【短編・コミカライズ原作】虐げられた聖女の能力は幸福に比例します
「今すぐここから出て行け!」
「今までご苦労様」
見下すような冷たい視線のローレンスと、ニヤニヤ薄笑いを浮かべる綺麗な女性の突然の言葉に、ジュリエッタは息が止まりそうになった。
「なぜですか? ローレンス様!」
「そんなこともわからないのか」
相変わらず馬鹿だと鼻で笑うと、ローレンスはセクシーな男爵令嬢エレノアの肩をグッと抱き寄せた。
「エレノアがいればお前が要らないからだ!」
「でも、」
「とっとと出て行け!」
ローレンスの命令でジュリエッタの腕を申し訳なさそうに掴む騎士。
あぁ、従わなくてはこの騎士様が怒られてしまう。
ジュリエッタは抵抗することなく、騎士に連れられ建物を後にした。
魔力を注ぐと王宮を守る装置が働く魔力塔。
幼い頃からここに住み、毎日魔力を水晶に注いでいた。
「行く宛はあるのか?」
大きな門の前まで案内されたジュリエッタは首を横に振った。
「これ少ねぇけど」
「これ、なぁに?」
騎士がポケットから取り出した固くて丸くて平べったい見知らぬものにジュリエッタは首を傾げる。
「金だよ。知らねぇのか?」
ジュリエッタは困った顔で微笑んだ。
「これとパンを交換してもらえ」
「これと交換できるの?」
「あぁ。今日と明日の分くらいなら手に入る」
こんな固いものとパンを交換?
「ありがとう」
ジュリエッタは手の上の小銭をギュッと握り締めながら門の外に一歩踏み出した。
「すごい」
赤茶色の屋根の街、カラフルな布がかかった家、石畳の広い道と、横の細い道。
たくさんの人々と馬車。
今まで住んでいた魔力塔はあんなに高い所にあったのだと初めて知った。
とにかく真っ直ぐ道を進んで行く。
どこかで曲がったら道がわからなくなりそうだからだ。
建物や木の板に何か書いてあるけれど読めない。
でも言葉はなんとかなりそう。
足が痛くなってしまったが、どこなら座っていいのかわからない。
ジュリエッタは溜息をついた。
「……お腹すいたな」
もうすぐ日が沈みそうな街は歩いている人がほとんどいなくなった。
「どこでパンと交換できるのか聞くのを忘れちゃった」
あと、どこなら寝ても良いのか。
魔力塔は毎日パンとスープを食べさせてくれた。
毛布もあった。
水浴びも時々出来たし、服も小さくなって着れなくなったら新しい服をくれた。
「……いらないって言われちゃった」
ジュリエッタの視界が涙で歪む。
足の限界を迎えたジュリエッタは歩く人がいなくなった大通りに立ち尽くした。
「こんな時間にどうしたの?」
扉の表示プレートの「オープン」を「クローズ」にひっくり返しながら、ふくよかなおばさんがジュリエッタに声をかけた。
「家出かい?」
「あ、えっと、出ていけと」
「追い出されたのかい」
おばさんはジュリエッタを上から下まで眺めると溜息をつきながら「クローズ」にした扉の中に引っ張りこんだ。
「ごはんは?」
「あ、あの、これとパンを交換できますか?」
ジュリエッタが出したのは騎士にもらった固い物。
「パンでいいのかい?」
おばさんはパンと温かいスープをジュリエッタの前に出した。
「じゃ、これお釣りね」
おばさんはパンの値段だけお金をもらう。
スープはオマケだ。
「えっ? 交換なのにどうして増えるの?」
騎士にもらった丸い物は1個だったのに、大きさと色が違う物が7個に増え、さらにパンとスープまで。
ジュリエッタはパンとお金とおばさんを順番に見ながら首を傾げた。
店の片隅で眠らせてもらい、翌朝おばさんが描いてくれた地図とお金を持って乗合馬車へ向かう。
この先は魔物が出る草原。
歩いて行くのはダメだとおばさんが教えてくれた。
「ラッキー! 今日は魔物に会わずに着いたぜ!」
「いつもは出るのにな!」
護衛として雇われた冒険者が今日は丸儲けだと喜ぶ。
ジュリエッタは乗合馬車を降りると再び道を歩き出した。
「行くところがないならデューアン国に行くといいよ」
そこなら働くところもきっと見つかるとおばさんは教えてくれた。
森は入っちゃダメ。
道で寝たらダメ。
おじさんについて行ったらダメ。
ジュリエッタはおばさんに教わったことを復習しながら街を進む。
デューアン国に行って、どこかで仕事をして、住むところと食べる物をもらう。
どうやって仕事を探すのかわからないけれど、とりあえずデューアン国に行ってみよう。
おばさんが持たせてくれたパンを少しずつ食べ、夜は親切なお店の片隅で眠らせてもらい、3日目には街から木の多い場所に変わった。
「木の下だったら道じゃないから寝てもいいのかな?」
川の水を飲み、おばさんからもらったパンの最後の一口を噛み締める。
たくさん歩いて疲れたジュリエッタはすぐに木にもたれて眠ってしまった。
「辺境伯様を守れ!」
「朝から魔物なんて!」
「……声?」
翌朝ジュリエッタは人の声と獣の鳴き声で目が覚めた。
馬車を囲むように8人の男性が黒い獣3匹と戦っている。
「あ、怪我している」
木の影からこっそり覗きながらジュリエッタは様子を窺った。
「どうしたらいいのかな?」
魔力塔では水晶に魔力を入れると偉い人の家に安全な膜ができると教えてもらったが、実は水晶などいらない。
あの人たちの周りに膜を作ったら安全なのかな?
ジュリエッタは両手を前に出し、手で丸を作った。
馬車を中心に丸で囲むイメージだ。
「出来た!」
完璧と喜ぶジュリエッタは次の瞬間固まった。
「……なんでこっちに来るの?」
ジュリエッタに気づいた黒い魔物3匹が怖い顔でジュリエッタ目掛けて走ってくる。
「こんな所に子供?」
「早く逃げろ!」
騎士の一人が急いでジュリエッタの方に走るが間に合わない。
「逃げろ!」
隠れていた辺境伯も慌てて馬車から飛び出した。
「ダメダメ! こっちに来たらダメ!」
両手を左右に振りながらジュリエッタが慌てる。
魔物はジュリエッタの3メートル先から勢いよく飛びかかった。
「っ!」
ジュリエッタは頭を押さえて小さくうずくまる。
「は? 嘘だろ?」
「……まさか」
小さな光の粒になり一瞬で消えた魔物に驚いた辺境伯クリストフと騎士達は目を見開いた。
「浄化の力?」
「あっ! 辺境伯様!」
まだ安全確認ができていないと言う騎士を振り切り、クリストフはジュリエッタの元へ走る。
先に着いた騎士の手を借り、立ち上がった小さな子供を見た辺境伯は驚いた。
ボロボロの靴。
サイズが合っていない汚いワンピース。
ボサボサの手入れがされていない髪。
肌も汚れ、痩せ細った子供。
こんな子が浄化の力?
「ひとり? どうしてこんなところに?」
「ローレンス様にいらないって言われて、おばさんにデューアン国なら仕事があるよって」
そのまま言葉に詰まるジュリエッタに辺境伯は優しく微笑んだ。
「デューアン国に連れて行ってあげるよ」
手を差し伸べるクリストフにジュリエッタは戸惑った。
「えっと、おじさん……ですか?」
おじさんにはついて行ったらダメだと教わったと言うとクリストフは声を上げて笑った。
「まだ若いつもりだけど」
24歳は君から見たらおじさん? と微笑むクリストフはローレンスより年上っぽいけれど、大臣より年下に見える。
「俺はクリストフ。君の名前は?」
「ジュリエッタ」
小さな手を乗せるとクリストフはギュッとジュリエッタの手を握った。
「どうして森に?」
「えっ! ここって森なの?」
馬車の中でジュリエッタは聞かれたことには何でも答えた。
といってもジュリエッタが知っていることなど少ないのだが。
馬車は森を走り、草原を走り、騎士達が作ってくれた温かくて美味しいスープを頂いたらまた馬車で森を抜け、橋を渡り、山道を登る。
大きな城のような屋敷にジュリエッタは圧倒された。
「ここは俺の家。もうすぐ夜だから泊まって」
クリストフに指示された侍女がジュリエッタをお風呂へ。
何度もゴシゴシ磨かれ、髪も整えられ、着たことがないサラサラの服を着せてもらったジュリエッタは、オロオロとするばかりだった。
「え? ジュリエッタ?」
別人のように可愛くなったジュリエッタにクリストフが驚く。
ここにはドレスがないので使用人の少年の服を着ているが、ドレスを着せたらもっと可愛いだろう。
「……これも食べられるの?」
見たことがない茶色い食べ物、飲んだことがない色付きの水。
どうしてスプーンがたくさんあるの?
こっちの尖ったのは何?
「ハンバーグだよ」
「初めて見た」
パンとスープ以外は初めて見ると言うジュリエッタにクリストフは驚いた。
水晶に魔力を毎日注いでいたと教えてくれたジュリエッタ。
おそらく隣国ファルマス国の魔力塔の聖女。
浄化の力があるのになぜ追い出されたかわからないが、服はボロボロ、食べ物もパンとスープだけ?
「どれでも好きなだけ食べればいいよ」
クリストフが微笑むとジュリエッタは嬉しそうに頷いた。
「この大バカ者!」
アドルフ侯爵邸に息子ローレンスの頬を引っ叩いた音が響き渡った。
「なぜ追い出した!」
睨み合いが続いているベルンブルグ国に聖女の魔力を売り、均衡を保つ提案をするため国外へ行っている5日の間に起きた今回の出来事。
魔力塔管理大臣であるアドルフ侯爵の手は怒りが収まらずに震えた。
「あんな平民の代わりなんていくらだって」
頬を押さえながら不貞腐れるローレンスの襟をアドルフ侯爵はグッと掴んだ。
「本当にそう思っているのか?」
父に睨まれたローレンスはゴクッと唾をのむ。
「エレノアが水晶に魔力を」
「あれっぽっちの魔力では何の役にも立たん。ジュリエッタの魔力は普通の15倍、いや20倍だ」
日に日に魔力塔の力が弱まっているのを感じていると言う父の言葉に、ローレンスは目を見開いた。
3歳の頃すでに成人の2倍ほどの魔力を保有していたジュリエッタを牛一頭分の値段で両親から買った。
成長するにつれて魔力は上がり、今では1人で守ることができるほどの魔力を保有している。
さらにまだ余裕がありそうなので、隣のベルンブルグ国に恩を売り、国同士の安定を図ろうという計画の最中だったのに。
「見つけるまで帰ってくるな」
アドルフ侯爵はローレンスの胸をドンッと突き飛ばした。
金もかからず、不満も言わず、20人分の働きをする15歳の少女。
絶対に手放すものか。
誰にも奪われぬように16歳になったら息子ローレンスと結婚させようと思っていたのに。
大切なのは「アドルフ家のモノ」という事実だけで、結婚生活など求めていなかった。
「バカ息子が!」
アドルフ侯爵はジュリエッタの代わりの魔力保有者20人の手配と、国王陛下へ報告、隣国ベルンブルグ国との調整に走り回ることになった。
「どうして床で寝たのかな?」
「ご、ごめんなさい。毛布を勝手に、それに部屋も、その」
お店の片隅を借りて眠ったように部屋の片隅で寝たジュリエッタは目を泳がせた。
「あぁ、いや。えっと、どうしてベッドで眠らなかったのかな?」
「ベッドって何?」
首を傾げるジュリエッタにクリストフは呆気にとられた。
この子は本当に何も知らないのだ。
可哀想に。
いろいろ教えてあげた方が良いだろう。
「ジュリエッタは仕事を探しているんだよね? 俺の仕事を手伝うという仕事でもいいかな?」
「仕事していいの?」
嬉しそうに笑うジュリエッタに、クリストフはまずベッドを教えた。
目玉焼き、リンゴ、フォーク、オレンジジュース。
絨毯、ランプ、花。
クリストフをはじめ侍女達、使用人達は小さな子に接するかのようにジュリエッタに日常生活の事を教えることにした。
午後は街へ行き、服や靴を購入。
馬車で領地をぐるっと一周回った。
「この場所を守ることが俺の仕事だよ」
「守るの手伝う!」
良かった、それならできそうだと喜ぶジュリエッタ。
両手を前に出すと手を丸くし、回った場所を思い出した。
「これで大丈夫」
ジュリエッタがにこにこと微笑む。
何が大丈夫なのかよくわからないが、嬉しそうなジュリエッタの頭を撫でながら、クリストフは「ありがとう」と微笑んだ。
「辺境伯様! ありがとうございます!」
「魔物から守って下さってありがとうございます!」
翌朝、伯爵邸の前に訪れた多くの領民にクリストフは驚いた。
魔物に襲われ走って逃げていたが、領地に入った瞬間になぜか魔物が光の粒になって消えたという者。
畑を襲っていた魔物を家から見る事しかできなかったが、急に光の粒になったという者。
魔物に襲われた腕が治ったと喜ぶ者。
昨日、クリストフが領地をぐるっと視察していたと聞いた領民達が、感謝を伝えにやってきたのだ。
少女を連れていたので「辺境伯様が聖女様を連れてきてくれた」と街でウワサになっていると。
そのウワサはすぐに広まり、僅か1週間でデューアン国の王都まで。
素直で純粋なジュリエッタ。
自分が当たり前だと思っていた物を不思議そうに眺め、楽しそうに笑い、些細なことでも驚き、当然のように使用人たちの手伝いをする彼女と過ごす日々は、思いのほか楽しかった。
両親と兄を亡くしてから今まで、こんなにこの屋敷で穏やかな気持ちで過ごせることはなかった。
でも、もうお別れだ。
王宮へ連れて行ったら、もう聖女のジュリエッタがここに戻ることはないだろう。
王宮からの招集状にクリストフは溜息をついた。
◇
「ジュリエッタ、支度は……」
国王陛下に謁見するため真っ白なドレスに身を包んだジュリエッタの姿にクリストフは驚いた。
軽くメイクをし、すっかり深窓の令嬢のようになってしまったジュリエッタ。
「うん。可愛いよ」
たった1ヶ月一緒に居ただけだが、ジュリエッタがいなくなるのは少し寂しい。
明日の朝、自分だけ領地へ戻る。
ジュリエッタとはここでお別れだ。
「エシェリッヒ領主クリストフ、書状に従い参上いたしました。そして彼女が聖女ジュリエッタです」
深々と礼をするクリストフ。
ジュリエッタも慌てて教わった礼を行った。
事前にファルマス国の魔力塔の聖女である可能性が高いこと、出会った時の出来事、領地内で起きた事は報告済。
「聖女殿、エシェリッヒ領と同じようにこの王都も守ってほしいのだが」
「王都ってどこですか?」
宰相の言葉にニコニコと答えるジュリエッタ。
クリストフはエシェリッヒ領の領地をぐるっと回ったと説明した。
「王都を一周回ればいいのか? 国を一周回ったら国ごと守ってもらえるのか?」
宰相の質問がよくわからないジュリエッタは首を傾げる。
クリストフは宰相に地図を準備してもらい、ジュリエッタに国の大きさを説明した。
地図の端っこがクリストフが管理する領地エシェリッヒ。
今いる王都はここ、国はこの線の中だと説明する。
「この線の中を守るのがクリストフ様の次のお仕事?」
「あ、あぁ、そうだよ」
コテンと首を傾けるジュリエッタの可愛さに思わずクリストフが動揺する。
ジュリエッタは両手を前に出すと、エシェリッヒ領の時より長い間、手を丸くしたまま動きを止めた。
「できた!」
ニコニコ微笑みながらクリストフを見上げるジュリエッタ。
「ありがとう、ジュリエッタ」
クリストフはジュリエッタの頭を優しく撫でながら微笑んだ。
「……それだけで?」
「はい。エシェリッヒ領はこれだけでした」
驚く国王陛下と宰相にクリストフは頷く。
自分だって領民から連絡があるまで信じられなかったのだ。
「騎士に確認させよ」
「はい、陛下」
調べるまでもなく、すぐにギルドに問い合わせが殺到し、王宮まで連絡があった。
魔物に襲われている途中で急に消え、命拾いした。
退治する仕事をしていたのに消えてしまったが報酬は出るのか。
時間はちょうどジュリエッタが手を丸くしていた頃だ。
「……聖女とはすごいな」
国王陛下の呟きに、宰相はそうですねと頷いた。
翌朝、再び謁見の間に呼ばれたクリストフとジュリエッタは宰相から守りの効果が出たと褒められた。
「これからもこの国を守ってほしい」
国王陛下のお願いにジュリエッタはクリストフの顔を見上げる。
「ジュリエッタ。今日でね、お別れなんだ」
これからは宰相様の仕事を手伝うんだよと言うクリストフにジュリエッタは目を見開いた。
「な、んで?」
「ここで昨日みたいにずっとこの国を守る仕事をするんだよ」
「……クリストフ様は?」
「エシェリッヒ領に戻るよ」
寂しそうな表情を浮かべるクリストフ。
「私も、」
「ジュリエッタはここで綺麗な服を着て、美味しいものを食べて、みんなを守ることが仕事だ」
ジュリエッタの頭をそっと撫でながらクリストフが言い聞かせると、ジュリエッタの目から涙が落ちた。
「……クリストフ様、も……?」
一歩、二歩と後退りをしたジュリエッタは扉に向かって走り出した。
「ジュリエッタ!」
小さな少女の足は遅く、あっさりとクリストフに捕まる。
「いらない! みんな私がいらない!」
ジュリエッタは国王陛下の前だと言うのに泣き叫んだ。
「いらないからここに捨てるんでしょ!」
「そうじゃない」
クリストフの腕で暴れるジュリエッタ。
「新しい人が来たの?」
「誰も来ていない」
「もうすぐ来るの?」
「誰も来ない」
ジュリエッタは泣きながらジタバタとクリストフから逃げようとする。
「バカだから?」
「違う」
「何にも知らないから?」
「違う!」
「面倒だか……」
クリストフは泣き叫ぶジュリエッタの頭を押さえると、口づけでジュリエッタの口を塞いだ。
「……辺境伯、陛下の前ですよ」
宰相のツッコミで我に返ったクリストフはジュリエッタを捕まえたまま慌ててお辞儀をする。
すっかり大人しくなったジュリエッタはぬいぐるみのように抱えられたままだった。
「宰相、聖女様は辺境伯に預かってもらった方が良いのではないか?」
王宮で面倒を見るのは大変そうだと国王陛下が笑う。
「辺境伯邸からでもこの国全てを守ることはできるのだろうか?」
溜息をつく宰相にジュリエッタは頷いた。
「では、辺境伯。聖女様を守るという追加任務を与える」
国防と共に務めよと笑う国王陛下にクリストフは深々とお辞儀した。
「おかえり、ジュリエッタ」
辺境伯邸に戻ったジュリエッタを侍女達、騎士達は温かく迎えた。
「陛下からジュリエッタをエシェリッヒ領で守るという任務を頂いた」
みんなで守るようにと指示を出すクリストフ。
陛下から頂いた書状を家令に手渡すと驚いた顔をされた。
うっかり口づけしてしまったせいだが家令にそんなことは言えない。
まずは年齢を聞き出し、16歳ならすぐに、まだであれば16歳になったら結婚するようにという勅命。
そして聖女に関することに限り他国との交渉は全権限を与えるという異例の書状。
聖女のウワサを聞けばすぐにこの国境にあるエシェリッヒ領にファルマス国が来るだろう。
クリストフは魔物に殺された両親と兄の形見に触れながら、ジュリエッタを守ってくれるように祈った。
「……来たか」
ファルマス国の使者、そしてなぜか一緒に来たベルンブルグ国の使者にクリストフは苦笑した。
父と兄を同時に亡くし、辺境伯になって僅か半年。
2ヶ国を相手に交渉する日が自分に来るとは想像もしていなかった。
ファルマス国はジュリエッタを奪還するために、第三国のベルンブルグ国に協力を仰いだようだ。
だがこちらとしても第三国は好都合。
ジュリエッタが受けた仕打ちを公表し、第三国をこちらの味方に引き入れてみせる。
クリストフは決意を固め、交渉に臨んだ。
「ファルマス国で魔力塔管理大臣をしているアドルフです。そして息子のローレンスです」
「ベルンブルグ国第三王子マティアスだ」
「ようこそデューアン国へ。エシェリッヒ領主のクリストフです」
ソファーに座り、腹の探り合いが始まる。
自分の屋敷だというのに、居心地の悪さにクリストフは苦笑した。
「貴国に入った瞬間、魔物に遭わなくなりました」
「国境は森や草原が多く、魔物が多いのでお互い困りますね」
ニッコリ微笑むクリストフに、ベルンブルグ国第三王子マティアスは本題を切り出した。
「貴国にファルマス国の聖女がいるのか?」
「ファルマス国の聖女かはわかりませんが、我が国にも聖女がおります」
「会わせてもらえないだろうか?」
「……何のために?」
にっこり微笑むクリストフに、ローレンスはチッと舌打ちする。
ジュリエッタを追い出した男とその父親。
パンとスープしか与えず、服も最低限、何も教えず利用して追い出した奴ら。
「もしファルマスの聖女であれば連れ戻したいのです。少々誤解がありまして」
息子ローレンスが16歳になったら結婚する約束をしていたとアドルフ侯爵はクリストフに説明した。
「そちらの聖女様はまだ16歳ではないのですか?」
「えぇ。2ヶ月後に16歳に」
「そうですか」
思わぬところでジュリエッタの年齢が聞けたクリストフはニッコリ微笑んだ。
「実は私は我が国の聖女の婚約者なのです」
勅命ですがと言いながらクリストフは席を立った。
扉を開け、ドレスで着飾ったジュリエッタを招き入れる。
「我が国の聖女、私の婚約者のジュリエッタです」
別人のように可愛く変身したジュリエッタの姿に目を見開くアドルフ侯爵とローレンス。
ジュリエッタもここにいるはずがない2人に驚いた。
「ジュリエッタ! 迎えに来たよ」
ジュリエッタがこんなに可愛かったなんて。
エレノアよりも何倍も可愛いじゃないか!
ローレンスが立ち上がり腕を広げると、ジュリエッタは首を横に振った。
「機嫌を直してくれ。ドレスでも宝石でも何でも贈るから」
一緒に帰ろうと言うローレンス。
聖女がファルマス国に戻れば約束通りベルンブルグ国にも魔力を分けてもらえる。
だが戻らないのならデューアン国に頼めばいい。
聖女奪還の手伝いをすると言い、ここまでついてきたが、聖女はどちらの国を選ぶのか。
ベルンブルグ国第三王子マティアスは話の行く末を見守った。
「ローレンス様は私に出て行けって」
「喧嘩の売り言葉に買い言葉だろ」
ローレンスの言葉にジュリエッタは首を傾げた。
「クリストフ様、喧嘩って何? 売り言葉って?」
「喧嘩は言い合いをすること、売り言葉に買い言葉は相手の攻撃的な言葉と同じように攻撃的な言葉で言い返すことだよ」
わかった? と優しく尋ねるクリストフにジュリエッタは頷いた。
「ローレンス様と喧嘩してない! ローレンス様が一人で怒ったの。出て行けって、お前はいらないって」
事前に聞いていた話と違う。
ベルンブルグ国第三王子マティアスは眉間にシワを寄せた。
「なっ! お前、何を言って!」
「ローレンス様とは戻らない! クリストフ様と一緒にいる」
クリストフの方が優しくて、いろいろ教えてくれるのだとジュリエッタは話し始めた。
パンとスープ以外の食べ物もここに来てから初めて食べた。
ハンバーグもリンゴも食べたし、フォークも覚えた。
お風呂に入る。
服を毎日交換する。
床ではなくてベッドで眠る。
暗い時はランプをつける。
髪は櫛でとく。
ここに来てからたくさん覚えたと言うジュリエッタ。
当たり前のことを凄いことを覚えたかのように言う聖女。
それは今まで与えられていなかったということだ。
ベルンブルグ国第三王子マティアスはファルマス国のアドルフ侯爵を睨んだ。
「い、いや。魔力塔でも」
誤魔化そうとするアドルフ侯爵。
「そうだぞ、服を贈ったじゃないか」
ワンピースがあっただろう? と言うローレンス。
「でも1枚しかなかったから洗ったことがないし……」
家令がトレーに載せて運んで来たのはボロボロの靴と茶色の布。
家令が布を広げると裾も袖もほつれたワンピースだった。
「森で初めて会った日に彼女が着ていた服です。食事はパンとスープしか与えず、服も与えず、寝る時は小さな毛布1枚。そのような仕打ちをなさる国に彼女は返しません」
クリストフは国王陛下に頂いた『全権限を与える』という書状を広げながら、ファルマス国のアドルフ親子に宣言した。
「稀有な存在の聖女にそんな扱いを。では、ベルンブルグ国はデューアン国に付くとしよう」
ベルンブルグ国第三王子マティアスは立ち上がるとジュリエッタの前に跪く。
「聖女様、お望みとあらば魔力塔の破壊、そしてアドルフ侯爵と子息を牢へ入れます。ですのでどうか我が国ベルンブルグにも加護を頂けませんか?」
ベルンブルグ国を欺いた罪ですぐにでも拘束可能だと笑う第三王子マティアス。
「……そんな」
慌てて逃げるアドルフ侯爵。
「ち、父上! 置いて行かないでください」
必死で追いかけるローレンスにクリストフは苦笑した。
「えっと、私はわからないので、クリストフ様に」
ベルンブルグ国の場所も大きさも知らないと言うジュリエッタ。
「それはさすがに我が国の国王陛下に相談させてください」
ただの辺境伯には荷が重いと苦笑するクリストフをベルンブルグ国のマティアスは笑った。
王都へ行き、再び国王陛下に謁見。
ベルンブルグ国と友好国になり、地図を見ながらジュリエッタは守る範囲を拡張した。
「大丈夫?」
無理しないようにと言うクリストフにジュリエッタは微笑む。
「美味しいご飯を食べているから、あと10倍くらい平気」
「えっ? 10倍?」
大陸の半分を魔物から守れる広さだ。
「すごいな、ジュリエッタ」
「クリストフ様、あの、前してくれた、口をくっつけるやつをしてくれたら、20倍はできそう……ですけど」
ドキドキして身体の奥から温かくて、魔力が溢れる気がしたと言うジュリエッタ。
クリストフは真っ赤な顔に。
国王陛下はニヤニヤ笑い、宰相は苦笑した。
『虐げられた聖女の能力は幸福に比例します』
2ヶ月後、16歳になったジュリエッタとクリストフはエシェリッヒ領の小さな教会で結婚式を行った。
ジュリエッタの魔力はますます上がり、デューアン国は魔物もいない、災害もない、実りも豊かで住みやすい国だと人気に。
5年後、ファルマス国は魔力塔を震源とする地震により、王宮と魔力塔、そして少し離れたアドルフ侯爵邸のみ壊滅した。
幸い死者はおらず、街にも被害はなかった。
「魔力塔が地震で崩れてしまったそうだよ」
「古かったからかな?」
いなくて良かったねと振り返ったクリストフの視線の先は生まれたばかりの娘を抱くジュリエッタ。
地震が起きたのは娘が生まれた日。
偶然かもしれないが、おそらく母親想いの優しい子の仕業だろう。
「ジュリエッタは幸せ?」
「うん。今なら50倍は守れそう」
「それはすごいね」
クリストフは友人となったベルンブルグ国第三王子マティアスからの手紙を畳みながらジュリエッタと愛娘に微笑んだ。
END
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
いいね・ブックマーク・感想・評価、いつもありがとうございます!
執筆の励みになります(^^)
短編にギュッと詰め込んだため、わかりにくい部分があるかもしれませんが温かい目で読んで頂けると嬉しいです。