大学のパンフ? どっか志望校あんの?」

「関係ないって」

「ええ、なんだよ。教えてくれていいだろ」


 遥が「鬱陶しい」と手で払い除けると、灯里はようやく諦めて「はいはい」と車に乗り込んだ。


「えっ、あんたが運転するのか?」

「そうだよ。免許持ってるしね。ま、遠出する時しか乗らないけど」

「遠出?」

「親父の出身が町田の方だからさ、電車で行くんじゃ難儀するってわけ」


 車内に残る埃臭さに、遥は遺品整理でもしてたのかと察した。

 助手席に座り、シートベルトを締める。車は思ったよりゆっくり、丁寧に走り出した。


「……あんたの家ってどこなんだっけ」

「ん? 東京タワーのあたり」

「…………ボンボンだなあ、金に困ったことないだろ」

「ないね!」


 嫌味のつもりで言ったのにそんなに明るく返されるとこっちが気まずくなる。灯里はそれも見越したようにころころと笑うと、遥の抱えた大学のパンフレットをちらりと一瞥した。


「ま、遺産があったらさらっといけるだろ、大学くらい。行きたいところあるなら我慢しないで行ったらいいよ」

「我慢じゃねえよ。俺は早く働きたいんだ。母ちゃんが少しでも楽になるように……」


 そこまで言って遥ははっと口を噤む。しまった、こんなことを言うと灯里まで「そんなことはいいから」とかそういう面倒なことを言う大人になるんじゃないか。

 しかし、灯里は瞳を前に向けたまま。


「へえ、そんな風に考えたことなかった」


 それだけ言った。


「……あんたって薄情だよな、前から思ってたけど」

「なんだよ、こんな優しいのにそう見えるわけ?」

「自分で優しいって言ってるやつは大体優しくないんだ」

「えー……じゃあ優しさの証拠でさ、奢るから飯食おう」

「だめだ、今日俺飯当番なんだ。そんな時間あるならスーパー寄ってくれ」

「ん、駅前のやつ?」

「ちげえよ! 高いだろあそこ、もうちょっと奥の安い方!」


 つくづく読めない、というか考え方の合わない男である。見た目といい、身長といい、本当に自分と血が繋がっているのだろうか。灯里は遥のそんな思いなんかつゆ知らず、「弟なのに口悪いなあ」と笑っていた。


 灯里とはスーパーで別れるものだと思っていたが。


「俺も飯買って帰るよ、もう家政婦さんの契約切ったし」

「家政婦とかいたのかよあんたの家……」

「うん。ボンボンだから」


 灯里はなんとスーパーの中までついてきた。

 今まで自分が場違いな場に連れて行かれるばかりで不釣り合いだと感じていたが、灯里を不釣り合いな場に引き込んでしまうのもそれはそれで居心地が悪い。遥が逃げるように背中を向けて野菜売り場へ歩いていくと、灯里は小さい子供がそうするようについてこようとした。


「いや、自分の分のカゴ持ってこいよ。お前ん家のは出さないぞ」

「あ、そっか。カゴいるのか……」


 ……本当に灯里は世間知らずのお坊ちゃんなのだ。放っておくことも出来ず律儀に待っていると、少し不安げな灯里がカゴを持って駆け寄って来た。


「……なんで家政婦の契約切ったんだよ、絶対悪手だろ」

「だって、親父の収入ありきで雇ってたわけだからなあ。親父に頼れなくなった今は無駄な支出は切らないと」

「そんなこと気にするのかよ、金持ちのくせに」

「まあね。金持ちなのは俺じゃなくて親父だから」


 灯里が物珍しそうに小ぶりな南瓜を手に取って「南瓜の煮付け食べたいなあ」と言っていたので、遥は慌てて止めた。容姿からも、話しぶりからも、灯里にそんなものが作れるわけがないと思ったからだ。


「あんたどうせ包丁も握ったことないだろ、惣菜コーナーで満足しろ!」

「そ、そんなことない……家庭科で習ったし」

「やめとけ!」


 そこまで言われて、灯里はやっと南瓜を売り場に戻した。ぷつぷつと「俺だって出来るのに」と文句を言う姿に、高い身長や黒でまとめた服装に似合わない幼さが滲む。

 遥はため息をつくと、安売りしていたもやしを灯里に手渡した。


「あんたはまずこれくらいにしとけ。大体焼肉のタレと肉ともやし炒めたら飯になんだから」

「お、なんか男飯って感じだ」

「貧乏飯だよ、あんたとは無縁の」


 遥ももやしをカゴに入れて、野菜売り場を進む。家にキャベツと、冷凍してた豚肉があった気がするから、今日はとりあえずこれで焼きそばにでもしよう。

 頭の中で献立を組み立てていると、灯里が不意に「そういえば遺作のことなんだけど」と切り出した。平日夕方のスーパーでする話か、と思ったが、遺作問題は遥と灯里の間にある最大の議題である。拒む理由もないので、遥は「ああ」と曖昧な返事をした。


「親父の愛人はあと二人。狭山(さやま)千早(ちはや)さんって人と、遥のお母さん。狭山さんは携帯番号変えてたみたいで、繋がらなかったんだよな」

「どんな人か、とか分からないのか?」

「今は五十五歳で、親父と付き合ってたのは二十年前ってことだけ。そこは手帳に律儀に書いてたから」

「へえ、今回はなんかまともに……っていうとあれか、でも割とちゃんと年齢が近い人と付き合ってたんだな」


 遥の言葉に、灯里の顔が一瞬曇る。


「……そう、だといいんだけどなあ」

「? なんだよ、勿体ぶるな」


 灯里は瞼を伏せたまま。


「……その人……娘がいたみたい、なんだよな。親父の子ではないけど……」


 言いにくそうに紡がれた言葉が、遥の心に重くのしかかった。

 歳の近い愛人と、その娘。普通に考えれば疑似家族として仮初の幸せを貪っていたのだと思えるのに、阿藤神奈子の存在が、由井綾乃の存在が、遥の中にある「普通」の可能性を否定した。


「……娘の連絡先は……」

「分からない。娘の誕生日には印をつけてあったけど、まずは話を聞かなきゃ無駄に回数だけ消費することになる。あと四回しか試せないんだ。慎重にやらないと」

「…………やっぱり、遺作って気になるんだな」


 夏休みの大半を父の遺作に使っている遥だが、その目的は未だ金のためであり、正直父の遺作の内容がどんなものだってどうでもいい。先ほど灯里に言った「薄情だ」という言葉がそのまま自分に返ってくるような気がしたが、そもそも会いにすら来ない人間にどんな情を抱くのがいいのかすら分からなかった。


「そりゃ、それなりには」


 灯里はふにゃりと笑うと、遥の顔を覗き込んだ。


「遥にも悪い話じゃないぞ。もし中に入ってる小説がすごい名作だったら、印税は全部こっちに入ってくるんだから」

「最高の女にだけ捧げるって話じゃなかったのかよ……」

「知らない知らない、息子に簡単に暴かれるようなパスコードにした親父が悪い!」


 からからと笑う灯里を見て、やはり自分よりこの男の方がよほど薄情だと思った。


「編集の木更津さんからも是非内容を明らかにしてくれって言われてるんだ。あの人親父のファンだから、遺作なんて絶対に読みたいって。刊行した時のカバーデザインを誰に頼むかまでもう考えてるらしい。気が早いよなあ」


 遺作、印税、編集、刊行──そんな言葉を聞いて、遥の頭に何かが引っ掛かる。精肉売り場の前で立ち止まって、鮮やかなピンクを見ながら考えた。引っ掛かってるのは何か、何が思考を詰まらせてるのか。


「遥?」


 灯里が遥の方を振り返る。 

 スーパーが似合わない男だが、阿藤神奈子と出会った喫茶店や由井綾乃のやっていたスナックにはよく馴染んでいたのを思い出して、そして。


「……そうだ、その木更津さんって編集に聞けよ!」

「へっ」


 思考の詰まりがすっきりと抜けた。


「えっ、木更津さん? 聞くって、え?」

「その、狭山千早のこと! 木更津さんってファンレター送ってくる人って阿藤神奈子のこと知ってたし、由井綾乃と会ったきっかけも編集が連れてった飲み屋だろ? 編集の人なら親父の人間関係把握してるんじゃないか?」


 灯里は口元を覆うように顎を撫でる。そして、少し考えた後。


「たしかに、木更津さんなら分かるかも。帰ったら聞いてみる」

「ああ、そうしろ」

「にしてもすごいなあ、遥。探偵みたいだ」


 灯里がぱ、と口元から手を離す。浮かべた笑顔は未だ幼さの滲む、形式上でも兄らしいとはとても呼べないものだった。


「……まあ、昔からごちゃごちゃ考える癖なんだよ。母ちゃんはそのせいで予定日から一週間も生まれるのが遅れたって」

「なるほど、世界に生まれる価値はあるか考えたわけだ。俺は逆に早産で相当危なかったらしい」

「ああ、考えなしに突っ込んで死にかけるのあんたらしいなあ」


 さっきの南瓜のことを思い出しながら言うと、灯里はまったく自覚がないのか「そんなことないだろ」と言った。




 その晩、さっそく灯里から電話がかかってきた。


「木更津さんに聞いたらさ、狭山千早は編集部の人らしい。木更津さんが体調悪い時とかに代わりに原稿取り行ってもらってたんだって」

「へえ……おい、後ろなんかじゅうじゅう聞こえるけどあんた今何してる?」

「え? 飯作ってる」

「切れ! 料理に集中しろ!」


 遥は危なっかしさからすぐに通話を切ろうとしたが、灯里が「待って待って」とうるさいので止まった。

 ここで切ってやってもよかったのだが、なんとなく音だけでも見守ってやらないと不安になってしまったのだ。


「だから明日、出版社の近くの喫茶店で会うことになってて……あっ、遥。焼肉のタレってどのくらい入れるの? 一本?」

「なわけないだろ。塩胡椒振ったろ? フライパンにそってぐるーって、まる描くみたいにして入れりゃ充分だよ」

「ん、分かった」


 放置していたら今頃焼肉のタレをまるまる一本使ったもやし炒めが出来ていたのかと思うと頭が痛い。電話を繋いだままでよかった。


「神保町の方まで出なきゃいけないから大変だけど、遥も来るだろ」

「……まあ、遺産のためだからな。……お前、なんかずっと焼いてない?」

「なんか生焼けの方が怖いし……しっかり火通してる……」

「豚こまなんてすぐ焼けるんだから赤い部分なかったらもう食え! 絶対焦がすぞお前!」

「え、えっ? ちょっ、ビデオ通話繋ぐから見て、これ食べて大丈夫かなあ」

「そんなんでよく南瓜の煮付けとか言えたな!」


 そんなやりとりをしていると、玄関の方から「ただいまあ」と間延びした声が聞こえてきた。遥ははっとして「悪い、切る」と言うと灯里の返事も聞かずに通話を終わらせる。

 顔を上げると、仕事帰りの母がちょうど居間に入ってきたところだった。


「なーに、慌ててスマホ隠しちゃって。もしかして彼女ぉ?」

「……そんなんじゃねえし、母ちゃんに関係あるもんでもないから。飯、冷蔵庫に入れてる」

「ふーん? あっ、遥。あんた、これ」


 母が冷蔵庫から取り出した、遥の作った焼きそばを見て顔を顰める。


「お肉生焼け!」


 その数分後、灯里からメッセージアプリで「焦げた」という文面と共に真っ黒いもやし炒めの画像が送られてきた。

「好きだな」って思ってくれたらお好みの形で好き♡を伝えてくれるとうれしいです♡

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