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卑屈な令嬢の転落人生2 前編

コメリ男爵領では収穫祭の準備が行われていた。

祭りの準備に村の女性は総出で料理をしていた。

シャーロットは男爵領を調べるために領内を歩いていた。報告書の中の世界と実際に目にするものは違っている。

一人では限界があるので、信頼できる正しい目を持ち、正しい報告をする臣下を増やすのも大事な役目と尊敬する父のモール公爵に教わっていた。

狭いコメリ男爵領ならシャーロットにはヒノトとミズノがいれば十分だった。


シャーロットはコメリ男爵領は初めて訪問した。

王都やモール公爵領は常に人で溢れ賑やかな場所だった。コメリ男爵領民が総出で忙しなく動いていても、シャーロットにとっては人が少ない寂れた男爵領という感想しかなかった。

領民が忙しなく動く中、ローブ姿で歩くシャーロットは目立っていた。

シャーロットは目立たないように忍んで歩いているつもりだった。シャーロットにとって忍んで歩くとはローブを着て公爵令嬢ではなくお忍び姿で人混みを避けて歩くことである。旅人が多い王都ではローブ姿は目立たなかったが、訪問者の少ない男爵領では目立っていた。またモール公爵領ではヒノトを連れたローブ姿のシャーロットのお忍びは有名だったので気を遣った領民達は気付かないフリをしていた。


「あんた、何してるんだい!!さぼりは駄目だよ」


恰幅のよい女性に腕を掴まれシャーロットはビクっと固まった。


「見慣れない顔だね。あんた、持ち場はどこだい!?」


突然腕を掴まれ、大きい声で話しかけられ怯えているシャーロットは首を横に振った。

女性は近隣の領人の顔は把握していた。


「新参者かい?越してきたからわからないのか。仕方ないねぇ。これから手伝えばいいよ。今日は収穫祭だよ。村の女は男達が獲ってきた食材を総出で料理するのさ。厳しい暑さを乗り越えた褒美の日だよ。」


シャーロットが手を引かれて連行された場所では数人の女性が魚を捌いていた。鬼気迫る様子や生魚の首を落とし舞う血にシャーロットの顔が青くなった。


「魚を捌いて、大丈夫かい!?あんたまさか料理ができないのかい?」


女性はシャーロットの顔色を見て勘違いをしていた。料理ができないのは事実なのでシャーロットは頷いた。シャーロットは魚が捌かれるのを見たことはなかった。そして勢いよく落ちる魚の首が公開処刑で使われるギロチンを思い出していた。


「まぁ!?それは駄目だ。教えてあげるよ。ここでは、料理上手が美人と言われるんだよ。どんなに顔や気立てが良くても料理上手には敵わない。料理ができなきゃ嫁にいけない。」


シャーロットは椅子に座らされ包丁を渡された。

シャーロットは初めて包丁を持ち、目の前の夫人達のマネをして震えながら野菜の皮むきをはじめた。危ない手つきのシャーロットを女性達が気遣う余裕はなかった。シャーロットは女性達の話に耳を傾けていた。コメリ男爵領では料理ができなければ女の恥であり嫁げないらしい。すでに婚姻をしてしまったシャーロットは料理を覚えないといけないのかと頭のメモに書き込んでいた。


シャーロットはあまりにも包丁捌きが遅いので、運搬に回される予定だった。

剥けた野菜を調理班まで届ける役割だったが非力なので、1回に運べる量が少なく外された。

無言のローブの新人を夫人達は呆れながら見ていた。

幼子ではないシャーロットが何もできないのはありえない光景だった。平民は幼少から家事を仕込まれていた。ただ公爵令嬢で王子の婚約者だったシャーロットには専門外のことばかりだった。


「あんた、何ができるんだい?」


呆れた顔の女性に聞かれても、シャーロットは下を向き無言だった。


「そんなんだとお嫁に行けないよ。仕方がないね。明日もおいで。仕込んであげるよ。今日は帰りな」


シャーロットは頭を下げて、離れに帰るとヒノトが眠っていたので抱きしめた。自分の無能ぶりに落ち込み、知らない人達も怖かった。王宮でもモール公爵領でも丁重に扱われていたシャーロットの世界には勢いよく話しかける人間はいなかった。民には第一王子の婚約者として関わっていたので気安く距離感の近い者はいなかった。異質な環境に恐怖と戸惑いしかなかった。

帰ってきたミズノにシャーロットは抱きついた。


「おかえり。ミズノ、男爵夫人は大変・・。」

「ただいま。ゆっくりでいいのよ。嫌になったら逃げればいいわ」

「何ができるのって聞かれて何も言えなかった・・」


泣き出したシャーロットをミズノは抱きしめ頭を撫でた。


「シャーリーにはたくさんあるよ。シャーリーの手は魔法の手よ」

「そう言ってくれるのはうちの者だけだもの」


シャーロットは優しいミズノの胸に抱かれて泣き疲れて食事もせず眠りについた。

ミズノは自己評価の低いシャーロットをベッドに運び毛布をかけた。王都の騒がしさは伝えるつもりはなかった。シャーロットが出かけたのに眠っていただろうヒノトの頭を思いっきり叩き、部屋を整え始めた。シャーロットが一人で出かけたのは初めてだった。

****


シャーロットと面会を終えたレイモンドはぼんやりしながら視察の準備を整えた。

収穫祭に顔を出す予定だった。

無言のレイモンドを使用人達は何も言わずに見守っていた。

レイモンドは収穫祭の挨拶に回り、領民達と話していた。


「領主様、これを」


レイモンドは夫人に勧められるまま料理を受け取り口にしていた。


「そういえば怪しい子が越してきたのよね」

「包丁も扱えず、力もない、どうやって生活してたのかしら…。ローブを脱がないし、口も聞けないなんて・・・」

「不審者ならすぐに兵に。」

「あんな力のない小さい子なら大丈夫よ。それにカミラが気に掛けてたから」


レイモンドは話を聞きながら、令嬢よりも平民の方が付き合いやすいとしみじみと思っていた。駆けまわる子供達を眺め、聞き流していた話題を後日後悔するのは気付いていなかった。

領民の増えた報告はなかった。補佐官は小柄で力がなくローブで身を隠しそうな存在に一人だけ思い当たった。

疑問にも思わず鈍いレイモンドを見てため息をついていた。

子供と遊びはじめたレイモンドを見ながら、補佐官は男爵夫妻の今後が不安で堪らなかった。


****


翌日もシャーロットは恰幅の良い女性に呼ばれていた。カミラと言う世話好きで有名な食堂の女将だった。

シャーロットは食事を終えて、出かけるミズノを見送りヒノトを抱きしめた。


「シャーリー?」


眠そうなヒノトを無言で抱きしめていた。約束の時間が近づいたので、腕の中で眠っているヒノトをベッドに寝かせて毛布をかけた。ヒノトの気持ちよさそうな寝顔を見て、震える手をギュっと握ってローブを着て出かける準備を始めた。

シャーロットが待ち合わせ場所に向かって歩いているとコクが飛んできた。


「コク、大丈夫だよ。ご飯には帰っておいで」


シャーロットは肩に止まったコクの頭を撫でて笑った。怖くても大事な物を守るために立ち向かわないといけないことはよく知っていた。

待ち合わせ場所に着いたシャーロットをカミラは笑顔で迎えた。コクはカミラが近づいてきたので空高く飛び去った。


「よく来たね。そのローブは脱げないの?」


シャーロットは頷いた。一人で出かける時は絶対にローブを脱がないのはシャドウとの約束だった。ローブのポケットには護身用の麻酔針と短剣が仕込まれていた。


「訳ありかい。まぁいい。おいで」


シャーロットがカミラに案内されたのは食堂だった。


「いい加減にしないか!!」


大柄な男の怒号が聞こえる厨房に案内されシャーロットは真っ青になった。

痩せた男に怒号を飛ばしていた大柄な男は妻のカミラに肩を叩かれて黙った。


「この子、訳ありで使い物になるように仕込んでほしい。ローブを脱げない、話せない、最近越してきたばかりだ」

「お前、また厄介なものを・・」


店主である親方は呆れた顔をした。カミラ夫婦が話し込んでいるとヒノトが従者姿で飛び込んできた。


「シャーリー、起こしてよ!!」


ヒノトは口調が荒くなり夫婦喧嘩を始めたカミラ達に怯えているシャーロットの腕を引いて背に庇った。朝食を終えたシャーロットは出かけるまでずっとヒノトを抱きしめていた。ヒノトは再び眠ったため出かけたのに気付かなかった。起きるとシャーロットがいないため、慌てて追いかけてきた。

シャーロットは首を横に振った。


「見慣れない顔だね。あんた名前は?」

「連れ戻しにきただけなんで。」


シャーロットは素っ気なく答えるヒノトの服を引っ張り首を横に振った。


「え?やりたいの?シャーリーがやるなら手伝うよ」


シャーロットは振り向いたヒノトを見て首を縦に振った。怖くても男爵夫人になるためには覚えないといけなかった。ヒノトは顔色が戻ったが震えているシャーロットの手を握ってカミラ夫妻に向き直った。


「シャーリーの家族のヒノトです。お昼に帰るのでよろしくお願いします」


シャーロットはヒノトが来たので、ローブのフードを脱いで礼をした。

カミラ達は陽気な笑みの金髪の美少年とうるんだ瞳の黒髪の美少女に息を飲んだ。人生で初めて見る美貌の持ち主だった。


「これは厨房、勿体ない・・・」

「バカ言ってないで頼んだよ」


この容姿なら悪い大人に騙されないように保護するべきだと親方も容姿端麗な二人を受け入れるのを了承した。

シャーロットが一人でローブを着ていたのは安全のためと察し頷いた。一人で歩かせたら襲われるのが目に見えていた。

シャーロットはカミラ達の指示に従い、ヒノトに手伝ってもらいながら無言で野菜の洗い方と包丁の使い方を教わっていた。

手を滑らしてシャーロットの指から血が流れた。


「!?」

「シャーリー、手を止めて。血を先に止めないと」


涙目のシャーロットの指をヒノトが口に含み、包丁を取り上げて机の上に置いた。


「大丈夫だよ。すぐに止まるから。痛いのも治るよ。・・・美味しい」


シャーロットの指から流れる血を舐め、血が止まった指を口から離してヒノトは手当を始めた。親方に怒号を受けていた弟子は美少年が潤んだ瞳の美少女の指をうっとりと舐めて止血する様子を顔を赤らめ見ていた。固まっている弟子に気付いた親方に頭を強く叩かれようやく動き出した。

足手まといではあるが毎日午前中だけ顔を出すシャーロット達をカミラ夫妻達は温かく迎えていた。目の保養であり、シャーロットが懸命に努力する姿に好感を持っていた。そしてヒノトが甲斐甲斐しく世話をして、全てフォローするため時間はかかっても邪魔にはならなかった。

***


シャーロットはレイモンドに三日に一度本邸でお茶に招待されていた。

コクから文を受け取りレイモンドからの呼び出しにシャーロットは怯えて犬姿のヒノトを抱きしめた。二人でお茶を飲む意図がわからなかった。初めてのお茶会で出されたお茶は味も香りもしなかった。無言のお茶会で話したのは挨拶と連れている従者の確認だったのでヒノトとミズノを紹介した。


「シャーリー、大丈夫だよ。怖くないから」

「私が役立たずだから」

「そんなことない。怖いなら逃げる?」

「駄目。逃げたら迷惑が…。」

「俺も一緒に行くから大丈夫だよ。」


シャーロットは断れないのはわかっているので、ヒノトを抱きしめながら了承の手紙を書いた。レイモンドとの約束の時間は午後なので食堂に向かう支度を整えた。

カミラが仕立ててくれた従業員用の服とエプロンを着てヒノトと手を繋いで出かけた。

カミラ夫妻に出迎えられ、礼をして教えられた通りに野菜を洗った。慣れない水の冷たさを感じながらシャーロットは手を動かしていた。

野菜を洗い終わったのでシャーロットは座ってジャガイモを剥いていた。

いつも細かい皮が残りヒノトにむき直してもらっていた。ただ今、手の中にあるジャガイモは綺麗に見えた。


「ヒノト、見て」

「これなら完璧だな。そのまま仕込みにまわせるよ。上手くなったな」


ヒノトがシャーロットから受け取ったジャガイモを見て仕込み用のボウルに入れたのに、満面の笑みを浮かべた。カミラはシャーロットの声を初めて聞き、笑顔に息を飲んでいた。シャーロットはいつも下を向いていた。美少女ではなく愛らしい少女と知りカミラの庇護欲が刺激された瞬間だった。

お昼になったので、ヒノトが挨拶をしてシャーロットの手を引いて離れに帰った。ミズノとヒノトとコクとシャーロットは食事をした。そしてレイモンドに会うためにミズノにより公爵令嬢の装いを整え、ヒノトにエスコートされて本邸に向かった。

使用人達の不躾な視線に怯える様子は見せずに、優雅な所作で足を進めた。ヒノトの手のぬくもりに励まされ綺麗な笑みを浮かべて怯える自身を叱咤していた。

シャーロットは客室の椅子に座ってレイモンドを待っていた。


「ごめん。待たせたね」


部屋に慌てた様子で入ってきたレイモンドに立ち上がって礼をした。


「ご招待ありがとうございます。お気になさらず」

「座ろうか・・・・」


レイモンドはシャーロットの笑みに見惚れても固まることはなくなった。シャーロットは頷いて、ゆっくりと腰かけた。

レイモンドが座り、お茶に手を出したので、シャーロットもゆっくり口をつけた。口に広がるお茶の渋みに、使用人達に受け入れられてないことを痛感しながら笑みを浮かべていた。

レイモンドは髪を巻き、優雅な仕草は変わらないのに、小さい傷だらけのシャーロットの手を見ていた。


「シャーロット、食事はきちんと取っている?」

「はい。ミズノが用意してくれますわ」

「その手は・・」

「お見苦しいものをお見せして申しわけありません。気になさらないでくださいませ」

「そうか・・。何か必要なものがあれば」

「お気持ちだけで充分です。お気遣いありがとうございます。有意義な時間をありがとうございました」


レイモンドは綺麗な笑みを浮かべて、何も望まず遠慮ばかりする姿に苦笑しながら席を離れた。男爵夫妻の距離は全く縮まらなかった。レイモンドはシャーロットがよくわからなかった。以前目にしたあどけない少女は見間違えかと思い始めていた。シャーロットを前に緊張せずに話せるようになっただけいいかと思い仕事に戻った。それでもシャーロットが美しい笑みを浮かべると深く追求することはできなかったが。

執事長は頼りないレイモンドにため息をついていた。

シャーロットはレイモンドに荒れた手を指摘されたため、次のお茶会から手袋をつけることを決めた。水仕事や包丁で傷つけた手はすぐには治らないため隠すしかなかった。自身の手が貴族令嬢としてふさわしくないのに気付いてもやめるわけにはいかなかった。シャーロットにとって生きるために必要なことだった。


****

カミラ夫婦はシャーロットの餌付けを始めた。

ヒノトに、ジャガイモが上手に剥けたと愛らしい笑みで話しかけるのを見たためである。餌付けに成功したのは5日目の苺を渡した時だった。シャーロットが初めて満面の笑みで受け取り美味しそうに食べていた。

それからカミラ夫婦は食堂に苺のメニューを増やし試食にと、シャーロット達に連日与えていた。おかげで苺に弱いシャーロットの警戒心が解けていた。


「ヒノト、ここの苺のお菓子は美味しいね。小さい苺がゴロゴロしてて」

「苺に目がないよな。俺のもあげるよ」

「いらない。一緒に食べた方が美味しいもの。こんなに堂々と苺が食べられるなんて幸せ。男爵領のお嫁さんの心得は大変だけど頑張れそう。でも一番はヒノトのおかげ」

「最近は指を切らなくなったもんな」

「親方さんたちのおかげ。よい人に出会えたね」


仕込みが落ち着き食堂の開店前の休憩時間だった。この休憩時間はシャーロット達が来てから設けられた時間だった。

ほんわかと笑顔で話す二人を見るのはカミラ夫妻の楽しみだった。


「シャーリー、ヒノト、お昼を食べてから帰らないかい?」

「ご迷惑を」

「給金を受け取らないだろう。せめて。それに感想を聞かせてほしい。」


シャーロットに困惑した顔を向けられたヒノトが頷いた。


「カミラさん、お金を払うからミズノの分もお願いできますか?」

「家族の分かい?」

「うん。大事な家族。ミズノは忙しいからここには来れないの。親方さんのお料理美味しいから」

「持たせてあげるよ。子供は遠慮しなくていいんだよ。いつか三人で遊びにおいで」


シャーロットはにっこり笑った。


「ヒノト、いつか三人で来れるといいね」

「シャーリーが頼めばすぐに来れるだろう?」

「ミズノの邪魔は駄目だよ。」


それから二人は昼食を食べてから帰るようになった。

ほんわかした空気を出しながら笑顔で会話するシャーロットとヒノトをカミラ夫妻が微笑みながら眺めていた。

共に働く弟子も二人がいるとカミラ夫妻の機嫌が良いので温かく見守っていた。二人のおかげで怒号が減っていた。怒号にシャーロットが怯えるため、親方はシャーロットがいる時は声を抑えていた。

午前中は食堂でカミラ夫妻達と過ごし食事をしてから離れに帰り、お昼寝をして支度を整えてレイモンドとお茶をして、夜にはミズノ達と食事をして2匹を抱いて眠るのがシャーロットの日課だった。レイモンドに仕事を求められないので、やることがなかった。


カミラ夫妻がコメリ男爵領での生活を教えてくれるのでシャーロットはありがたく勉強させてもらっていた。

最近は仕入れの方法も覚えた。花嫁修業とかけ離れているが、突っ込みをいれるものはいなかった。

ヒノトは時々厨房から顔を出して、カミラの接客の手伝いをした。シャーロットが楽しそうに過ごしているのでお礼のつもりで手伝っていた。

時々顔を出す美少年のおかげで食堂は女性客も増えて盛況になっていた。人見知りのシャーロットを厨房から出すことはなかった。黒髪の美少女が男に囲まれ怯えるのが安易に想像できたからである。カミラ夫妻にとってシャーロットは保護対象になっていた。


食材を親方と共に仕入れに来ていたシャーロットが首を傾げていた。

最近は物価が上がりはじめていた。

特に物価が上がるような理由が思い当たらなかった。念のためレイモンドに食材の備蓄を増やしたほうがいいと進言しようと頭のメモに書いた。物価が急に上がるときは要注意とよく知っていた。

シャーロットは試食にと渡された苺を受け取り口に入れた。ヒノトとシャーロットを連れると取引しやすく、楽しそうなシャーロットを愛でたい親方はよく二人と共に出かけていた。何よりシャーロットは怯えながらも交渉がうまく計算も速く正確だった。

****


執事長は極秘でシャーロットの護衛につけた孫の報告を聞きながら、笑っていた。

シャーロットが領民に馴染んでいた。レイモンドとは打ち解けないのに、すでに一部の領民には慕われていた。

執事長は休みの日にカミラ夫妻の食堂に行くとヒノトが料理を運んでいた。


「カミラ、新人かい?」

「美少年だろう?預かってるんだよ。気まぐれで手伝ってくれる」


カミラは笑いながら自慢した。ヒノトが自主的に手伝う時だけ甘えていた。手が欲しい時に無言で現れ手伝うのがヒノトだった。

執事長に気付いたヒノトは厨房に戻った。

厨房ではシャーロットはリンゴの皮を剥いていた。


「ヒノト、出来た!!見て、綺麗だよ」

「シャーリー、上手になったな」

「うん。指も切らなかった。親方さんも褒めてくれた」


執事長は厨房から聞こえる楽しそうな声を聞きながら、しっかりしているのはシャーロットの方だと確信した。方法は違っても男爵領に馴染もうと努力している姿に胸が熱くなった。そしてレイモンドの情けなさにため息を溢していた。

夫婦仲は近づかなくても、シャーロットは男爵夫人として小さい一歩を踏み出していた。時々聞こえる厨房の声に耳を傾けながら執事長は食事を楽しんだ。


***

シャーロットに物価が上がりはじめているので備蓄を増やしたほうがいいと進言されたレイモンドは市場に来ていた。レイモンドは物価の上がりに気付いていなかった。

多くの人でにぎわう市場にいるはずのない金髪と黒髪がいて目を見張った。近づくと髪をまとめて黒いワンピースと白いエプロンを付けたシャーロットと白いシャツと黒いズボンのヒノトがいた。

シャーロットはリンゴの入った籠を抱えていた。

店主に苺を口に入れられ、にっこり笑うシャーロットを見て、声を掛けようか迷っていると姿が消えていた。


「その苺、もらえるか?」

「ありがとうございます」

「さっきの黒髪の少女と金髪の少年はよく来るのか?」

「時々来ますよ。事情は知りません」


レイモンドは店主がこれ以上話すつもりがないのがわかり代金を支払い苺を受け取り離れた。

レイモンドが午後にお茶に誘い苺を出してもシャーロットは仮面をつけているので表情を崩さなかった。優雅な仕草でお茶を飲むシャーロットに見かけたことも切り出せず、いつものお茶の時間が流れていった。無言のお茶会で時々口を開けば男爵領のことだった。業務連絡のようなお茶会を侍女は心配した顔で見ていた。お茶会が終わりしばらくすると頭を抱えるレイモンドが余計に不安を誘っていた。夫婦関係に悩んでいるのはレイモンドだけだった。


ミズノはシャーロットの手に薬を塗っていた。肌の弱いシャーロットはすぐに肌が荒れてしまった。シャーロットができることが増えたと嬉しそうに笑うので、ミズノは笑うだけだった。ミズノもヒノトもシャーロットの信じるものを信じるだけだった。二人にとっては国や民はどうでもいい。大事なのは三人が一緒でシャーロットが笑っているかだけだった。



シャーロットは3回目のお茶会でレイモンドに何も意図も思惑もないことに気付いた。お茶の味は微妙でも何度も共にお茶の時間を過ごすうちにレイモンドは優しい人だと思いはじめていた。

多忙なのに、わざわざシャーロットとの時間を作っているのもわかっていた。成人まで何も求めないのは、求められてばかり(王子の婚約者)のシャーロットの生活からはありえなかった。最初は生きるためだった。最近は優しいレイモンドが望むならきちんと立派な男爵夫人を目指そうと努力することにした。

貧乏クジを引いたレイモンドにシャーロットができるのはそれ位だった。いつも決められた生活を送っていたシャーロットには自由な生活は未知のものだったが、誰にも干渉されない生活は楽だった。

常に人の視線を意識して、王子の婚約者として仮面を被って生きていた窮屈な生活の中でシャーロットの癒やしはミズノとヒノトだけだった。兄や両親は留守が多かったので、屋敷の管理をしながら二人を抱いている時だけが素顔に戻れる時間だった。

男爵夫妻の仲は深まらず全く意味がないと思われているお茶会もきちんと成果があることを知っているのはミズノだけだった。


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