二十歳のSOS
彩花は大学の勉強が忙しいのだろうか。隣の駅にある大学だろうと勝手に思っていたけど、何を専攻してるとか実家はどこだとか、そういうことは聞かなかった。大学に行っている人というのが、今のわたしには重たかったから。
姉が十代の頃、両親には蓄えがなかった。幼いわたしがいたために母が働いて収入源を増やすことは難しかった。うちの家計じゃ女をわざわざ大学に行かせる余裕なんてないからしかたがない、そんなふうに思っていたみたいだ。だけど八年後、父もそれなりの年齢で安定した収入を得て、母はパートに出られた。わたしを大学に行かせるだけの経済力ができた。わたしは大学に行った。
姉が高校を卒業した時とは世の中が違いすぎた。何も持たないまま社会人になってもどこにも就職できない時代だった。三流大学を卒業したところで何も変わらないが、わたしには姉の時になかった選択肢が与えられた。大学は頭のいい人が行くところではない、お金のある人が行くところなんだと嫌みを言われた。
姉は結婚して仕事を辞めて子供を二人産んで、母の時代と同じような女性の幸せコースを歩んでいた。本人もそれが当たり前だと、幸せなのだと思っていたという。だけど、子供が幼稚園にあがって新しい人間関係が出来たとき、何かが変わってしまったらしい。幼稚園の「ママ友」の中で感じた学歴カースト。高卒の母親より大卒の母親の方が子供の教育がしっかりしてる、みたいな一部の偏った思想が姉を苦しめた。孤立させた。それは卒園しても続き、姉は自分の学歴を憎み始めた。どんどん追い詰められて、非難の対象をわたしにすり替えていった。お金があればいいんだと考え、子供の教育に力を注いだ姉は、大学に入れるために、塾に行かせるために、仕事を始めた。
という、話を母から聞かされた。
大卒ブランドが欲しいだけじゃないか。大学に行くか行かないかは、何を勉強したかが重要だと正論を並べてみても、大学で学んだことを生かしていないわたしには全く説得力がないので何も反論できなかった。
なにより、姉の愚痴をそのまま話す母の無神経さがわたしを苦しめた。わたしにどうしろと言うのだ。
いつの間にか、大学に行かせてもらったズルい妹のわたしは、大学に行かなかった姉を償わなければいけないようになった。
何もない部屋の鍵がまた開いていた。姉だと思った。
また、早く帰ってもらえるよう迷惑そうな顔を作ってドアを開けた。
え?
キレイな女の子が座っていた。彩花だった。悲しそうで、いつものお花のような鮮やかさが全くなかった。迷惑顔を誤解したのか彩花は立ち上がって頭を下げた。
「すみません勝手に」
「大丈夫。大家さんが入れてくれたんでしょ」
「はい。ケーキ屋で働いてるの知ってるみたいで」
「何もない部屋でごめんね」
「びっくりしました。引っ越しちゃったのかと思いました」
「ミニマリストだから」
テキトウなことを言った。だけど、彩花はわたしの顔を見ると安心した子供のように泣き出した。
「真依さん、わたし、どうしよう」
限られた人としか交流のない、最低限のものしか置かないこの部屋。建物は古くて大家さんは大雑把だからセキュリティー面では不安だけど、精神的な避難場所には程よいかも知れない。
さすがに冷蔵庫は買ったが、もてなすお茶も常備していないので、泣きじゃくる彩花の隣にわたしは、ただいた。
「すみません」
「落ち着いた?」
泣いておいて理由を話さないわけにはいかないだろうが、彩花は、何から話せばいいのか分からないようだった。
正直、わたしはこういうのが苦手だった。聞いて欲しいオーラを発している人の話を素直に聞いてあげる奉仕の精神みたいなものがない。言いたければ言えばいいのに、こっちが聞いてるから言いましたみたいな雰囲気を作られると、本当に追い出したくなる。だけど、彩花は見捨てられない。
「ありがとうございます」
「え? わたしまだ何も言ってないけど」
「何も言わずにいてくれて」
「はあ」
見捨てられないのは、こういうところだ。わたしの冷酷な部分を優しさとして受け取る。そのすれ違いが、慕われているような気にさせてくれる。
「やっぱり真依さんになら、話せます」
きっと、他の人にも同じこと言ってるかも知れないけど、彼女のそういう言葉に嬉しくなる自分がいる。
「あの、わたし映画に出ないかって、言われたんです。成田さんの知り合いの映画監督がいて、その人に気に入られたみたいで」
「へえ。すごいじゃん」
「成田さんが脚本書いてその監督と一緒に映画作ろうって話になってて。最初、成田さんに協力できるならって、監督や他のスタッフの方達と何度か会って話を聞いてたんです。けど、だんだん、おかしいなと思い始めて」
「おかしい?」
「なんかスタジオみたいなところに連れて行かれて、宣伝用の写真撮るって言われたんです。まだ映画もできてないのに。まあ、プロのカメラマンに撮ってもらえて楽しいなって思ってたら、周りの人たちが盛り上げだしてTシャツ一枚にさせられたんです。服は一応着てるし、水着よりは露出してないし、アイドルだってこのくらいするだろうっていろいろ言いくるめられて何枚か写真撮られました。でも、明らかに狙ってて、着エロってやつです」
「きえろ?」
その音だけで抹消という意味に聞こえたが、彩花の不愉快そうな表情に、裸より着ている方がエロいという意味だと分かった。
「成田君も一緒にいたの?」
「いえ。成田さんにも話は通してあるから大丈夫だって、あとで来るからって言われたけど、途中で今日は来られないって連絡来たって。本当かどうか分からないですけど。このままだと、わたし映画で脱がされる気がするんです。そういうのが売りの映画なんだなって。でも成田さんの脚本はそういうんじゃないと思う」
「成田君に直接聞いたの?」
「怖くて聞けません。もし、本当に成田さんも関わってたら、わたしどうしたらいいか」
なるほど。
彩花は、映画、アイドル、女優、そんな言葉に浮かれて簡単に騙されるようなバカな子ではない。世の中を知らない純粋すぎる田舎の少女でもない。ただ、成田君を信じてる。成田君が、自分を売ったとしたらショックだ。
成田君は、そんなことしない。そう言ってあげたかったが確証がなかった。元カノでもなんでもないわたしに何が言える。言葉を選ぶわたしを察してか、彩花は自分の意見を上手にまとめる。
「成田さんが何も知らなかったとしても、勝手に話を聞きに行っちゃったわたしのせいで、成田さんが責任取らされるかもしれない。それは避けたいんです。わたしが、ここで映画の出演断ったら、成田さんが違約金払うことになるって」
「待って」
自己完結して、決意するためにここに来たみたいになっている彩花を制した。
「書類は書かされた?」
「いえ」
「お金は?」
「渡されたけど受け取ってません。映画ってすごくお金かかるって成田さんに聞いたから、簡単に受け取っていいか分からなくて。頂けるなら成田さん居るところでお願いしますって言いました」
「偉い」
わたしは思わず彩花を抱きしめた。
本当に私の二十歳の時とはえらい違いだ。しっかりしている。
とりあえず法律上違約金を払わなければならなくなる義務は発生していない。おそらく、本当にいい関係を築いて、彩花本人が自分から脱いだようにしようとしているんだろう。成田君への恋心を知ってて利用しているんだ。
「まずは、わたしが成田君に話を聞くよ。その先は、それから考えよう」
「でも」
「安心して、わたしと成田君は何も繋がってない。あの写真の時以来会ってないし、連絡先も知らないからグルじゃない。映画監督も知り合いじゃない」
「真依さん」
「それとも、出たいの?」
「え」
彩花は迷ったような顔をした。出たくないから相談しに来たのではないのか。やっぱり決意表明か。
「それ、映画じゃないかもしれないよ。脚本なんか必要ないやつかもしれない」
「それって」
「AV」
彩花は肩をふるわせて泣き出した。
わざわざこの単語を出さなくても、彼女は分かっていたに違いない。ただ、もしかしたら成田君が関わっていたらと思うと、成田君に救われたことが全部壊れてしまう。自分を利用するために近づいた。そう思えなくない関係。それが怖くて怖くて、成田君を知る人を頼って来た。彩花は、わたしを慕っていたわけでも、敵視していたわけでもなかった。ずっと、助けを求めていたんだ。きっと家族にも相談できなかった。
ポストに投げ込まれたケーキ屋のチラシはSOSだったんだ。
自ら望んで自分の体を見せる仕事をする人たちを決して軽蔑しない。どんな仕事でも同じ、自分が選んでやると決めたのだから。だけど、騙されて追い込まれて、逃げられなくてしかたなく出演している人がいる。
出来上がった作品に、自分の意思で働いている人と、騙された人たちの違いが分かる人なんかきっといない。
ただ事が過ぎることに耐え、行為が終わることで解放された脱力感を、快楽の絶頂かのように切り取られる。抵抗する姿は興奮材料になり、本気で泣いている姿は全部削除される。明らかに強姦行為なのに、都合よく編集されてしまい、合意の上でやった仕事だと言われても反論できない。
怖い。
極端だけど、お国のためにと戦争に行った人たちみたいに思えてくる。君は人々を喜ばせる尊い仕事をしているんだから、君の心や体なんか傷ついてもいいんだよと。
怖い。
見えない部分の悲しみは、隠蔽される。
彩花をそんな世界に触れさせたくない。