第4話 孤独の終わり
目が覚めた。
午前零時ちょうど。五度目のループ。
こめかみの奥で、針を刺されたような鋭い痛みが走る。痛みは回を重ねるごとにひと段深く沈む。記憶保持の代償だ。
だが、今回は違う。
前回のループで、俺は初めて協力者を得た。リセア・ヴェルナ。彼女は俺の話を信じ、共に調査してくれた。
その記憶が、胸を温かくする。
もう一人じゃない。
窓辺に立ち、学院を見下ろす。淡い青白い光が学院を包んでいる。
だが、もう恐怖はない。今回は、リセアと共に戦える。
早く彼女に話しかけなければ。早く、協力体制を作らなければ。
鐘楼の鐘が六回鳴る。
五度目の月曜日。
身支度を整え、寮を出る。廊下を歩きながら、俺は今日の計画を立てていた。
午後三時、中庭の始祖の泉。そこでリセアに話しかける。
前回の経験から、どう説得すればいいかわかっている。
未来の出来事を予言する。そして、証明する。それを繰り返せば、彼女は必ず信じてくれる。
「おはよう、エリオット!」
ノエルが駆け寄ってくる。もう何度目だろう、この光景。
「おはよう」
「昨日の魔法理論の課題──」
「やった」
ノエルは笑う。いつもの反応。
大食堂へ向かう。朝食を取りながら、俺はリセアの方を見た。
彼女は窓際の席で、友人たちと食事をしている。
今は、まだ俺のことを覚えていない。
だが、今日の午後には、彼女は再び俺の協力者になる。
そう信じて、俺は食事を続けた。
週次訓話。グレゴール学院長の「努力と規律」の話。
俺は訓話の内容を暗記している。これは、リセアを説得する材料になる。
彼女に、一字一句同じ内容を伝えれば、俺がループを経験していることを証明できる。
訓話が終わり、授業が始まる。
一時限目、二時限目。いつもと同じ授業。
俺は授業に集中できなかった。頭の中は、午後三時のことでいっぱいだ。
昼食を済ませ、俺は早めに中庭へ向かった。
始祖の泉のほとりで待つ。午後三時になれば、リセアがここに来る。
時計を確認する。午後二時五十五分。
やがて、リセアの姿が見えた。
銀色の髪が、午後の日差しを受けて輝いている。彼女は泉のほとりに座り、瞑想を始めた。
俺は深呼吸をした。
前回は成功した。今回も、きっと大丈夫だ。
ゆっくりと、彼女に近づく。
足音に気づいたのか、リセアが目を開けた。
「あら…エリオット君?」
彼女は少し驚いたような表情を浮かべる。
「話がある。少し、時間をもらえないか」
リセアは不思議そうな顔をしたが、頷いた。
「いいわよ」
彼女は立ち上がり、俺の方を向いた。
「何の話?」
俺は深呼吸をした。前回の経験を活かす。
「これから話すことは、信じられないかもしれない。でも本当なんだ」
リセアは眉をひそめる。
「…何?」
「俺たちは今、時間のループに閉じ込められている」
沈黙。
リセアの表情が、困惑に染まる。
「時間のループ…?」
「ああ。同じ一週間を何度も繰り返している。そして、俺だけが記憶を保持している」
リセアは首を傾げた。
「それは…どういうこと?」
俺は、前回よりも落ち着いて説明した。
「今日は月曜日。だが、俺はこの月曜日を、もう四回繰り返している」
「四回…」
リセアは戸惑っている。当然だ。いきなりこんな話をされても、信じられるはずがない。
「証明できる」
俺は言った。
「これから起こることを予言してみせる」
リセアは腕を組み、俺を見つめた。
「どうやって?」
「明日、火曜日の昼休み。食堂でノエル・ブライスが、ゼファーの取り巻きとトラブルになる。取り巻きの一人が、ノエルの食事にぶつかる」
リセアは眉を上げた。
「それだけ?予想できることじゃない?」
「じゃあ、これは?」
俺は今朝の訓話の内容を、一字一句暗記していた通りに言った。
「『魔法とは、才能だけで成り立つものではない。日々の鍛錬、規律正しい生活、そして何より努力が必要だ。諸君の中には、生まれながらに強大な魔力を持つ者もいるだろう。だが、それに驕ってはならない』」
リセアの目が見開かれる。
「それは…今朝の訓話の…」
「続きもある。『努力なき才能は、いずれ枯れる。才能なき努力も、いずれ実を結ぶ。諸君に求めるのは、規律と努力だ。それこそが、真の魔法使いへの道である』」
リセアは息を呑んだ。
「どうして…あなた、全部暗記しているの?」
「四回も聞いたからな。嫌でも覚える」
沈黙。
リセアは俺を見つめている。その瞳には、疑いと興味が混ざっている。
「もう少し、様子を見させて」
リセアは静かに言った。
「もしあなたの言うことが本当なら…明日、ノエルのトラブルが起きるはずよね」
「ああ」
「それを確認してから、また話しましょう」
俺は頷いた。前回と同じ展開だ。だが、これでいい。
火曜日。
俺は昼休み、食堂に早めに入った。リセアも、既に席についている。
彼女は時折、俺の方を見ている。
そして、予言通りの時刻。
ノエルがトレイを持って歩いている時、ゼファーの取り巻きの一人が故意にぶつかった。
「わっ!」
ノエルのトレイが傾き、食事が床にこぼれる。
「おっと、すまん」
取り巻きは謝罪もせず、笑いながら立ち去った。
ノエルは呆然としている。周囲の生徒たちが、ざわめく。
俺はリセアの方を見た。
彼女も、俺を見ている。
その目には、明らかな驚きの色があった。
その日の夕方。
俺が図書館で勉強していると、リセアが近づいてきた。
「エリオット君」
彼女の声は、わずかに震えている。
「少し、いいかしら」
俺は頷き、席を立った。
人目のない書架の間へと移動する。
「あなたの言ったこと…本当だったのね」
リセアは信じられないという表情で言った。
「ノエルのトラブル、予言通りに起きた」
「ああ」
「どうして…どうしてあなただけが記憶を?」
俺は肩をすくめた。
「わからない。でも、俺だけがこのループを覚えている」
リセアは深く息を吸った。
「もっと詳しく教えて。何が起きているの?」
俺は、これまでの経緯を説明した。
ループの発見、旧校舎地下の存在、ヴェスパーとゼファーの密会、学院長の苦悩。
リセアは真剣な表情で聞いていた。
「信じられない…でも、あなたの予言は当たった」
「明日、水曜日の午後三時三十分。旧校舎の裏手で、ゼファーとヴェスパー先生が密会する」
リセアは驚いた顔をした。
「ゼファーとヴェスパー先生が?」
「ああ。一緒に確認しよう」
「わかったわ」
リセアは決意した表情で頷いた。
「私も、あなたを助ける」
その言葉を聞いた瞬間、俺の胸に温かいものが広がった。
「ありがとう」
その夜。火曜日は図書館の夜間開放日だ。
俺とリセアは、人目の少ない古書のコーナーで情報を集めた。
「見て、これ」
リセアが古い本を見つけた。
「『時間魔法は暗黒系の最高峰禁術である。創設者アリウス・クロノスが研究していたが、危険性を悟り封印した』」
「旧校舎の地下に、その資料が眠っているはずだ」
俺は言った。
「でも、鍵がなければ入れない」
「学院長か、一部の教師が持っているらしい」
リセアは考え込んだ。
「学院長に直接聞いてみるのはどう?」
「次のループで、試してみよう」
俺たちは小声で話しながら、時間魔法に関する資料を読み漁った。
多くの生徒が勉強している中、俺たちだけが別の目的を持っている。
水曜日、午後三時三十分。
俺とリセアは、旧校舎の裏手で待機していた。
「本当にここで密会するの?」
リセアが小声で尋ねる。
「ああ。もうすぐ来る」
予言通り、ゼファーが現れた。
彼は周囲を警戒しながら、旧校舎の陰へと入っていく。
数分後、黒いローブを纏った人物が現れる。ヴェスパー教師だ。
リセアは息を呑んだ。
「本当だ…」
二人は何か話している。距離が遠く、内容は聞き取れない。
だが、密会している事実は確認できた。
約十五分後、二人が別れた。
リセアが俺に言った。
「信じるわ。あなたの言うこと、全部」
俺は安堵した。
「よかった」
「でも、どうして二人は密会しているの?」
リセアの疑問に、俺は前のループで聞いた会話の内容を伝えた。
「ゼファーは父親の命令で、学院の秘密を調べている。ヴェスパー先生は、その伝言役らしい」
「つまり…ゼファーは犯人じゃない?」
「ああ。少なくとも、ループの直接的な犯人ではないと思う」
リセアは考え込んだ。
「では、誰が?」
「わからない。でも、旧校舎の地下に答えがあると思う」
リセアは頷いた。
「一緒に調べましょう。私も力になるわ」
木曜日、金曜日と過ぎていく。
金曜日の実技試験。
ゼファーが圧倒的な雷魔法で一位。リセアが完璧な氷魔法で二位。
全て、予言通りだった。
試験の時、俺は観察していた。
ヴェスパー教師が、リセアの試験を見ている。
その目には…敵意ではなく、何か別の感情があった。
憂い?心配?
なぜ、ヴェスパーはリセアを特別視しているのか。
試験後、俺はリセアに言った。
「ヴェスパー先生、お前を見る目が変だった」
「変…?」
「敵意じゃない。でも、何か特別な感情があるように見えた」
リセアは首を傾げた。
「私、先生とはあまり話したことがないわ」
「何か心当たりは?」
「ないわ…」
土曜日。
俺とリセアは、図書館で情報を整理していた。
「そういえば」
リセアが言った。
「日曜日、どうするの?」
「日曜?」
「外出許可が出るでしょう。多くの生徒が王都に行く」
俺は考えた。
「俺は学院に残る。調査を続けたい」
「私も残るわ」
リセアは決意した表情で言った。
「え?でも、お前はいつも実家に帰るんじゃ…」
リセアの表情が、わずかに曇った。
「今回は残るわ」
「どうして?」
リセアは少し躊躇したが、やがて口を開いた。
「実は…家族と、少し距離を置きたくて」
俺は黙って待った。リセアは続ける。
「私には姉が二人いるの。二人とも、私より優秀で」
「お前も十分優秀だろう」
「でも、家族はそう思っていないわ。いつも姉たちと比較される」
リセアの声が、わずかに震えている。
「『リセアも頑張っているけれど、まだまだね』『姉たちを見習いなさい』。そんな言葉ばかり」
俺は初めて知った。リセアにも、悩みがあることを。
「完璧な優等生に見えるけど…お前も、色々抱えてるんだな」
リセアは苦笑した。
「完璧であることを求められて、疲れてしまったの」
「だから、日曜は学院に残る」
「ええ。一人になりたい時間が欲しいの」
俺は頷いた。
「わかった。じゃあ、日曜は二人で調査を続けよう」
リセアは微笑んだ。
「ありがとう、エリオット」
日曜日。
多くの生徒が王都へ外出した。ノエルも実家に帰省する。
「じゃあな、エリオット。また明日」
「ああ」
ノエルが去った後、学院は静かになった。
俺とリセアは、中庭で話していた。
「明日の午前零時に、全てが巻き戻る」
俺は彼女に説明した。
「そしたら、お前はまた全てを忘れる」
リセアは悲しそうな表情を浮かべた。
「そう…私は忘れてしまうのね」
「ああ。でも大丈夫だ。また証明してみせる」
「エリオット」
リセアは俺の手を握った。
「あなた、一人でずっと戦ってきたのね」
その優しい言葉に、俺の目頭が熱くなった。
「…ああ」
「辛かったでしょう」
「今は、お前がいる」
リセアは微笑んだ。
「ええ。次のループでも、必ず協力するわ」
「ありがとう」
俺たちは、夕暮れの中庭で並んで座っていた。
始祖の泉の水音が、静かに響いている。
「ねえ、エリオット」
「ん?」
「もし、このループから抜け出せたら…私たちは、この記憶を覚えているのかしら」
俺は考えた。
「わからない。でも、お前と過ごしたこの時間は、俺の中に残る」
リセアは頷いた。
「私も。たとえ忘れても、何か大切なものが残る気がするわ」
午後十一時。
俺とリセアは、寮に戻る前に、もう一度中庭で会った。
「もうすぐ、リセットの時間だ」
俺は窓から見える学院の様子を観察していた。
「あの光と霧が、また学院を包む」
リセアも窓から外を見た。
「本当だ…学院が光っている」
午後十一時三十分。
霧が、学院の端から広がり始めた。
「前回のループより、範囲が広がっている」
俺は言った。
「このまま放置すれば、いずれ学院全体が飲み込まれるかもしれない」
リセアは不安そうな表情を浮かべた。
「時間がないのね」
「ああ。早く真相を突き止めなければ」
午後十一時五十九分。
鐘楼の鐘が、不規則に鳴り始める。
「来る」
俺は言った。
リセアは俺の手を握った。
「次のループで、また会いましょう」
「ああ。必ず」
午前零時。
世界が白く染まる。
リセット。
目が覚めた。
午前零時ちょうど。六度目のループ。
こめかみの痛みが、さらに強くなっている。だが、耐えられないほどではない。
前回のループで、リセアとの絆が深まった。
彼女の秘密を知った。彼女も、俺の孤独を理解してくれた。
もう一人じゃない。
次のループでも、俺たちは協力する。
そして、必ず真相を突き止める。
鐘楼の鐘が六回鳴る。
六度目の月曜日。
身支度を整え、寮を出る。
ノエルが駆け寄ってくる。
「おはよう、エリオット!」
「おはよう」
いつもの会話。だが、今は苦痛ではない。
なぜなら、今日の午後、リセアがまた俺の協力者になるからだ。
大食堂へ向かう。朝食を取りながら、俺はリセアの方を見た。
彼女は窓際の席で、友人たちと食事をしている。
今は、まだ俺のことを覚えていない。
だが、今日の午後には、彼女は再び俺の味方になる。
週次訓話が終わり、授業が始まる。
午後三時が近づく。
俺は中庭へ向かった。
始祖の泉のほとりで、リセアが瞑想している。
俺は深呼吸をした。
もう何度も繰り返した説得。だが、毎回、心臓が早鐘を打つ。
彼女に近づく。
リセアが目を開けた。
「あら…エリオット君?」
「話がある。少し、時間をもらえないか」
リセアは頷いた。
「いいわよ」
そして、俺は再び説明を始めた。
時間のループ。記憶の保持。未来の予言。
リセアは最初、戸惑っていた。
だが、俺が訓話の内容を一字一句暗記していることを示すと、彼女の目が変わった。
「明日、証明してみせる」
俺は言った。
「そして、一緒に調査してほしい」
リセアは考え込んだ後、頷いた。
「わかったわ。明日、確認させて」
火曜日。
ノエルのトラブルが、予言通りに起きた。
リセアは驚愕の表情で、俺を見た。
その日の夕方、彼女が俺に話しかけてきた。
「信じるわ。あなたの言うこと」
「ありがとう」
「一緒に調べましょう。この謎を解くために」
俺は頷いた。
「ああ。お前がいれば、きっと真相に辿り着ける」
水曜日、ゼファーとヴェスパーの密会を確認した。
木曜日、金曜日と過ぎていく。
そして、また日曜日が来た。
俺とリセアは、中庭で話していた。
「次のループでは、学院長に直接話しかけてみよう」
俺は提案した。
「彼は何か知っているはずだ」
リセアは頷いた。
「そうね。でも、信じてもらえるかしら」
「証拠を示せば、信じてもらえるはずだ」
リセアは俺の手を握った。
「エリオット、ありがとう」
「何が?」
「私を信じてくれて。私に頼ってくれて」
リセアは微笑んだ。
「あなたと一緒なら、きっと解決できるわ」
俺も微笑んだ。
「ああ。二人でなら、必ず」
午前零時。
リセット。
だが、俺にはもう恐怖はない。
なぜなら、リセアという協力者がいるからだ。
孤独な戦いは、終わった。
これからは、二人で戦う。
そして、必ず真相を突き止める。
七度目のループが、始まる。




