そうして愛に成っていく
もう九月に入って随分経つというのに、厳しい残暑は容赦なく人々を責め立てる。遥も例外なく暑さに苦しめられており、じりじりと焼けるアルファルトの上を足を引き摺るように歩いて、なんとか大学の来客者用駐車場へ向かうと。
「遥!」
聞き慣れた声に顔を上げる。
身を焼くような残暑が似合わない、涼しげな青年──異母兄の灯里が、車に背中を預けるようにして立っていた。
「どうだった? オープンキャンパス」
「……まあ、学部とかは悪くなかった」
「それは結構よかったってことだな。気に入ったみたいでよかったよかった」
運転席で車のエンジンをかけながら、灯里がけらけらと子供のように笑う。遥はシートベルトを締めると、ばつが悪い気持ちを誤魔化すように「スーパー寄って帰れよ」と言った。
父のスマートフォンは充電が出来なくなり、ゆっくりと死に向かうように、ある日ぱったりと電源もつかなくなった。中にある遺作は、刊行の機会を永遠に失った。
担当編集の木更津は灯里に修理をするよう勧めたが、灯里はそれを断った。「パスコードが分からないままで、初期化しちゃったんです」と笑いながら電話で話すのを見て、この男は本当に息をするように嘘をつくなあと思ったのを遥はよく覚えている。
現金化出来る分の遺産は、弁護士立ち会いのもとですべて遥の手に渡った。ただし、条件付きで。
「あそこに通うってなったら、遥の家よりうちの方が近いなあ。やっぱり遥が志望校決めるまではあそこは貸さないで、俺が住んどこうか」
「そういうのお節介っていうんだよ……」
「ふふふ」
灯里が遥に譲渡する遺産は、遥の生活費と学費に使うこと。これが灯里が遺産を譲り渡す時に出した条件だった。
ふざけるな話が違う、と遥は食ってかかったが、保護者であり遥が成人するまでは遺産を管理する立場にある母がそれを受け入れたせいで、飲み込まざるを得なかった。結局自分は高校生。大金を前に夢をみることなんて出来ないのだとぶちぶち文句を言うと、灯里も母も揃って笑っていた。
自分の生活費と学費にあてるためだけの、決して少なくはない金額。そうして遥は、自分の人生から排除していた「大学に行く」という選択肢にちゃんと向き直さなければいけない羽目になってしまったのだった。
「大学なんか行ったって、何の金にもならないだろ……」
「そんなことないよ、楽しいよ。課題は死ぬほど出るしバイトしなきゃ飲み会代に追いつかないし、教授っていうのは大体気難しくて厄介だけど」
「最悪じゃねえか」
灯里はまだ、父との思い出が色濃く残るあの家に住んでいる。一度、父の本をもらいに行った時に、辛くないのか聞いてみたことがあった。灯里は「つらい」と即答した。
「でも遥が本取りに来るって思うと、なんか大丈夫なんだ。なんでだろうな」
母にその話をすると、「第二の実家と思って削れるまで脛を齧れ」と言われた。まったく、意味のわからない兄と逞しい母である。
少しずつ夕方の匂いを纏ってきた街並みを眺めながら、オープンキャンパスでもらったパンフレットを撫でる。国立で学費もまあまあだし、雰囲気も、食堂のメニューも、カリキュラムも、ぱっとみた限りは悪くなかった。悪くなかった、のだが。
「偏差値がなあ……」
「大体真ん中くらいだろ? 遥のとこから指定校もとってるんだから、行ける行ける」
「簡単に言うけどな、俺は期末テストで五科目赤点とったんだぞ。学校史上初だぞ」
「勉強くらい教えてやるって」
灯里の普段の姿を見ていたら忘れそうになるが、この男は難関と言われるような大学に平気で通ったような人間なのだ。
削れるまで脛を齧れという母の言葉が頭をよぎる。本人が差し出してきた脛だ。齧ってやらないのは無礼というやつだ。
遥が「世界史と数学がやばい」と呟くと、灯里が「わかった」とどこか嬉しそうに言った。
スーパーの駐車場に車を停めて、二人同時に店内へ入る。灯里は慣れた手つきで入り口のカゴをとると、まっすぐ惣菜コーナーに向かおうとした。
「灯里。お前、昨日炒飯作ったんじゃなかったっけ。もう全部食ったのか?」
「……なんかべちょっとしてて美味しくなかったから、あのまま冷凍庫に眠らせて非常食にしようと」
「馬鹿。今日うちも炒飯にするから、合体するぞ。具何入れた?」
「カニカマと卵……」
「よし」
愛というものが何かは遥にはまだ分からないが、この日々に感じている胸の温もりを、もしかしたら愛とかなんとか呼ぶのかもしれない。そんな小っ恥ずかしい気持ちを振り払うように、遥はまだ頼りない兄を連れて歩き出した。
「好きだな」って思ってくれたらお好みの形で好き♡を伝えてくれるとうれしいです♡




