カットフルーツのモヤモヤ
春に何もないこの部屋に来た。それまで、いろいろあって、わたしは物の多い家で小動物と暮らしていた。
その年の年明け、シナリオスクールの受講生だった一人が小さな映画祭で自主映画を上映するというので見に行った。当時の受講生全員にメールしてきたようだ。映画もその人にも興味がなかったが、家から近かったので行ってみた。
映画館となった市民ホールで成田君と再会した。
成田君は見た目が全然変わっておらず、映画監督にも作家にもなれていなかった。レンタルショップで雇われ店長をして映画ソムリエみたいなことしてるという。結婚はしてないと言ったけど、諦めて悟ったというか、取っつきにくさが抜けてどこか丸くなってしまったように感じた。六年半の間に何があったのか、成田君が妙に近く感じた。
酷すぎる自主映画の感想を言い合い話が弾んだ。講義の後みたいに二人で安い居酒屋で語り合うことになった。
機嫌が良く、ほろ酔いの成田君は絶え間なく喋っていた。
「今の子たちってさ、ネットを調べる道具だとは思ってないんだってな。もうひとつの世界。いや、もうひとつでもないのか。同じ世界。こうして会話してるのと、SNSに書き込むのと感覚的には変わらないって。俺、それ聞いてさ、理解できない自分はオヤジだなーって思った。まあ、みんながみんなそうじゃないけど」
成田君はグラスについた水滴を触って濡れた指をおしぼりで拭く動作を繰り返していた。前にも見たことがある。言いにくいことを言おうとしている時の無意識な行動なのか。わたしだけが覚えている彼のしぐさの記憶、懐かしい気持ちがこみ上げて嬉しくなって、わたしは水滴を見ていた。
「テレビでさ、十代でデビューしたミュージシャンが、自分はやりたいことやってるだけ。誰かに届けようとか思わない。理解されないならそれでもいい、みたいなこと言ってて無性に腹立った。表に出られたから言うんだろうけど。キャラ作ってんだかなんだか知らないけど、そういう奴、さっさと消えろって思う」
そのミュージシャンがどんな人かもジャンルも分からないし、今の成田君は表に出られないのかもよく分からないから、ありきたりなことを言ってみた。
「若いから言えるんだろうね」
「そう。ガキなんだよ。でも、ガキにはガキのメッセージが届くんだよな。発信してなくても。それが最近、やっと分かった。俺の方がガキだな」
妙に物わかりがいい解釈をする言葉に「今の子」との関わりが垣間見えた。この成田君を納得させる存在がどこかにいる。なぜか直感した。
その存在を思うと、懐かしさに誘われて、成田君のことよく知ってる存在だと錯覚していた自分が恥ずかしくなった。わたしとの関係性はあの時と何も変わらない。
「そのミュージシャンと同じ年のころ、俺は自主映画作ろうって思っていろんな人に声かけてた。いろんなジャンルの人たちに何故やっているのかって聞くと、みんな口をそろえて、好きだからって言うんだよね。それは原動力であって目的ではないだろう。何に向かっているのか誰に届けたいのかって聞くと、自分のやってることで世界を変えようとか思わない。メッセージなんてない。それに政治とかと切り離された世界であるべきだと思うから、とか言われちゃってさ。一周回って、いや一周遅れで、なんとなく合ってる気になる答えをもらった。その時も腹立って、結局一緒に映画作ってくれる仲間なんかできなかった」
成田君は、悔しそうに寂しそうに言った。
わたしは、一週遅れの話を聞いて、表現者としての苦しみみたいなものは理解できなかったけど、その、なんとも言えないモヤモヤした感じは分かる気がした。全然次元が違うけど、派遣先のおばさんと話をした時感じた苛立ちを思い出した。
「消費期限一週間すぎたカットフルーツが全然傷んでなかったから、保存料の怖さについて話したくて、腐ってなくてびっくりしたって言ったら、ああやって売ってるのは腐らないようにいろいろ添加されてるのよ、知らないの? っておばさんにドヤ顔された時みたい」
「カットフルーツ?」
「うん、職場の冷蔵庫にいれっぱなしで」
成田君は、一瞬戸惑って思いっきり笑った。次元が違いすぎて、ふざけるなと怒られるかと思ったが、気の効いた慰めになったのか、すごく嬉しそうに笑った。
「真依さん、さすがだね。でも、そう。そんな感じ、分かる分かる」
バカにされたのか、何がさすがなのか分からない。しかも、さりげなく下の名前で呼ばれた。初めてだった。結婚してるか、してたか分からない微妙な年頃の女に苗字で呼んでいいのか迷ったのか。距離を縮める手法をさらりとやってのけるような人だったか。「今の子」との関わりによるものか。名前を呼んだことについて追求したい気持ちだったけど、そんなことで動揺していることを悟られないようにわたしは話を続けた。
「だからその先を言ってるのに、そういうことが聞きたいんじゃないんだけど。って思うことよくあるよ。でも、なんて聞けば引き出せるのかわからなかったから。それを引き出す言葉をわたしは持ってないんだなって痛感した」
「へえ」
カットフルーツが何のスイッチを押してしまったのか、話したくてしょうがないみたいに、成田君は饒舌になっていった。
「俺さ、何かを表現して発信してるのに、メッセージなんてないです、とかスカしてる奴が本当に嫌いでさ。そういうやつが、SNSに作品とか製作過程の画像とかよく載せてんだよな。何も伝えたくないなら見せんなよ。自信ないからって予防線張ってかっこつけんなよ。届けるメッセージはありません、けど自分がやってることを見て欲しい承認欲求あります。って、なんなんだよ。ってかさ他者が見られる場所に出す時点でメッセージがあるんじゃないのかよ。だったら、わざわざ言うなよ。まあ、メッセージを届けるって言葉がダサいんだろうけどな。なんていうのかな、責任? そういうのは全てにおいて必要じゃないか?」
面倒くさい……
今まで出会った女性には、そう思われ続けて独身なんだろうと思ってしまった。やっぱり成田君だ。とっつきにくいというか、面倒くさい。
「って、思ってたんだけどさ。今って、個人が簡単に世界に発信できるから、本当に何も狙ってないのに受け入れられたりするんだよな。誰かに伝えたい、届けたいとかいう意識がないやつの作ったモンが拡散される。むしろそういう方が、押しつけがましくなくて受け入れられる。ほんとに、そんなつもりなかったんです。って奴が注目される。ま、でもそういうタイプって一発屋だよな。それ以上は作れないんだ。信念ないやつは、映画でも音楽でも本でも、やっぱりとっとと消えろと思う、ああ、ただの僻みだな。オヤジだな」
成田君はくだを巻いた酔っ払いみたいになってた。疲れて半分寝そうになっている。もう、話したくて話したくてしかたがなかったのだろう。
成田君は過去の自分を大事にして引きずってる。人の作品を自己満足と片付けた自分を悔いているのか、やたらメッセージに拘っている。「梱包の呪い」とずっと戦ってきたんだろう。きっと、もっと割り切っていれば、それなりの仕事に就いて何かを作れた人だと思う。曲げられない物が多すぎて、ずっとずっと納得いかないままここまで来てしまった。そういう自分をダサいと思いながらも、どこにも行けなかった。
わたしならこんな愚痴を聞いてくれると思ったのだろうか。いつも聞き役で、共通の話題は私の中だけで繋がってて、二人で共有はしていないけど。
どこかもう一人の自分を見ているような気になった。
成田君の存在が愛しいと感じた。
それは自分が女として成田君に好意を持っているという簡単な感情ではない。ただ同じ時間を過ごせたことに満たされるような気がした。
わたしは成田君に出会って、再び会えて嬉しくてしかたがなかった。シナリオスクールに行っていた時にこんな気持ちになっていたら、二人はどんな生活していたんだろう。今からでも、わたしの人生に成田君は関わってくれるだろうか。
記念に写真撮ろうとスマホを取り出す、成田君らしくない陽気なノリにまた「今の子」の影を感じた。その影が何故だか、わたしを焦らせた。このまま別れたら二度とわたしに関わってくれなくなるような気がして、今つなぎ止めておけば昔に引き戻せるような気がした。
わたしは喋り疲れた成田君の手を握った。そして、物の多いわたしの家に一緒に帰った。