砂漠を走るタチアナ
「はっはっ、はっはっ」
切れ切れの吐息が、わたしの耳に届く。
「どくっどくっ、どくっどくっ」
今にも破れそうな心臓の鼓動までが、わたしの鼓膜を震わす。
眩みそうになる目を必死で抑えるために、意識的に二回息を吸い、二回息を吐く。
足を止めてはいけない。走り続けなければいけない。今は遥か遠くに見えるあの塔まで、一刻も早く辿り着かなければいけないのだ。
体温を根刮ぎ奪い取る夜の砂漠の中、わたしはあの塔の明りを目指して走り続ける。夜空にちりばめられた星々の中に、一際強く大きく輝くあの明りを目指して走り続ける。
早く伝えなければいけない。欺瞞情報に騙されているあの塔へ、わたしはこの情報を伝えなければいけない。
死を覚悟してこの情報を集めてくれた人達の為にも、わたしを逃してくれた人達の為にも、あの塔へ一刻も早く辿り着かなければ。
どれ位の時が経ったのか、塔の明りはより強く、より高い位置に見えている。先程から距離を半分は縮められただろうか。もう少しだ。いや気を抜くな。気を抜いたら走れなくなる。わたしはわたしに気合を入れる。
走れ。
走れ。
もっと走れ。
水分を全く含まないサラサラの砂が、着地する足を掬う。その度にバランスを崩しかける身体をなんとか立て直す。
そんな事をもう何度繰り返しただろう。ついに立て直しが間に合わなくなった。
砂地に着いた左足が後ろに掬われた。左脚一本で支えようとしていた身体は、前傾姿勢も相俟って、頭から砂漠へと倒れ込んだ。
バシッ
そのわたしの少し先で、砂の弾ける音がする。慌てて顔を上げるわたしの目の前でもう一度砂が弾ける音がした。咄嗟に身を捻りながら砂の上を転がる。何度も何度も転がり続けたわたしの後を、砂の弾ける音が追ってきた。
狙われてる!
そう悟ったわたしは、魔力を目に集中させながら、膝を抱えるように転がり続けた。
暗視!
背中が砂地に触れる時、暗視で強化されたわたしの視界に飛び込んだそれは、四本の腕を備えたドローンだった。腕の先には空気を噴出するためのポッドが据えられている。中心の胴体下には、目に相当する二つのカメラと細長い銃身が見える。その銃身は今わたしに向けられている。
バシッ
わたしの頭の横で砂が弾ける音がする。発火炎は見えなかった。発射音も聞こえなかった。魔導式か空気式か。そんな事はどうでもいい。今は逃げ続けなければ。
更に半回転、砂の上を転がったわたしは、抱えていた足が砂地を噛むと同時に走り出す。
ジグザグに。
不規則に。
時にバックステップを交えながら。
弾切れになる迄逃げ続けなければ。早く打ち尽せと願いながら。わたしは只管逃げ続ける。
どれ位の逃げ続けたのか分らない。数分の様にも何十分の様にも思える。何十回もの砂の弾ける音がわたしを追いかけ続けて来たのに気づく。
おかしい。弾が切れない。それ程大きくないドローンだった筈なのに。それ程多くの弾丸を積める筈が無いのに。どうして弾が切れないの!
はた、と気が付いた。もしかして魔力弾!いや、それなら何時かは魔力が切れる筈。では……。魔力回収式の圧縮空気弾か! 薄く広く展開した魔力バルーンを引き絞って圧縮空気の弾体を作成。炸薬相当の圧縮空気も同様。魔力バルーンを引き絞った時と炸薬を破裂させた後の余った魔力を回収するため、実際に使用される魔力はほんの僅か!
これじゃ、魔力が切れる迄逃げ切る事は不可能!
そんな事を考えながら走っていたからか。砂に掬われたわたしの足は縺れてしまった。わたしの身体は再び砂漠に転がる。
必死に立ち上がろうとするが、何処かを痛めてしまったのか膝に力が入らない。
背後からの狙撃に怯え乍らも這い蹲ってでも逃れようとするわたしの前方に、一瞬だけ煌めく橙色の光が見えた。
ゴーン!!
落雷を思わせる轟音がわたしの耳を打つ。音の暴力によって聴覚が一時麻痺したわたしの上空を、橙色の明るい紡錘形がわたしの背後へと流れていった。その明るい紡錘形は上下左右自在に移動し乍ら何かを追い詰めていく。再び暗視を使ったわたしの視界は、逃げるドローンと追い掛けるミサイルで占められた。
ドローンはわたしに構う余裕が無くなったようで四つの腕の先にあるポッドを不規則に前後左右に動かし乍らミサイルの追跡を振り切ろうとしていたけれど。
本体容積の問題からか、魔力攪乱幕も、魔力擬装弾も放出ぜず。
魔力追尾機能ミサイルに食い付かれ。
その身を爆散させたのだった。
狙撃の脅威から逃がれられたわたしは、一先ず大きく安堵の溜息を吐いた。背後の脅威は取り敢えず無くなったけれど。わたしは前方を見据える。
今はわたしの窮地を救ってくれたけれど、だからっといって仲間だとは限らない。
走り通しで疲労の限界を迎えつつある脚は、先程の転倒でどこかを痛めたらしく、思ったようには動かなかった。
立ち上がる事のできないわたしの目の前にいるのは、エウロパ条約機構・ETO軍なのか、大アーフ連盟・GAL軍なのか。先程わたしを狙ったのはルス条約機構・RTO軍の筈。
ETO軍である事を願いながら、わたしは地対空誘導弾を発射した車両が近づいて来るのを待ち受けた。
荷台に四連のミサイル発射装置を乗せた軍用ピックアップトラックがヘッドライトの灯りをこちらに向けて近付いて来た。近頃は何処の軍でも似た装備を使用しているので、その形だけではどの勢力なのか判断できない。わたしは彼等の誰何を、大人しく待つ事にした。
目の前で停止した軍用ピックアップトラックの助手席から一人、わたしに拳銃を向けながら降りてきた。
「ハイ、両手を上げてもらえるかしら」
女性の声がわたしにお願いという形の命令を下す。勿論わたしは言われた通りにした。極東の国のバンザイの姿勢をする。
「立てる? 立てないなら膝立ちでもいいから、両脚を広げてちょうだい」
勿論これにも従う。荷台から降りてきたもう一人が、わたしに近付いて来る。
「動かないでね。一応ボディチェックさせて貰うわね」
わたしは了承の頷きを返し、ボディチェックを受け入れる。わたしの身体を上から下まで手早く丁寧に確認し、装備した拳銃やナイフ等が取り上げられていく。それらは袋の中に一纏めに放り込まれた。
ボディチェックをした人はわたしから離れると、拳銃の銃口をこちらに向ける。それを確認した女性はわたしに近付いてきた。
「ハイ、貴女は何者? どうしてこんな時間にこの砂漠に居るの? 何処へ向おうとしてるの?」
気安く話している様に見せながらも、女性に弛緩した様子は見られなかった。
「わたしは、タチアナ・ポポフ。ETO軍情報部所属でアーフ連邦ETO軍施設に配属の情報員です。ETO軍情報部が得た極秘情報をアーフ連邦からカーリ砂漠にあるカーリ宇宙基地へ伝達する任務の途中です。こんな時間になってしまったのは、アーフ連邦のETO軍施設がRTO軍の夜襲を受けた為です」
目の前の女性は呆れたようにわたしを見ている。その気持ちはわたしにも分る。けど、こうするしか無かったのも事実なのだ。
「詳しい事は、基地で聞きましょう。ちなみに私はヴェロニカ・ベガ。カーリ宇宙基地配属のETO軍特殊部隊所属よ。基地まで捕縛の形を取らせてもらうわね」
そう言って彼女、ヴェロニカ・ベガは後ろ手にわたしに手錠を掛けたのだった。