八話、鎌倉時代編
お久しぶりです。
今回は鎌倉時代について書いてみようと思います。といっても大した事は知らないのですが……。
鎌倉時代といったら源氏の三代将軍が有名ですね。初代が頼朝で。二代目が頼家で三代目――最後が実朝ですが。
頼朝は妻が北条政子であるのは有名です。ちなみに政子は元は平家の出身でした。北条家自体が平家の血筋なのも関係しています。
頼朝は若い頃、政子の父の北条時政が監視をする中で幽閉されていました。そんな彼でしたが。娘の政子といつしか恋仲になります。
政子は頼朝がいた屋敷まで自身の屋敷を夜中に抜け出して。現代で言うと2キロメートル離れた箇所まで走って向かったとか。そんな大恋愛で結ばれた二人でしたが。この結婚には父の時政もさることながら周囲は猛反対しました。
それでも政子は頼朝との結婚に踏み切ります。後に二人の間には大姫など四人の子に恵まれますが。
大姫は六歳くらいで父のいとこの木曽義仲の息子の義高と婚約しました。ところが義仲が宇治川の戦いで敗れて亡くなります。義高はこの事から頼朝に睨まれ、逃げ出しました。これには大姫や侍女達も協力しましたが。あっけなく彼は捕まり川辺で斬首されます。
それを目の当たりにした大姫はあまりのショックで倒れてしまいました。彼女は心を病み、亡くなった義高の幻を追いかけるようになります。
長男で弟の頼家は二代目の鎌倉幕府の将軍になりました。頼家は、なかなかに最初は職務にも熱心に取り組んでいたと言われています。それが北条家にとっては目障りに映っていたようですね。後に彼は、結婚した妻の実家に肩入れをし過ぎたと言う理由もあり、暗殺されてしまいました。享年は二十二歳と言われています。
三代目の将軍は、頼家の弟で政子の実子である実朝です。彼も政務に熱心な時期があったのですが。北条家に実権を握られてからは徐々に風流ごとに傾倒していきます。実朝の正妻に当たる女性は、京の都から輿入れした坊門家出身の姫だったのですが。二人の仲は良かったようです。後に、実朝は金槐和歌集を作成しました。京の都から師に当たる歌人を招き、彼は熱心に和歌を学びます。
こうして、和歌集を作るまでに至りました。ところが、実朝が二十七歳の冬に事件が起こります。
鎌倉の鶴岡八幡宮に実朝が参拝した際、甥の公暁に暗殺されてしまったのです。政子も彼を匿おうとしたりして、助けようとはしましたが。結局、阻止は叶わず、実朝は亡くなりました。
実朝が亡くなったと聞いた姫はすぐに、お寺に駆け込みます。出家をしたと伝わっています。
いかがだったでしょうか。今回はこれくらいにしたいと思います。ありがとうございました。