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無花果の梱包と (いちじくのコンポート)  作者: 牧田沙有狸


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10/11

何もない部屋を手に入れた

 物が多すぎる片付いていない家。一番物が多い母の部屋は奥だけど、玄関や廊下もそれなりに物が多かった。わたしが小さい頃からあったものがそのまま。酔っ払った夜には気づかなかっただろうけど、朝、あの家を見て、トイレもろくにいけない子供が家にいると知ったら、夜おそくまで飲みに歩いて男を連れ込む育児放棄の親と疑われても仕方がないだろう。

 あの時、フローラルの香りに包まれて床掃除をしながら限界を感じた。何もかも耐えられなくなって、母の細い首に手を回した。苦しんで息をしなくなるかと思ったら、母はもがき、わたしの腕に嘔吐した。服にもはねる吐瀉物、わたしは発狂した。助けてと叫んだのはわたしの方だった。

 心配した近所の人が、通報した。


 ある意味、成田君のおかげかもしれない。あの時、逃げられなかったら母に手をかけようとまで思わなかった。なんだか、感謝に近い気持ちが生まれた。

 犯罪だと成田君に言われて少し嬉しくなる自分もいた。子供を産んだことのある、子供を養う義務のある女に見られたことが、なんだか嬉しかった。旦那はいるように見えたのかな。未婚の母か、離婚の母か、分からないけど、わたしが経験していないことを経験していると思われた。

「経験している女」にどこか引け目を感じて生きてきた。結婚してないと寂しいとか、自分のことしか考えてないとか、何か人格に大きな問題があるんじゃないかと、勝手に哀れまれる。子供を産んでないと、女としての喜びを無駄にしているとか、人間として成熟できてないとか、どんなに年下でも子供を産んで育てた女の方が偉くて立派な扱いがどこかにある。

 知らない、経験していない、経験した人に話を聞いて自分が何かをしているわけじゃない、そんな自分のすべてに引け目を感じていた。性行為を経験したことがあるかどうかに拘るのと同じだ。どこかに平均値みたいなのがあって、そこからずれている自分を惨めに思い、隠したい気持ちに駆られる。姉が差別意識に苦しみ、本当に欲しいわけじゃないけど、持ってる人を妬ましく思った「大卒という学歴」と同じようにブランド化していた。

 わたしには「経験していること」が高級ブランドだった。子供がいるように見られて、その高級ブランドを手に入れた。実際に持った喜びじゃなくて、年齢以外の部分で持っていても不自然じゃないように見られたことが嬉しい。そんなふうに思えた。犯罪みたいなことやってると疑われながらも、自分が憧れた存在に見られた。幼児虐待。すごい勘違いに再び笑いがこみ上げてくる。


 通報されて、母は一時的に保護されることになり、わたしはその間にあの家を売った。家の価値などほとんどないから、土地を売った。そのお金で母を高齢者施設に入れることになった。

 もっと早い段階でこうしたかったが母が拒否し続けた。五年前に父が死んで一人になってから、思い出の物に囲まれることで存在意義を確認していたんだろう。過去だけを見て些細な思い出を大事にし、何一つものを捨てなくなった。捨てさせてくれなかった。家はゴミ屋敷と化していた。二年前、部屋の異様なまでの散らかりは、思い出への執着だけではなく、認知症によるものだと分かった。

 母は家から出なくなり、ある程度の荷物を勝手に処分して、わたしが一緒に住むことになった。結婚もしてないのだから、当たり前だろうと、姉以外からも言われた。

 母の症状が軽いうちに弁護士に相談して、家の名義をわたしに変えた。いつでも家を売って、そのお金で施設に入れるように準備はしておいた。

 昔から、母はわたしを可愛がった。母の愛情が重かった。母に愛情を注がれるたびに姉に恨まれるようで辛かった。そんなことを言ったら、贅沢だ、母が可哀想だと非難されるだろうが、わたしはずっとずっと母に縛られているようで息苦しかった。母が捨てないすべての思い出を共有させられ、物が多すぎる家で、自分の人生を生きている気がしなかった。

 認知症が進んだ母は、わたしのことをお母さんと呼ぶようになった。だから、わたしは母をお母さんと呼ぶのを止めた。名前も呼ばない。なるべく話さないようにした。もうすべてを忘れてもらえるように。 この家から出てもらえるように。

 本当は何も分からなくなってから、別々に暮らすことさえ理解出来なくなってから離れようと思った。わたしが先に壊れた。母が保護されている間、わたしも入院を勧められた。親の首をしめようとした娘の精神状態が正常だったら困るのだろう。

 事件を起こしてやっと家を売って高齢者施設に入居させることができた。少し責任を感じた姉がたまに見舞いに行っている。母にとっては知らない人になっているようだが。

 母と離れて、わたしは何もない部屋を手に入れた。


 誤解されて少し楽になれた。認知症の母の介護生活も少しだけ見せたら、ぜんぜん違う人間が出来上がった。世間の目を欺いてるみたい。成田君の前でもかっこつけられた。中身があろうがなかろうが、見えない部分の価値を上げるんだ。想像力が価値を上げる。あの日のドアは一枚だけ着せられたTシャツみたい。着エロか。

 誤解されたままでいたい。

 都合良く編集された映像みたいに悪いところをなかったかのように隠してたんじゃない。そこに存在するけど、見せない。包んでいたんだ。見せないようにするんじゃなくて、傷ついた心を包んで守ってるんだ。

 悲しい過去は、みんな忘れてなかったことにして笑うんじゃない。忘れないから、時には目に触れないようにするんだ。生きていくために。


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