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死人の輪郭なぞる昼

 夏休み真っ只中の池袋駅は、浮かれた人々でごった返していた。

 昼下がりの暴力的な日差し。すれ違う人々の浮き足だった熱気。自分の家の近くとは違う、何かがこもったような空気。

 遥は世界を遮断するように帽子を目深に被り、灯里に言われた待ち合わせ場所へ向かう。今日の目的は、遺産のため。遺産を手にするために、まずは父の愛人に話を聞くことであった。


 あの日、あのホテルのラウンジで灯里と協力関係を結んだ遥は、どうやって父の愛人を辿るつもりなのかと灯里に聞いた。

 実の息子から葬式の場で女癖が悪いと言われてしまうような男だ。それはそれは多くの愛人がいるに違いない。だが膨大な人数いるであろう愛人の誕生日一つ一つを試すなんて、あとチャンスが八回しかない今まったく現実的じゃないだろう。

 しかし、父──神崎雄一郎は意外にも。


「愛人は美晴さん含めて四人だよ」


 案外少ない人数を聞いて、遥は通話画面の向こうの灯里を疑うように眉を顰めた。


「……本当かよ」

「お、信じられないって声してるな」


 顔は見えないのに声だけで伝わってしまったらしい。まあ今更この男に気を遣う必要もないか、と遥は「そりゃあな」と不機嫌さを隠さずに言った。


「女好きっていうから、もっと何十人もいるのかと……」

「親父は結構内向きの人間だから。一夜限りとかは多かったけど、何人も同時進行なんてことはしてなかったらしい。まあ、木更津さん曰くだけど」

「木更津さん?」

「ああ、親父の最後の担当編集。もう二十年くらい担当してたかな」


 担当編集なんてものがいる。妙な話だが、それを聞いて遥は本当に自分の父親が作家なのだと実感した。

 知らない男の輪郭をなぞるような感覚に居心地の悪さを感じながら、遥は「それで」と本題に戻せと灯里を急かした。


「ああ、だからその全員にとりあえず話を聞いてみようと思って。幸い、二人には連絡とれたんだ」

「二人か……その中に『最高の女』ってのがいればいいんだけどな」

「まあそれは、会ってみればわかるだろ」


 そうして灯里は初めて会う約束を取り付けた時と変わらぬ強引さで、この日この時この場所で、と取り付けてきたのだった。


 池袋駅から少し歩いたところにある、高校生が入るには少し躊躇する喫茶店。その窓ガラスの内側を見ると、嫌になるほどに綺麗な男が物憂げな顔でスマートフォンを見つめていた。

 店の外にいるから入っていいかと灯里にメッセージを送ると、それまで下を向いていた灯里の顔がこちらに向けられる。先ほどの憂いを帯びた横顔とは別人のような柔い微笑みに、遥はきっと「最高の女」というのはこういう二面性を抱えた女なんだろうとぼんやり思った。

 店に入ると、一人掛けのソファに座った灯里が「こっちこっち」と手を振ってくる。そんな大仰に手を振らなくたって分かってる、と文句を言いたくなる気持ちを抑えて、遥は借りてきた猫のように向かいに座った。


「あんた、なんでいっつもこんな妙に高いところ選ぶんだよ……!」

「高くは……ああ、でも遥は初めてか。なんか飲む? 外暑かったろ」

「別に俺は……っ」


 言おうとした途端、くぅぅ、と情けない音が鳴った。灯里の視線が遥の腹に注がれる。遥は居た堪れなくなって、むっつりと黙り込むことしかできなかった。


「……俺も昼飯まだなんだ。何食べる?」

「なんでもいい……」


 灯里は「了解」と言うと、なんでもないことのようにさらさらと二人分の食事と飲み物を注文してみせた。遥はもう昼食を食べたのだ、なんて情けなくて言えるはずがなかった。


「……金は、返す。遺産から……」

「いいよいいよ。弟なんだから奢るのくらい」

「弟っていったって、ほとんど初対面だろ……」

「まあそうだけど。俺、弟って欲しかったから」


 よくわからない奴だ。そう思いながらも遥は空腹には抗えず、目の前に運ばれてきたサンドイッチを頬張った。


「ま、食べながらする話じゃないけど聞いといて。あと30分もしたら親父の愛人の一人がこの店に来る。そしたら、とりあえず親父との馴れ初めから聞こうと思って」

「なれふぉふぇ……って、そんな詳しく聞く必要あるのかよ。誕生日とか記念日とかだけでいいんじゃないか?」

「一応だよ、一応。相手にとっては大事な日なんだろうけど話を聞いてみたら何でもない日ってありそうだろ。お母さんの命日みたいにさ」


 急に突き出された「命日」という言葉に、遥の喉が一瞬詰まる。アイス珈琲を飲み下し、あっけらかんと話す灯里の方に向き直った。


「それ、前も言ってたけどいいのかよ……そんな、蔑ろにするみたいな」

「蔑ろにするも何も、実際お母さんの命日じゃ開かなかったんだからしょうがない。親父の中でお母さんの存在って小さかったんだな、としか思わないな」


 軽く流すような口調の中には、きっと灯里は父と暮らす中でこういう諦念が何度もあったのだろうという含みが感じられた。遥は何も言えずアイス珈琲をもう一口啜り、灯里から目を逸らす。


「それより愛人の話だよ」

「そ、そう、愛人の話だ」


 遥は気まずさから逃げるように灯里が振ってきた話題に乗っかった。そうだ、そもそもそのために今日は来ているのだ。


「あんた会ったことあるのか?」

「いや、ないよ。そもそも親父が特定の彼女作って浮気なんてしてたのは俺が生まれる前みたいなんだ」

「へえ、あんたが生まれてからはやめてたのか。少し見直した」

「……はは、そうだな」


 灯里は自分のスマートフォンを取り出して、写真を見せる。そこに写っていたのは、殴り書きで書かれた名前と、携帯番号、そして生年月日だった。


「親父は遺作こそスマホで書いたけど基本はアナログ人間だからさ、古い手帳何冊か漁ったら出てきたよ。ご丁寧に誕生日にレストランの名前とか書いてたから、そこから見てこの人と付き合ってたのは大体……二十四年前かな」

「二十四年前……って、え!?」


 遥は写真に写っている生年月日を見直して、ぎょっと見開いた目を灯里に向ける。


「その時ってこの人十七歳じゃねえか!」

「な。時代が時代なら大スキャンダルだよな」


 さっき遥の中で少しだけ上がった父親の評価は、もう一度最低、というところまで落ちた。灯里が産まれてから浮気をやめた、という美点を掻き消すほどに、当時四十路を超えていたであろう男が女子高生と付き合っていたなんて情報は悍ましいものなのだ。

 写真に写っている名前の女性……阿藤(あとう)神奈子(かなこ)はどんな気持ちで父と付き合っていたのか。遥の疑問を察したように、灯里が「ファンだったらしい」と言った。


「木更津さんに聞いたら、何回も何回も親父宛にファンレターを送ってきた人らしい。ある時からさっぱり送ってこなくなったから、急に飽きたのかなって思ってたけどそういうことか、って」

「そういうことか、って?」

「直接会える位置にいるんだから、ファンレターなんて送る必要ないだろ」


 なるほど、確かにそうか。今日に至るまでファンレターなんか送ったことも書いたこともない灯里にはなかなか理解しがたい感情だった。


「葬式には?」

「一応死んだのは伝えたけど、さすがに葬式に来いとは言えなかったな。本人は来たがってたけど」


 ……なるほど、なるほど……?

 結婚はおろか初恋も未だ迎えていない遥だが、何年も前に別れた相手、しかも不倫関係だった男の葬式になんか行きたいと思うのは、はっきり理解できない感情だ、と断じることができた。


「まあ、遥が思ってるより大人の男女関係はずっと複雑ってこと。サンドイッチ食べ終わった? 俺の分も食べれそうなら押し付けていい?」

「あんた一個しか食ってないだろ」

「もともとあんまり入らないんだ、胃が弱くて」


 そう言う割には真っ黒なアイス珈琲を躊躇なく飲み干す灯里に、遥は何か言おうとしたがやめておいた。別に本人がくれると言っているのだ。ありがたくもらっておいていいだろう。


「よく食べるなあ、運動部?」

「……部活はしてない。金かかるから」

「えっ、もったいない。なんだかんだ楽しいぞ。俺は親父がうるさいから美術部だったけど、野球部とか憧れたな」

「あんた坊主似合わなそうだ」


 そんな軽口を叩き合ってると、からんからん、と客の来店を知らせる鐘が軽快な音を鳴らした。

 歳は四十路を超えたくらいだろうか。仕事を抜け出したのかスーツを着ていて、背中まである長い髪をひっつめている。疲れた顔の中にまだ夢を見ている少女のような雰囲気を纏わせたその女性は、店員と二言三言話すと、恐る恐る遥達の方へ向かってきた。


「あの、灯里くん、よね? 私、雄一郎さんの……」


 阿藤神奈子は、まるで少女のように怯えながらそう聞いてきた。

「好きだな」って思ってくれたらお好みの形で好き♡を伝えてくれるとうれしいです♡

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