第8話 逆転の鍵
目が覚めた。
午前零時ちょうど。九度目のループ。こめかみの痛みは、もはや体の一部だ。だが、今回は別の感覚もある。可能性。まだ諦めていない自分がいる。
窓辺に立ち、学院を見下ろす。淡い青白い光が、また学院を包んでいる。八割近くが霧に包まれている。限界が近い。
前回のループで、俺は絶望的な選択肢を突きつけられた。グレゴールの命、ヴェスパーの命、俺の記憶消去。どれも受け入れられない。だが、諦めるわけにはいかない。必ず、別の方法がある。
その鍵は、俺自身の能力にあるはずだ。記録魔法。そして、暗黒系の潜在能力。これが術式の穴となり、俺だけが記憶を保持している。ならば、これを逆に利用できないか。今回は、自分の能力を深く掘り下げる。そして、誰も犠牲にならない解決策を見つける。
鐘楼の鐘が六回鳴る。
九度目の月曜日。身支度を整え、寮を出る。ノエルが駆け寄ってくる。
「おはよう、エリオット!」
「おはよう」
いつもの会話。だが今日は、新しい決意がある。大食堂へ向かう。朝食を取りながら、俺は考えていた。記録魔法。なぜ俺だけが記憶を保持できるのか。
午後三時。俺は中庭へ向かった。
リセアに説明を始める。もう慣れた手順だ。火曜日、予言は的中し、リセアは俺を信じた。その日の夕方、俺は彼女に前回のループのことを全て話した。学院長に会ったこと。三つの選択肢。そして、ヴェスパーの決意。
リセアは真剣な表情で聞いていた。
「今回は、別の方法を探す」
俺は言った。
「俺の能力を、もっと深く理解する。そこに答えがあるはずだ」
リセアは頷いた。
「私も手伝うわ」
火曜日の夜、図書館夜間開放。俺とリセアは、魔法理論の書棚で記録魔法について調べていた。
「見つけたわ」
リセアが古い本を持ってくる。『記録魔法の理論と応用』。俺たちはその本を開いた。
「記録魔法は、光明系の補助魔法の一種。見たものを記憶に定着させる能力。通常は短期間のみだが、訓練次第で長期保存可能」
リセアが読み上げる。
「でも、俺の場合は違う」
俺は考え込んだ。七日間全ての記憶が完璧に残る。それも複数ループ分。普通の記録魔法じゃない。
「普通じゃないのかも」
リセアが別のページを開く。
「ここに何か書いてあるわ。『記録魔法に他系統の要素が混ざると、特殊な効果が現れることがある』」
他系統。俺は考えた。俺の適性は光明系だけじゃない。確か入学試験で暗黒系の適性もあるって言われた。
「暗黒系?それは珍しいわ」
リセアが驚いた顔をする。
「でも、自覚がない。使ったこともない」
「潜在能力なのかもしれない」
リセアは本を読み進める。
「『記録魔法に暗黒系の要素が混ざると、時間に関する特性が加わることがある』」
俺は息を呑んだ。時間。それだ。
「それよ!」
リセアも興奮している。
「あなたの記録魔法は、時間に関する能力を持っている。だから、時間逆行の術式と共鳴して、記憶を保持できる」
全てが繋がり始めた。
水曜日の昼休み。俺は保健室を訪れた。トリスタ保健教師に、魔法適性について相談したかった。
「あら、エリオット君。どうしたの?」
トリスタは優しく微笑む。
「先生、俺の魔法適性について教えてほしいんです」
「適性?ああ、記録を見れば…」
トリスタは棚から書類を取り出した。
「エリオット・アシュフォード。光明系と…あら」
彼女は驚いたような表情を浮かべた。
「暗黒系の複合適性ね。これは珍しい。自覚がない?」
俺は頷いた。はい。使ったことがありません。
「潜在能力なのね。光明系と暗黒系の複合は、非常に稀。相反する性質を持つから」
トリスタは説明した。
「でも、記録魔法に暗黒系の要素が混ざると…時間に関する特性が加わることがあるわ」
やはり。昨夜の本と同じことを言っている。
「つまり、俺の記録魔法は特殊なんですね」
「そうね。もしかしたら、あなたの能力は単なる記録魔法じゃないかもしれない。時間に干渉する能力の一種…『時間記録』とでも言うべきかしら」
時間記録。その言葉が、俺の中で何かを開いた。
午後三時。俺は学院長室へ向かった。リセアも一緒だ。ノックして中に入る。
「また来たのか」
グレゴールが苦笑する。
「学院長、報告があります」
俺は昨夜と今日の発見を説明した。記録魔法と暗黒系の複合適性。時間に関する特性。グレゴールは真剣な表情で聞いていた。
「なるほど…お前の能力が術式と共鳴しているわけだ。だからお前だけが記憶を保持できる。そして、お前が術式の『アンカー』になっている」
学院長は考え込んだ。
「ならば…お前は術式に介入できるかもしれない」
「介入…?」
「そうだ。術式はお前の記憶と結びついている。お前の能力を使えば、術式に働きかけることができる可能性がある」
俺は興奮した。それです!それが答えかもしれない。
「理論上は可能だが…」
グレゴールは慎重だ。
「危険も伴う。術式の核に直接触れることになる」
「でも、試す価値はあります」
俺は決意した。
「誰も犠牲にならない方法があるなら、どんな危険でも冒します」
水曜日の午後、中庭を歩いていると、ノエルが話しかけてきた。
「なあエリオット、最近元気ないな」
「ああ…色々考えることがあってな」
ノエルは俺の肩を叩いた。
「まあ、頑張れよ。お前なりのやり方でさ」
ノエルは空を見上げた。
「そういえば、ヴェスパー先生も最近疲れてるよな。でもさ、あの先生って実は優しいんだよ。前に俺が魔法の実験失敗して怪我した時、すごく心配してくれた。誰かを守ろうとしてるみたいな感じだった」
守る。その言葉が、俺の中で何かを繋げた。
「ありがとう、ノエル」
「え?何が?」
俺は駆け出していた。
リセアを見つけて、俺は興奮気味に話した。
「わかった!ヴェスパー先生の真の目的が。先生は、お前を守ろうとしている」
「でも、何から?」
リセアが尋ねる。
「日曜日だ。お前が実家に帰った時」
俺は推理を展開した。
「前回のループで、学院長が言っていた。お前が日曜日の帰省中に事故で死ぬと。ヴェスパーは未来視でそれを知った。だから時間を巻き戻した。お前が死なない未来を作るために」
リセアは息を呑んだ。
「つまり…私が日曜日に学院に残れば…」
「未来が変わる。術式が不要になる」
俺は続けた。
「でも、それだけでは足りない。術式は既に暴走している。ただ未来が変わっても、暴走は止まらない」
「じゃあ、どうすれば…」
「俺の能力だ」
俺は確信した。
「俺の『時間記録』能力で、術式に新しい未来を上書きする。リセアが生きている未来を、術式に記録させる。それができれば、術式は目的を達成したことになる。暴走が止まる」
リセアは目を輝かせた。
「それよ!それが答えだわ」
木曜日。俺はグレゴールに仮説を話した。
「リセアが日曜に学院に残る。これで未来が変わる。同時に、俺の記録魔法で術式に介入する。新しい未来を術式に『上書き』する」
グレゴールは考え込んだ。
「理論上は可能だ。だが、リスクもある」
「わかっています」
俺は頷いた。
「でも、他に方法がない」
「ヴェスパーも呼ぶべきだ」
グレゴールが言った。
「彼女の協力も必要になる」
その日の夜、俺たちはヴェスパーを呼び出した。学院長室で、四人が顔を合わせる。ヴェスパーは驚いた表情で入ってきた。
「学院長…これは?」
「座りなさい、ヴェスパー」
グレゴールが椅子を勧める。ヴェスパーは俺たちを見て、何かを察したようだった。
「あなたたち…全て知っているのね」
「はい」
俺は答えた。全てを。
沈黙。やがて、ヴェスパーが口を開いた。
「そう…もう隠せないのね」
彼女は深く息を吸った。
「リセアを救うために、私が術式を起動した」
リセアは涙を流しながら頷いた。
「先生…」
「ごめんなさい」
ヴェスパーは頭を下げた。
「私の身勝手で、全員を巻き込んでしまった」
「先生」
俺は言った。
「俺たちは、先生を責めるつもりはありません。むしろ、一緒に解決したい」
ヴェスパーは顔を上げた。
「解決…?でも、方法は…」
「あります」
俺は自分の仮説を説明した。リセアが日曜に学院に残ること。俺の記録魔法で術式に介入すること。新しい未来を上書きすること。
ヴェスパーは驚いた顔をした。
「それは…確かに理論上は可能だけれど、危険すぎるわ」
「でも、誰も死なない方法です」
リセアが言った。
「試す価値はあるわ」
グレゴールも頷いた。
「私も同意見だ」
ヴェスパーは躊躇していたが、やがて頷いた。
「わかったわ。私も協力する」
金曜日。魔法実技試験。今回も、ゼファーが一位、リセアが二位。だが、俺の心は既に日曜日の作戦に向いていた。
試験後、俺はヴェスパーに話しかけた。
「先生、俺たち、わかりました。先生はリセアを救うために術式を起動した。でも制御を失った」
ヴェスパーは目を伏せた。
「…そうだ」
「でも、もう大丈夫です」
俺は言った。
「一緒に、未来を変えましょう」
ヴェスパーは俺を見つめた。その目には、涙が浮かんでいた。
「ありがとう、エリオット」
土曜日。学院長室で、俺たち四人は綿密な作戦会議を開いた。
「日曜日、リセアは絶対に学院を出ない」
グレゴールが確認する。
「はい」
リセアが頷く。
「エリオットは、術式の核に記録魔法を試す。その際、ヴェスパーと私がサポートする」
「わかりました」
俺は決意した。
「タイミングは日曜の午後十一時。リセット直前だ。その時刻に、地下で作戦を実行する」
グレゴールが説明した。
「危険な作戦だ。失敗すれば、エリオットの精神が崩壊する可能性もある」
「でも、やります」
俺は譲らなかった。
「誰も犠牲にならない方法があるなら、どんな危険でも冒します」
リセアが俺の手を握った。
「一緒に、未来を変えましょう」
ヴェスパーも頷いた。
「私も、全力で協力するわ」
グレゴールは深く息を吸った。
「わかった。では、明日決行する」
日曜日。多くの生徒が外出した。学院は静かだ。俺たちは学院に残り、準備を整えた。
午前中、俺は記録魔法の訓練をした。リセアがサポートしてくれる。
「もっと集中して。見たものを記憶に定着させる。それを術式に投影する」
リセアが助言する。俺は何度も練習した。
午後、俺たちは地下の術式を再確認した。巨大な魔法陣。中心の核。
「あれに触れて、新しい未来を記録する。リセアが生きている。学院も無事だ。その未来を、術式に刻み込む」
俺は核を見つめた。
ヴェスパーが俺の肩に手を置いた。
「危険な作戦だけれど…信じているわ」
グレゴールも頷いた。
「健闘を祈る」
午後十一時。俺たち四人は、旧校舎地下にいた。巨大な魔法陣の前に立つ。時の霧が迫ってくる。学院の九割近くが霧に包まれている。
「始めよう」
グレゴールが言った。俺は深呼吸をして、魔法陣の中心へ歩いた。核が、宙に浮いている。
「エリオット、気をつけて」
リセアの声が聞こえる。俺は核に手を触れた。
瞬間、圧倒的な情報が流れ込んできた。七日間のループ。リセアの死。ヴェスパーの決意。術式の暴走。全てが、俺の脳裏に浮かぶ。
「うっ…」
膝が折れそうになる。
「エリオット!」
リセアが駆け寄ろうとするが、ヴェスパーが止める。
「待って。今、彼は術式と対話している」
俺は必死に意識を保った。記録魔法を発動する。新しい未来を、記憶に刻む。リセアが日曜日、学院に残る。馬車事故は起こらない。彼女は生きている。その未来を、術式に投影する。
「これが…新しい未来だ」
術式が反応する。核が激しく光り輝く。
「まだだ…もっと強く」
俺は全ての魔力を注ぎ込んだ。リセアの笑顔。仲間たちの姿。平和な学院。その全てを、術式に刻み込む。
「頼む…!」
光が爆発した。
俺は意識を失った。気がつくと、地下室の床に倒れていた。
「エリオット!」
リセアが俺を抱き起こす。
「大丈夫か?」
グレゴールが尋ねる。
「ああ…なんとか」
俺は立ち上がった。
「成功したのか?」
ヴェスパーが核を見つめている。核の光が、少し弱まっている。
「わからない…でも、何か変わった」
グレゴールが魔法陣を調べる。
「術式が…安定し始めている」
「本当に?」
リセアが驚く。
「ああ。暴走が収まりつつある」
グレゴールは頷いた。
「だが、まだ完全ではない。次のループで、確認できる」
ヴェスパーが言った。
午前零時。リセット。
目が覚めた。
午前零時ちょうど。十度目のループ。最後のループ。こめかみの痛みは、限界を超えている。だが、希望もある。
窓辺に立ち、学院を見下ろす。光と霧。だが、何かが違う気がする。前回の作戦は、成功したのか。それとも…
鐘楼の鐘が六回鳴る。十度目の月曜日。最後の七日間が始まる。今度こそ、全てが決まる。
俺は決意を新たにした。




