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四話、奈良編ニ

久しぶりに更新しました。遅れてしまいましたが。お読みいただけると嬉しいです。

 おはようございます。


 今回は奈良時代で書いてみたいと思います。

 この時代で有名な人といったら。飛鳥編でピックアップした天武天皇や奥様の持統天皇、太安万侶、山上憶良でしょうか。

 天武天皇は先述の通り実名を大海人皇子と言います。持統天皇は鵜野讃良皇女といいました。


 大海人皇子は田村皇子――舒明天皇と斉明天皇――宝皇女の未子として生まれています。兄や姉には葛城皇子、間人皇女がいますが。

 後に葛城皇子は父が亡くなった際に中大兄皇子と名乗るようになりました。

 大海人皇子は長い間、両親や兄弟達から隔離されて育っています。大海人皇子の名は養育していた乳母の名字から名付けられたと考えられますね。

 彼が都の方に呼び寄せられたのは十七歳から十八歳くらいの頃でした。舒明天皇はこの時には亡くなっています。父の崩御後に皇子は実母や兄弟達に相まみえたのでした。


 大海人皇子に転機の年が訪れます。兄の中大兄皇子――天智天皇が亡くなり義息子で甥の大友皇子が即位したのですが。大海人皇子は大友皇子と対立してしまいます。これが発端になり古代最大の戦いである壬申の乱にまでなりました。大海人皇子は家臣や妃達を連れて現代の奈良県の吉野に籠もります。妃達の中には鵜野皇女――後の持統天皇もいました。

 姉の大田皇女はこの時には既に亡くなっており正妃には鵜野皇女がなっていたようです。


 壬申の乱の際には多臣品治(ほんじ)なる人物が将軍として活躍しました。ちなみに彼が主人公の小説がありまして。私もこの小説は文庫版で持っています。

 ……話が逸れましたね。壬申の乱が終結した際、大友皇子は自害して亡くなりました。妃であった十市皇女は助け出されて息子と共に父の陣地にいましたが。

 鵜野皇女はどんな気持ちでいたでしょうか。


 壬申の乱後、大海人皇子は勝利して天武天皇として即位しました。鵜野皇女は皇后となります。

 天武天皇は政治面でだと辣腕を振るったようですね。鵜野皇女も夫をよく支えたみたいです。

 鵜野皇女は草壁皇子を生んでいました。飛鳥編でも述べたように気が弱く神経質な性格の人物でしたが。そんな彼も大名児という女性に熱烈なアプローチをしたりと恋に関しては意外と情熱的な一面を持っています。

 ただ、いとこで異母兄の大津皇子に大名児の気持ちは行ってしまい、破局したようですが。


 草壁皇子は後に阿倍皇女と結婚しました。彼女との間に氷高皇女、珂留皇子、吉備内親王をもうけています。氷高皇女は後の元正天皇、珂留皇子は文武天皇です。

 草壁皇子は若くして亡くなりましたが。

 母の持統天皇が代わりに即位して孫である珂留皇子の成人まではと政務をとりました。持統天皇が退位すると阿倍皇女が元明天皇になり氷高皇女も元正天皇になったのです。

 珂留皇子は成人すると文武天皇となりました。


 いかがだったでしょうか。今回は短いかもしれませんが。ここまでにします。

 お読みいただき、ありがとうございました。

 

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