本気で好き勝手にウクライナを思って宣う 【急遽差込】
これを書くことが正しいとか間違ってるとかはわからない
これを書いて何になるのかもわからない
でも僕にとってのここは、発信する以上に「今思っていること」や「今考えていること」の忘備録でもある
周囲の政治論や思想に関しては「それも一つの考え方」と受け入れ理解しつつ、その上で僕は僕の思いを書いてきた 正解とか間違いとかじゃなく
ついてはこれがきっかけで読者が減ったりバッシング、「綺麗事だ!」と言われることもあるかもしれない
でもそれを気にするのは愚かだ
バッシングWelcome!
いや、Welcome back! お帰りなさい! 自由に発言しよう!
そうだ、声を上げよう!!
プーチンさんがなぜウクライナを攻めたのかわからない
彼一人の考え方ではなく、政治家なのだし一国の首相なのだし、実際のところ多くの人の意見を取り入れたのかもしれない
色々と政治的な側面、自国民の繁栄を願っての決断だったのかもしれない
だって間違いなく世界中、とりわけヨーロッパ諸国やライバル的存在のアメリカから反発喰らうの目に見えてたじゃん? なのにこの強行ですよ? そして引くに引けない状況……
これほどウクライナが反抗すると思っていなかったのだろうか? もっと早く終結できると思っていたのだろうか?
対するウクライナ
ウクライナに知り合いはいません もちろんロシアにもいません
でもウクライナって、キエフ門があるウクライナですよ
「展覧会の絵」というクラッシックの章の一つの舞台ですよ
多少なりとも存じ上げておる国です
人命はもちろんですが芸術、文化、伝統も失われるのでしょうか
内政的に、反ロシア派とロシア派に分かれていたようです
その争いにロシアが介入したというのが、今回の大義名分的な流れです
どちらが悪くてどちらが正しいかわかりません
でもですよ?
そこに対話的な平和的解決は無かったんですか?
相互理解に努めることはなかったんですか?
人事をやっておる身
一人一人との付き合いであり、そして人と人のいざこざや争い、意見の相違
たくさんあります 人あるところに人間関係あり
「あれだこれだ」と諍いは絶えずあります
だからこそ人間関係を円滑にすることに心血を注いでおります
当たり前に他人同士ですから相互理解から始めないといけないのは身に染みるほど理解してます
「意見が通らないから力でねじ伏せる」
個々人でも有りましょう、腕力でねじ伏せるなどということは
実に短絡的でアホな所業です
人数が増えたらどうでしょう? 一見すると民主主義的な多数決
数という暴力で少数をねじ伏せます
会社、地域や国、社会、世界
数は多くなってもやることは同じですね
対話や相互理解とは程遠い
ガキの喧嘩と何ら変わらない
暴力というのは
愚かでしょ? それは原始的でしょ?
声を大にして言いたい
「バカですか?」
西暦で2000年を越え、有史だともっとですか?
なのに暴力(武力)をいまだに用いるんですか?
僕はどんな理由だろうと戦争に反対です
無差別テロのようなことも反対です
そこに至ること、それを用いねばならぬ理由もあったのでしょう
抗うという選択なのでしょう だからそれが短絡的だと言いたい
であれば、そこに至る過程に「暴力」があったということですよね?
その過程上の「暴力」も反対ですし、報復という「暴力」も反対です
経済制裁がロシアに向けて成されていますが、これもまた暴力です
「いやそりゃ、ロシアが悪いし……」
という意見はわかります
でもですよ?
ロシアもウクライナも、結局のところ一番苦しんでいるのは誰ですか?
力の無い国民じゃないですか
ポーランドへ避難するウクライナの人々の写真を見ました
苦渋に顔をゆがめるご老人
悲痛に歯を食いしばるご婦人
泣き叫ぶ子供たち
あれを見て泣きました
その声は戦争をしようと思った人たちに届かないのですか?
それがあなた方の望んだことなのですか?
「しかたない」のですか? 「大義のための犠牲」なのですか?
力なき、抵抗なき者を殺すことは正義ですか?
ロシア国民に対しても思います 情報統制で今の「ウクライナ」の現状がわからないそうです
そして一つの側面として、スポーツ選手が制裁で世界大会に出られない
でも彼らは何の罪も犯していない
え? 声を上げなかったことが罪?
この先ますますロシア国民への風当たりは強くなるでしょう
そしてそれがまた負の感情の連鎖へと流れるのです
一つ、身近な例えをしましょう
恋人と喧嘩したとします
意見の相違です お互いがお互いの意見を主張します
ゴールはどこにあるのでしょう?
相手に自分の意見を押し通すことでしょうか?
明らかに倫理に反してることを是正する、相手のことを思ってのことならば
別れるのも覚悟で導いてあげる これも一つの愛の形でありましょう
でもそんなレベルのことはそうそうありません
では、どうしても曲げられない主張なのでしょうか?
押し通したい意見なのでしょうか?
別れる覚悟で? え? 別れてもいい覚悟ですか?
んじゃ、争わないで別れましょう
無益でしょう、別れる相手に自己主張するなんて
得るものありますか? 自己満足以外に?
恋人をねじ伏せたいのですか?
いやごめんなさい
双方がそういう性癖じゃない限り、それは成立しませんよ
いや、あえて言いますけどSMだって相互理解があって初めて成り立ってますからね?
他人が理解できなくても「持ちつ持たれつ」の関係があるのは確かですよ?
気持ちはわかります
「俺のことをわかってくれ! 理解してくれ!」
でも相互理解しないとだめでしょ? 恋愛は
恋人をずっと一生愛する、愛されることを目標としてるならば
争うことは目的ではないはずですよ
お互いを理解すること、深めることでしょ?
恋愛に限らず友情も同じく「1対1」の人間関係ですね
そして会社においても同僚や上司部下、関係は同じなのです、距離感の違いだけです
これは人数が増えても図式は変わらないのです
パワハラとかモラハラとか、ジェンダーとか同一労働同一賃金とか外国人雇用とか
人事をやってると「目に見えない」差別とよくぶつかります
そんなつもりなくても、個人ではそう思っていないのに、集団となると流されます(群集心理)
だから近代国家はそれを無くすために、相互理解なんて当たり前なのに法整備してます
にもかかわらず国単位でやってることは「暴力」
これを愚かと言わずにいられましょうか
目を向けましょう
力なき人々に、犠牲になる子供らに、届かぬ声を聴きましょう
声を上げましょう
彼らに代わって「あなた方を知らないから知りたい」と思いながら
こんな場所で、こんな離れた地で
自分の意見を言っても変わらないと思うかもしれない
それこそ無益だと思うかもしれない
でもあなたがもし今回のような暴力に「それは違う!」と思ったならば
叫ぶべきです
僕は叫びます
戦争は愚かだと 犠牲になる人々を知れと
それが未来を担う子供たちに誇れることなのかと
戦争で得られるものなどありません
次回は前回の話の続きへと話を戻します……




