表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/11

八話、鎌倉時代編

 お久しぶりです。


 今回は鎌倉時代について書いてみようと思います。といっても大した事は知らないのですが……。

 鎌倉時代といったら源氏の三代将軍が有名ですね。初代が頼朝で。二代目が頼家で三代目――最後が実朝ですが。

 頼朝は妻が北条政子であるのは有名です。ちなみに政子は元は平家の出身でした。北条家自体が平家の血筋なのも関係しています。

 頼朝は若い頃、政子の父の北条時政が監視をする中で幽閉されていました。そんな彼でしたが。娘の政子といつしか恋仲になります。


 政子は頼朝がいた屋敷まで自身の屋敷を夜中に抜け出して。現代で言うと2キロメートル離れた箇所まで走って向かったとか。そんな大恋愛で結ばれた二人でしたが。この結婚には父の時政もさることながら周囲は猛反対しました。

 それでも政子は頼朝との結婚に踏み切ります。後に二人の間には大姫など四人の子に恵まれますが。


 大姫は六歳くらいで父のいとこの木曽義仲の息子の義高と婚約しました。ところが義仲が宇治川の戦いで敗れて亡くなります。義高はこの事から頼朝に睨まれ、逃げ出しました。これには大姫や侍女達も協力しましたが。あっけなく彼は捕まり川辺で斬首されます。

 それを目の当たりにした大姫はあまりのショックで倒れてしまいました。彼女は心を病み、亡くなった義高の幻を追いかけるようになります。


 長男で弟の頼家は二代目の鎌倉幕府の将軍になりました。頼家は、なかなかに最初は職務にも熱心に取り組んでいたと言われています。それが北条家にとっては目障りに映っていたようですね。後に彼は、結婚した妻の実家に肩入れをし過ぎたと言う理由もあり、暗殺されてしまいました。享年は二十二歳と言われています。


 三代目の将軍は、頼家の弟で政子の実子である実朝です。彼も政務に熱心な時期があったのですが。北条家に実権を握られてからは徐々に風流ごとに傾倒していきます。実朝の正妻に当たる女性は、京の都から輿入れした坊門家出身の姫だったのですが。二人の仲は良かったようです。後に、実朝は金槐和歌集を作成しました。京の都から師に当たる歌人を招き、彼は熱心に和歌を学びます。

 こうして、和歌集を作るまでに至りました。ところが、実朝が二十七歳の冬に事件が起こります。

 鎌倉の鶴岡八幡宮に実朝が参拝した際、甥の公暁に暗殺されてしまったのです。政子も彼を匿おうとしたりして、助けようとはしましたが。結局、阻止は叶わず、実朝は亡くなりました。

 実朝が亡くなったと聞いた姫はすぐに、お寺に駆け込みます。出家をしたと伝わっています。


 いかがだったでしょうか。今回はこれくらいにしたいと思います。ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ