第16話 貴族の少女
「さて、改めて初めましてだね。私はカルティエ男爵家の長女、アロマ・カルティエだ」
トラストに話しかけてきた男爵家のお嬢様にトラストが覚えたイメージは、一言で言えば王子様だろう。
この国では一般的ではない青く透明な髪色、他の子女たちとは違い髪は肩で揃えており、緊張していて見ていなかったが服装もよく見れば男性的に見える。
トラストはファッションには詳しくないが、中性的な女性の格好というのだろうか。
ともあれ、トラストはその女性を見て「かっこいい」と感じた。
「緊張しなくていいよ、私は貴族と言っても男爵家。財力は有力な商人たちに劣り、権力も無いに等しい。歴史しかない名ばかりの貴族さ」
少女はカラリと笑いながら告げる。その口は事実を述べており、内容に反して自虐の色はない。
貴族とは国に対して功績を立てた個人に国から与えられる身分であり、子孫代々に渡り継承していくもの。よほどのことがなければ位を失うことは無い。
しかし国から与えられるのは爵位と爵位に応じた年金だけであり、家の繁栄まで保証してくれるわけではない。
政敵に負けたのか自滅したのか、そこまでは知らないが何らかの理由で没落し、貴族でありながら平民同然の暮らしをする者がいる。彼女もその一人なのだろう。
「呼び止めた理由だけど、実は私は前から君のことを知っていたんだ。私も一応貴族家の人間だから礼儀作法やお茶会のマナーとかを教わるんだけど、まあ興味がなくてね。家の書庫にある魔術や錬金術の教本を読み漁って独自に研究しているんだけど、その息抜きに冒険者たちの情報を集めているのさ。その時にただの一般家庭に生まれた子供がダンジョンをソロで踏破している、しかも魔術まで使える君を知ったんだ」
平民同然、といってもそれでも貴族であることには変わらない。
平民なら子供であっても農民なら畑仕事を手伝い家に貢献し、都市の子供であっても家庭の家事や雑務をしなければならない。
しかし貴族家の子供ならば違う。家が没落していても平民よりは確実に裕福な暮らしをしており、子供たちは自由に時間を使うことができる。
大抵の貴族の子弟は親類や親しい間柄の有力者の子供と引き合わせ兄弟のように遊ばせながら育てるが、カルティエ家は没落してるがゆえに完全にアロマの意思に一任し、結果アロマは書庫で見つけた本をきっかけに魔術と錬金術を学び始めたようだ。
真面目なことである。
「魔術というのは習得に時間と努力と才能と適性が必要だ。現に私は4種類の属性魔術を覚えているが、私の他には見たことがない。これでも私は天才やら神童と呼ばれているのに、君はそんな私と同じく土水時間空間と4つもの習得している。正直法螺話と思ったぐらいだが、どうやら本当らしい。カルティエ家は時間属性魔術の名家でね。私も遅延や保存、加速といった魔術を勉強しているのだが、これが難しい」
魔術を使う魔術師は基本的に研究室にこもって研究に打ち込むものだが、アロマは子供だからか外の世界、具体的には冒険者にも興味をひかれた。
魔術とはこの世界に満ちる魔力に形を与える技術であり、長い修行の末に身に着けるものだ。
そして、魔術とは殺傷用の技術ではない。冒険者や騎士たちは魔物を倒すために魔術を使うこともあるが、それはそういうことも出来るという話であり、魔術とはその属性の力そのものなのだ。
冒険者のように飲み水や火元のために魔術を使うものは魔術使いと呼ばれ、一般的な魔術師とは区別される。
魔術とは人々の生活に役立てるために使う。農作物の成長保持や治水工事、病気や怪我の治療などに使われる一方、研究者とも呼ばれる魔術師たちはマジックアイテムを作るために研究を続けている。
そんな研究者たちは戦闘能力こそ低いが、一人前になるころにはスキルレベルで言えば6以上といった高レベルで習得しているものも居る。
研究者たちは「せっかくの魔術を殺しにしか使えない野蛮人」と魔術を使う冒険者を蔑むものも多いが、アロマは違うのだろう。
「そんなわけで、できればともに……まあ、その、切磋琢磨し合える相手が欲しいと思っていたんだ。同じ貴族にも魔術を学んでいる人はいるけど、同年代は居なくてね。だから君さえよければ、これから一緒に魔術の話でも……って、ん?もしかしまだ緊張しているのかい?なあに、ここには防音の結界を敷いたし、こういった口調を外では使えないのは私も同じだ、気負わなくていいんだよ?」
アロマは上ずったように、照れ隠しをするように早口でまくし立てると、トラストが硬くなっていることに気が付いた。
というかアロマが一方的に話しかけているだけであり、トラストが一言も喋っていないことに嫌な予感を覚える。
(この少年は非常に賢く聡明な人物と聞く、もしかして私が何らかの無理強いをしてくると考えているのだろうか。不利な内容のスポンサー契約を結ぶとか。……だとしたら厄介だな、僕は誤解の解き方も心を開かせる話術も知らないぞ)
アロマは微笑を浮かべたまま何も喋らないトラストに焦り出す。
トラストはコミュニケーション能力が低いが、かといってアロマも同じくコミュニケーション能力が低い。
行く理由がないからと社交界もお茶会も近所付き合いもしてこなかったアロマは、貴族の子女としては有り得ないほどに社交に疎く話術も拙い。
加えてまだ13歳という幼さも相まって巧みな交渉術も使えず、私友達いないし、出来ればあの子と友達になりたいなーと思っても正直にそういう以外の方法は知らないし知っていても出来ないのだ。
つまりこのテーブルについているのはコミュ障の子供二人。
アロマはもしや何か失敗してしまったかと、王子様の様なクールなかっこいい雰囲気を沈ませ、狼狽したような表情になる。演技だった……というわけではないだろうが、焦ると年齢相応になるのだろうか。
しかし――
(むりむりむり!何喋っていいのか分かんない!)
——トラストの頭には難しいことは無く、ただただ本当に緊張しているだけだった。
(なななな何を喋ればいいの!?お茶美味しいですとか?服似合ってますとか?本日はお誘いいただきありがとうございますとか?いやおれはこの人に誘われたわけじゃないぞ、いや違う誘われてきたわけじゃないぞ!お姉ちゃんにくっついてきただけだぞ!)
トラストは元々コミュニケーション能力が高いわけではない。社交性自体はあるが、好みとして単独行動を好む人間だ。他者の気持ちを慮ることは無く、自分がやりたいようにやる。親の教育が良かったからかマナーや礼儀は分かっているが、それは知っているというだけであり、意識しなければ難しい。
加えて、ここ1年の生活も影響していた。
トラストはダンジョンに潜る時はソロであり、あってもたまに知り合いと潜る程度であり、その知り合いも中年の冒険者ばかりだ。
つまり、年齢が離れているため話が合わず、結果会話も減り、コミュニケーション能力が育たなかったのだ。
異世界という事情を無視して冒険者を見た時、その姿は日雇いの肉体労働者だ。
中年(20代後半)のおじさん達と11歳の少年、当然おじさん達が話す酒や女の良さなど分からず会話が合わず、トラストはこの1年他者とのまともな会話が非常に少なかった。
結果トラストのコミュニケーション能力は低下の一途をたどり、今では仕事以外の会話が出来なくなっていた。
(落ち着け……落ち着け俺……相手はお姉ちゃんの友達だぞ……いやうん、お姉ちゃんに色気なんてないのに、なんでこの人はこんなに可愛いんだろう)
トラストが年齢通り11歳の男の子ならばこうはならなかっただろうが、幸か不幸かトラストには前世の知識がある。
こう喋って不快に思われたらどうしよう。気持ち悪いとか思われたくない。というか目線や鼻息おかしくなっていないだろうか。
そんな童貞男子の様な思考にとらわれているトラストはまるで、転校していた美少女の気を引こうとする田舎の男子高校生レベルだ。
たぶん何も喋られないほうがましとか考えていそう。
家で姉の風呂上がりの裸を見ても何も感じないのだから、年齢も見た目も同じくらいのこのお姉さんにも緊張なんてする理由はない。
そんな子供っぽい理屈を即座に構築しつつも、いざ口を開こうとしても心臓が速くなり、声帯が機能しなくなる。
もとより10歳を過ぎれば初恋を経験してもおかしくないのだ、トラストは生まれて初めての美少女を前に完全にすくみ上っていた。
時間属性魔術を使い自分の表情を微笑で固定するしか出来ない。
無意味に高度である。
他者と会話するのに魔術なんていりません。
「失礼。紅茶のお変わりはご入用ですか?」
場の空気が固まっていると後ろに控えていた侍女の一人がティーポットを持ってくる。
「私は貰おう」
「じゃ、じゃあ俺……僕もお願いします」
紅茶の味の違いなど分からないが、この紅茶は美味しいとは感じている。
音を立ててはならない、というマナーを知っているためそのように振舞うが、魔術を使い消音するか迷ってしまう。
武術を応用してスッ……と行動できればいいのだが、そんな器用なことは出来ない。
緊張しきった今のトラストは年齢相応だ。
(そういやこの侍女さん妙に若いし綺麗だな、いや俺より年上っぽいけど)
一息ついて気を落ち着けたトラストは、ふと紅茶を持ってきてくれた侍女に目を向ける。
この国では一般的な金髪碧眼に、意思の強そうな瞳。顔のパーツも整っており、好みはあれども美人と評することに誰も異論は唱えないだろう、そんな女性だ。
トラストが今生であって女性の中でも、1番の美人だ。
(しかもこの人、結構強いな……いや、ん?違うな、結構なんてもんじゃない、俺より……俺より強くないか!?)
緊張のあまり気にしていなかったが、この場にはトラストとアロマだけでなく、侍女が一人いた。
貴族の子女にとって侍女とは身の回りのお世話だけでなく、子女に怪しい男が近づいていないかを確認し保証する役目もある。
このお茶会を開いた伯爵の子女と共に侍女たちも移動していったが、一人だけ残っている。
ということはこの侍女はアロマの専属の侍女だろうか。
瞬きをすれば見失ってしまいそうなほど存在感を消し、表情も置物の様に無表情だ。まさに目立たず主に仕える侍女の鏡だが、そういった点を無視するとその立ち振る舞いは異常なほど隙が無い。
明らかに武術系スキルを高レベルで習得している。
しかし、自分よりも数段上だ。
目の前の相手は自分を殺せる実力者であり、そのことに気が付かなかったことに焦りと怒りを覚える。
ここがダンジョンの内部ならば、その油断で死んでいたかもしれないというのに。
……お茶会に招かれて、殺し合いになることなどまずないので、警戒なんてしないほうが正しいのだが。
「おや、エラに興味があるのかい?」
見すぎたのか、アロマもトラストが侍女を見ていることに気が付いたようだ。
「ふっふっふ。さすがお目が高いね。彼女はエラ、カルティエ家の侍女だ。彼女はなんと17歳という若さでC級まで行った凄腕の冒険者でね。まあいろいろあって今は私の侍女をしてくれているが、実力は衰えてなどいないさ。……そうだ!せっかくだし戦ってみるかい?」
せっかくとは。
そう思ったのはトラストだけでなくエラという侍女も同じようで、胡乱な眼差しを向けている。
「私は見ての通り研究者タイプの魔術師だからね。実践の魔術は見たことがないんだ。だからうちのエラと戦って見せてほしいんだ。もちろんお礼はするから」
アロマは自信満々な表情を浮かべていた。
お願いといっても、貴族からの頼みを平民が断ることは出来ない。
アロマの友達になってほしいという言葉と懇願するような表情を見ればそんな腹黒いことを考えているわけではないと分かるが、トラストからすれば困るの一言だ。
「……謹んでお受けいたします」
しかしやはり断るわけにもいかず、引き受けることにした。




