第7話 将来の話
太陽の光を通さないほど樹々が道を塞ぐように生い茂っている。地面にも足の踏み場もないほど根が埋め尽くす。そんな悪路を小柄な少年が駆け抜けている。
少年は樹々を足場にして、悪路に足をとられず跳ねまわる。
視界の端で動くものを見つけ、視線を向ける。それはこの森では珍しくただの獣。猪の群れだ。今日の獲物にしようと狙いを定め、樹々を伝って移動。空中から強襲する。
枝を蹴り下向きに跳躍、頭部を踏み潰すように体を動かし急降下。
十歳の少年の体重は30キロ程度の軽い肉体だが、金属の鎧を着た合計ならば重量だけで卵の殻のように頭蓋を押しつぶせる。
先頭の一頭が殺されたのに気が付き、群れはぷぎぃぃと鳴きながら逃げ惑う。
しかし次の瞬間、周囲の地面が動き出す。少年が着地した土を中心に沈むように盛り上げ、斜めっていく地面を落ちるように近づいてくる猪に対して地属性魔術で地面の硬め、即席の槍を大量に作り待ち構えて仕留めていく。
槍には返しの他に細やかな穴が開き中は空洞になっており、貫かれたものは蛇口から水が出るように血が流れだす。
少年は隆起する地面から逃げ切った猪をしり目に、血が抜かれやせた猪の過食部位と牙の様な素材を手早く解体し、離脱した。
「よっと……もうこの辺は怪我しないで狩れるな」
動きやすい樹々の上まで離脱した少年、トラストは人心地つくように息を吐き、背負子を背負い直す。
トラストがいるのは今日まで足しげく通っていた森、五大魔境の一つ、魔境クラメガ。一般的な魔境と同じように中心部にいくほど強力な魔物が生息しているが、同時に外周部は魔境でありながらただの獣が大量に生息していることでも有名だ。
「楽勝でも油断するな。魔物はおろか獣にも、人間は肉体面で劣っていることの方が多い、だったよね」
トラストが教えを思い出すように呟くと、上空からぐぇぇぇという悲鳴と共に魔鳥が降ってくる。
その胴体には重石のついた短剣が刺さっている。魔物になれども元となった生き物の生態系から大きく逸脱はしないため、重石を付けるだけでも仕留めることができるからだ。
「ステータスに表示される数字なら、鍛えた人間は弱い魔物よりも数値が上回ることはある。しかしいくら鍛えても人間は空を飛べず、水中で呼吸することも、舌で外敵を見つけることも、音で地形を探ることも出来ない。そのため人間の強みは、他の生き物よりも周囲を警戒し対策を立てることである」
トラストが登っている木の根元で悲鳴が上がる。
根元にいるのは魔犬、狒々、魔鳥、魔描。典型的な穢れた魔力に汚染され狂暴化した魔獣たちだ。彼らに棘の生えた植物が傷を付け、その病毒を体内に侵入させる。
魔境クラメガに多く生息している魔草の中には、魔力の影響を受けポーションの材料になるものの他にも、独自の毒性を持つように変質したものを存在する。元は雑草としか認識されていないような安全な植物でも、魔草になると一気に価値と危険度が跳ね上がるのだ。
トラストはその中でも一部の毒性を持つ植物から毒を摘出し扱えるように学び、魔獣の皮膚を貫通する棘を持つ植物と組み合わせ、完璧に森に溶け込める罠を仕掛けていた。
神経毒による激痛に苦しむ魔獣たちに、トラストは悠々ととどめを刺していく。
「よしよし……ちゃんと俺一人でも学んだことを活かせているな。これならもっと奥に進んでも大丈夫だろう」
魔獣たちから素材を剥ぎ取り、怪我一つ無い自分の体と、師匠たちに薬草学と戦闘技術を教わる前なら集めるのに十日はかかっていた大量の獲物を見て満足そうにトラストは頷いた。
「俺が今いるのはたしかクラメガの入り口。奥にはランク10を超える魔物もいるそうだし……倒せたら一生遊べるだけのお金が手にはいるらしいけど、それってどのくらいなんだろうな。すごい武器とか買えるのかな!」
トラストの目には、輝きが宿っていた!
未知なるものへの興味、好奇心。血を浴びて、血を流して、なんとか勝利した魔物、それよりも強い魔物を一方的に蹂躙する嗜虐心。英雄譚に語られるような怪物を相手に何度も勝利する自分。
そんな興奮が際限なく湧き出て、今にも駆け出しそうだ。
もちろん、今すぐにそれが出来るとは思っていない。
戦闘技術を教えてくれた冒険者ギルドの教官やおじさんにもまだ勝てないだろう。なんでもありで殺せば勝ちなら手はあるが、それを一生続けることは不可能だ。自分が先に途中で死んでしまう。
顔を上げ、魔境の中心を見つめ拳を握る。
一歩一歩、ゆっくりと、しかし確実に進んで、必ずこの魔境を踏破してやる。そんな情熱をもって、今日はもう遅いので帰った。
「トラスト、一人で王都に引っ越す気は無いかい?」
トラストの目から輝きが失われてしまった!
「お、王都に?俺一人で?な、なんで?父さん」
トラストの父親ボレトの提案に、トラストは面食らってしまった。
クラメガを制覇してやると決めた日に引っ越しの提案、運命に嫌われているのか疑う場面である。
加えて一人で、常識的に考えてありえない。
しかし助けを求めるように母親ブランカに目を向けると、優しく微笑んでいた。両親の間ではもう話し合いは終わっているのだろうか。
「そうだな。説明が足りなかった。トラスト、君は王都のアストワ学園に入る気は無いかい?」
「学園?」
王都、このヒブムライン王国の王都トラビア。トラストたちが住んでいる田舎街リゼラとは比べ物にならないほど発展しており、A級ダンジョンを都市内部に抱える迷宮都市であることも有名だ。
そんな王都にあるアストワ学園。「優秀な人間を創る」ことを目的に作られた学園であり完全な実力主義。貴族から平民、移民まで入学試験を通れば入学でき、一般教養から歴史、数学、魔術に戦闘技術、軍事訓練といった専門分野にまで学ぶことが出来る。才能ある者をさらに伸ばす学園だ。
卒業生は国に仕えるものも多いが、冒険者になり英雄として謳われる者も多い。
「そんな場所があるんだ……で、なんで俺がそこに?」
「もちろん騎士になるためだ。トラスト、君は騎士になりたいって言っていただろう?」
トラストは驚愕に目を見開く。
忘れていたからだ。
「最近は冒険者として活躍しているそうじゃないか。ミーナちゃんも期待の新人が現れたって喜んでいたね。でも、トラストはずっと騎士になりたいって言っていた。心変わりをすることもあるが……僕としては、トラストに後悔はして欲しくないからね」
「……」
「冒険者は簡単になれるが、騎士はそうはいかない。なにせ国に認められないといけないからね。僕たち平民だと、ここで学園に入らないと、騎士になる道は無くなると言っていいだろう」
ボレトの言葉にトラストは考え込む。
騎士になるという夢は確かにあった。今もなくなってはいない。騎士になって家族に楽をさせたい。強くなってみんなを守りたい。その気持ちは確かにある。
ただ、いまはそれらを凌駕するほど冒険が楽しいだけで。
「入ったとして……」
「ん?」
「学園に入ったとして、学費はどうするの?絶対高いと思うけど。それになんで俺が一人で引っ越す話になるの?」
トラストの言葉にボレトは嬉しそうに頷く。
何があったかは分からないが、息子は確実に変わった。無邪気に騎士様になりたい!と言っていた時とは良い方に変わっている。
「学費は僕が出そう。トラストは僕が出した、薬草学か回復魔術を覚えろって課題を、どちらも達成したからね。僕も父親として、ご褒美にそれくらいはなんとかしよう」
「!?あれの……ご褒美なんて考えていたんだ」
「ああ、罰則だけじゃだめだって、僕も経験しているからね。
でも、あくまで学費だけだ。他の生活費や学園で必要になるものは、全てトラスト自身で稼いで買ってくれ。今から引っ越して、入学できる年齢になる12歳までに、生活できる基盤を築いてくれ。それが僕からだす条件だ」
トラストは今日何度目かの、目を見開いて驚く。
学園でかかる費用。それがいくらか想像もつかない。学費だけなら裕福な平民なら払える金額ということで、金貨何十枚だろう。
しかし学園にいる間に必要になる金額は、分からない。魔術の授業で使う材料費や、本を借りる費用。軍事訓練の時に使う装備はいくらだろうか。全く分からない。大雑把に学費の10倍とでも想定すればいいだろうか
なんにせよ、それを十歳の子供が用意することは不可能で……
(ああ、それで生活の基盤、なのか)
トラストは父親を見る。
平民の商人。一般的な家庭よりは裕福だし、使える金額も多い。もとより、息子が本当に騎士になろうとするとは考えていなかっただろうし、そのための資金も準備などしていなかっただろう。
そんな人が、自分の息子であれ膨大な金額を投資するのは難しいのだろう。
王国で最も権威と実績がある学園。そこに入るのならば学費を負担してもらえるだけでも十分だろう。
ならば、自分が、自分で必要な分は自分で稼ごう。幸いにも……というか、だからこそだが、自分は冒険者としては順調に稼げている。丁稚奉公をしている年齢の子供の稼ぎとしては異常なほどだ。三か月先までの生活費は家賃を含めて払えるし、この先2年で、冒険者としてお金を稼ぎ、学園では魔術や軍事行動、出来れば礼儀作法なんかの通常では学べない知識も増やしたい。
自分のことは自分でする。すこしばかり独り立ちが速くなっただけだ。
「分かった。俺は王都に引っ越すよ。12歳までに王都でも一人でやっていけるようになる。学園で騎士に……なるかはまだ分からないけど。なれるようになるよ」
「それでいいとも。子供の夢はすぐに変わるものだからね。でもトラストが将来何になるにせよ、学園でも経験は確実にトラストを成長させる。頑張って来なさい」
ボレトはトラストの頭をなでる。息子を、未熟な子供の頭を撫でるのはこれで最後だからだ。そういう誓いのように、トラストもされるがままに髪の毛がぐしゃぐしゃになる。
「トラスト、こんな早く、あなたが家を出るなんて思わなかったけど……頑張ってきて、ちゃんとまた顔を私たちに見せるのよ」
母ブランカも寂しいそうな顔をしているが、送り出すことは受け入れているようだ。
肝の細い母親だが、我が子の成長を願う心は持っている。トラストが聞くよりもずっと早くこういう会話をし、受け入れる時間があったからかもしれない。
「トラスト、心配だから私もついて行くわ」
食卓で今まで一言も口を開かなかった少女。
姉アレナも快く送り出して……くれなかった。
「王都の協会に移る人を募集しているから、参加するわ。そういうわけで、よろしくね」
固まっているトラストが両親を見ると、両親も固まっていた。