梱包の呪い
七年前、シナリオスクールに通うことにした。仕事にやる気も誇りも無く、結婚の予定もなく、一緒に遊んでくれる友達も減ってきて、ものすごく安易に知的な趣味を持とうと思ったのだ。
有名なシナリオ作家を輩出しているらしいが、学校というよりカルチャースクールに近かった。年齢も様々、作品が完成しなくても授業料を振り込んで週一回通って一年で修了。その後の世話もない代わりに課題を提出することも強制されない。生徒同士作品を読み合って意見を言っていく。講義のあとは、先生を囲んでチェーン店の安い居酒屋で集まるのがお決まりのパターンだった。
そこで成田君という人に出会った。
講義では、なかなか鋭い指摘をしてくる人で気軽に話せる相手ではなかった。真面目に監督兼シナリオ作家を目指してるようで、趣味程度で通っている人たちとは境界線を引きたがっているように見えた。若干自分に酔っているような佇まいは近寄りがたいが、同じ年の東京人同士、他の受講生の作品の感想を聞くと意外と話が合うかもしれないと思うこともあった。
何回目かの飲み会で、他の人たちがメガネの魔法使いの映画について熱く語っている中、成田君が隣にいたわたしだけに聞こえるように話かけてきた。
「俺さ、大学受験の時、S予備校の論文コースに通ってたんだけど」
ドキリとした。なぜ、わたしにその話をしてきたのか、この人はわたしの何かを知っているのかと警戒してしまった。
高三の頃、わたしは学校内での成績も良く文章を書くことが得意だったので、小論文と面接のみの推薦入試を狙っていた。夏休み、S予備校の論文模試に申し込んだ。自分のレベルには全く見合わないハイレベルな大学志望者向けのコースだったけど、文章だけは書く自信があったので、いける気がしたのだ。
「論文コース?」
「って言っても、シナリオスクールよりも実践的な書き方を教えてくれなかった。ほとんど精神論だったね。今思うと左寄りだ」
「そうなんだ」
わたしは、夏休みにあったS予備校の論文模試で軽く絶望した。
詳しい設問の文章は覚えてないが、『戦時中の人になって自分の近況を書きなさい』という主旨の問題だった。
ごくごく普通の十代の学生の日記みたいなことを書いた。戦争がなかったら歌手になりたかったと夢をつらつらと書いた。原稿用紙が埋まらないので童謡の『シャボン玉』の歌詞を書いて、すぐに消える姿を自分に重ねて、嫌な世の中だな、ってひたすら嘆いている人を書いた。
返却された答案は最低ランクのE。しかたなさそうに添えられたコメントに「あなたやる気があるの?」と落胆している採点者が見えるような気がした。
模範解答として、全国の模試上位者の論文が掲載された冊子が同封されていた。
軍需工場で働いてる女学生とか、食べるものがなくて困ってる疎開先の児童とか、千人針を縫う母親、特攻に向かう兵士……そんな話ばっかりで、小説みたいで凄かった。
時代に振り回されながらも従って、国や家族のことを思ってる素晴らしくて可哀想な人たちをこの論文は求めていたんだ。
その頃のわたしにとって戦争は、絵本やマンガで知る昔話みたいで半分ファンタジーだった。史実に基づいた映画や小説は残酷な大人の世界の話で、十代の自分が目に触れていいものではないと思っていた。戦争を知っている、戦争について熱く語る人がヒロイズムに溺れてかっこ悪く見えた。戦争は悪だと言っていい時代、わざわざ説明したがる人は、人が死ぬことに快感を得るような人たちと大差ないのではないかとさえ思っていた。
でも、そういうことでもいいから知っていて、書けている方が偉かった。
わたしは知らなすぎた。
己の未熟さを突きつけられ谷底に落とされた。這い上がるために自分は悪くないんだという理由をひたすら探してた。模範解答の優秀な人たちと自分の違いを考えた。
あの人達にはきっと戦争体験をした人が身近にいて戦争について話をする機会に恵まれてたんだ。もしくは、偏りつつも戦争教育がされてる地域だった。東京の核家族。誰も体験を語ってくれないし、義務教育で戦争の話はされたことがない。環境が学ばせてくれなかった。わたしは悪くない。と。
でもそんな言い訳は受験に関係なかった。
書けない。知らない。知ろうともしなかったわたしは、自分が空っぽに思えた。
自分はただ、美しい文字列に酔っていただけで、知識も独自の意見も社会に対する怒りも期待も何もない。頭のいい人は違う。
十八歳の気づきを手遅れだと感じ、文章は得意だと言うのはもう止めようと思った。
自分のレベルに合った大学には無事合格し、戦争について問題意識を持って勉強しようという気も無く、絶望したことを忘れて生きていた。
すごい速度でフラッシュバックし、わたしは成田君が何を話すのだろうと怖くなった。同時に、あの時の絶望を理解してもらえるかなと期待した。
成田君はグラスについた水滴を触って濡れた指をおしぼりで拭く無意味な手遊びを繰り返しながら、実らなかった初恋を告白しているかのように語り始めた。
「そこで、意味分かんない課題があったんだ。布に包まれたドイツの国会議事堂の写真が配られて、なぜクリストは梱包したのか考えなさいって」
「クリスト?」
「梱包アーティストって言われてる人。日用品から巨大な建造物、自然さえも包むアーティストらしい。俺、その人のこと、外国の面白映像を集めたテレビ番組で見たことがあったんだ。島を巨大な布で包むという大がかりなプロジェクトに取り組むドキュメンタリーだった。正直意味が分からなかった」
その番組はあれかな? と思うものがあったが、アーティストについては想像ができなかった。
「だから、国会議事堂包んだのも自己満足って書いた。そしたら採点されなかった」
「ええ」
ドキドキしはじめた。
わたしの心の声がこの人に漏れているのではないかと思った。
「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる……ってドイツの大統領の演説を引用して、講師は涙ぐみながら解説してたよ。ドイツの国会議事堂を梱包するってことは、いろんな歴史的な意味があるんだって、結局アートだから明確な答えは解んなかったけど、自己満で片付けちゃまずい話だった」
大統領の言葉を暗唱してしまってる成田君は、解らないと言いながらいろいろ考えたんだろうなと思った。
「けどさ、論文を褒められて教卓に出て解説していた子が忘れられないんだ」
その言い方は、女の子って意味だよね? 予想外の展開だが、それはそれで聞いてみたいとわたしはニヤニヤしてしまった。
「どんな子だったか顔とか全く覚えてない。ただ『過去を隠したのではなく包んだんだと思う。包むというのはプレゼント的な意味があると思います』って言った彼女の言葉、意味が分からないまま残ってるんだ。部分的にしか覚えていないから、本当はそんなこと言ってなかったかもしれないし、どれだけ評価されるべき内容なのか理解できなかったけど、すごい衝撃だった。自己満足といって考えることを放棄した俺とは格が違うって思った」
わたしはニヤけた口角を手で隠した。
やっぱり成田君はそういう人だ。
「それ以来、俺、修繕中のビルとか見ると思い出しちゃってイライラする」
「え?」
「ほら、ここに来る途中の道にもあっただろ」
シナリオスクールのビルから居酒屋までの間にあった修繕中のビルの姿を思い出した。足場が組んであって布状のもので外壁が隠されている。
「梱包ってそういう感じなんだ」
「実際画像とかで見ると全然違うけど、俺の中では一緒。もう梱包の呪いだよ」
本気で言ってるのか、いや本気だったら尚更、その苦しみが分からなくて滑稽に見えてわたしは笑ってしまった。
笑うことがこの話にとって丁度いい反応だったのか、成田君は妙にスッキリした顔をしていた。きっと分かりもしないのに同調する、うわべだけの共感なんか望んでないからなんだろう。
だから、わたしは模試の話をするのをやめた。