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卑屈な令嬢の転落人生1 中編

コメリ男爵のレイモンドは平凡な青年だったが領民や使用人達には慕われていた。

レイモンドが男爵の仕事にようやく慣れ始めた頃に深夜の非常識な訪問者を執事は迎え入れた。

騎士に囲まれた美しい令嬢は、第一王子のことを一心に騎士に願っていた。執事は王子を慕っている美しい令嬢を王命で嫁として迎える不憫なレイモンドに悲しんでいた。レイモンドとシャーロットの話が終わり、シャーロットが立ち去ったので慌てて執事は上司を呼びに使用人宿舎に走った。


「執事長、大変です。起きてください。執事長!!」


激しく扉を叩く音に、近くの部屋の使用人達が夜着のまま扉から顔を出す。しばらくして執事服に着替えおえた執事長が扉を開けた。


「坊ちゃんに、奥様が」


執事長は焦っている部下に連れられ共に玄関に行くと誰もいなかった。執事長は床に落ちている2枚の書類を拾いあげる。王族印の捺印されたシャーロット・モールとレイモンド・コメリの婚姻命令の通達と婚姻証明書をじっくりと眺めて頷いた。


「これは、凄いな。」


冷静に感心した声を出す執事長に執事が凝視した。


「ご存知なんですか!?」

「モール公爵令嬢は評判の良いご令嬢だよ。未来の王妃と多くの憧れを集めている。皆の坊ちゃんの幸せを願う祈りが神に届いたのか。どちらに案内を?」

「出て行かれました」

「・・・。そうか。きっと大丈夫だろう。」


執事長は部下の要領の得ない報告を聞きながら、現実逃避したレイモンドに苦笑した。執事長はレイモンドの執務机に婚姻証明書を置き自室に戻る。

窓の外の暗闇を眺めながら深夜に出て行く令嬢を止めなかった二人に指導が必要かとため息をつく。丁寧に騎士を見送り、伝達手段を残して出て行ったシャーロットは冷静でしっかりしている様子なので心配はしていなかった。

年上の二人の情けなさに教育の難しさが身に沁みて窓を閉めて再び眠りについた。


******


翌朝、目を覚まし着替えと食事を済ませたレイモンドは執務机にある書類を凝視した。

レイモンドとシャーロットの婚姻証明書だった。


「嘘だろ・・・?」


部屋を出てもう一度入り机の上を見ても婚姻証明書が見えていた。

控えていた執事に書類を見せて音読を頼むとレイモンドとシャーロットの名前を読み上げられる。侍女と補佐官にも音読を頼んでも内容は変わらない。


「坊ちゃん、見間違いでも夢でもありません」


執事の残酷な言葉にレイモンドはフラフラと椅子に座りに頭を抱える。

レイモンド達の信じる愛を司る神は生涯の伴侶はただ一人と定めている。夫婦愛を絶対として一夫一妻であり、離縁は許されていなかった。

例外で離縁し再婚が許されるのは配偶者の死亡か、神官の頂点にいる教皇が婚姻を不当と認めた場合のみ。ただこれは推奨されていない。後継問題等に困った家の嘆願で定められたもので再婚では神の祝福は受けられないと謂われていた。

そのため信仰心の強い者は決して再婚しない。

レイモンドには教皇への伝手もなく公爵令嬢を妻に迎え、満足した生活を送らせる財力も甲斐性もなかった。

父が過労で倒れ成人してすぐにレイモンドは男爵を継いだ。レイモンドの父は避暑地で療養中である。コメリ男爵家は男爵家の中では並でも裕福とはいえない。事業が成功し、潤い始めたが公爵家からすれば微々たるものだった。またこの事業に奔走したため父は倒れた。レイモンドは父を見て欲張らずに現状維持で治めようと決めていた。倒れたら本末転倒と。


レイモンドとアリシア・ウルマ伯爵令嬢との婚約はウルマ伯爵家に押し付けられたものだった。ウルマ伯爵は金使いの荒いアリシアを早々に家から追い出したかった。

評判の悪いアリシアと婚約を結びたい者はいなかったため、拒否できない下位貴族から選ぶしかなかった。ウルマ伯爵は下位貴族でも特に従順で善良と有名なコメリ男爵家を選び婚約を整え成人とともに婚姻予定だった。アリシアが10歳でレイモンドが12歳の時に決まった婚約だった。

レイモンドはアリシアに良い感情は持っていなかったが婚約者としての義理は果たす努力はしていた。

伯爵令嬢でさえ手に余るのに、公爵令嬢など頭を抱えるしかなかった。

レイモンドは頭を抱えてしばらくすると深夜に訪問したはずのシャーロットがいないことを思い出し真っ青になった。


「彼女はどこに・・・。捜索を!!」


慌てて、家臣達に命じて所在を探させる。昨日の自分を責めている場合ではなかった。家臣や領民に探させてもシャーロットは見つからなかった。


「坊ちゃん、ご令嬢の目撃情報はありません。」

「まさか、浚われた・・・」


家臣達の報告を聞いてさらに真っ青になっているレイモンドに執事長が肩を叩く。


「坊ちゃん、落ち着いて下さい。文を出されてはいかがでしょうか。」

「文?」


レイモンドはシャーロットとの会話を必死に思い出し、外に出て半信半疑で口にする。


「コク、コクいるか?」


しばらくするとコクがレイモンドの前に飛んできた。


「コク、待ってて。すぐに、手紙を、そこにいて」


レイモンドは慌てて、面会したいと手紙を書いて震える手でコクの足に結ぼうとしたが結べなかった。コクはレイモンドの手にある文をくわえて飛び立ち、すぐに見えなくなった。

レイモンドは外で狼狽えながら待っていた。しばらくしてレイモンドの後方からコクが飛んできた。気配なく目の前に現れたコクに驚くレイモンドの前に手紙が落とされた。レイモンドは慌てて封を破り手紙を開くと長い挨拶と訪問時間の問い合わせが流暢な文字で綴られていた。

シャーロットの無事がわかり、レイモンドは力が抜けて座り込んだ。ずっとコクがレイモンドの前を飛んでいた。見かねた執事長がレイモンドの肩を叩く。


「坊ちゃん、お返事を」


レイモンドは慌てて、昼に訪ねて欲しいと手紙を書いてコクに託し飛び去る姿を見送った。

レイモンドは執事に時間になったら起こすように伝えベッドに倒れ込んだ。夢であってほしいという願いを捨てきれなかった。


***


シャーロットはコクの呼び声で目を覚ました。

レイモンドからの面会依頼の手紙に顔を真っ青にした。


「コク、ありがとう。ヒノト、ミズノ、どうしよう。やっぱりこの場所がいけないのかな。それとも私みたいなのが形ばかりにも妻なんて。殿下もどうせなら国外追放にしてほしかった。誰にも迷惑をかけたくなかったのに。一言相談してくれれば協力したのに・・。殿下のばかぁ」


シャーロットは腕の中の二匹の犬を抱きしめ震えながらポロポロと涙を流す。

泣き声にミズノが目を覚まし、寝ているヒノトのお腹を勢いよく蹴とばした。シャーロットは気付かず、恐怖で涙を流していた。


「シャーリー、大丈夫よ」

「何があってもなんとかするよ。だから泣くなよ。」

「そうよ。私達に任せて」

「もともと国母なんて無理なのに。私はミズノとヒノトと一緒にいたいだけなのに。平民落ちで良かったのに・・。国王陛下やお父様に会うのも怖い。独断って。せめて陛下の許可を・・。お兄様にご迷惑が・・。このまま誰にも会わずに過ごしたいよ」


シャーロットには秘密がある。

特技は貴族の仮面を被ること。ただ仮面を外せば、人見知りで気弱で卑屈な少女である。これを知るのは身内だけである。

シャーロットは愛想良く可愛らしく大きい胸を持つアリシアの代わりに自分みたいな貧相で可愛げのかけらもない妻を押し付けられレイモンドが怒っていると思っていた。非常識なのは元婚約者である。ただ言い出したら聞かず、稀に物凄くズル賢い第一王子に準備なしに勝てないので、婚約者の暴走を止められなかった自身の所為と責めていた。王子がアリシアと親しいのは知っていても突然婚約破棄され、強引に男爵と婚姻させられるのはシャーロットには全く読めなかった。

第一王子の独断ならいずれ国王から呼び出しがあるのもわかっていた。全てが後手に回ったシャーロットにできるのは限られたことだけ。余計なことをせずに、王子の書いたシナリオ通りに動くだけである。

シャーロットは王子の考えは読めても、レイモンド・コメリ男爵は読めない。若くして男爵を継いだ以外の情報を持っていなかった。深夜に男爵領を訪問し、情報収集する余裕も気力もなかった。無礼を咎められ斬られなかった現実に安堵し、休むので精一杯だった。


「シャーリー、食事にしよう」


ミズノがシャーロットの腕から抜け出し侍女の姿になり動き出す。ヒノトはシャーロットの止まらない涙を舐め取っていた。


「シャーリー、大丈夫だよ。俺達はずっと一緒だよ。どこまでも」


シャーロットは、悶々と悩んで恐怖に震えていたが、じゃれるヒノトの可愛さに慰められて笑った。

ヒノトとミズノがいれば大丈夫と思い出し、ヒノトをギュっと抱きしめる。

美味しそうな食事の匂いにヒノトが腕から抜け出したのでシャーロットはベッドから立ち上がり、着替えはじめる。

テーブルに温かい食事が用意され、ちぎったパンを食べるコクの可愛らしさにシャーロットは笑う。

主人と使用人は共に食事を食べれないのでシャーロットはミズノとヒノトと久しぶりに食事ができたことに嬉しくなり力が沸いた。

レイモンドへの手紙の返事をコクに託してミズノにいくつかお願いをした。シャーロットはミズノとヒノトと一緒にいるために頑張ることにした。


シャーロットと共にいる双子の男女、従者のヒノトと侍女のミズノは獣人である、

獣人族ははるか遠くの国に住む民族である。

獣の姿で生まれ、成長と共に人の形に変化する魔法を身に付けていく。

人間は魔法が使えないが獣人族は魔法が使えた。

その力を貪欲な人間が欲して獣人族の国は侵略された。それからは差別され、奴隷や戦争の道具として生きる種族となった。

そのため獣人族は世間に隠れて、人に化けて息を潜めて生活するようになった。次第に獣人族の話は伝承となったが、ひっそりと暮らす獣人族を探して捕え高値で売る者もいた。


シャーロットとヒノト達の出会いは偶然である。

シャドウに連れられ、市に来ていたシャーロットがキラキラ輝く双子の仔犬に一目惚れして買ってもらった。

シャーロットは大事に世話をしていた。

シャドウもモール公爵夫妻も内気なシャーロットが見たことないほど嬉しそうに世話をする様子を微笑ましく見ていた。

二匹を引き取ってしばらくして首輪がついているのに気付いたシャーロットはシャドウに頼んで外してもらった。

首輪を外すと金髪でオレンジ色の瞳の少年と水色の瞳の少女が現れた。

獣人は正体が見つからないように暮らしていた。二人は魔封じの首輪をつけていたため商人は毛色の綺麗な犬だと思いこんでいた。

王子の婚約者として勉強をしていたシャーロットは自国では伝承の話だが、他国では戦争の道具や奴隷として扱われる獣人の存在を知っていた。兄と両親に泣きながらよそにあげないでと懇願し二人を側におく権利を手に入れた。

ヒノト達の正体を知るのはシャーロットの信頼する極一部の者だけだった。

自由な時間はシャーロットはいつもヒノトとミズノと過ごしていた。

二人はシャーロットにとって家族であり唯一の友達だった。二人もシャーロットを大事に想っていた。犬の姿ではずっと傍にいられないので侍女と従者の仕事を覚えて何があっても傍にいられるように励んでいた。

ヒノトはシャーロットに印を付けているためどんなに離れていても居場所がわかった。

ミズノは卒業パーティ会場に変装をして給仕の一人として紛れ込みヒノトは馬車置き場で御者として控えていた。

卒業パーティの会場からシャーロットが離れる気配に気づいたヒノトが動く前にミズノが現れた。


「シャーリーは婚約破棄。コメリ男爵と婚姻のため護送された。どっち?」

「消して逃げる」

「シャーリーが望んでない。それに準備が間に合わない。」

「俺が追う。手出しはさせない。」

「私は場所の確保ね。シャーリーのお手本とそっくり。」


二人はそれぞれの役割を決めて別れ動き出した。

パーティ会場から護送されコメリ男爵邸に向かうシャーロットをヒノトが護衛してミズノはシャーロットの休む場所を整えに向かった。騎士がシャーロットに危害を加えればヒノトは躊躇いなく殺してシャーロットを連れて逃げるつもりだった。ヒノトはコクを呼んで、馬車をモール公爵家に返す手続きの文を託してシャーロットを追いかけた。ヒノトの知らせを受けて馬車を回収にきたモール公爵家の御者はアルナに捕まり、真っ青な顔をしてモール公爵邸まで最速で馬車を走らせたのはヒノト達は気付かなかった。


****


食事が終わるとミズノは出かけ、シャーロットはずっとヒノトを抱きしめていた。

約束の時間が近づいたためシャーロットは帰宅したミズノにより真っ直ぐな髪をくるくると巻かれ、ドレスを着て化粧をしてモール公爵令嬢の装いを整えた。シャーロットはミズノに抱きついた。


「シャーリー、行ってらっしゃい」

「俺がいるから大丈夫だよ。」


シャーロットは目を呟ってしばらくして頷いた。二人と一緒に生きるためには正念場とわかっていた。

意識を切り替え貴族の仮面を被ったシャーロットの瞳に潤みがなくなり、ミズノとヒノトがそっくりな顔で笑った。シャーロットは綺麗な笑みを返して、ヒノトに抱き上げられ森を抜けて男爵邸を目指した。


「坊ちゃん、起きてください。そろそろ準備を」


眠っているレイモンドを執事が起こした。レイモンドは目を開けて、起き上がった。


「今日の予定は」

「シャーロット・モール様とご面会です」


レイモンドは首を横に振った。執事は現実逃避しているレイモンドに無言で上着を着せて、髪を整え、身だしなみを整えた。

レイモンドは玄関の周りを歩き回ったり、立ち止まって頭を抱えたり挙動不審だった。使用人達はレイモンドの様子を不安そうに見ていた。


「坊ちゃん、ご案内するので客室でお待ちください。落ち着いてください。」


執事長に促されレイモンドは客室で椅子に座って頭を抱えていた。

男爵邸の玄関には深夜に訪問した噂のレイモンドの婚姻相手を見るために使用人達が集まっていた。


扉を叩く音が聞こえ、執事が扉を開けるとヒノトにエスコートされたシャーロットを見て、美しさに不審な目をしていた使用人達は息を飲んだ。

ヒノトはシャーロットの手を解き、一礼して後ろに控えた。


「お初にお目にかかります。シャーロットと申します。」


優雅に礼をするシャーロットに執事長が近づき礼をした。


「ようこそお越しくださいました。旦那様のもとにご案内します」

「ありがとうございます。」


シャーロットは執事長に微笑み、不躾な使用人達の視線や囁き声には反応せずに、案内されるままゆっくりと足を進めた。

シャーロットは前をゆっくり歩く執事長に驚きながらも戸惑いを顔に出さなかった。上位貴族のドレスを着た令嬢はエスコートなしに歩くことは少ない。客人として一人で訪問すれば、子息や補佐官や執事長が出迎えエスコートするものだった。

執事長がエスコートしないため、ヒノトが自然な動作でシャーロットの手を取った。ヒノトはシャーロットの震える手にそっと自分の手を重ねて笑みを浮かべた。シャーロットは自身がコメリ男爵家に疎まれているのを身に感じ怯えていたがヒノトに気付いて笑みを浮かべて気合いを入れ直した。執事長の足が止まり部屋の前に着いたので、ヒノトはシャーロットの手を解き、礼をして後ろに控えた。

使用人達はシャーロットとヒノトの美しい所作にうっとりと見惚れていた。

ノックの音にレイモンドは椅子から立ち上がり扉に近づいた。扉が開き、緊張を隠しきれずに立ちすくむ表情の固いレイモンドにシャーロットは微笑み優雅に礼をした。


「お招きありがとうございます。」

「よ、ようこそ。」


レイモンドはシャーロットに近づき手を出すと、そっと小さな手を重ねられ、レイモンドの固いエスコートに微笑みながら合わせる姿にほのかに頬を染めた。

シャーロットはエスコートされ席に座り動かないレイモンドを眺めた。マナーではレイモンドが先にお茶に口をつけるのを待つべきだが、レイモンドが動かないためどんどん冷めていくので、お茶に手を伸ばした。

レイモンドは間近で見る美しいシャーロットに見惚れて、しばらくして我に返り目の前の優雅にお茶を飲む公爵令嬢を養えるとは思えず、何も切り出せずにいた。シャーロットはずっと無言で緊張で固い顔をしているレイモンドに笑みを浮かべてゆっくりと口を開いた。


「お気遣いはいりません。遠慮せずに、どうぞご用件をお話し下さい」


シャーロットの優しい声音と黒い瞳に優しく見つめられレイモンドはゆっくりと口を開いた。


「こ、公爵家のような、く、暮らしはさせられませんが、部屋は用意します」


声を震わせ、気まずい顔をしているレイモンドにシャーロットはお世話になるつもりはなかった。淑やかな笑みを浮かべてゆっくりと口を開いた。


「お気遣い不要です。お許しいただけるなら森の一部を私に売ってくださいませんか?」


男爵領にはいくつか森がある。野性動物も多く狩りは領民の嗜みであり、森は貴重な食料庫だった。

レイモンドはシャーロットの口から聞こえる似合わない言葉に驚いて声を荒げた。


「森・・!?」


動揺するレイモンドにシャーロットはゆっくりと交渉をを始めた。


「全部ではなく、民家が立つ程の広さで構いません。コメリ男爵家にとって不利になることは決してしません。もちろん言い値をお支払いします。個人資産も十分ありますので、どうぞ遠慮なく、」

「待って。どういうこと?森!?君はどこにいる、いや昨日はどこで寝たの!?」


ずっと微笑んでいるシャーロットのような余裕はレイモンドにはなかった。年下でも幼い頃から社交界で鍛え上げられたシャーロットほどレイモンドの貴族の面の皮は厚くなかった。すでに貴族の顔が剥がれ落ちていた。立ち上がりシャーロットに詰め寄ろうとしたレイモンドにヒノトが冷たい殺気を一瞬向けた。レイモンドは寒気がして、辺りを見渡したが執事長の咎める視線を受けて椅子に座った。

シャーロットはレイモンドの勢いと挙動不審への怯えを隠して、優雅に微笑んだ。交渉の場で空気を支配するのは大事だった。そしてシャーロットは負けられなかった。


「気にしないでくださいませ。手元にはあまりありませんが、足りなければ、後ほどお持ちしますわ。ヒノト」


ヒノトが大量の金貨の詰まった袋を机の上に置いた。レイモンドは初めて見る大量の金貨に目を見張った。


「婚姻に不満でも、妻を外で生活させるのは・・。それに君はまだ未成年・・・」


シャーロットは歯切れの悪いレイモンドの言葉に体裁の悪さに気付いた。

そしてレイモンドがシャーロットを知らないことを思い出した。

シャーロットは17歳だがすでに学園の卒業資格を取得していた。学園卒業後は年齢に関係なく成人として扱われた。公務をこなす上では未成年だと支障があり、社交界では成人扱いを受けていた。卒業資格があるのに学園に通っているのは、王家の権力を使った特例である。また成人の資格があるため婚姻もできた。


「私は学園の卒業資格は持っておりますので、すでに成人してます。私がここにおりますと、男爵様に御迷惑がかかりますわ。もしも体裁が悪いのなら、離れ、いえ人目のない庭園の隅をお貸しください。言い値の家賃もお支払いします。必要なものは全て自分で手配しますので私のことはお気になさらず。男爵様にご迷惑をかけないように最大限配慮致します。もちろん男爵家の皆様にもご迷惑をかけないように」


レイモンドは互いの認識の違いに気付いた。自分との婚姻に不服だと思い込んでいたが、シャーロットが繰り返す言葉がさすのは逆だった。


「俺の迷惑?」


シャーロットは顔を顰めたレイモンドに大事な言葉を伝えていなかったと気付いて頭を下げた。


「謝罪が遅れて申しわけありません。私が婚約破棄されたため、男爵様の大事な婚約者を奪い理不尽な婚姻を押し付けることになりました。私が殿下のお心を繋ぎ止められずご迷惑をおかけし深く謝罪致します。許してくださいなど図々しいことを言うつもりはありません。私はこれ以上不愉快にさせないように」


深々と頭を下げるシャーロットにレイモンドが慌てた。令嬢に頭を下げられるのは生まれて初めてだった。しかも、王子の婚約者で学園生徒の憧れのシャーロット・モールである。

レイモンドは一年だけ同じ学園生活を送っていた。物怖じせず、堂々と新入生代表の挨拶をする姿は男女共に魅了した。

入学してすぐに荒れていた令嬢達を纏めあげ、学園の統制を取り仕切っていた。おかげで最後の一年は平穏な学園生活を送れた。

どんな時も凛とした年下の後輩。婚約者の王子と一緒の時は一歩引いた立ち位置で、必ず王子を立てて上品に微笑む姿は多くの男子が憧れた理想の婚約者だった。

学生時代のレイモンドは深々と頭を下げるシャーロットなど想像もつかなかった。

彼女は迷いや間違いとは無縁な存在と思っていても、どう考えても腑に落ちなかった。レイモンドは事情を知らない。それでも婚約破棄されて、婚姻を命じられ、お金も地位も何も取り柄もない男に嫁がされたシャーロットが一番の被害者に思えた。


「モール嬢、頭を上げてください。謝罪するのは君ではないだろう。」

「婚約者の愚行を止められなかったのは私ですわ。お父様が帰られれば賠償金も公爵家からの謝罪も」


賠償金という言葉にもレイモンドは混乱していた。混乱しながら、優先順位を考えた。亡き母は常に優先順位を考えろとレイモンドに教えていた。


「頼むから、頭をあげて。君はどうするつもりなの?」


シャーロットはレイモンドの困り果てた声にゆっくりと頭をあげた。これ以上迷惑をかけたくなかった。


「私は許されるならあの森で静かに暮らそうと思います。私達が時々、市に姿を見せることさえ許していただければ他に望みはありません。もちろん税も納めます。病死としていただいても構いません。死体が必要でしたら手配します。そうすれば新しい夫人を迎えいれられますわ。もちろん葬儀等の手回しは全て私が致します。」


微笑むシャーロットからの予想外の返答だった。

公爵とは比べ物にならないが男爵のレイモンドにも立場がある。政略結婚でも妻を養う甲斐性は持っているつもりだった。

またあのシャーロット・モールを放逐していると知られれば、彼女に憧れる友人達が暴動を起こしそうである。

男女共にシャーロットのファンは多かった。

何より年下の令嬢に世捨て人のような暮らしをさせるわけにはいかなかった。この美少女を放逐すれば襲われる可能性も高い。野性動物のいる森での生活も危険すぎた。

シャーロットの保護が一番重要だった。レイモンドは混乱しながらも必死に思考を巡らせシャーロットの言葉を思い出した。


「離れでも別邸でもどこでも自由に使っていいから邸にいてほしい。なにか欲しい物があればできるだけ手に入れるよ」


シャーロットはレイモンドの提案に悩んだ。体裁があるので、共に暮らすべきとはわかっていた。離れなら人目もないので好都合である。ただもし見つかってしまい勝手なことをと激怒され斬られるのは避けたかった。レイモンドは無言のシャーロットに静かに見つめられ、さらに困惑した顔をしていた。

これ以上迷惑をかけるのが申し訳なく、逆上されたらどうしようかと心配しても譲れないため、シャーロットは緊迫した空気の中口を開いた。


「恐れながら愛犬と一緒に寝たいんですが、連れてきてもいいでしょうか?」


恐る恐る口に出したシャーロットの問にレイモンドが驚いた。どんな無理難題を言われるか警戒していたが予想外すぎた。


「構わないよ。」

「ありがとうございます。使用人はいりません。ご用の際はコクでお呼びください。これからよろしくお願いします」


頭を下げるシャーロットにレイモンドはさらに拍子抜けしていた。学園での評判は良くても公爵令嬢である。我儘で手のかかる令嬢だろうと覚悟していた。レイモンドは令嬢とは理不尽な生き物だと思っていた。とりあえず保護でき、男爵家の財産を荒らす様子がないことに安堵した。


シャーロットは男爵邸の古びた離れで生活を始めた。

レイモンドに男爵邸を案内され、ヒノトが本邸から離れた寂れた離れを見つけた。

昔、絵師に憧れた何代か前の男爵がアトリエとして使っていた小屋だった。

一人で生活できるように設備も整えられていた。人目もなく、シャーロットには理想の空間だった。戸惑うレイモンドに離れを借りるために交渉して了承を取った。

シャーロットは感謝と別れの挨拶を告げて離れに入り扉を閉めた。レイモンドは離れに入り出てくる気配のないシャーロットに戸惑いながら現実逃避に仕事に戻った。

レイモンドの気配がなくなりシャーロットの体から力が抜けふらついたのでヒノトが抱きとめた。


「終わった」

「お疲れ様。頑張ったな」


シャーロットはヒノトに抱きしめられ泣き出した。


「斬られたらどうしようって。怖かった」


シャーロットはコメリ男爵家の異様な空気に疎まれて拒絶されていると思っていた。自業自得でも怖かった。ヒノトはシャーロットが泣き止むまでずっと抱きしめ頭を撫でていた。

シャーロットを宥めながら、コクを呼びミズノに伝言を頼んでいた。

ヒノトはシャーロットが逃げたいと言えばすぐに連れ出した。ただモール公爵令嬢は思いつかない。それにモール公爵家を大事に想うシャーロットは王子の命令に逆らい反逆と取られる行為をしないこともわかっていた。泣き疲れて眠ったシャーロットの涙を舐めとると口元が緩むシャーロットをしばらく眺めていた。合流したミズノが空気の淀んだ小屋で換気もせず眠るシャーロットを抱いて眺めていたヒノトの頭を叩き叱られ、扱き使われるまでヒノトの穏やかな時間は続いていた。



その頃古びた使われていない離れをシャーロットに与えたことに使用人達は戸惑っていたが、憔悴しているレイモンドに声を掛けられなかった。

それぞれの家臣は己の主が一番だった。

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