第2回
2
こんなものか――
タマは翌朝、雇い主から受け取った報酬を見下ろしながら、小さく嘆息した。
極小の辺境国に期待などしていなかったが、思った以上のはした金に、タマはしかし文句ひとついわなかった。
そもそも関を守護しているとは名ばかりに、互いに小競り合いを続けていただけに過ぎなかったのだ。
相手国の小さな軍の大将首を取ったとて情勢は変わる様子もなく、敵側もあのあとすごすごと撤退していくだけだった。
どのみち、くだらない睨み合いなど、双方ともに嫌気が差していたのだろう。
しばらくは何の動きもありそうになく、ここに長居する理由はもちろん、ない。
タマは心底つまらない奴らだと呆れかえりながら、荷物を担いで街道に出た。
太ももより下を露わにしたタマは、道行く人々の視線を一切気にしなかった。
ボロボロの着物は最後にいつ洗ったのか覚えていない。
胸には鈍色に光る銀の胸当て。
どこぞの戦で首を狩った武将からはぎ取ったその胸当ては、自身を守る唯一の防具だ。
攻撃こそ最大の防御。
殺られるまえに殺ればよいだけのこと。
そう、簡単なことだ。
タマの噂はすでに近隣国に知れ渡っていた。
――灰色猫。
それが彼女の通り名だった。
金次第で東にも西にも付く流れ者。
黒でもなく白でもなく、ゆえに灰色。
それは彼女の肩まで伸びたその髪の色と相まって、道行く人々すら忌避して道を開けるほどだった。
それなのに。
「よう、お前さんが灰色猫か」
道中、恰幅の良い男が背後から声をかけてきた。
髭面の、如何にもタマと同じ流れ者の傭兵といった風情だった。
腰には大太刀。長らく洗っていないらしい服装と、乱雑に縛られたぼさぼさ髪にはフケがまとわりついている。
「だったら?」
タマは立ち止まることなく静かに答えた。
男もまた、立ち止まることなく並んで歩く。
「昨夜、うちの大将の首を刎ねたそうだな」
瞬間、タマは男から飛びのき、腰の双刀に手を伸ばしていた。
男はそれを見て豪快に笑いながら、
「身構えるな。俺も油断していた。流石は灰色猫だ」
「――」
タマはじっと男の眼を見つめる。
襲い来る様子はない。
しょせん、こいつも傭兵風情ということか。
「……それをいいたかっただけか」
「ちがう、ちがう」
男はにんまりと嗤い、
「俺は……そうだな、クロと呼んでくれ」
「クロ?」
「昔飼っていた犬の名だ。真名はとうの昔に捨てた。お前さんは?」
「タマ」
「お前さんも、国を失って流れてるくちだろう?」
「……」
タマは答えない。
答える意味を見出せなかった。
男が、何を考えているのか解らなかった。
警戒を解くわけにはいかない。
少しでも妙な動きをすれば、あの首を掻き斬って捨てねばならない。
「大丈夫だ、身構えるなといっているだろう」
「……私になんのようだ」
「なぁに、猫と犬、二人そろえば鬼に金棒。より多くの金を得られそうだと思ってな」
「イヌ?」
「俺はな、この辺りでは終末の犬なんぞと呼ばれている」
「――あぁ」
その通り名なら、タマも幾度か耳にしたことがあった。
敵に回せば国が亡びる。
ゆえに終末をもたらす犬、終末の犬。
実際に国が滅ぼされたという話は聞かない。
しかし、その武勇は幾度も耳にしてきたのも間違いなかった。
「お前のせいで金が入らなかったんだ」とクロは顎に手をあてながら、「こちらも路銀がかつかつでな。力を貸してくれ」
「……それはお前の力不足のせいだろう。終末の犬が、聞いて呆れる」
するとクロは高らかに笑う。
「おいおい、俺が自分からそう名乗ってるわけじゃねぇ。周りの奴らが勝手に呼んでるってだけの話だ」
タマはその言葉に微かに笑んだ。
「まあ、確かにな」
灰色猫も同じ。自ら名乗っているわけではない。
いつからか誰かがそう呼び始めた、ただそれだけのことでしかない。
「よし、なら、決まりだな」
腰に手を当てて言い放つクロに、タマは眉をひそめる。
「……勝手に決めるな」
「俺が勝手にお前についていくだけだ。お前と同じやつに雇われて、お前と同じやつと戦って、お前と同じやつから金を頂く。それならいいだろう?」
にんまり笑うクロに、タマは呆れたように嘆息し、
「……もういい、好きにしろ」
相手にすることも諦めて、男に背を向け歩き出した。
そんなタマに、クロは嬉しそうに豪快に笑う。
「おう、好きにするさ!」
そうしてタマのあとを、ずかずか追うように歩むのだった。




