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無花果のコンポートケーキ

 物が多すぎるあの家から脱出して、刑務所のような部屋で、わたしはやっと自由を手に入れた。フォークソングに出てきそうな築四十年のボロアパートの二階。西日が差す窓辺に座りわたしは外を眺めた。

馴染みのない街。駅から少し離れた住宅街に位置するこの場所は、とても静かだ。

 高い建物は通りの向こうに見える修繕工事中のマンションぐらいで、小さなアパートや古い戸建てが多い。隣の駅に大学があるが、歴史の浅い学部で地域に根付いた感じは無く、学生が多くても人情とかそういう匂いがする街じゃない。絶えず人が入れ替わっていく、干渉し合わない優しさが、自分を受け入れてくれているようで居心地がいい。

 部屋の中に目線を戻すとケーキ屋のチラシが目に入った。駅からアパートの間、住宅街の真ん中にある小さなケーキ屋。祝日のない六月のケーキ屋は必死なのだろうか、この一週間でチラシが三枚もポストに入っていた。

 わたしは何もない部屋に鍵をかけてケーキ屋に向かった。


 チラシを配りまくってるのか、ケーキ屋はそれなりに繁盛しているようだった。店員は他のお客さんの対応をしているので、わたしはゆっくり選ぶことができた。

 年々、甘い物が苦手になってきた。あれもこれも食べたくて一つに絞れないなどと嬉しい悩みを抱える年頃ではない。どれが食べられるか、そういう基準で選ぶ。ガラスケースに並ぶスイーツたちは色鮮やかなフルーツで着飾り、見ているだけで満足してしまう。

 先に来ていたお客さんは、この店の常連らしく娘の誕生日ケーキを注文している。

「ローソクは何本おつけしますか?」

「大きいの二本でいいわ。二十本もさしたら蜂の巣みたいになっちゃうからね」

 二十歳の娘がいるなんて思わないでしょ。とアピールしているように聞こえた。実際、手入れの行き届いた素敵なお母さんだが、過剰な幸せオーラが甘すぎるチョコレートケーキ並に胃もたれしそうだ。

 子供が成人した。すごいことだろうな。

「二十歳ですか、わたしと一緒です。いいなあ、こんな若いお母さん」

 商売上手な店員だ。お客が言って欲しい対応をしている。嫌みもなく、なんとも爽やかな笑顔で。学生バイトだろうか。二十歳でこんな対応できるなんて凄いな。どういうふうに生きてきたらこうなれるんだろう。みんなに愛されて、自分でも愛されるべき人間だって分かっている余裕みたいなのがにじみ出ている。この笑顔、恋愛経験の浅い男なら勘違いして恋に落ちてしまうのではないか。

 自分は二十歳のころ、どんなバイトしてたかと思い出すが苦い記憶ばかり。接客業もやったことあるが、こんな対応したことは一度もない。おそらく今のわたしでもできない。現実問題、そろそろ仕事を探さなければならないが、接客業はまず無理だろうなと思ってしまう。

「お決まりでしたらどうぞ」

 二十歳、二十年の差を考えている間に、いつの間にか客はわたしだけになっていた。

「え、あ、迷いますね」

「ご自宅用ですか?」

「はい。一人で食べます。ケーキ屋に来ておいてなんですが、甘いの苦手で」

 あまりにもキラキラしすぎている二十歳に圧倒されて、引きこもりの人が久しぶりに人と会話しているかのような受け答えをした。

「こちらなんか、どうです?」

 何かが挟まれたベイクドケーキ。他のケーキよりは地味で、商品名を見て一瞬食べられる物なのか戸惑ったが、ゆっくりと読み上げた。

「無花果のコンポートケーキ」

 いちじく。実の中で花が咲くので花がないように見える果実。

「はい。無花果を赤ワインでコンポートにして一緒に焼いた大人の味です」

 確かに生クリームやチョコレートケーキのように、子供も大好きな分かりやすい甘みを主張しそうには見えない。果物の甘さに補足しました程度の品の良さを感じる。見た目も地味だがシンプルが故の自信みたいな凜とした空気が包んでいた。

「食べたことないかも」

「お姉さんみたいな大人のためのケーキって感じがします」

「大人か」

 劣化したおばさんじゃなくて、年を重ねた大人。こういうのが似合う年齢になったんだ。別に自分が二十歳の子から憧れる女性像だと言われたわけではないのに、ちょっといい気分になった。営業トークだったとしても、わたしは彼女の勧める無花果のコンポートが食べたくなった。



 鍵をかけたはずの部屋が開いていた。中に入ると、姉が勝手に入って持参した水筒のお茶を飲んで座っていた。

「大家さんに入れてもらったの。ってか、何もない部屋。ミニマリストとかいうやつ?」

「そう」

 物を持たない主義の人たちの事はよく知らないけどテキトウに答えた。姉とは出来ることならば話などしたくない。

「何しに来たの?」

「近くまで来たから」

 そんなよくある台詞が通用するわけないだろう。外回りがあるような仕事でもないし、知り合いがいそうにも思えない。

 昔から、八歳上の姉とは価値観が合わなかった。子供同士仲良く結託して親に反抗することなどなかった。大人になったところで、急に用もなくて妹を訪ねるような微笑ましい姉妹関係が築けるわけがない。心配して様子を見に来たとかいう類いの、血縁関係による義務感みたいなものなら止めてほしい。今更、味方ぶられてもなんの救いもないのだから。

 あの家からも遠い、なんの縁もない街で一人になることを決めたんだから。

 わたしはケーキの箱を見た。

 このうちには冷蔵庫もない。あまり凝った料理はしないし、肉や魚など保存が利かない食材は食べきれる分しか買わない。今の時期、西日しか入らないこの部屋は比較的涼しいので、野菜は常温で保管してる。飲み物は冷たい物はあまり飲まないし、人を招くことがないからまだ不自由は感じない。

 ケーキもすぐに食べようと思った。別に解決策など考えていないけど、わたしはケーキの箱を見つめて、考えている姿を姉に見せた。

「何? ケーキ? もしかしてこれから誰か来る予定だった?」

「来ないけど」

 来ることにして追い返せばいいが、それも後々面倒くさいので素直に言った。

 自分だけの為にケーキを買い一人で食べる女。姉から見たら寂しい女に見えるんだろう。そう思わせておいてもいいと思った。勝手にマウンティングして優越感を得て帰ってくれればいい。

「用がないなら帰ってくれる」

「急に来てごめんね。でも、どうしても言いたくてさ、この間行ったら」

 読み通りか、自分が優位に立てたからか、余裕があるから言えますっていう「ごめんね」という決まり文句が出た。その先に続いた言いたいことは、メールで無視し続けた案件だった。

「お母さんどこ? お母さんは? ってあんたのこと探すんだよね」

 その先も、もっともっと言いたいことがあるのだろうと思ったが、言わせないように、わたしは目を逸らした。その無言の狂気を感じ取ってくれたのか、姉は逃げるように帰って行った。

 言われた言葉に反論する思考回路をストップさせた。考えない。距離をおく。そんな自分も責めない。一番効果があった対処法だ。


 一人になれた何もない部屋で、箱から無花果のケーキを出した。

 無花果のコンポート。すごく素敵な大人のケーキ。自分はこれを食べる資格があるのだろうか。そう思ってしまうほど、わたしには遠く、深い味がした。


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