湖岸をちょっとだけ走るタチアナ
タチアナを走らせるための物語パートがどんどん増えていってる……
遠見でナリタ見張っていたわたしの目には、幾人かの怪しい素振りを見せる男性達が映っていた。先回りされていたのか、それとも交通手段、特に他国へ通じるものは全て監視対象なのか。もし後者だったなら、これからハネダへ戻っても結果は同じだろう。
彼等に知られる事なく、出国する手立ては無いだろうか。チュウキョウは? カンサイは? そこへ行く為の交通機関も監視されてるだろうか?
監視されていると想定した方が良いだろう。アーフ連邦ETO支局を脱出してからもう9時間近く経つのだ。ETOの主要施設は監視対象にあるのかもしれない。
ウサ連邦共和国軍のヨコタ空軍基地はどうだろうか。やはり監視されているだろうか。ETO加盟国だし。
では、自衛隊は? ウサ国とは安全保証条約を締結しているし、ETOとも協力関係にはあるから一応の監視はあるかもしれないけど、手薄かもしれない。
近い所だとナラシノ? フナバシ? ヒャクリも遠くない気がする。ヒャクリと言えば、彼女は今ヒャクリに居るだろうか。わたしの事をタチアナでもターニャでもなく、チアナと呼ぶ独特の言語感覚を持つ彼女が。
わたしは彼女が居ること願って、ヒャクリへと向う事にした。
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ヒャクリへの途中、とても大きな湖を左に見る道へ出た。
湖面を渡る風が、わたしの焦る頭を冷し、考える余裕を与えてくれた。
脱出してきたカーリ宇宙基地は今どうなっているのだろう。
あれからもう7時間以上になるだろう。あの時深夜だった宇宙基地は今頃、朝日を浴びている筈だ。
ヴェロニカ隊長達は、基地スタッフ達は上手く脱出できたのだろうか。
全員が無事でありますように、と祈りながら、湖岸の道をひたすら走り続けた。
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「やあ、チアナ。こんな処までどうしたんだい」
ナリタから1時間程でヒャクリに着いたわたしは、監視の目も無くあっさりと彼女、花井薫に面会する事ができたのだった。
「薫、久し振り。2年前の総会以来ね」
花井薫とは2年前のETO総会で出合った。彼女は協力国からのオブザーバー資格で参加していたのだ。その時何の拍子か話しが合い、以来交友を続けている。
「薫。実はちょっと厄介事が起きていて、あなたに協力を頼めないかと思ったんだけど……」
「それって深刻な話か?」
わたしは大きく頷く。
「できれば基地司令も巻き込んだ方が良いと思う」
大きく目を見開いた薫は、ヒュッと息の飲んだ。
「チアナ、一体全体何があったんだ」
息を吐き出した薫の、擦れた声がわたしの耳に届いた。
「これは、未だ公になっていない事なんだけど……」
と、わたしはこれ迄の経緯を彼女に話した。
全てを聞き終えた彼女は、とても難しい顔をして、わたしに訊ねてきた。
「それで、チアナはDCまで行かなければならないがその手段が無い。そこで私に相談しに来たという事だな。で具体的には何をして欲しいんだ?」
「ウサ空軍への仲介を頼みたいの。彼等なら隠密にDCへ行く手段を持ってるから。でもわたしが直接基地へ行くのは監視の関係で厳しいかなと思うの」
わたしの希望を聞いた薫は、背後の建物を見る。
「よし、基地司令に相談しよう。今の話しを聞く限りヨコタは無理だろう。行くとしたらミサワだ。その辺の事も含め司令と相談、作戦を練らないと」
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「成程、それで変な装置がくっついたアマチュア無線機が配備されていたのか。指示が来た時は何で今更こんなものを、と思ったのだが非常事態下の通信手段確保の為だったのだな」
そう感想を漏らした太田ヒャクリ基地司令の言葉に、実は以前から最悪の事態を想定した準備が着々と整えられて来たのだと、感心した。
「はい。それで鍵となる通信衛星の調整と通信内容に関する協力を依頼するため、衛星の所有者であるウロボロス放送へ赴かなければならないのですが……」
「その手段が無い、と」
「そうです」
天井に目をやりながら考えを巡らせていた太田司令は、徐に口を開いた。
「花井君の言う通り、ヨコタは厳しいだろう。首都圏のウサ空軍施設や、国際空港は全て監視されていると思った方が良い。ここだって危ういところだった。相手の人員の薄さに感謝だな。それで、だが……ポポフ君、君はミサワに行きたまえ。あそこのウサ空軍ならなんとかしてくれる筈だ。花井君、急いで飛行訓練計画を提出しなさい。訓練にかこつけてポポフ君をミサワまで連れて行くんだ」
飛行訓練という名目で盗聴者を誤魔化そうという事らしい。しかしミサワに行ってどうするのだろう。
わたしが怪訝な顔をしていると薫と太田司令が同時にニヤっと悪い笑みを浮べたのだ。わたしは、悪寒を感じながら彼等の言葉を待つ。
「チアナ、今ミサワウサ空軍には、クレイジーな凄腕のパイロットが居るんだ」
「そう、超音速での急降下を恐れもしない、頭の螺子のぶっ飛んだパイロットがね」
「あいつの機に同乗して、ベクターを上手く合わせた処で転位すればDCのダーレス空港に行けるぞ。チアナ」
わたしは目を剥いて彼等の正気を疑ったのだった。
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あれから1時間後、わたしは薫の操縦するF43D戦闘機の航法シートに乗せられて航空自衛隊ミサワ基地にやって来たのだった。
そこで太田司令に行なった説明を、横井ミサワ基地司令にも繰り返す。そこから、横井司令の仲介で更にウサ空軍ミサワ基地司令ジョーンズに繋いでもらたのだった。
「それで、タチアナ・ポポフ君をDCまで送り届けて欲しいと言う事かね」
感情が死滅しているのではないかとさえ思える程、ジョーンズ司令は何を聞いても無表情だった。同じ司令職にあっても太田司令とは随分と違う。
「はい、その通りです。ジョーンズ司令」
わたしも一応鹿爪顔で応えておいた。馴々しい態度で相手の機嫌を損ねてはいけない。
「話は理解した。それで、誰か希望するパイロットは居るかね」
「ダグラス少尉が適任かと思われます」
と発言したのは同席した薫だった。
「彼で良いのか? では呼ぼう」
一度だけ目をパチクリさせたジョーンズ司令はわたし達の同意をとると、秘書に向って指示を出したのだった。
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「あー、どう飛べばいいんだ? 緯度はまあ同じくらいか。経度はここが東経141度。向こうが西経77度。だからこの角度が大体150度くらいの二等辺三角形で、底辺の長さを求めれば毎秒580m、マッハ1.7だろ。で、ここが15度だから、な〜んだ、15度で地面に突っ込んでけばいいんじゃねぇか。余裕余裕。俺に任せとけって」
ダグラス少尉はジョーンズ司令とは正反対の非常に自由な性格の持主のようだ。あるいは、身勝手とも人の話を聞かないとも言うのだが。
「でもよ、専門の加速器程、精密誘導は出来んから向こうではある程度スカイダイブする事になるぜ。そこら辺、大丈夫かタチアナ嬢ちゃん」
わたしを嬢ちゃん呼びする程馴々しいし。まあターニャ呼びではないだけマシとしよう。
「ウイングスーツとパラシュートを貸して頂ければ大丈夫です。一応訓練は受けていますので」
「おっ、重力浮揚魔道具とか言わない当り、分ってるね。無事向こうに着いたらフェデックスで送り返してくれ、ハッハッハ。
おーし、そんじゃこれから飛行計画提出してくっから30分後に格納庫集合な。計画内容は超音速飛行時における対艦爆撃訓練とでもしておくか。それとも超音速バンザイアタックの方が良くね!? ハッハッハ」
笑えない冗談を飛ばすダグラス少尉を見送り、わたしは格納庫へと歩いていく。
「私はここ迄だ。友軍とは言え基地には機密が多いからな。あまりうろちょろしたくないんだ。じゃあ、チアナ上手くやれよ」
わたしは胸の前で手を小さく振りながら薫が乗機へと歩いて行くのを見送ったのだった。
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「管制。こちらどら猫。現在太平洋上高度2000m、基地の東方10000m、真東に向け飛行中。これより対艦爆撃訓練に入りたい」
『どら猫。こちら管制。了解。コースはクリア訓練を許可する』
「了解」
大容量魔力バッテリーと転位装置を搭載したダグラスの操縦するF43D戦闘機と管制の間では、あくまで訓練を擬装するための交信が行われている。それを聞きながら、わたしは刻一刻と迫ってくる転位を航法シートで待っていた。
「さてタチアナ嬢ちゃん。心の準備はいいかな」
ウィングスーツを着込んだわたしは平気を装おった。
「勿論。何時でも良いわ」
「おーし、反転開始。ヘディング270、目標7000m先、降下角15度、アフターバーナーオン!
高度2000、速度200。
高度1937、速度298。
高度1747、速度396。
高度1430、速度494。」
5秒毎に読み上げられる高度と速度を聞きながら2Gの加速度に耐える。風防越しに見える海面が恐怖を覚える速さで近づいてくる。
「高度1085、速度580。
バーナーオフ。推力カット。一時的に弾道軌道に入る。
シュート!」
加速感が消える同時に、転位の声が聞こえた。瞬時に視界が切り替わる。
わたしは今ダーレス空港上空1000mの地点に放り出されたのだった。




