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一話、弥生編

 こんにちは。ご存知の方はお久しぶりです。


 初めての方は初めまして。入江奈都杞と申します。「みてみん」様のブログにて書いていた歴史談話をこちらで連載しようと思い立ちまして。それで書いてみたのですが。


 さて。初回はいつの時代にしましょうか。古代でやってみようかな。


 みてみん様でも書いていたので弥生時代でいきたいと思います。この時代で有名といったら卑弥呼女王ですね。

 卑弥呼女王の名前は実名ではありません。姫巫女と呼んでいたのを当時の中国人が聞き間違えて卑弥呼になったのではと言われています。

 また、卑弥呼女王のお墓は箸墓古墳だと最近は言われていますね。発掘調査が進んできた何よりの証拠です。もっと進んでいったら判る事が増えますし。


 また、邪馬台国の場所も長年の論戦のネタになっています。九州説や関西説など諸説あり定かにはなっていません。私が存命の内にわかるのかなと思いますが。どうなんでしょう。


 さて。卑弥呼女王は霊力が強くて占いが得意な女性だったと伝えられています。それにより邪馬台国の王になったとか。卑弥呼女王の占いはよく当たり病人の体調さえも治してみせたといいますが。真偽の程はわかりません。ただ、彼女が巫女として王として長年君臨し続けたのは確かです。

 また、当時の中国の大国であった魏に使者やたくさんの貢ぎ物を贈った事は魏志倭人伝にも記述があります。

 使者には難升米という男性の名前もあるのですが。他にも数名いたと思われます。


 ところが。卑弥呼女王にも暗雲が立ち込めます。ある年に二回も皆既日食が起こったのです。

それを当時の人々は不吉な兆しだと捉えます。

他国との戦いにも負ける事が重なりました。

これにより卑弥呼女王は暗殺されたと言われています。


戦に負けた責任を取らされたとも言えますね。

次に王になったのは卑弥呼女王の弟でした。

ところがこの王は悪政を強いて邪馬台国を荒れさせます。家臣達も最初は従っていましたが。

何年か経つうちに不満が溜まっていったのでしょうか。

王はとうとう反旗を翻した家臣達に討ち取られます。

次代の王になったのは卑弥呼女王の親族の少女でした。


名を台与とよといい、卑弥呼女王と同じように霊力の強い女性です。

彼女の代になりやっと邪馬台国は平和になったとか。

ちなみに台与は後に大和政権の大王に嫁いだのではと言われています。

欝色謎命うつしこめのみことという名の妃がいたと古事記などにはあるようで。

どうやら、台与なのでは?とおっしゃる学者の先生がいたのを今でも覚えています。

 

 台与の名前は壱与ともありどちらが正しいのかは未だに不明な点が多いとか。また、卑弥呼女王が台与の実母ではないかとも言われていますね。それはあり得ないなので今は疑われているようですが。


 邪馬台国の話で他だと。最近になって卑弥呼女王の着ていた衣装の色が判明したようですね。鮮やかな紫に黄色とカラフルな衣装を身に纏っていたとか。

 ちなみにこの衣装は魏から贈られた物だともわかっています。卑弥呼女王にしてみると魏の後ろ盾がある事をアピールしたかったのかもしれません。


 それではこれくらいにします。いかがだったでしょうか。お読みいただき、ありがとうございました。


 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 古代史大好きです~。 私は九州派一択。議論の余地なしだと思っています(笑)
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