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【短編版】そのレディーは無敵の大公妃 〜他の令嬢をひいきする婚約者と円満に別れる方法はありますか?〜

作者: 曽根原ツタ
掲載日:2023/09/05

連載版をはじめました。 https://ncode.syosetu.com/n1722ik/

(本文の下にリンクがあります)

 

 いつからだっただろう。婚約者の心が、自分ではなく他の令嬢に移っていたのは。


 マノンの生家、ポリテラ伯爵家は武家貴族の家系で、代々優秀な騎士を輩出している。古くからの縁で、同じく武家貴族のイルゲーゼ侯爵家の嫡男、デリウスとの結婚が生まれる前から定められていた。


 特別相性がいい訳ではなかったけれど、それなりにうまく付き合っていた。――ひとりの令嬢が現れるまでは。


 デリウスは今、ある令嬢に好意を寄せている。彼女の名はルチミナ。公爵家のひとり娘で、蝶よ花よと育てられた生粋の箱入り娘だ。幸が薄い感じの美人で虚弱体質。思わず守ってあげたくなるような女性だ。

 三年前。とある夜会で貧血を起こしたルチミナをデリウスが介抱した。そこで二人は友人となり、交流するようになったのだが……。


 ポリテラ伯爵家の応接間にて。


「デリウス様。明日の園遊会は新大公の襲名披露の場になっています。私たちも挨拶を――」

「明日は無理だ」


 園遊会に出席することは、随分前から決まっていたこと。しかし、デリウスににべもなく撥ね除けられる。


「はい? 無理ってまさか、園遊会に出席できないってことですか?」

「そうだと言ってるだろう」


 ソファに座る彼は、足を組みふんぞり返っている。あからさまに面倒くさそうな態度だ。マノンは小さくため息を吐く。


(……これでもう、ドタキャンは五度目。この人、ふざけてるの?)


 婚約者同士で参加しなければならない集まりを、彼はここ最近だけで五度も直前でキャンセルしてきた。その度にひとりぼっちで参加した。パートナーの不在のせいで色々な憶測を立てられ、マノンは悪い意味で注目された。


「――理由を聞いても?」

「別に、なんだって構わないだろ。いちいち聞いてくるなよ。面倒くさい」

「……ああ、そうですか」


 彼は全く悪びれもしない様子。マノンは引きつった笑顔を返した。その額にはぴきぴきと怒筋が浮き出ている。デリウスの舐めきった態度に、怒りのボルテージはどんどん上がっていくが、なけなしの理性を掻き集めて我慢する。


(何よ。……そんな言い方しなくたっていいのに)


 理由は、聞かなくても予想はできる。彼は過去四度も――ルチミナに会うためにドタキャンしてきたのだから。どうにもならない事情があるというなら納得できるが、ピクニックや買い物に出掛けたり舞台を見に行ったり、彼女との些細なデートを優先する。


 マノンのメンツを守るより、ルチミナのわがままの方が彼にとって重要なのだ。完全にえこひいきしている。


 するとデリウスが、何かを思い出したようにあっと言った。


「そうだマノン。この前お前が食べていた甘味はどこの店のだ?」

「えっと……クグロフですか?」

「クグ……?」

「真ん中に穴が空いていて、山のような形をしたお菓子でしょう? ラム酒漬けの葡萄が入った……」

「ああ、それだ」


 マノンは甘いものが大好きだ。毎日のティータイムが生きがいになっているくらい。一方のデリウスは甘いものが苦手で興味もないのに、突然どうしてそんなことを聞くのだろう。


 クグロフは外国では祭事のときに食べられる家庭料理で、この国にレシピが伝わったのは最近のことだった。菓子職人の名前と店の情報を教えてやると、彼はメモ帳を取り出して熱心に書き取った。そして、頬を綻ばせながら呟く。


「――ルチミナ様がお喜びになる」

「!」


 よくも婚約者の前でぬけぬけとそんなことが言えるものだ。甘いものが大好きなマノンには、長い付き合いの中で一度もケーキを買ってきたことはないのに。友人ばかりをひいきする彼に呆れていると、彼の方が不機嫌そうな顔をした。


「なんだその顔は。何か気に入らないことでも?」

「いえ、別に」

「嫉妬、しているのか?」


 試すような眼差しに嫌悪感を抱く。婚約者がいながら他の令嬢のことをひいきするなんて、嫉妬ではなく失望するだけだ。彼は今までも、ルチミナのことを手放しに褒め称え、彼女のことだけを特別扱いしてきた。マノンはすっと立ち上がり、デリウスを見下ろしながら優美に微笑んだ。


「まさか。婚約者様の交友関係に口出ししようだなんて少しも思ってませんよ。私はこれで失礼します。大事な――ご友人、にどうぞよろしくお伝えください」


 ルチミナを優先するのを、『友人だから』という言い訳で済ます彼。正直もううんざりしている。

 マノンとデリウスの仲は冷めきっていて、もはや修復不可能な域だ。夫婦としてやっていける未来が全く見えない。


「ったく。ルチミナ様はお前みたいに生意気ではないんだがな。お前も少しは彼女を見習ったらどうだ?」

「……はは、可愛げがなくてどうもすみませんでしたね!」


 乾いた笑みを返すマノン。


(ああもうっ、どうしていちいちムカつく言い方しかできないの!?)


 堪忍袋の緒が切れる音がする。怒りに任せて握り締めていたティーカップがパリンと音を立てて粉砕するのを見て、デリウスが引いている。


「……相変わらず、女人とは思えんほど怪力だな」


 これは政略結婚だ。家同士の契約だからこそ、当人同士の気持ちだけでどうにかなる問題できない。きっとデリウスも、マノンと結婚するのは不本意だろう。でも逃げることはできない。婚約者なのにないがしろにされて、どんなに嫌な思いをしたとしても。


(――こんな風に惨めな思いをする日々が、この先もずっと続くの?)


 応接室から出たマノンは、はぁと小さく息を吐いた。




 ◇◇◇



 

 自分の部屋に戻り、カーテンの隙間から外を覗き見る。デリウスが屋敷を出ていくのを確認して、カーテンをさっと閉め直した。


(やっと帰ってくれた……。私のことが嫌いなはずなのに、どうして毎週会いに来るのかしら)


 ようやく帰ってくれたとほっと安堵する。マノンとデリウスの仲は冷めきっているのに、なぜか彼は毎週欠かさずポリエラ伯爵家に訪れる。マノンの顔を見たって面白くもないだろうに。


 ポリエラ伯爵家は深刻な財政難に陥っている。数年前、天候の問題で領地の不作が続き、大きな飢饉が起きた。ただでさえ狭い領地の税収は大幅に減少。また、各地で農民たちの暴動が起きたために支出が増え、いつの間にかポリエラ伯爵家は借金まみれになっていた。


 そこで、デリウスの実家イルゲーゼ侯爵家との結婚が重要なのだ。マノンが侯爵家に嫁ぐ代わりに、ポリエラ伯爵家に経済的な支援をしてもらうことになっているから。家族を助けるためには、嫌でもデリウスと結婚しなければならない。


(野垂れ死にかデリウス様と夫婦になるか……。究極の二択ね)


 ナイトドレスに着替えたあとで、侍女に指示する。


「今日は疲れたからもう寝るわ。あなたももう休みなさい」

「分かりました。おやすみなさい、お嬢様」

「――おやすみ」


 侍女をさりげなく部屋から追い出して、内鍵をかける。ベッドの上掛けの中にクッションを入れて膨らみを作り、あたかもマノンが眠っているかのようにカモフラージュした。


「よし。こんなもんか」


 ワイシャツにズボン。外着に着替えて鏡台の前に座る。鏡には、母譲りの長いサーモンピンクの髪が伸びた顔が映っている。髪を頭の後ろの高いところで束ね、革の武具を身体に身につける。


 それから、鍵付きの引き出しをそっと引いた。引き出しの中には仮面が収まっている。マノンは仮面で顔を隠した。両目がくり抜かれ口元が見えるようになっている。また、白が基調で、金色の模様が施されている。


(仕事に意識を切り替えなくちゃ。気を抜いたら――負けてしまうかもしれないもの)


 マノンは椅子から立ち上がり、鏡台の横の箱にしまっておいた剣を手に取り、今朝方届いた――依頼の手紙を懐にしまう。


 マノンはみんなに秘密である仕事をしている。それは――決闘代理人。


 ルジェス王国では、『リージェ神は正しき者を救う』という信仰のもと、しばしば決闘が行われる。己の名誉と正義を賭けて。しかし、危険が伴うために代理人を立てることが認められている。マノンは『ノア』という偽名を使ってそれを請け負う仕事を数年前から続けている。ポリエラ伯爵家は、大昔に巫女を輩出していて、リージェ神の加護を受ける女傑が生まれる家系。マノンは特に身体能力が秀でていた。片手でティーカップを粉砕できる怪力もリージェ神の加護による力だ。


 決闘代理人はかなりの報酬がもらえるので、全て家の借金返済に当てている。


 ノアは百戦錬磨。一度も負けたことがない。だから世の中の人は、正体不明の彼女を『無敗のレディー』と呼んだ。


「……行ってきます。お母様」


 マノンは、出窓に置いてある亡くなった母の形見のバングルを手首に通した。そして窓を開けて、家の者に気づかれないように二階の窓から木へ飛び移り、裏門を出て屋敷を出発した。




 ◇◇◇



 

 デリウスはルチミナを優先し続けた。マノンはその裏で決闘代理人としてこっそり働き、家の借金を返済していた。

 そんなある日。――マノンの人生を揺るがす事件が起こる。


 ――都市の教会の近くの闘技場、控え室にて。マノンは仮面を着けてフードを被り、決闘代理人ノアに変身した。そこでマノンは、デリウスと対面する。


「今日はよろしく頼む。最強の代理人と聞いていたから大柄だと思っていたんだが……随分と小柄だな」

「…………」


 デリウスは仮面越しにマノンのことをじっと見つめた。


「分かっているだろうが――絶対に勝つんだぞ。代理人を立ててまで敗北なんてことになれば、侯爵家末代までの恥だ」

「…………」


 マノンは声を発さず、こくんと小さく頷く。声を出してしまえば、普段から声を聞き慣れている彼はノアの正体に気づいてしまうかもしれないから。


(どうしてこんなことになっちゃったのかしら……)


 実は今日、代理人としてデリウスの代わりに決闘に出ることになっている。それも、伯爵令嬢マノン・ポリエラに真にふさわしい婿を決めるというとんでもない戦い。


「さっきからお前、なんでひと言も喋らない?」

「……」

「まさかお前、声が出ないのか」

「…………」

 

 声が出ない訳ではないが、こくこくと首を縦に振る。決闘代理人は怪我が付き物なので、腕や足など身体の一部が欠損していることはよくある。声が出ない人がいてもおかしくはないだろう。デリウスは「無体だな」と同情を示した。


「……ところで、俺の婚約者を見なかったか? サーモンピンクの髪をした若い娘だ。見た目が可愛いからすぐ分かる」

「かわ!?」


 今まで一度もデリウスに褒められたことのないマノンは、びっくりして一歩後退する。


「出るじゃないか、声。それにどこかで聞いたことがあるような……」


 疑わしげな表情をしてこちらに顔を近づけてくる彼。マノンは、ぶんぶん首を横に振った。婚約者の姿も見ていないと、ジェスチャーで伝える。……本当は目の前にいるんだけど――なんて思いながら。デリウスはどこか苛立った様子で控え室を出て行った。


「ったく、どこに行ったんだかあいつは」


 扉が閉まる直前に舌打ちが聞こえて、マノンは肩を竦めた。


 今日の馬鹿げた決闘をデリウスに挑んだのは、王家に匹敵する勢力を誇るスフォリア大公家新当主、セルジュ・スフォリア。マノンはそんな格上の相手と面識すらなく、なぜ彼が貧乏伯爵令嬢のマノンを妃に望むのか見当もつかない。


 デリウスもデリウスだ。セルジュは病弱だと噂されており、大公を倒した名誉を手に入れられると安易に考えて決闘を引き受けた。しかし、直前になってやっぱり怖気付き、最強の代理人ノアに代理を依頼したのだった。断ろうと思ったが強引に押し付けられてしまった。


(決闘でセルジュ様が勝てば……デリウス様と円満に別れられる?)


 そんな思いが、心のどこかにある。

 とにもかくにも、マノンは自分を巡った決闘で戦うことになってしまったのである。




 ◇◇◇




 デリウスはマノンの到着を待ち続けていたようだが、結局彼女が来ることはなく、本番の時間がやってきた。柵で囲われた小さめの闘技場に、審判と数名の証人、イルゲーゼ侯爵家とスフォリア大公家の親族。そして、客席には大勢の見物人の姿が。


 壇上に上がったのは、武具を身につけたセルジュと決闘代理人ノア。ノアの姿を見た見物人たちはざわつき始めた。


「なんだ、侯爵令息が直接戦う訳じゃないのか」

「情けないな。期待してこっちは仕事を休んできたってのに」

「どうせまたノアの勝ちよ」


 決闘は、上流階級に限られた文化だ。一般庶民からしたら、貴族同士の手に汗握る戦いは娯楽であった。見物人たちは、怖気付いて代理を立てたデリウスに野次を飛ばす。デリウスの父も、家の名誉を賭けた戦いなのにデリウスが代理を立てて逃げたとは知らず、頭を抱えている。


 それでも――決闘は勝敗が全てだ。『リージェ神は正しき者を救う』という信仰があるから、代理を立てようと勝った方に全ての栄誉が与えられる。


 マノンは剣を構え、セルジュをまっすぐ見据えた。


(決闘で手を抜くことはリージェ神への冒涜。デリウス様の味方をするのは癪だけど……手は抜けない)


 すらりとした体躯に、爽やかで端正な顔立ち。稲穂を思わせる金色の髪と、エメラルドのような緑の瞳。


(綺麗な人……彫刻みたい)


 儚げな雰囲気がある美丈夫だ。身体が弱いと聞いたが、決闘なんてして大丈夫なのだろうか。


「どうしてこんな馬鹿げた決闘を?」


 セルジュにそう尋ねる。


「君が欲しくなったから。決闘代理人ノア。……いや――マノン・ポリエラ嬢」

「!」


 なぜ、ノアの正体がマノンだと知っているのだろうか。マノンはびっくりして目を見開く。しかし、それを尋ねる前に審判が声を上げる。


「――これより、リージェ神の名の元、ポリエラ伯爵家の息女マノン・ポリエラに真にふさわしい者を決める。――始めっ!」


 審判の合図とともに、マノンは足を踏み出した。剣を下に構え、セルジュ目掛けて振り上げる。ギン……ッと鈍い金属音が空に響き渡る。セルジュはマノンの剣を受け止め、力を込めた。拮抗した状態が続いたあと、マノンはさっと身を剥がし、追撃を始めた。


 幾度となる剣がぶつかり合い、次第に腕に痺れを感じる。


(……っ思っていたより強い)


 身体が弱くてあまり稽古ができていないと言っていたけれど、さすがは大公家の血を引く者。素質は十分にあるらしい。久しぶりに骨のある相手と対峙し、いつもより力が入る。

 優れた二人の剣技の応酬に、見物人たちは息を呑む。


 何度目かの邂逅。剣身が擦れ合うとき、額に汗を滲ませたセルジュが苦笑する。


「やっぱり強いな。俺ではとても太刀打ちできないよ」


 ノアは『無敗のレディー』の異名を持つ百戦錬磨の最強の決闘代理人。そう容易く負けることはない。しかし次の瞬間、セルジュがふっと腕の力を抜く。


「……っ!?」


 その拍子に、マノンの剣先がセルジュ目掛けて降りかかる。――彼に怪我をさせてしまう。そう思った瞬間、彼の目の先で無意識に剣を止めていた。


 セルジュは、マノンがセルジュを傷つけないように攻撃を殺したことを理解して呟く。


「君は優しいんだね」


 直後、セルジュの渾身の一撃がマノンの剣を薙ぎ払い、腕が外に弾かれる。その隙に、セルジュはマノンの腕をぐいっと引いて――口付けした。


「〜〜〜〜!?」


 粘膜とも肌とも違う温かい感触が唇に伝わる。マノンの手から剣が落ち、からんと地に転がる。何が起きたのかさっぱり理解が追いつかず、目を白黒させて硬直する。


(今、何を……!?)


 落とした剣を拾わなくてはならないのに、身体が強ばって動けない。そして、あっという間にセルジュの剣がマノンの首筋に添えられていた。


 マノンは両手を掲げ、真っ赤な顔で今にも消えてしまいそうな声を漏らした。


「こ、降参です……」


 セルジュからの口付けは、どんな剣豪の斬撃よりも強烈な一撃で。最強の代理人、『無敗のレディー』の初の敗北はあっけなかった。

 客席から「ええぇぇえっ!?」と驚きの声が上がる。


 一方、大勢の人たちにキスを目撃されてしまったマノンは、自分が負けたことも忘れて、ショックやら恥ずかしいやらで俯き、両手で顔を覆った。


(うう……私のファーストキスが……こんな大勢の人の前で……)


 そんなマノンに対し、セルジュはいつもの柔らかい笑顔で近づいてくる。マノンは彼をぎろりと睨みつけた。


「……ひ、人でなし! 卑怯者……!」


 むっと頬を膨らませるマノンを見て、なぜか彼は楽しそうに笑った。近づいてくる彼に警戒し、一歩、二歩と後ずさる。


「ごめん。そうむくれないでくれ。だって、『口付けしちゃいけない』なんてルールはなかったでしょ? 俺は何も違反してない」

「マナー違反です!」


 最強の代理人の無敗記録が、キスひとつで破られてしまうなんてとんだ恥である。でも、勝ちは勝ちだ。これで、リージェ神の名の元、マノンの本当の嫁ぎ先が決まった。


 勝敗は決した。

 ――なら、花嫁はどこに?

 客席がざわめき始める。侯爵令息と新大公が決闘をしてまで手に入れようとした女性はどんな人なのか、と。


 すると、セルジュがマノンの方に手を伸ばした。


「何を……」


 彼はマノンの仮面に手をかけて外した。フードまで脱がされて、後ろで束ねたサーモンピンクの特徴的な髪が風になびく。


「あれが、最強の代理人ノアの正体!?」

「嘘だろ、あんな女の子が……」


 無敗の伝説を誇る決闘代理人の意外すぎる素顔に、誰もが驚く。

 つり目がちなぱっちりした青い瞳に、幼さを残す顔立ち。誰が見ても整っていると頷く愛らしい容姿に、「可愛い……」という言葉があちこちから漏れ聞こえる。


「……どうして私がノアだと気づいたんですか」


 疑わしげに彼を睨みつける。


「一年前。祖父母が痴情のもつれで決闘裁判をしたとき、ノアが祖母の代理を務めたんだ。……すまない。……盗み見るつもりはなかったんだけど、君が仮面を外して汗を拭っているところを見てしまったんだ」

「…………」


 他人に素顔を見られないように徹底していたつもりだったけれど、まさか彼に見られていたとは。


「初めて見た日から、俺はマノンのことが好きになった。小さな身体で、他人の正義と名誉のために命を賭す君が。俺は身体が弱いから、心身ともに強い君に惹かれたんだ。言ってみればひと目惚れさ」


 決闘代理人は、本来奴隷と並ぶ差別階級だ。重罪人から選ばれる場合が多く、死と隣り合わせ。自分から望んで代理人になる人はほとんどいない。


(――そんな言い方、ずるい)


 マノンは無意識に、手首に輝く母の形見のバングルを撫でた。

 マノンの母も、ポリエラ伯爵家の女傑で強かった。親友のために決闘裁判の代理を務めてなんの罪もないのに死んだ。『リージェ神は正しき者を救う』。その教えを信じてはいるが、この決闘に限っては神の意思は関係なく――実力勝負の世界だと理解している。だからこそマノンは、この仕事をしている。母のように無実の人が死なないように味方をするため。


「君のことを色々と調べさせてもらったよ。家の借金のことも、婚約者との関係のことも……。借金は代わりに全額返済するし、俺なら君に悲しい思いはさせない。誰よりも君を優先するし、大切にする」


 大公家の経済力なら、マノンの家の借金を返済するのは容易いことだろう。

 デリウスは友人のルチミナをひいきし、婚約者のマノンをないがしろにし続けた。マノンのやることなすこと全てにぐちぐち嫌味を言うし、すぐに機嫌を損ねて怒鳴る。セルジュならば、もっと違う関係が築けるだろうか。


「割と悪くない条件だと思うけど、どうかな? 君が嫌と言うなら引く」


 決闘で勝ったのはセルジュだ。神判で選ばれたのはセルジュなのに、最後の決定権はマノンの意思に委ねてくれている。更に彼は、こちらをずいと覗き込んで優美に微笑んだ。


「それに俺は結構いい男だと思うんだけど。好みじゃない?」

「そういうのは自分で言うものではないかと」

「あはは、これは減点だったな」


 端正な顔が間近にあって、心臓がどきんと跳ねる。自分の見た目の良さを理解して見せつけてくるのだから卑怯な人だ。マノンは他人の容姿の美醜に頓着しない方だけれど、そんなマノンでさえもセルジュはいい男だと思う。


 伸るか反るか。しばらくの逡巡のあとで言う。


「私……普通の女の子より力が強くて、大食いで、可愛げもなくて、剣傷だらけの肌です。こんな花嫁でも……ほしいですか」


 セルジュはくすと笑う。彼はその場にひざまずき、洗練された所作でこちらに手を差し伸べる。優しくて甘い眼差しに射抜かれ、きゅんと胸が高鳴る。


「どんなマノンでも愛すよ。だから俺の花嫁になってほしい。ああそれと――もし結婚してくれたら君のためにパティシエを雇い、三食に豪華なティータイム付きを保証しよう」

「――乗った!!!」


 目配せし、マノンにとって最高の提案を持ちかけてくる彼。彼の手を取ろうとしたそのとき――。


「待て! これは一体……どういうことだ!?」


 そう叫びながら舞台に上がってきたのは……デリウスだった。

 血相を変えたデリウスが、マノンの目の前に立ちはだかる。


「隠していてごめんなさい。……実はずっと、決闘代理人をしていたんです」

「は、はぁぁ……!?」


 デリウスは全く信じられないといった様子。


「わ、訳が分からないぞ」

「……ですから、かねてよりノアという名前で決闘代理人をしていて、」

「そうではない! どうしてそんな真似をしていたのかということだ。お前の家はそれほど金に困っているのか……?」

「金銭だけが目的ではありません」


 確かに、報酬は実家の借金返済に当てている。

 しかし、母が死んでから剣を握るようになったという経緯を話したとして、デリウスがそうですかと納得するとも思えない。

 彼は鼻息を荒くしながら声を張り上げた。


「とにかくだ! 俺はこの結果を認めないぞ! お前は神聖な決闘の場に私情を持ち込み、本気を出さずにわざと負けたんだからな!」

「言いがかりです。私がわざと負けるなんてありえません」


 負けじと言い返すが、デリウスは引き下がろうとしない。


「いいやわざとだ。たかが口付けで動揺して剣を落とすなんて無敗の伝説を持つノアならありえないだろう。お前が本物のノアなのかも疑わしいな。もしそうだったとしても、すぐにそんな野蛮な仕事やめろ。お前には似合わない仕事だ。大人しく俺の言うことだけを聞いていれば、何不自由せずに生きていける。だから、妻として家庭を守ることを考えるべき――」


 長ったらしい説教に、マノンは眉間に皺を寄せて叫んだ。


「うるさいなぁもう!」


 デリウスはずっとマノンのことを否定して、行動を制限しようとしてきた。彼は自分がいつでも優位に立っていたくて、マノンのことを都合のいいように支配したいのだ。自分は浮気をして、好き放題やってきたくせに。


「あれもだめ、これもだめ。お前はだめなやつだ、俺の言う通りにしろ。デリウス様はいつもそればかりです。私のやることなすこと否定して怒鳴って、少しも寄り添おうとはしてくださらなかった。もううんざり。婚約者をないがしろにして他の令嬢をひいきするあなたに振り回されるのは!」


 ぼろぼろと涙が溢れる。いつもは平然を装ってきたけれど、積もり積もった不満が爆発する。

 今日くらいはっきり言ってやってもいいだろう。セルジュが決闘に勝利した瞬間から、もうデリウスは婚約者ではなくなったのだから。


「デリウス様がなんと言おうと、私は本気でこの勝負に挑みました。大事な戦いを他人に押し付けて、自分は逃げ出してしまうようなあなたにはとやかく言う資格はありません。――それにあなたは、ルチミナ様がお好きなんでしょう? リージェ神の神判のおかげで、後腐れなく円満に別れられて良かったじゃないですか」


 マノンは袖で涙を拭い、踵を返す。動揺したデリウスが引き留めようと手を伸ばした。


「待てっ、違うんだ。俺は本当はお前のことがす――」

「そこまでにしておけ」


 それまで沈黙を守っていたセルジュが、デリウスの腕を掴んでひと言。


「彼女を手放す覚悟がなかったのに、なぜ決闘を引き受けた? 病弱な俺は倒せると侮ったからだ。名誉を得ようと考え、だけど結局怖気付いた。その結果がこれだ。後悔しても遅い」

「そんな……っ」

「それにお前にはルチミナ嬢がいる。マノンの気を引くために利用し、彼女を傷つけた責任を取るべきだ」

「なんでそれを知って……」

「なんでも知ってるさ。思考が浅い人間は考えが読みやすいからな」


 指摘されたデリウスは、かっと顔を赤くする。マノンの気を引くためにルチミナの好意を利用していたのは――事実だ。

 ルチミナと友人になったデリウスは、露骨に彼女をひいきするようになった。マノンとの予定よりルチミナを優先し、マノンの前でルチミナのことを褒めまくった。パーティーを度々ドタキャンして、彼女をひとりで行かせることもした。それは、人前で恥をかかせて自分にとってデリウスが必要な存在だと気づかせるためだ。

 しかし、マノンを振り向かせることはできなかった。気を引くどころか、マノンはどんどんデリウスから離れていった。


 決闘の話があったとき、ルチミナはそれを口実にマノンと婚約を解消して大公に譲り、ルチミナと再婚約してほしいと言った。それを拒み、マノンが好きだと打ち明けると彼女は心を病んで体調を崩してしまった。


 セルジュは、何もかも見抜いているようだ。

 

「結果としてお前はどちらも深く傷つけた。潔く引け。――マノンを本当に愛しているならな」

「…………っ」


 デリウスはがくんと膝を地に突けて、茫然自失となった。




 ◇◇◇




 決闘が終わって婚約解消してから、デリウスからしばらく手紙が届いた。内容はマノンと会って話がしたいというものだったが、返事は出さなかった。


 デリウスは決闘に敗北したせいで家族に縁切りを言い渡された。そもそもイルゲーゼ侯爵家がマノンとの結婚を望んだのは、衰退していた侯爵家を再興するために、リージェ神の加護を受けた女傑に優秀な子どもを産んでもらうためだった。この決闘により、イルゲーゼ侯爵家は敗北のレッテルを貼られて名誉を傷つけられた上に、最強の決闘代理人になるほど突出した才能を持つポリエラ伯爵家の女傑を失った。


 デリウスは今、心を病んでしまったルチミナの世話をしている。ルチミナは相当精神的にショックを受けているらしく、彼女の両親である公爵夫妻は、デリウスに結婚して責任を取るように言っているとか。本当に好きな人と一緒にいられるのだから、彼にとっても本望だろう。きっと。


 リージェ神の加護を受けた、強さレベルMAXの令嬢マノン。彼女の裏の顔は依頼者のために迫り来る強者を――斬って、殴って、蹴って、倒しまくる最強の決闘代理人ノアだった。

 マノンは自分の嫁ぎ先を決めるふざけた決闘に代理人として出て、人生で初めて敗北してしまう。


 大公の婚約者となったマノン。これまで敵無しだったはずの彼女が、甘々に溺愛してくるセルジュに翻弄されていくのはまだ少し先の話――。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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