七話、平安後期編
久しぶりの投稿になります。
お待たせしました。
こんばんは。
歴史談話も七話目になりました。この回は平安後期頃にスポットを当てたいと思います。この時代で有名といったら平家や源氏でしょうか。平家でだと清盛はご存知の方も多いでしょうね。他には重盛や維盛も有名です。
平 清盛は平家の頭領です。ただ、彼は先代の頭領の実子ではないという説もありますね。父は後白河法皇ではないかとも言われていますが。実際のところはわかりません。
清盛は若い時に高倉家から正妻を迎えて平重盛をもうけます。後に重盛は灯籠大臣と呼ばれるようになりますが。彼は人格者として慕われるようになりました。
清盛も重盛の事は信頼していたようです。
さて。話が逸れましたが。
清盛は保元の乱で活躍し後白河院から信用を得ました。これにより出世の道が開けたようです。
ところが平家が隆盛の道を極めるようになると。一門の者でなければ、人に非ずと言う事まで口にする人まで現れます。こういった事から徐々に周囲は不満や鬱憤を募らせていきました。年月が経って清盛は熱病に罹って亡くなります。この頃から平家はゆっくりと滅亡の道を辿り始めるのです。
清盛が昔に遠流にさせた源氏の若者達がいました。まずは源 頼朝、そして常磐御前が生んだ三兄弟の今若、乙若、牛若がそうです。頼朝は北条家の娘である政子と結婚していました。北条家の助力も得て彼は挙兵します。
「平家打倒」を旗印にして。頼朝は平家に戦いを挑みましたが。見事に惨敗しました。彼は早々と自分には戦いの才能がないと痛感します。後に彼の弟だと名乗る青年が現れました。
牛若こと源 義経です。義経は戦いの才能が十分にありリーダーシップもありました。性格も真面目であったので頼朝は彼に戦いを任せ、自分は政権の基盤作りに専念するようになります。
そうして義経は兄の範頼と共に快進撃を見せるようになりました。宇治川の戦いでは同じ源氏の木曽 義仲と戦いましたが。他では平家の残党を討ち取ったりしながらじわじわと敵を追い詰めていきます。特に有名なのが一ノ谷の戦いでの鵯越でしょうか。
義経はある時に崖に鹿が現れてそれが跳びながら降りていくのを見かけました。それで彼は閃きます。部下にこう言いました。
「あれを見ろ。鹿がこの崖を跳び降りているだろう。馬でも降りる事ができるんじゃないか?」
そう言った後、義経は実際に馬に乗ったままで崖を降り始めたのです。
「降りてこれそうな者は付いてこい!行くぞ!」
掛け声をあげながら凄い勢いで降りて行きました。恐恐ではありましたが。部下達も付いて行きます。崖からのゲリラ攻撃に当然ながら平家は驚き、逃げ惑いました。これにより平家は多くの者が戦意喪失し、敗北します。
義経はこの鵯越で戦功を朝廷から認められて官位を賜りました。都の人々からも大いに称賛されたのですが。気に入らない、何故に黙って官位を受け取ったのかと怒り狂う人物がいました。異母兄の頼朝です。頼朝はそれ以来、徐々に義経への不信感を募らせていきました。
後に平家は壇ノ浦の戦いで滅亡します。義経は平家打倒の大きな功労者のはずでした。ところが頼朝は義経を赦さず、追手すら放ちます。これに義経は兄とはいえ、頼朝から自分が疑われていると察しました。彼は都を出て奥州平泉へと落ち延びます。
けれど平泉が義経の終焉の地となりました。
享年は三十一歳でした。
いかがだったでしょうか。
それではお読みいただき、ありがとうございました。