不倶戴天
「不倶戴天の敵」という言葉があります。これは古代中国で父の仇を指す言葉として生まれました。
現代でも民族的対立を持つ地域では、互いを不倶戴天の敵と認識している事例もあります。
今から百年以上前、現在のボスニア・ヘルツェゴビナの都市サラエボで、当時の支配国であるオーストリア・ハンガリー帝国の帝位継承者が暗殺されました。
背景にはこの地域の民族的な対立があります。バルカン半島に強い影響力を持っていたオスマン帝国を、オーストリア・ハンガリー帝国が撃破してセルビア王国を独立させます。セルビア王国はオーストリア・ハンガリー帝国と親しく政権運営を行っていましたが、政変が起きて王朝交代し親露政策に方針が変わりました。
こうした経緯から両国関係は悪化し、貿易戦争を経て冷え込んでしまいます。オーストリア・ハンガリー帝国はオスマン帝国から統治を委任されていたボスニア・ヘルツェゴビナを併合し、これに対する反感がセルビア人に高まり、要人暗殺などの抗議活動へと過激化しました。
この事態を我が国周辺で考察するならば、オスマン帝国が清国、セルビア王国が李氏朝鮮となるでしょう。日清戦争で朝鮮半島を独立させたものの、内乱(乙未の変)からの露館播遷(親露政権)と経過も似ております。
後に朝鮮総督を勤めた伊藤博文が暗殺されたことも含めると、バルカン半島と朝鮮半島は戦争の火薬庫と呼ばれても仕方ありません。
さて、サラエボでのオーストリア・ハンガリー帝国帝位継承者の暗殺は、セルビア王国とオーストリア・ハンガリー帝国の軋轢を生み出し、戦争勃発へと向かいます。
セルビア王国にロシアが援軍を派遣すると、オーストリア・ハンガリー帝国にはドイツが援軍を出し、露仏協商の関係からフランスがセルビア王国側につき、ドイツの西部国境地帯を窺うと、ドイツはベルギーを経由してフランスと交戦。
中立が侵害されたベルギーがイギリスに助けを求めて、イギリスはドイツに宣戦布告し、我が国にも対独参戦を求めました。
戦争の結果、オーストリア・ハンガリー帝国、ロシア、ドイツ、オスマン帝国は崩壊します。バルカン半島や東欧には独立を回復した地域と、新しい独立国が樹立しますが、民族的対立を恐れた人々が逃亡する事例もありました。
こうした歴史を見てゆくと、民族の宥和は難しいと感じます。
現代の我が国でも多くの外国人が出稼ぎ労働者として居住していますが、上手く地域社会に馴染めた人々と、馴染めなかった人々が見受けられます。
万国共通の格言としては「郷に入っては郷に従う」ですが、これを実践できない人々が地域社会から拒絶されるのです。
身近な事例で言えば、騒音問題やゴミ出し問題でしょう。地域社会の慣行を破る行為は、平穏な生活が乱されたと感じる人々が多いです。
そうした慣行を守らない理由が「日本語、分かりません」では、排除される方向に進むのも已む無しでしょう。
そうした軋轢を防ごうと地域社会に参加を促す名目などで「外国人参政権」を提唱される方もいらっしゃいますが、これは売国行為です。
民主主義国家とは、企業で言えば株式会社です。国会とは株主総会、地方議会は各部門別の経営会議と思って下さい。それらの会議に社員以外の人物を参加させようとするのが「外国人参政権」です。
外国人参政権を推進する政党は、その素晴らしさを広める意味でも、執行部会や議員総会などへ国民全員を招待して議決権を与えたら良いと思います。
国家が幾つもあるのは、それぞれに価値観や統治方針があるからです。それらに賛同できないならば国外へ移住すれば良いでしょう。
我々日本国民は憲法に定められる通り、天皇陛下を国民統合の象徴として戴く国ですから、天皇陛下を否定する方々は日本国民を辞めて別の国に行けば良いでしょう。
逆に、天皇陛下を国民統合の象徴として戴く気持ちがあるならば、我が国へ帰化して頂くのも吝かではありません。
なお、天皇陛下を国民統合の象徴として受け入れられない方々は「不倶戴天」と見做されるだけです。