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日本糞拓協会

作者: 白河夜舟

 前の作品で「なんでおれの周囲に寄ってくる女たちは、こう、非常識を作品にしたような奴らばっかりなんだ?」なんて書きましたが、そのうちの一人です。

 白河はこんなもんも書けるのだよ、みたいに言ってみたいのですが。

 やはり、二流変態作家だったのかと納得させてしまいそうです。

 腹の痛みを覚えて、おれはトイレに駆け込んだ。

 一週間も無かったお通じが、ようやくやってきたのだ。

 力みに力んで出したそいつは、色といいツヤといい、とても自分の腸内に一週間も留まっていたものとは思えなかった。

 洋風便器の中を埋めつくすような勢いで、湯気を上げている。

 所々ねじれてはいるが、漫画的なとぐろを巻いており、その鎌首が力なく垂れ下がっている。

 自分でいうのもなんだが、まったく見事な出来ばえである…

 などと、感心している場合ではない。

 こんな大きいのを流して、トイレが詰まらないだろうか?


 ピンポン…

 ケツを拭いていると、チャイムの音がした。

 おれは排泄物を流してから、出ようと思った。

 が、玄関ドアの鍵が開く音がする。

「あれ、合鍵なんて誰にも…」

 渡した覚えはない。

 今の所、合鍵を渡せるような恋人はいない。

 いつも来る編集者にだって、渡した覚えはない。

 しかし、確かに足音がトイレに近づいてくる。

 コンコンコンコン…

「白河さん、白河さんっ!」

 勢いのあるノック。

 トイレのドアごしに、聞いたことの無い女の声。

「だ、誰だ!」

「あ、すいません。わたくし、日本糞拓協会の者です」

「な、なんだって?」

「おとり込み中大変申し訳ありません。緊急事態だったものですから、勝手に上がらせて頂きました」

 可愛い声ではあるのだが、言っている事は無茶苦茶だ。

「勝手にってあんた!」

「すいませんが、トイレを開けて頂けませんか」

「な、なに言ってるんだ!勝手に入ってきて!警察呼ぶぞ!」

「いえ、先程申し上げましたように、緊急事態による許可は取ってあります。それに、警察は民事不介入の原則ですから…」

「訳の判らないこと言ってるんじゃない!なにが緊急事態だ!」

「はい。大変貴重な資料が流されてしまうことを、どうしても食い止めなきゃならなかったんです。とにかく、ここを開けて下さいませんか」

「ふざけんな!」

「…仕方ありませんね。強制執行に移らせて頂きます」

「はぁ?」

 トイレのドアの隙間から、針金のようなものが差し込まれてきた。

 それは、自在に曲がりくねるようで、ドアの鍵をいじくり始めた。

「な、なにやってるんだ!」

 おれは大慌てでズボンをずりあげると、針金を引っ張ろうとした。

 ビリッ!

 触った瞬間シビレがきて、思わず手を引っ込める。

「あ、痛かったですか?すいません、微弱な電流が流れてるんですよ。でも、人体に影響が残る程じゃないですから…」

 とかなんとか言っているうちに、カギが開いてしまった。

「ドーモ。初めまして」

 三つ編みを頭の両端からぶら下げた、小柄で目の大きい少女だった。

 黒ブチの大きな丸メガネが、チャームポイントである。

 黄土色のブレザーとスカート、白いワイシャツ姿に緑の棒タイ。

 どこかの名門女子校の制服に似てなくも無い。

 街とかで会ったら、結構可愛いとか思うんだろうが。

 今はただ、非常識な奴としか思えなかった。

「あ、あのね…」

「ああ、良かった。まだ流れてなかった」

 俺の体を押し退けるように便器に顔を突っ込み、嬉しそうにこっちを見て微笑む。

 あ、新手の変態か?

「あ、申し遅れました。わたくし、こういうものです」

 かしこまってポケットから名刺を渡されたので、つい反射的に受け取ってしまう。

「日本糞拓協会 専属調査員  黒井 運子」

「…くろい うんこ?」

「ち、違いますっ!うぅねって読むんですっ!」

「うぅね?」

 どういう読み方だよ。名前を付けた親の顔が見たいぞ。

「と、とにかく…」

 名前には相当こだわっているのだろう。息も荒く興奮気味だった彼女は、自らを落ちつけるように息を整えて、改まった。

「白河さんのうんこの糞拓を取らせて頂きますので」

「…糞拓って、なに?」

「だから、糞拓です」

「えっと、魚に墨を塗って、紙に写すっていう、あれ?」

「そ、そうです。さすが作家さんですね」

 そんな事、感心されても困る。

「その、うんこ版?」

「ええ、ええ!話が早くて助かります」

 すでに運子は極薄のビニール手袋を嵌めている。

「こっちは全然助からないんだけど。なんで糞拓なの?」

「だって、それがお仕事ですから」

 いかにも楽しそうに、俺の一週間分のうんこを両手で大事に抱えてトイレから取り出す。

水滴がポタポタと垂れて、便器といわず床といわずこぼれ落ちていく。

「ああ、いい匂い」

「嗅ぐな!」

「だって、こんなに立派なのに…」

 あらかじめ引いてあったらしいシートの上に、おれの体から出てきた老廃物が横たえられた。

 惚れ惚れと見つめていた彼女は、玄関においてあった硯と筆を取り出し、墨を溶いて、うんこに塗ったくりはじめる。

「お、お前楽しいか?ほんとに楽しいのか?!」

「うぅね、とっても幸せですぅ!」

 すでに恍惚状態と化した彼女は、高級そうな日本半紙を取り出し、うんこにベチャっとかぶせる。

 そのまま手で隅々までなぜ回すと、半紙をそっと墨からめくり上げる。

「ほら!見て下さいこの出来ばえっ!」

「見ろっていっても、なあ…」

 表面の皺や、その大きさ、形など、拓本としてはよくできていると思うが。

 はっきりいって、何を撮ったのかよく分からない。

 目の前でヤラれたのでなければ。

「色といい、ツヤといい、形といい、大きさといい、最高の出来ばえですぅ!」

 嬉しそうに笑う運子は、確かに可愛いのだが。

 やはりおれには変態としか思えなかった。

「今日は本当に、ありがとうございましたっ!これ、お礼ですぅ!」

 ペラペラの茶封筒を手に押しつけられる。

「あ、あのな」

「それじゃ、失礼しますぅ!」

 すっかり興奮状態の彼女は、糞拓を大事そうに抱えたまま、とっとと出ていってしまった。

「それじゃ、って…」

 後に残された墨や硯はいいとしても。

 この大きなうんこ、俺が片づけるのか?

 っていうより、あいつ何者なんだ?

 なにしに来たんだ?

 なんでおれの玄関の鍵持ってるんだ?

「…まあ、運子、だしな」

 垂れ流しは当たり前、といった所か?

 仕方なしに片づけようと思って、ふと手に押しつけられた“お礼”の封筒を開けてみた。

「…」

 予想通り、といえば他に言いようもないのだが。

 カレーチェーン店インディのお食事券が入っていた。


                 ~ ・ ~


「白河さん、それ絶対作り話でしょ」

「おれも、そうだったらいいと思ってるよ」

 担当の編集者に話したら、鼻で笑われた。

 貰ったお食事券がもったいないので、彼を誘ってカレーハウスに行ったのだ。

「だいたい、日本糞拓協会ってなんですか?」

「…そうだよな。騙されたのか、担がれたのか…」

 カレーを食い終わってレジで食事券を出すと、店の人が店の奥に引っこんだ。

 と、中から店長らしい人が出てきて、やけにていねいに頭を下げる。

「な、なんですか?」

「わたくし、こういうものです」

 差し出された名刺には「日本糞拓協会 関東地区総括  蹴里 勉」と書いてあった。

「げり べん?」

「ちっがああぁぁう!」

「失礼。で、日本糞拓協会って、なに?」


「気持ち悪い、話でしたね」

「だよな…」

 珍しくて貴重なうんこの拓本を撮ってみんなで見せあいっこする団体なんて、見たことも聞いたこともないぞ。

 食べたカレーの中にも、なんだか混ざっていそうな気がして一層気持ち悪い。

「それじゃ、僕はこれで。白河さん、締切り守ってくださいよ」

「あいよ」

 担当の編集者は、気のいい奴ではあるのだが仕事熱心なのがタマに傷だ。

 おれみたいな、いい加減を絵に書いたような作家に、仕事仕事とせっつくのは逆効果だということがまだ判っていないようだ。


                 ~ ・ ~


 マンションに帰って、仕事もせずにインターネットで調べてみたが、日本糞拓協会に関する情報はどこを検索しても乗っていなかった。

 まあ、当たり前といえば、当たり前か。

 どうやら、からかわれているらしい。

 しかし、あの運子という女、俺の部屋の鍵まで用意してたしな…

 大げさにはしたくないが、仕方がない。

 俺は、鍵の業者に連絡して、もっと頑丈な物に付け替えて貰うことにした。


                 ~ ・ ~


「白河さん、白河さん。ほぉら、こんなに大きなうんこですぅ…」

 黒井運子が俺の前に、大人の腕ほどもある黒褐色の半固形物を差し出した。

「な、なんだお前っ!」

「ほら、この色といい、ツヤといい、形といい、大きさといい、最高ですぅ!」

 黒井運子は、かぐわしそうに匂いをかぐと、小さな舌をだしてペロリと嘗めた。

「や、やめろぉぉお!」

「あら、だって、これ、白河さんのおなかの中にあった…」

「うわああぁぁっ!」


………


 夢だったらしい。

 パジャマが、汗でびっしょりと濡れていた。

「いやな、夢だったな」

 取りあえず着替えて、寝酒を引っかけたが、頭が冴えてしまって寝られない。

 仕方がない。

 締切りの近い原稿を仕上げてしまおうと、パソコンのスイッチを入れた。

 だが、黒井運子の顔がちらついて、頭から離れない。

 あの手で握りしめられた、有機的固形粘土が…

 だめだ。

 全然、書けない。

 ネタに詰まったし、意欲もないし、集中できない。

 明け方までもんもんと過ごしたおれだが、結局一行も書けなかった。


                 ~ ・ ~


 迫る締切り。

 書けない自分。

 だいたい、好きな時に寝て起きて仕事してりゃいいと思って作家になったのだ。

 こういうプレッシャーに、おれはとことん弱い。

 だいたい、頭の中で黒井運子とその手で握りしめているものがグルグル回っているのだ。

 他の事が、手に付くはずも無い。

 いっそ、運子の事を話にしてみようと思い立ち、パソコンに向かった。

 すると…

 出るわ出るわ。

 日本糞拓協会に関するプロットは、後から後から尽きないかのようにどんどんでてくる。

 半分は使えないネタとしても、これだけで長編が三つは書けそうだ。

 登場人物も、これを自分が書いたのかと思える位に個性的でおかしい奴ばかり登場してくる。

 なにより、運子が魅力的に描けているのがいい。

 おれは夢中になってキーボードを叩いていた。

「(おわり)っと、ふう…」

 プロットを元に、短編を一気に書き上げてしまう。

 こんなに筆が進んだのは、本当にひさしぶりだ。

 コーヒーでも入れて、読み直そうと席を立った。

 コンコンコンコン…

 ベランダの方から、ガラスを叩く物音がする。

 いやな予感がしていってみると、黒井運子が立っていた。

 屋上からロープを垂らして降りてきたらしい。

「お、お前な…」

「すいません、白河さん。ここ、開けて頂けます?」

「いやだ」

「しかたがありませんね。では強制執行を…」

「わかったよ、開けるよ」

 窓を割られでもしたら、たまらない。

「なにしにきたんだよ」

「いやだ、仕事ですよ、し、ご、とっ!」

「なにブリッコしてるんだ。俺は便秘でもなんでもないぞ!」

「なに言ってるんです、出てるじゃありませんか」

「なにが?」

「だから、白河さんのうんこ」

「どこに?」

「そこに」

 彼女は、俺のパソコンを指さした。

「おれの、原稿のこと?」

「もちろんっ!」

 元気よく応えると、フロッピーにコピーを取り始めた。

「なんで原稿が、おれのうんこなんだよ!」

「あら、人間の体から出てきた固形の老廃物ってっ、うんこじゃないですか」

「あ、あのなあ、俺の渾身の作品を、うんこ呼ばわりするのかっ!」

 頭にきて、おれは大声で怒鳴った。

「ええ、この色といい、ツヤといい、形といい、大きさといい、最高ですぅ!」



                          (おわり)


                     あっ、流さないでっ…


 この作品は一応シリーズでして、何作かストックがあります。人気が出るようでしたら、他の作品も蔵出しします。


 にしても、2000年代当時の作品ですので、ホント古臭いですよね。フロッピーとか、懐かしすぎますね。

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