ロキ
「如何でしょうか? 」
そう問われた王が今見ているのは、眼下の男か九界のいずこか。
他に知る由もない。
この胸のわだかまりは、手応えというより死の恐怖といった方が近いだろう。
「お前の言いたいことは、大体分かった。ロキ」
突き返す程悪い案、という訳では無い筈だ。検討する価値はある。例え全く無かったとしても、あるように見せかけるのが自分の得意技だ。
「すこぶる美味い話だな。ゲリとフレキへ食わせてしまうには、余りに惜しい味付けだ」
これは、良いと言う意味だろうか?
住む土地が変わると、言葉も言い回しも変わる。巨人族の私は好印象を与えられたと思ったのだが、ただの勘違いかもしれない。
ここで自分の勉強不足を痛感する。
「我々の問題ですので、なるべく御国のご迷惑にならない範囲で、済ませたいと考えています」
黄金に輝く床や天井や柱に圧倒されながら、なるべく臆さないようにした。ここは敵地だ。相手の空気に飲まれたら、次は命まで飲み込まれるかも知れない。
王座に身を預けるこの狼たちに。
「・・・・・・成る程」
最高神は、低く唸りながら熟考した。考えているというポーズをとり、相手に沈黙を要求しているのだ。彼は、私と似たような手法を使っている。自分が見せる一挙手一投足が相手にはどのように映り、どのような印象を与えるかまで、正確に理解している。
空気感や雰囲気といったものを出して、自分の領域に引き摺り込むのだ。
「神々の国にも関わる事だ。今一度、皆を集めて話し合いたい」
「ご検討の程、よろしくお願いします」
外つ国の情勢を把握しているのか、召集がかかると直ぐに席は埋まった。
私は中央に立ち、二つ目達の視線を総なめにしていた。身一つでやって来た私は、見え透いた罠にしか捉えられないだろう。喉を潤すために最低限の飲料が注がれ、静寂の中徐に議論が始まった。
「まずは、遠方より来たる客人を皆で歓迎しようではないか」
口先で祝辞を済ませると、直ぐにオーディンは本題へ入った。
「新たなる勢力が、此処に戦争を仕掛けようと画策している。儂らが知る予言よりも格段に早くな」
これまでも、巨人族は何度も徒党を組んで神々に立ち向かった。だが、予言の通りに進むこの九界の法則により、本懐を遂げるには、英雄の出現を待たねばならない。
今回も、新たな英雄を仕立て上げたのだ。例え100回失敗しても、その次に成功するかもしれない。諦めずに挑戦すれば、いつか条件に合う当たりを引いて、自分達で予言の英雄を“生み出せる”かも知れない。
性懲りも無く、そういった無茶な希望に縋っているのだ。
霜が降りても、地面しか積もる場所のないあの土地では、もう希望しか空腹を凌げるもがない。
「・・・・・・この者は、我々に協力を求めておる」
予言の内容を知る神々は、当然の如く反対した。
いつか喉元に剣を突きつけ合う相手が、恥知らずにも協力を願ってノコノコやって来たのだ。
騒がしくなる声すら、ここの黄金は反射していた。
「ブラギ、まずはお前が話すと良い。大抵の意見は、お前が先に言ってしまうだろうから」
神々の王は、決まりきった手順を踏むようにそう言った。大体いつもこの様な流れなのだろう。
ブラギは、我が国にすら名が届く詩の神だ。
彼も、己が持つ貫禄と声色を理解し、最大限に活用している。私の浅知恵など、簡単に見破られるだろう。
立ち上がって皆に静寂を求め、ついでに薄汚れた私へ一瞥をくれた。
「ブラギが申し上げます。・・・・・・巨人族は傲慢な生き物故、一度でも慈悲を与えるとつけ上がる。まるで胃に穴の空いた物乞いなのです。更に、その者は待ち合わせた狡猾さで、今まで生き伸びてきたのでしょう。知恵のある巨人は、頭の悪い巨人より何倍も警戒せねばなりません」
言い終わると、不満そうな表情を浮かべていた神々は、皆少し落ち着きを取り戻した。言いたい事は全てブラギ神が口にしてしまったので、自ら意見する必要は無くなったのだろう。
使う言葉を分かりやすく、必要に応じて例えを使い、重要な部分を端的に説明する。一回の発言で自分の意見を短く言い切った、この数十秒を見ても、彼の頭が良いことは十分に分かる。
「他に意見は? 」
こんなにも大勢の神々が居るのに、皆発言する素振りはなかった。多数決をとれば、同じ意見になると信じ切っているのだろう。
「ヘイムダル、どうかね? お前の宿敵だ。ここで殺しておくか? 」
肝が冷える冗談に息を整えていると、門番が私を観察していることに気付いた。
世界ではなく、私を、私だけを見ているのだ。
「この者は、確かに予言と同じ名前です。・・・・・・が、まだ決めつけるべきでは無いでしょう」
ただ私だけを見ながら、彼はそう言った。限りなく本心に近い冗談だ。少しも笑わないが、私を不安にさせようと揶揄っているのだろう。
私が動じないと分かると、一時も目を逸らさず、盃に口をつけて喉を潤した。
「何故、そのような条件を求めるのか、興味がある。皆も気になっている筈だ」
可笑しそうに笑いながら、オーディンは私に促した。理解を得たいなら、自分でやれという意味だろう。例え最高神であろうとも、多数決に大きく逸れることはできない。独断で行動するのは、国家の独裁が暴走する危険を、大きく孕んでいる。
「・・・・・・私も、かつてはあちら側でした。ですが平和で緩やかな没落を選んで、彼らから離れた。それからずっと関わらないようにしてきましたが、今回の騒動は目に余ります。私が居た時期より、だんだん過激になっている。歯止めを作る気すら、もう無いのでしょう」
私1人に、暴走する同胞たちを止める力は無い。なんだかんだで切れなかった故郷との縁も、このままではやがて、自分の意思とは関係なく切れてしまうだろう。
確かにおつむは足りないが、愛すべき仲間たちだ。見捨てるわけにはいかない。
「平和主義の巨人は、1匹ぐらい残しておいても、損はありませんよ」
私は新世界派なので、と言うと皆怪訝な表情を浮かべていた。あまりに全員が同じタイミングで眉を顰めるので、面白くてつい笑ってしまう。
更に、盃を手に取って飲むタイミングまで被るのを見ると、笑いを堪えられなかった。彼らは誰1神としてそのことに気付いていないのだ。
カラス達が、開いた窓から広間に飛び込んできた。天井を数周してオーディンの肩に止まり、私が離れた故郷の有り様を報告した。
「この者は、アスガルドに背を向けて外側の同種と争う、と言うておる。心意気は見事よな」
どんな惨状を目にしても顔色ひとつ変えない戦の神は、まるでその咳払いが案外長く続いただけ、とでも言いたげに、話を再開した。
「巨人のロキよ、儂はお前が気に入った」
そう。私の仕事は、有料電話さながら秒刻みに寿命が縮んでいく、この交渉だけでは終わらない。
後ろを敵に見せながら、世界の破壊を目論む仲間を止め、世界の破滅を予言通りの時間に戻すという、大仕事が残っているのだ。
「儂は、反対せんよ。この者で様子を見ながら、儂らも備えておけば良い。こちらが不利になる訳ではないからな」
「偉大なる父上、奴の腹の底が知れません。欺くことだけを考えて生きてきたのが、巨人ですぞ」
ブラギは、1匹の巨人を指しながら声を荒らげた。他の神々は、皆黙って頷いている。自ら発言しようとせず、誰かの意見に是非を表明するだけの会議に、故郷の変わり果てた仲間の面影を見た。
常に夕日色に輝く広間は、彼らの終末感を助長していた。金の壺に生けられた花々に、どこからか飛んできた蝶が戯れる。仕事を終えたカラス達は、その獲物をじっと観察していた。
窓の外まで逃げるのに、その翅は遅すぎた。鳥達が捕まえるより早く、女神の猫がその蝶を仕留めたのだ。
「オーディン様」
空気を壊したのは軍神だった。様と敬称をつけているが、明らかに彼の方へ強い決定権がある。国防を担う誰よりも勇敢な存在に、私の命運は委ねられた。
「戦に備えるなら、もう少し猶予が欲しい。と俺も思っていたところだ」
幾分か他の神より口調が砕けている。最高位の神に対しても、それが不敬だと咎められる心配は無いのだろう。
「確かに意図は見えないが、理には適っている」
「尤もらしいことを言っているだけだ! 」
拳を握りしめて、ブラギはわなわなと震えている。相当巨人が憎いらしい。余りの怒りにテュールに対する言葉使いも崩れていた。
巨人と交渉することさえ嫌な様子だった。
私はできるだけ落ち着いた声で、彼にお願いをした。
「ただ、目の前のことに集中したいだけです。その間背中を攻撃しないで欲しいというのは、そんなに難しいことでしょうか? 」
話す度に、憎悪が湧き出した。私が声を出すことすら、詩の神は不快感を示している。巨人の紡ぐ言葉は彼の耳にとって聞き入れ難いのだろう。
「不戦の契りをとりつけて、何が企んでいるのだろう? 腹の底が透けて見えるぞ」
ブラギを説得するのは、無理そうだ。彼は私の話を聞く気がない。何を言っても巨人族の言葉としか受け取らないのだ、私の話など無意味だろう。
テュールは、そんな私を哀れに思ったのか、皆に向かって声をかけた。
「俺たちが出向く訳ではない。彼が承諾して初めて、この交渉は成立する。俺たちが意見するのはお門違いだ」
皆の視線が一気にそちらへ集まり、私はオーディンに頼んで、彼と話をする許可をもらった。テュールは穏やかな目で私に友好的な視線を送っている。自軍の損害を減らす事を考えれば、私の提案は願ってもない話だろう。ブラギは不満そうだが、オーディンが許可したことに文句は言えない。世界の見張り番であるヘイムダルは、注意散漫といった感じで角杯を弄っていた。
「・・・・・・2人だけで、話したい」
私がそう言うと、怠そうな返事が返ってきた。
「どこで話したって同じですよ」
白いアースに視線を送り、彼の監視能力を暗に私へ教えた。
「壊れかけのレディオが気になるなら、場所を移しますが」
「いや、それなら大丈夫」
落ち着きのない様子で貧乏ゆすりをしながらも、私の話を聞く姿勢は崩さなかった。彼も、この状況は看過できないのだろう。
「私達の、3人目のきょうだいだ。まだ懲りていない様子だった」
「4」
目を細めて、彼は訂正した。
「慎重だな」
「少なくとも、悪くはならないでしょう? 遷移の方が、ぽっと出より得られる属性も多い」
彼もまだ、新世界派の主義に加担している。此処に来て変わってしまったのではないかという心配は、ただの杞憂だった。
「此処で君と議論をするつもりはない。どうか協力して欲しい」
「・・・・・・めんどくさい」
心の底から嫌だというオーラを出して、傍らに座る雷神に、ぐでっともたれ掛かった。
「おっちゃん、さっきから何の話してるんだ? 」
「・・・・・・身内の尻拭い」
更に疑問符を大きくさせたトールは、困ったように私を見た。
「嫌だとよ」
「そこをなんとか」
私の懇願に絆された雷神は、もう一度説得を試みてくれた。
おっちゃん、と声を掛けながら頭を撫でる。
「俺も一緒に行ってやろうか? 」
「・・・・・・いい、やめて」
彼はぴしゃりと言い放った。だが、頭を撫でる手は止めさせない。もっとやってと、雷神を顎で使っている。
広間に沈黙が立ち込めた。皆彼の決断を待っているのだ。多分、了承はしてくれるだろうが、後一歩だ。
「君が最も危険だ、私など眼中にもない」
「でしょうね」
あまり踏み込んだ話をするなと、睨まれてしまった。広間に居合わせた主要な神々が、私達の会話を聞いているのだ。
全てを知り得る最高神と見張り番がどこまで把握しているのか、我々には知る由もない。
「・・・・・・そっちでも上手くいくなら、僕は構わないんですよ、別に」
彼はポツリと呟いた。
そして、貧乏ゆすりを止めて雷神の膝に頭を乗せ、長椅子の上に丸まった。きっと彼に注がれる視線が嫌になったのだろう。
膝を開け渡している雷神と足を向けられた審神は、彼の要望を理解したのか、直ぐに目を逸らせた。
「捻じ曲げられた所為で、苦しんでいる」
彼なら、この程度の抽象さでも分かってくれる筈だ。
「飢えて死ぬよりマシでしょう」
「・・・・・・せめて、別の方法に切り替えて欲しいんだ」
「別の方法が駄目だから、結局こっちに舞い戻るんでしょ? もう無理ですよ、1個ずつ潰していくしか」
投げやりになる言葉とは裏腹に、彼の決意は固まりだしている。
また長椅子に寝転がりながら、貧乏ゆすりをはじめた。甥である雷神に頭を撫でられて、ボサボサになった髪が床に雪崩れる音がした。
「私は、3人目の存在を許容したくない」
「・・・・・・どーなんですかねぇ」
そう言うと、彼も口を閉ざしてしまった。
静寂が続いて、広間はよそよそしい雰囲気で塗り固められていった。飲み物に口をつける以外、他にすることがない。最高神が閉会を告げなければ、離席すらできないのだ。
神々は細々と水分を口に含み、やっと空になった盃を、水汲み係が競うように満たした。
余りにも時間が掛かるので、とうとうオーディンは皆に軽食をとる許可を与えた。自らも運ばれてきたワインに口をつけながら、気長に彼を待っている。フレイヤの猫はテーブルの上で伸びをして、2度寝を始めた。
1皿ずつテーブルに並び、なんと私の分まで提供された。極めつけに追加の椅子を用意され、着席を勧められたが、丁寧に断った。
「おっちゃん、肉食うか? 」
「・・・・・・」
美味しそうな匂いに釣られて、彼はテーブルからのそりと顔を出した。目の前に肉をかざされ、それにパクりと噛み付くと、針にかかった魚のように引っ張り上げられ、横にしていた体を椅子に座り直した。
そしてあっという間にペロリと平らげて、隣にいる審神の皿を見た。
「ああ、いいよ。これもあげる」
ウルは笑いながら、彼に肴を差し出した。
「・・・・・・ウル好き」
そう言いながら、彼はこつんと肩に頭を当て、スリスリと擦った。
3皿を高速で胃の中に収めるとやる気が出たのか、彼は上機嫌でひらりとテーブルを乗り越えた。
「いいですよ、芽は早く刈るべきだ」
エーシルのロキは私を見据えた。破壊者の道を選んだ彼は、その悪意をひた隠しにしながら私に微笑みかける。
「どう考えても、奴らが戦争を止めるなど想像できません。父上、この巨人達が結託して我が国に歯向かう可能性もあります」
まだ納得のいかないブラギが、高らかに抗議の声をあげる。
髪留めを解きながら、エーシルのロキは義理の家族であるオーディンに語りかけた。
「お義兄さま、ブラギが妙案を思いついたそうです。アースに歯向かう巨人を一蹴し、エインヘリャルの被害も最小限に抑えられる、素晴らしい計画を。・・・・・・どうぞ彼に、活躍の機会を与えてやって下さい」
巨人の両親から生まれた神は、腰まである紫の髪を降ろして鎖骨の上で再び束ね、両手で分けた毛束を左右にぎゅっと引っ張った。
うなじまで迫り上がった髪留めの位置を調整すると、さっきと大して変わらない、ボサボサ頭が出来上がった。
「ブラギ、何か良い案はあるか? 」
オーディンにそう尋ねられると、詩の神は私達を睨みつけた。
広間を見渡し、他に意見する者がいないのを確かめると、最高神は私を見た。
「では、ウトガルドのロキ。お前の提案を飲もう」
そう言うと、オーディンはぐいっと角杯を傾け、残ったワインを飲み干した。彼が目を光らせるのに合わせて、私も言葉に魔法を込めた。
「ご協力感謝いたします。御国が私の背を見守る間、確実に戦の禍根を断つと、約束します」
振り返ってロキに追いつき、足並みを揃えて歩く頃には、彼は既に残星の空を思わせる、青い瞳を輝かせていた。