第2話 繰り返す悪夢
目が覚めた。
暗闇の中、俺は天井を見つめた。枕元の時計に手を伸ばす。
午前零時ちょうど。
また、だ。
こめかみの奥が鈍く鳴る。金属疲労みたいな痛みだ。覚えているのは、俺だけだ。
今度は夢ではない。確信がある。俺は本当に時間のループに囚われている。
深呼吸をする。落ち着け。冷静にならなければ。
窓辺へと歩み、カーテンを開ける。月光が差し込む。
学院を見下ろすと、あの淡い青白い光が微かに見える。ループの始まりを告げる光。
これが現実なのだ。
もう一度ベッドに戻り、眠ろうとする。だが眠れない。頭の中で、一週間の出来事が何度も繰り返される。
やがて朝が来る。鐘楼の鐘が六回鳴る。
俺は飛び起きた。月曜日の朝。二度目の月曜日。
今度は、全てを注意深く観察しなければならない。なぜループが起きているのか。どうすれば抜け出せるのか。答えを見つけるには、情報が必要だ。
身支度を整え、寮の部屋を出る。廊下、階段、全てが前回と同じ。生徒たちの配置も、会話も、全て同じだ。
「おはよう、エリオット!」
予想通り、ノエルが駆け寄ってくる。
「おはよう」
俺は努めて普通に応える。ノエルは何も知らない。彼にとっては、今日が初めての月曜日だ。
「今日も一日頑張ろうぜ!あ、そうだ。昨日の魔法理論の課題、お前やった?」
全く同じ会話。一字一句、変わらない。
「ああ、やった」
「マジか!見せてくれよ」
「自分でやれ」
ノエルは苦笑する。前回と同じ反応。
大食堂へ向かう。席の配置も、メニューも、全て同じ。リセアは窓際の席にいる。ゼファーは仲間たちと賑やかに。
全てが、繰り返されている。
朝食を取りながら、俺は考えた。このループから抜け出す方法はあるのか。
まず、状況を把握しなければならない。学院で何が起きているのか。なぜ俺だけが記憶を保持しているのか。
八時。週次訓話の時間。
中央塔のエントランスホールに生徒が集まる。グレゴール学院長が演台に立つ。
そして、また同じ訓話が始まる。
「諸君、おはよう。今朝は、努力と規律について話をしよう」
俺は内容を全て知っている。次に何を言うかも、全てわかる。
だが今回は、学院長の表情を注意深く観察した。
疲労の色が見える。目の下に隈。声にも、わずかに疲れが滲んでいる。
前回は気づかなかった。だが今、注意して見ると、学院長は何かに苦しんでいるように見える。
何か知っているのか?
訓話が終わり、授業が始まる。
だが俺は、授業に集中できなかった。頭の中は、ループのことでいっぱいだ。
昼休み。俺は学院の外に出ることを試みた。
正門へ向かう。守衛はいない。門は開いている。
だが、一歩外に踏み出そうとした瞬間、目に見えない壁にぶつかった。
強い反発力。まるで強力な結界に阻まれたような感覚。
何度試しても、同じ結果だ。外に出られない。
学院の敷地内に、閉じ込められている。
次に、伝書鳥で外部に連絡を取ろうとした。購買部で便箋を購入し、簡単な手紙を書く。「助けてほしい。学院で異変が起きている」。
伝書鳥に託し、窓から放つ。
だが鳥は、学院の境界線で跳ね返された。まるで透明な壁にぶつかったように、地面に落ちる。
やはり、だ。
外部との連絡も遮断されている。
俺は学院の敷地内に、完全に閉じ込められている。
午後、俺は図書館へと向かった。
もし時間が巻き戻っているのなら、それは魔法によるものだ。そして、そんな魔法が存在するのか、調べる必要がある。
中央塔の二階、図書館。
広大な空間に、無数の本棚が並んでいる。魔法理論、歴史、実践書。あらゆる知識がここに集められている。
俺は魔法史のコーナーへ向かった。
時間に関する魔法。そんなものが、本当に存在するのか。
古い本を次々と手に取り、ページをめくる。
そして、ある一冊の本に目が留まった。
『禁忌魔法大全──封印された暗黒系魔法の記録』
埃をかぶった、分厚い本だ。表紙は黒く、不吉な雰囲気を纏っている。
ページを開く。目次を見ると、「時間魔法」の項目があった。
該当ページを開く。そこには、こう書かれていた。
「時間魔法は、暗黒系の最高峰禁術である。時間の流れに干渉し、過去や未来を操作する。だが、その代償は極めて大きく、術者の命はおろか、周囲の全てを巻き込む危険性がある。
古代、創設者アリウス・クロノスはこの魔法を研究していたとされる。だが彼は、その危険性を悟り、研究を封印した。現在、時間魔法に関する全ての資料は、クロノス魔法学院の旧校舎地下に封印されている。
時間魔法の中でも、特に危険なのが『時間逆行の術式』である。これは、一定の時間を繰り返すループを生成する。だが、制御を失えば、永遠に繰り返しが続き、やがて対象は『時の狭間』へと消失する」
俺は息を呑んだ。
時間逆行の術式。まさに、今起きていることではないか。
そして、旧校舎地下。オレンが前回のループで話していた場所だ。
俺はさらに読み進めた。
「時間逆行の術式が発動した場合、通常、全ての存在は記憶を失い、同じ時間を繰り返す。だが、稀に『アンカー』と呼ばれる存在が生まれる。アンカーは、記憶を保持し、ループの中で唯一の変化をもたらす存在となる。
アンカーが生まれる条件は不明だが、特殊な魔法適性を持つ者が該当する可能性が高い」
アンカー。それが、俺なのか。
だが、なぜ俺が?俺の魔法適性は平凡だ。特別な能力など、何もない。
それでも、この本が正しければ、俺は何らかの理由でアンカーになっている。
本を閉じ、深く考える。
時間魔法。旧校舎地下。創設者アリウス。
全てが繋がり始めている。
翌日の夜、俺は再び図書館を訪れた。火曜日は図書館の夜間開放だ。
多くの生徒が勉強している中、俺は古い記録を探し続けた。
学院の歴史に関する資料。旧校舎についての記述。
やがて、オレン書記官が近くを通りかかった。
「エリオット君、熱心だね」
前回と同じ言葉。だが今回、俺には明確な目的がある。
「オレンさん、旧校舎の地下について、もっと詳しく教えてもらえませんか」
オレンは少し驚いた表情を浮かべた。
「旧校舎の地下、か。君、そんなことに興味があるのかい?」
「ええ。学院の歴史について調べていて」
「そうか。まあ、秘密というほどのものでもないが…」
オレンは声を落として続けた。
「旧校舎の地下には、創設者アリウス・クロノスの研究施設があったんだ。約三百年前、彼はここで魔法の研究をしていた。特に、時間魔法についての研究が盛んだったらしい」
時間魔法。やはり。
「だが、アリウスはその危険性に気づき、研究を中止した。そして、全ての資料を地下に封印したんだ。今では、学院長と一部の教師しか鍵を持っていない。立ち入り禁止だよ」
「なぜ、危険なんですか?」
「時間魔法は、扱いを誤れば世界そのものを破壊しかねない。だからこそ、封印されているんだ」
オレンは真剣な表情で続けた。
「君も、近づかない方がいい。あの地下には、触れてはならないものがある」
俺は頷いた。だが、心の中では決めていた。
あの地下に、答えがある。ループの原因が、そこにあるはずだ。
オレンが司書の席に戻った後、俺は図書館の奥へと進んだ。
禁書庫。通常の生徒は立ち入れない、封印された書庫だ。
重厚な扉に、複雑な魔法の鍵がかけられている。
だが、俺が近づいた時、奇妙なことに気づいた。
扉の隙間から、微かに光が漏れている。
誰かが、中にいる。
俺は物陰に隠れ、様子を窺った。
午後九時三十分。オレンは休憩で席を外している。
やがて、扉が開いた。
黒いローブを纏った人物が、禁書庫から出てくる。
顔は影に隠れているが、その体格、歩き方から、女性だとわかる。
そして、ローブの裾から見える髪の色。漆黒。
俺は息を呑んだ。
ヴェスパー・ラーシュ教師だ。
彼女は周囲を警戒しながら、古い本を抱えて立ち去っていく。
俺は物陰から動けなかった。見つかるわけにはいかない。
ヴェスパー教師が、禁書庫に侵入していた。
なぜだ。教師なら、正式な手続きで閲覧できるはずだ。なぜ、こっそりと?
そして、彼女が持っていた本。あれは何だったのか。
疑念が膨らむ。
水曜日。午前の授業が終わり、午後は自由時間だ。
俺は旧校舎へと向かった。
中央塔の北側にある、古い建物。ここの地下に、時間魔法の資料が封印されている。
建物の周りを歩く。入口は?地下への階段は?
やがて、中央塔との接続部分に、下へと続く階段を見つけた。
だが、重厚な扉が道を塞いでいる。大きな鍵がかかっている。
俺は扉に手を触れてみた。
冷たい金属の感触。強力な魔法の封印が施されている。
これを開けるには、鍵が必要だ。
学院長か、一部の教師が持っている鍵。
どうやって手に入れる?
この扉の"動き"は水曜午後に出る。一度引き返し、午後二時に合わせて張る。
そして午後二時。時計が十四時を指した瞬間、予想通りオレン書記官が現れた。
彼は掃除道具を持ち、階段周辺を手際よく掃除し始めた。腰の鍵束がわずかに鳴る。
俺は息を潜めて観察する。
オレンは手慣れた様子で掃除を続ける。そして、腰に下げた鍵束に気づいた。
あれは?
オレンが掃除を終えて立ち去った後、俺は考えた。
オレンは書記官だ。学院の全ての記録を管理している。もしかしたら、彼も地下への鍵を持っているかもしれない。
だが、どうやって手に入れる?盗むわけにはいかない。
いや、待て。
次のループで、もっと慎重に計画を立てよう。
その日の午後三時三十分。
俺は旧校舎の裏手で待機していた。前回のループで、この時間にゼファーが現れることを知っている。
予想通り、ゼファーが現れた。
彼は誰もいないことを確認してから、旧校舎の裏手へと向かう。
俺は距離を置いて尾行した。
やがて、ゼファーは誰かを待っているようだった。
数分後、黒いローブの人物が現れる。
ヴェスパー教師だ。
二人は周囲を警戒しながら、何か話している。
距離があり、会話の内容は聞き取れない。
だが、ヴェスパーが何か指示を出している様子。
ゼファーは不満そうだが、最終的に頷いた。
約十五分後、二人は別れた。
俺は驚愕していた。
ゼファーとヴェスパー教師が、共謀している。
これは一体、どういうことだ?
二人が、ループの犯人なのか?
木曜日、金曜日と過ぎていく。
実技試験も、前回と全く同じだった。ゼファーが一位、リセアが二位。俺は下位。
全てが繰り返されている。
だが、俺は少しずつ情報を集めていた。
ヴェスパー教師の行動。旧校舎地下の存在。時間魔法の記録。
そして、気づいたことがある。
土曜日の夜、学院長室から漏れる光。
あれは、何かの儀式だ。
午後十時を過ぎた頃、俺は中央塔の外から学院長室の窓を観察した。
窓から強い光が漏れている。
遠目だが、学院長が魔法陣の前に立ち、何かを唱えている姿が見える。
強力な魔力の波動が感じられる。
学院長も、何か知っているのではないか。
日曜日。
俺は学院に残り、観察を続けた。
リセアも学院に残っている。彼女は中庭の泉で瞑想していた。
話しかけたい。でも、何を言えばいい?「時間がループしている」なんて、信じてもらえるわけがない。
夕食後、俺は寮の部屋に戻った。
そして、ノートに今までの情報を書き出した。
【原因仮説】
・時間逆行の術式が発動している
・旧校舎地下に時間魔法の資料が封印されている
【容疑者動向】
・ヴェスパー教師が禁書庫に侵入していた
・ゼファーとヴェスパーが水曜15:30に密会
・学院長が土曜夜に儀式を行っている
【地形・結界】
・学院の境界に強力な結界が張られている
・伝書鳥も通信も遮断されている
これらは全て、偶然ではないはずだ。
誰かが、意図的に時間魔法を発動させている。
だが、誰が?そして、なぜ?
午後十一時。
俺は窓から外を見た。
また、あの光が学院を包み始めている。
時計を見る。十一時三十分。
霧も、前回と同じように広がり始めた。
だが、今回は違う。
霧の範囲が、前回より広がっている。
西棟だけでなく、中庭の一部も霧に包まれ始めている。
これは何を意味する?
ループを重ねるごとに、霧の範囲が拡大している。
もしかして、このまま放置すれば、学院全体が霧に飲み込まれるのではないか。
時間がない。
鐘楼の鐘が不規則に鳴り始める。
霧が濃くなる。
午前零時。
世界が白く染まる。
目が覚めた。
午前零時ちょうど。
また、月曜日だ。三度目の月曜日。
こめかみの痛みが強くなっている。記憶を保持する代償なのか。
俺は深いため息をついた。
もう二回、同じ一週間を繰り返している。
だが、少しずつ真相に近づいている。
次は、もっと大胆に行動しなければならない。
ヴェスパー教師を直接問い詰めるべきか。
それとも、学院長に相談するべきか。
いや、まずは旧校舎地下に侵入する方法を見つけるべきか。
考えているうちに、眠気が襲ってくる。
また明日だ。三度目の月曜日。
俺は眠りについた。
鐘楼の鐘が六回鳴る。
目覚める。月曜日の朝。
身支度を整え、廊下に出る。
ノエルがまた駆け寄ってくる。
「おはよう、エリオット!」
俺はもう、この会話に飽き飽きしていた。
だが、普通に応えなければならない。
「おはよう」
「今日も一日頑張ろうぜ!あ、そうだ──」
「昨日の魔法理論の課題、やったかって聞きたいんだろ?」
ノエルが驚いて口を開けたまま固まった。
「え…お前、何で…」
「まあな。予想できた」
ノエルは不思議そうな顔をしたが、すぐに笑った。
「お前、俺のこと分かりすぎだろ!」
小さな変化だ。だが、俺には証明できる。未来を知っていることを。
大食堂で朝食を取る。
全て同じ。何もかも。
週次訓話も、授業も、全て同じ。
だが、今日は違う行動を取る必要がある。
前回のループで得た情報を元に、さらに踏み込むんだ。
午後、中庭を歩いていると、始祖の泉のほとりにリセアの姿が見えた。
彼女は一人で瞑想している。
話しかけたい。だが、勇気が出ない。
彼女は優等生で、俺のような下位の生徒とは釣り合わない。
いや、待て。
もう一人では限界だ。
誰かに協力してもらう必要がある。
信じてくれる人間が、いるだろうか。
俺は考えた。
誰なら、この信じられない話を受け入れてくれるだろう。
リセアの顔が浮かんだ。
彼女は聡明で、正義感が強い。
もし、証拠を示せば、信じてくれるかもしれない。
次のループでは、リセアに真実を話してみよう。
そう決心した。
日曜日の夜が来た。
霧が学院を包む前に、俺は最後の確認をした。
次のループでやるべきことは、三つ。
一つ。火曜二十一時三十分、禁書庫でヴェスパーが持ち出す本の背表紙を視認する。
二つ。水曜十五時三十分の密会を至近距離で盗聴し、会話内容を記録する。
三つ。学院長の儀式直後、二十三時五十五分に結界の歪みを魔法で採取する。
そして、最も重要なこと。
月曜の午後、リセア・ヴェルナに全てを打ち明ける。
もう、孤独な戦いはやめだ。
午前零時。
リセット。
俺は四度目の月曜日を迎えた。
鐘楼の鐘が六回鳴る。
四度目の月曜日が始まる。
俺は寮の部屋を出て、廊下を歩いた。
ノエルがまた駆け寄ってくる。
「おはよう、エリオット!」
「おはよう、ノエル」
今日も、全てが繰り返される。
だが、俺は諦めない。
週次訓話の時、俺はリセアの方を見た。
彼女は真面目に訓話を聞いている。
今日の午後、彼女に話しかけよう。
そして、真実を伝える。
訓話が終わり、生徒たちは教室へと向かう。
俺は決意した。
今日こそ、リセア・ヴェルナに全てを打ち明ける。
そして、共にこのループから抜け出す方法を探すんだ。
中庭へと向かう。始祖の泉のほとりで、リセアは瞑想しているはずだ。
俺は深呼吸をして、歩き出した。
孤独な戦いは、今日で終わりだ。




