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今度こそコロニー内を走るタチアナ

「ご存知の通り、私は情報工学が専門です。今のお話を聞いた限りでは、相手方の暗号解読技術、あるいはそれをベースにした欺瞞通信についての意見を求められていると思われるのですが、間違いないでしょうか」


 美しい顔立ちをしたジェーン・ウーレンベック主任の声は、意外にもハスキーだった。


「ああ、そうだ。更に言えば、今仰った問題の早急な解決への協力も、グラショウ月面基地司令は求めている」


 うっすらと笑みを浮べたウーレンベック主任がケイン司令に艶のある流し目を送った。何故か司令は、ブルっと身を震わせた。


「通信の暗号化とは、誤解を恐れずに言えば、相手が復号できる鍵で内容を難読化する、という事です。互いに共通の鍵を持つのか、あるいは自分の鍵でだけ復号できるもう一つの鍵を公開するか、といった違いはありますが、どちらの場合でも復号に使用する鍵が知られてしまえば、暗号は解読できてしまいます」


 一度説明を切ったウーレンベック主任は、会議室内の皆を見回した。


「共通の鍵を使用する場合は従来の諜報手段で鍵を盗み出す事ができます。二つの鍵を使用する場合ですが、この二つの鍵の生成には、使用者毎に大きな二つの素数を掛け合わせた数が使われています。公開鍵にはこの数と、この数に互いに素な数、分数を作ったら約分できない数ですね、の情報が含まれています。なので掛け算の状態の数を二つの素数に分ける、所謂(いわゆる)素因数分解、ができれば、同時にもう一つの鍵も分ることになります」


 だんだんと頭が痛くなってきた。素数とは1と自身以外に割り切れる数の無い、1より大きい数の事だっただろうか。遠い昔の記憶を必死で思い起こす。


「通常のコンピュータで素因数分解を行なう場合、素数の桁が大きくなればなる程、時間が掛ります。それこそ年単位の話です。そのエニグマがどれ程の能力を持っているのか判断できませんので何とも言えませんが、量子コンピュータを使用すれば実用となる時間での解読が可能になりますし、エニグマはそれをリアルタイムのレベルまで性能を進化させたものなのでしょう」


 わたしは、そっとケイン司令とボブの顔を伺った。皆この説明について行けてるのか気になったからだ。わたし自身は、既に理解を諦めていたが。

 ボブは、これは、我関せずの顔だな。真剣な表情を取り繕ってはいるが、目の光は失われている。

 ケイン司令は、何とか理解しようと足掻いているようだったが、ふと、何か胸落ちした面持ちになる。だけど、それは決して理解したからでは無いだろう。その証拠に……


「ウーレンベック主任、説明ありがとう。それで、エニグマにはどの様に対抗すればいいのか聞かせてくれ」


 ほら、自分の役割は理解する事じゃない、と思い出しただけだ。彼の仕事は解決策を考案する事じゃない。解決策を持っていそうな人に、それを生み出させる事なのだから。


「通常であれば、更に大きな素数を使って鍵を作り直せば良いのですが、即効性はありませんね。エニグマの性能如何では、それすら瞬時に解読されるかもしれません。そもそも今の場合、通信経路の擬装まで行われている訳ですし」


「何か無いのか……」


「既存の暗号化の方法、通信経路を使っている限り、即効性の有る手段は無いかと」


 段々と絶望に重くなっていく気分を感じながら発言してみた。


「ちなみに、ですが。既存の暗号化に取って変わるものは無いんでしょうか」


 ウーレンベック主任はわたしを見ながら、綺麗は笑顔で応えた。


「研究レベルのものならあります、タチアナ・ポポフさん。ですが、実用に耐えるかどうかは更に検証しなければなりません。一時的な使用でも良いと思われるかもしれませんが、これを既存のシステムに組込むとなると、オペレーティングシステムの修正や、場合によってはASIC(専用回路)の製造・交換が必要になりますので、その配布方法も含めると……(すぐ)に解決という訳にはいかないでしょう」


 もう殆ど心が折れかかっているが、最期にもう一つだけ。


「先程、既存の通信経路を使っている限り、と仰いましたが、他の手段は無いのでしょうか」


 今度こそ本当に、満面の笑みを浮べたウーレンベック主任は我が意を得たりとばかりに喋り出した。


「ローテクを使います。具体的には放送衛星の電波拝借と、各基地からのアマチュア無線を使います」


 は? 一瞬何を言われているのか分らなかった。いや、言葉は分るが。


「えーと、CQってやつですか。あんなのすぐにバレやしませんか」


 ボブが何とか切り返した。


「そのアマチュア無線です。ただし、流すのはノイズに擬装した信号になりますが。思い出して下さい。サラーム中尉がここのバックドアを使用した時の事を。あの時使用した信号は周囲を欺く為、ノイズに擬装していた筈です」


 ボブやケイン司令は一応の理解を見せたが未だ半信半疑の様子だった。どうやって使うのか見当もつかないのはわたしだけのようだ。そんなわたしにウーレンベック主任は……


「タチアナ・ポポフさん。貴女の出番です。貴女にはこれから、世界最大の放送局があるあの国へ行ってもらいます。ETO加盟国であり、世界一の経済規模を誇り、世界最大の放送局を持つ、太平洋と大西洋に囲まれたウサ連邦共和国へ」


……と、言い表しようのない程、綺麗な笑みを振り撒くのだった。

 何故か恐しいものを見たかのように、わたしの全身は粟立つのだった。


----


「ところでサラーム中尉。ウーレンベック主任の事を()とグラショウ司令は呼んでませんでしたか?」


 打ち合わせが終わって、司令も主任も去った会議室でわたしはボブさんに疑問を表わした。

 ボブさんは、先程迄の取り繕った表情を崩し、呆けた顔で天を仰ぐようにしている。


「あー、あの人は所謂(いわゆる)、まあ、その、一つの、女装が趣味? という人種だそうだ。本名はジョン・ウーレンベックだとさ」


 わたしの女性としての自信は跡形も無く瓦解していくのだった。


----


「スペースコロニーは半径4Km、長さ30Km程の細長いシリンダー(茶筒)。その方向は蓋に相当する部分が常に太陽を向くよう姿勢制御されている。従って底は常に日陰になっている。太陽側をサニーサイド、反対側をスターサイドと呼ぶのが慣例になっている。そしてスターサイドを付け根に、サニーサイド方向に大型の三枚の鏡が展開していて、そこで反射した太陽光が、河と呼ばれる透明な外壁を通してコロニー内を照している、と」


 呪文の様な言葉を呟きながらわたしは今河の上、いやコロニー内だから河の内と言う可きか、をサニーサイドへ向って走っていた。本来なら、普通に居住地のある縞を縦貫するモノレールに乗っている筈だったのだが……


 打ち合わせの後、サニーサイドへ向うためコロニー内へ降りたわたしは、コロニー縦貫モノレールのホームに居た。発車を待っていた時、何か嫌な視線を感じたわたしは一旦車両を降りWCへ向うふりをして人の少ない場所を目指したのだ。

 完全に人気の無い場所に来たわたしの背後から、プスッ、という音がしたと思うと何かが左頬の横を通り過ぎたのだった。


 それはワイヤーに繋がれた、電極付きの弾子だった!


 襲撃! 誰が?


 瞬時に全身に魔力を満したわたしは、脱兎の如く逃げ出した。モノレールの次の駅まで走ろうかと考えたが、追手が一人とは限らない。その時、周囲の人を巻き込んでしまったら……と考えたわたしは、関係者以外立入禁止(キープアウト)の表示を無視して河へと降り立ったのだった。


 河の幅は約4Km。わたしは今端っこから1Kmの辺りの河の上をサニーサイドへ向けて走っている。1時間後に発車する極東国行きの連絡船の出港時間迄、後1時間程。残りの距離は凡そ25Km。サニーサイドでの再上陸? いや、乗船手続きなんかを考えたら、全力で走ってギリギリかも知れない。


 それにしても足下から光を浴び続けるというのは、変な感じだ。直射日光を浴び続けているからか、意外と熱い。


 目の前には6本の集中線があって、線の間に河、居住地が交互に描かれている。勿論わたしが今走ってい河が一番広いのだが。


 頭上に居住地が見える。戦闘機(ファイター)乗りの、背面飛行の視界はこういうものなのかも、という脈絡の無い空想が頭を過った。


 待て。先刻から思考が乱れているような気がする。多分熱と単調な景色の所為だ。気を引き締めなければ。コロニーの仕様でも呟いてみよう。


 そうやって、一新させた頭で目の前の景色を注視すると……

 あれっ。先刻より河の中央寄りを走ってないだろうか? 右上を見ると確かに居住地が遠くなったような気がする。目の前の集中線の向きも変わってる感じがする。確かに左に、つまり河の真ん中の方へとズレている。


 わたしは右寄りに走る向きを変えるのだった。


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