第1回
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燃え盛る炎のなか、少女はうつ伏せに倒れたまま、息も絶え絶えにソレを見上げていた。
灰色の長い毛並みに大きな眼。祖母の歳経た愛猫は、今まさに死を迎えようとしている少女に憐憫の色を湛えながら、ゆっくりと口を開いた。
それは猫の鳴き声ではなく、静かな、重たい、人の言葉だった。
少女は生きたかった。
死にたくなかった。
だから、少女は――
――かつての少女は、そこで薄らと瞼を開いた。
暗闇のなか、女は樹上の太い幹に座り、二本の刀を抱えながら、短い眠りから静かに目覚めた。
「……嫌な夢だ」
女は――タマは呟く。
タマ、それが今の彼女の名前だった。
かつての名は、あの日、あの炎のなかで捨て去った。
身分と、そして在りし日の思い出とともに。
タマは樹下に神経をやり、なにか動きはないかと辺りを見回す。
どこか遠くから、梟の鳴く声が聞こえてくる。
兵たちの寝息と、不寝番の話し声も密やかだ。
敵陣に視線をやれば、煌々と瞬く篝火が風に揺らめいていた。
どうやらあちらも今は大人しくしているらしい。
夜陰に乗じて動くような気配はない。
ならば、とタマは音もなく静かに樹下に降り立った。
ぎろりと敵陣の方へ視線をやり、風の如く駆けだした。
双方が油断しているこの隙に単独で忍び込み、あちらの大将首を取ろうと考えたのだ。
この小さな戦に加わって早五日。主だった動きはなく、ただ小競り合いを繰り返すのみ。
タマとしては早くこんなくだらない戦に蹴りをつけて、次の戦仕事を探して銭を稼ぎたかったのだ。
タマはあっという間に敵陣のなかに忍び込んだ。それは意図も容易いことだった。この倭国が西と東に分かれて数十年。今やその力は拮抗し、目立った大戦もなくなった。こうした小競り合いは数えきれないほどこの関で起こってきたが、それが当たり前になるとどちらも本気で攻める気を失っていた。
だから、タマはそこを突くことにした。
この行動で再び大きな戦禍が起ころうが、どうでも良い。
ただ、傭兵としての仕事が増えるだけ。
そして戦が増えたぶん、より己の復讐を果たす機会を増やすことになるだけなのだ。
敵の大将は、陣中の幕の奥にいた。
タマは周囲を守っていた兵をひとり、ふたり、物音を立てることなく、その首を掻き斬って死に至らしめた。
やがて守るものの居なくなった幕に忍び込み、寝ている大将の首に刃をあてる。
瞬間、敵の大将がばっと目を覚ました。
息を飲み、冷めた視線で見下ろすタマに、
「き、貴様はまさか灰色猫……」
しかし、それが彼の発した最期の言葉だった。
タマは、灰色猫と呼ばれた彼女は、すっと静かに刃を引いた。
すぱりと大将の首が切断され、赤い血飛沫が辺りを染める。
返り血を浴びてなお顔色ひとつ変えないタマは、大将の首を重そうに持ち上げると、敵陣をあとにした。
再び静かに夜闇を駆ける。
背後の敵陣から、動揺の叫びが響き渡る。
それを耳にしても、タマは特段なにも思わなかった。
これで、このくだらない小競り合いは終わったのだ。
あとは首級を雇い主の武将に差し出し、金を得て再び戦仕事を探して旅を続けるだけ。
そうしてあいつに――かつての少女が暮らしていた国を滅ぼしたあの男に、復讐を果たす。
思いながら、タマは静かに月を見上げた。
その月は、タマが国を失ったあの時と、変わらずそこに浮いていた。




