湾岸を走るタチアナ
ここに描かれた景色は筆者の妄想風景であり、実在のもの計画中のものとは一切関りはありません。
右寄りに走ってる筈なのに、未だ左へズレる原因を探してみようかと一瞬思ったが、止めておいた。たぶんコリオリの力とか言うものだろう。物理は苦手だからその先は思考停止だ。今は想定以上の距離を走らなきゃいけないという事と、もうちょっと居住地に迫るつもりでいなきゃいけないという事だけ気を付ける。
それにしても走る時の感覚が、居住地に向かっているのに中々近付かないとか、滑空する感覚が強いとか、違和感で一杯だ。トランポリンな月面とも違うのだった。
漸くゴールが見えてきた。そろそろ河から上がらないといけない。と、右側の居住地へと大きく舵を切った途端——
「ええー、か、身体が軽い!」
というか、一歩の幅が長い!
あっという間に堤防に着いてしまった。
堤防に到達したわたしは出入口を探すため、目に魔力を込めて遠見を始める。出入口は比較的近い処あった。そこ迄歩き、扉に続く梯子を登る。ごめんなさい、と心で謝りつつ強化した腕力で扉を打ち壊す。そして人がやって来る前に、さっさと居住地へと逃げて行ったのだった。
----
ケイン司令に用意してもらった偽造書類で検査を一通りパスしたわたしは、無事連絡船の駐機する宙港へと辿り着いた。そう正式にアーフ連邦を出国していないわたしが地球上へ戻ると、密入国になってしまうのだ。
コロニー本体から宙港へ来るまでのエレベーターで酔いそうになったり、無重量下で歩くためのマグネットシューズを履いたりと、普段経験できない事に戸惑ったが、出発前に眺めたコロニーの外観はちょっとしたものだった。
一番最初に目に飛び込んできたのは、何本かのスポークだった。そのスポークはわたしの目の前を左から右へと移動していた。スポークを辿りながら視線を下げていくと、それはコロニーの外壁から伸びていて、その外壁を含む全体が独立した輪っかが時計回りに回転しているのだ。そしてスポークに沿って視線を上にあげていくと、リング状に繋がれた巨大な球体があった。真っ先に思い浮かんだのが、巨大な車輪だった。それも半径10Km以上はありそうな車輪だ。
その次にスポークの向こうに、コロニー本体が三枚の長方形の反射鏡を広げ反時計回りに回転している様子が目に入る。居住地の外壁と河が右から左へとゆっくり移動していく。河の上の長大な反射鏡も同じだ。
その向こうにはまた、巨大な車輪が時計回りに回転していた。コロニーの向こう端の大きさは満月30個分位だろうか。
コロニーは、其々のパーツが調和を取り、自身の役割をきっちり果す事で、環境が維持されている。それはとても奇跡的な事の様に思えた。
そして、この奇跡を誰かに独占させてはいけないと想いを新たにしたのだった。
----
船内のモニターに映る、地球行き定期連絡船の加速装置はコロニー本体を浅く斜めに掠める方向に向かっていた。わたしは背中に冷や汗をかく。万が一あのスポークや、反射鏡に当ったらどうなるというのだ。
そんなわたしの心配や恐怖も知らぬ気に、カウントダウンは進んで行く。今迄で一番キツい加速が始まり、転位、のアナウンスとともに切り替わったモニターの映像は、夜明けを迎えた大空と管制塔のものだった。
「タネガシマ宇宙港へようこそ。お降りの際はお忘れ物にご注意下さい」
極東の国、ニホン初上陸のわたしの第一歩はここタネガシマ宇宙港だった。
----
タネガシマ宇宙港に降り立ったわたしは若干の疲れを感じていた。アーフ連邦を出てからどれ位の時間が経ったのか。砂漠で1時間超、カーリ宇宙基地で1時間、月基地で1時間程、スペースコロニー・ケルンで2時間。
うん、未だ6時間経ってない。その内2時間弱は走り詰めだ。途中で回復薬を服用したとはいえ、そろそろ休まないと身体が保たない。
タネガシマ宇宙港は、コロニーとの直行便があるにも拘わらず国際空港が無く、交通の便があまり良くない。一旦ハネダ経由でナリタ国際空港へ、普通の航空機で行く必要があるのだ。これが宇宙基地だったなら、採算度外視でウサ連邦共和国の首都DCまで直行できたのだが……
ここは休憩時間が増えたと良い方に解釈しよう。ハネダ空港まで約2時間はゆっくりと休憩しよう。
タネガシマでの検査を再び偽造書類でパスしたわたしは、ハネダ空港行きの航空機の座席の上で物思いに耽る。
魔導式ジェットエンジンのお陰で航空機のV/STOL、垂直/短距離離着陸、性能は飛躍的に上った。なにせ重力魔法のお陰で、浮き上がるための推進が必要なくなったのだ。後は進む為の重力偏向魔法が開発されれば、ジェットエンジンは殆ど必要も無くなる筈。残念ながら現在の重力魔法は対象の重力質量を軽くする事しか出来無い。最小は0だ。
これらの魔法の応用技術は再充填式魔力蓄積装置、通称魔力バッテリーの発明を抜きにしては語れない。魔力バッテリーを発明したボルタ博士には感謝しか無い。このバッテリーは純粋な魔力を高密度で蓄えて置く事ができ、どの様に顕現させるかは出力側次第なのだ。今は浮揚にしか対応しない重力魔法だが、将来重力偏向魔法が開発されたなら出力側を追加・変更するだけで同じバッテリーが使えるのだ。
なんて素晴しい発明なんだろう!
勿論、高密度化や大容量化、あるいは小型化、再充填回数の増加など、バッテリーの細かいブラッシュアップは今でも続いているが、充填・放出のインターフェースは全て一緒なのだ。
などという事を考えている間に、ハネダ空港へ到着したのだった。
ナリタ直通の空港線を利用しようと足を向けた時、背中に複数の鋭い視線が刺さるのを感じた。コロニー・ケルンで感じたあの嫌な視線と同種のものだ。わたしは気付かない振りを装いそのまま空港線に乗車する。何食わぬ顔を続けながら、しかし何時でも飛び出せる様、じりじりと扉の前に移動していく。掌にはじんわりと汗が滲んでいた。
シナガワでわたしは決行した。
ドアが開くと同時に、ホームへと駆け出した。追手と思われる者達の視線は若干減ったような気がする。不意を突いた筈だ。直ぐ様対応できた追手もそう多くは無い筈だ。
改札を抜け外に出たわたしはスマートウォッチでナリタまでの徒歩用ルートマップを検索する。
早くでろ。早く。
それ程時間は経ってない筈なのに、心理的にはとても長時間待たされた後、検索結果が表示される。どこをどう通っているのか分らないが、距離を確認すると72Kmだ。あのまま電車に乗っていれば後1時間は楽できたのに、また1時間以上走らなければいけないのか!
追手に対する呪詛の言葉を、胸の内でだが、喚き散らかしながら、わたしはルートガイドに従って全力で走り出したのだった。
走り出したわたしは、運河を越え、左に曲り大きな道路に出る。何と言う運河なのか、何という道路なのか確かめる暇も無い。ひたすら、マップ通りに走るしかない。
やがて大きな水路を右手に見ながら走り続けると、多角形を描いて右折するよう指示が出た。その先には巨大な橋が見えた。
通れる道を探し出す。どうやら専用歩道がある様だった。わたしは、迷わず歩道入口を走り抜ける。
自動車専用道の下をくねくね折れ曲がった歩道を走るのは大分気が引けたが、我儘を通させて貰った。
強化した動体視力と身体能力で、歩行者にぶつからないよう細心の注意を払いながら、それでもスピードを落さずにわたしは只管走り続けた。
歩道を抜け。
更に幾つもの橋を渡り、幾つもの角を曲り。
御伽の国の城を横目に見ながらひた走り。
また幾つもの橋を渡り、幾つもの角を曲り。
田園地帯を駆け抜けたその先に。
目的のナリタが見えて来たのだった。




